Noel
「約束だって言ったじゃないかっ。」
諒のウソツキ、と幼い暁人はなじる。その顔は赤く、声はひどい鼻声である。
「大きなクリスマスツリー見に行こうってゆびきりしたじゃないか。」
再びウソツキ、と言うと、急に悲しくなったのか、暁人は上掛けを引き上げてベッドに潜り込んだ。きっと泣いているのだろう。諒は申し訳無い気持ちで一杯だった。
本当は諒も暁人を連れて出かけたいのは山々だ。
12月のはじめ、街のメインストリートにお目見えした巨大ツリーの話をしたら、幼い暁人は是非とも見に行きたいとせがんだ。どうせならライトアップされた時間のほうがきれいだろうと、総一郎を説得して暗くなってからの外出を認めさせ、三人でクリスマスイブの夜に見に行くと決めたのだ。暁人はとても喜び、カレンダーの24日に赤と緑のしるしをつけて、毎日指折り数えて待っているのだと微笑ましげに総一郎は言っていた。
街に待ったクリスマス・イブ、暁人はあろうことか風邪を引いて熱を出してしまった。元々体の弱い暁人だったが、あまりにもタイミングが悪すぎる。当然この寒空の下に連れ出す訳にも行かず、諒はそのことを今説得しているのだ。
「ごめんな暁人。また来年な。」
返事はない。かわりに押し殺したしゃくりあげが聞こえる。どうにかして連れていってやりたいものだが、どうしようもないこの状況を前に、諒は胸がつぶれる思いで一杯だった。
「暁人。」
ドアがあいて、総一郎が入ってきた。
「替えの水枕を持ってきた。顔を出しなさい。」
優しく諭すような呼びかけに暁人は顔を出した。その顔は涙でぐしゃぐしゃで、総一郎も諒も同様に胸が痛んだ。柔らかいタオルで涙をぬぐってあげると、暁人はねだるように言った。
「兄さん、ツリー見に行きたいよぅ。」
「熱があるんだ。あきらめなさい。」
「だって約束したよ。みんなで見に行こうって。」
「具合の悪いお前をこんな寒い日に外に連れては行けないよ。」
「僕は大丈夫だから。だから、行こう。」
「なあ、少しくらいならいいんじゃないか?」
暁人のどうしても行きたいという思いがひしひしと伝わってきて、つい諒も口を挿んでしまった。それを聞いて暁人の顔がぱっと明るくなる。二人の大好きな顔だ。この顔を見るためならば何だって出来ると常日頃言い合っている二人なので、もう連れて行くしかないだろう。結局暁人をマフラーと手袋とマスクと毛糸の帽子で厳重に防寒させて、ほんの少しだけという条件付で出かけることになった。
「ありがとう。兄さん、諒、大好き。」
この一言が聞きたくてついつい暁人を甘やかしてしまうんだよな、と諒は苦笑した。総一郎もああ、と同意して同じく苦笑した。つくづく暁人に弱い二人だった。
12月24日、クリスマス・イブ。
2000年ほど前、世の人を救い、その罪をつぐなうために神はひとり子を世にお与えになったそうだ。それほどまでに神は人を愛された。そのことを記念して歓ぶのが今日という日だそうだ。無論総一郎はクリスチャンではないので、この日を祝うことは無かった。華やかなイルミネーションもケーキもツリーもプレゼントも皆商業主義的な馬鹿げたものだと思っていた。はるか昔から受け継がれてきたヒトならざるものの記憶を持つ彼にとってはなおさらバカバカしく見えた。
しかし暁人が総一郎の弟となってから何かが変わった。幼い弟のサンタクロースを信じる心を守るために、毎年知恵を絞って趣向を凝らすようになった。ツリーを飾り付けたり、クリスマスソングを歌ったり、ケーキを食べたりなど、総一郎の中ではそれまで馬鹿げたものだと打ち捨てられてきたもの達が、楽しくかけがえのない思いでとなって色彩を与えられるようになった。総一郎の乾いた心は暁人によって豊な色彩を与えられた。そうして今日、大事な人達と共にイブの夜を楽しみたいという願いが生まれるに至ったのだ。
街のメインストリートは華やかなイルミネーションに彩られ、イブの夜の浮ついた空気の中を仲睦まじい恋人達が幸せそうに闊歩している。
