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「ああ、ゴメンネ。まさか、突然雨がふってくるなんてさ。」
「いいえ。通り雨なんですもの。オリヴィエ様のせいじゃないです。」
タオルを渡されたアンジェリークはにっこりとオリヴィエに笑い返した。
事の始まりはこうだった。
試験が無事に終了し、見事ロザリアが女王となった。試験に敗れたアンジェリークは、主星に帰るしかないと思っていた(補佐官制度というものの存在を知らなかった)が、親友にぜひにと望まれ、自分で役に立つのなら、と聖地に行くことにしたのである。
聖地に行くことにしたはいいが、持ち物が少ない。服などは注文でかまわないが、細かいもの、歯ブラシやくしというものはやはり自分でそろえたい。という訳で、そういう物に詳しいオリヴィエと(もちろん彼女の警護も兼ねて)、主星のショッピングセンターへとやってきたのである。
楽しく買い物をしていた矢先、王立研究院も予測できなかった事態が起こった。そう、通り雨である。土砂降りだったため、2人はずぶぬれになってしまい、近くにあったホテルに避難した、というしだいである。
「でも、参っちゃったねぇ。いきなり降ってくるなんてさ。」
「土砂降りでしたから、びっくりしました。」
窓の外は、バケツをひっくり返したように大雨が降っている。
「ああ、アンジェ。風邪ひくといけないからさ、お風呂でも入ってきなよ。」
「え?・・・でも・・・。」
さすがのアンジェリークもこの提案にはしり込みをした。
(いくらオリヴィエ様だって、男の人だし・・・。)
「・・・もしかして、私がなんかするとか思ってんの?」
「そ、そ、そんなこと・・・。」
うろたえるアンジェリークに、オリヴィエはからからと笑いながら声をかけた。
「きゃはは!!だーいじょうぶだって。この私だよ?オスカーならいざ知らず。」
「うふふ。そんな事おっしゃって。オスカー様が聞いてらしたら、怒りますよ、きっと。『緋色の衝撃!!』とかって・・・。」
その場面を想像したのだろう、大げさに首を振ったオリヴィエに、アンジェリークは笑い出した。
「やっばー。・・・内緒にしてね。あいつなら、聞いててもおかしくないからさ。・・・でも、ホントに風邪ひいたりしたら、まずいでしょ?ロザリア・・・っと、陛下に私がどやされちゃうからさ、入ってきてよ。」
さりげないオリヴィエの心遣いに、遠慮はかえって失礼だと感じたアンジェリークは、その申し出に素直に賛成した。
「はい。でもオリヴィエ様も風邪をひかれるといけないと思います。」
「そうだね。じゃ、あんたの後に入らせてもらうよ。」
「じゃあ、お先に失礼しますね。」
バスタオルを持って風呂場へと消えていくアンジェリークの後姿を見送ったオリヴィエは、大きく息を吐いた。
「・・・一応、私が男だって風には、思ってくれてるんだ。」
自嘲気味にそういった彼の表情は、今までにないくらい厳しいものだった。
「いいお風呂でしたぁ。」
物思いに浸っていた彼を引き戻したのは、ほわほわした甘い香りと、アンジェリークの声だった。
「・・・あ、もうあがったんだ?じゃあ、わたしも入らせてもらうね。」
何でもなかったかのように普段の口調に戻るオリヴィエ。
「・・・オリヴィエ様。」
今までに聞いたことのない声のトーンに驚いたオリヴィエが振り返ると、そこには瞳に涙を浮かべたアンジェリークの姿。 「ど・・・どうしたのさ!!どっか具合でも悪いの?痛いとことかあんの?」
「ち、違うんです。さっきオリヴィエ様、なんだか、とっても辛そうなお顔、なさってたから、もしかしたら、お買い物に付き合って頂いて、ご迷惑だったんじゃ、なかったか、って・・・。」
みるみるうちに零れ落ちる雫。
「え・・・?やだ。そんな顔してるように見えた?」
無言で頷くアンジェリーク。 そんな彼女の頭をポンポンと優しく撫でながら、苦笑している彼。
「迷惑だなんて思っちゃいないよ。それに嫌だったら、はっきり言うでしょ、わたしは。変な気を使わせちゃったみたいだね。・・・違うんだよ。」
「違うって・・・?」
オリヴィエは黙り込んだ。人の心の機微には敏感なアンジェリークのことだ。その場しのぎの嘘は簡単にばれるだろう。そうすれば、多分もう、心からの信頼は戻ってはこない。女王候補時代から、自分にだけは、この子は全てを打ち明けてくれていた。この関係にひびを入れる真似だけはしたくない、絶対に。
「いや、ね。ホラ、見た目でよく女性と間違われたりすること、多いでしょ?」
初対面の時、アンジェリークも一瞬『女の人?』と間違えかけた事もあって、素直に頷く。否定はしない。それはこの試験中にアンジェリークがどれだけオリヴィエという人物について観察してきたかという結果である。かりそめの言葉がどれだけ必要ないか、真の美を追求する彼にとって、それがどんなに失礼に値するか、ということも。
「わたしの事を、アンジェも男だって認識してくれてるんだな、って、さ。」
「当たり前じゃないですか。オリヴィエ様が男の人だって分かってますもの。もし、オリヴィエ様に対してそんなことを思う人がいたら、私が許しません。」
にっこり笑って言うアンジェリーク。
そんな彼女に、オリヴィエは軽いめまいを感じた。自分をそこまで理解している人物が、ここにいる。
「・・・じゃあ、あんまりこうしてると、お湯がさめちゃうからね。私もお風呂に入ってくるよ。」
そう言うときびすを返して、彼もバスルームへと向かった。
このまま彼女と向かい合っていると、自分の想いを口にしてしまいそうで、彼はそうなる事が、怖かった。
「ほーんと、いい湯加減だったねぇ。」
「ほんのりいい香りがしてましたよね。」
アンジェリークの言葉に、オリヴィエの動きが止まった。
「・・・そういえば、なんか甘い香りがした、かも・・・。」
彼自身、自分の気持ちを整理するのに手一杯で、周りに気を配る余裕もなかったからなので、当たり前なのだが。美を司る夢の守護聖としては、かなり不本意だった。
「珍しいですね。オリヴィエ様が気付つかないなんて・・・。」
あんたのことを考えてそれどころじゃなかったんだ、とは流石に