幼い子供の手を片方ずつ大事そうにつないだ二人の少年達というのは明らかにイブの街の風景の中で異質なものだったが、しかしその暖かな雰囲気と幸せそうな様子は周囲のカップル達に負けてはいない。暁人の歩調に合わせながら、3人は言葉少なに歩いた。人ごみの中を歩いて、ようやくお目当てのツリーまで辿り着いた。
「うわぁ、きれい。」
暁人がかすれた鼻声で歓声を上げる。
本当にきれいだった。まばゆいばかりのライトアップが飾り上げられたもみの木をあたたかに照らし、道行く恋人たちや幸せそうな人々を祝福するかのようにたたずんでいた。
「きれいだな…。」
総一郎がため息がちに漏らす。
諒は言葉を失ったまま、しばしツリーに見入っていた。こんなにきれいなものだとは思わなかった。このところ毎日目にしてもう見慣れているはずなのに…。どうしてだろうと浮かんだ問いに答えるように諒はつないだ暁人の小さな手を握り締めた。誰かと一緒だからとてもきれいに見えるだなんて、ありきたりの言葉過ぎて認めたくはなかったが、しかしまさにここに今日という日、三人でいるというこの幸せを思うと諒の涙腺は緩む。
聖なる夜に訪れる小さな奇跡は諒を見捨てはしなかったのだ。大切な人と楽しく過ごすというこのささやかな奇跡、諒にとっては何よりも大事な幸せ。
少しだけ、という約束通り、長居せずに3人はまっすぐ帰途についた。暁人は先程よりも熱が上がっているようで、ぐったりとなってしまっていた。路地裏に入った頃にそれに気付いた総一郎は暁人を優しく背負った。いくら長身の総一郎とはいえ、就学年齢に達した子供を運ぶのは楽なことではない。大丈夫か、と問う諒に、何ということはない、と答えて、一刻も早く家にと総一郎はすたすたと歩き始めた。
「近道するぞ。」
「あ、待てよ総一郎。」
行きとは違う道を通り、私有地らしき土地を横切ると、暖かな光に満たされた小さな建物が見えてきた。
それに近付くにつれオルガンの調べに乗せた聖歌が聞こえてくる。それはクリスマスソングとしてもよく聞かれる、なじみの深い歌だった。ここは小さく粗末な教会。今日は夜通しクリスマスミサが行われ、神のひとり子が世に与えられた歓びを分かち合っているのだろう。
早足を決めこんでいた総一郎の歩調もその教会に近付くにつれて、まるで聖歌に耳をすますようにゆっくりになった。
『歓びたたえよ 主イエスは生まれぬ』
信じる者の歓びに満ちた美しい歌が夜の静寂に響き渡る。この上なく敬虔な気持ちで諒は天を見上げた。
冴え渡る冬の夜空には壮大な神話世界を模した星々が瞬いている。
その星空のもっと向こう側に我々を愛してくれている大きな存在がいると信じるのは、何と素敵な救いなのだろう。
諒の顔にふと笑みが浮かんだ。暗くて全くわからないが、総一郎もふわりと笑った気がした。
二人はそれから言葉を交わすこともなく歩調を速めて家へと急いだ。その間の沈黙は決して気まずいものではなく、どこか満たされた暖かいものだった
『神様、ありがとう。』
心の中で何度もそう繰り返す諒の瞳を、頬を濡らしたのは、音もなくそっと溢れる温かく幸せに満ちた涙だった。聖なる夜の冴え冴えとした大気が優しくそれをぬぐう。神は人を世を愛された、そんな言葉を今なら信じられる気がする。
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昨年のクリスマス・シーズンに合わせて書いたSSです。
実のところ、これを書いた時は受験に追われてツリーを見たりクリスマスを祝ったりする余裕なんてありませんでした。
イルミネーションもデパートのディスプレーも予備校帰りのくたびれた受験生の目にはとても痛くて、幸せそうなカップルなんて見ると蹴りをいれたい衝動に駆られてました。
私が幸せでない分、この3人には幸せになってもらいました。
今年こそは自分の幸せを追い求めようと、儚い望みを抱いていたりします(笑)
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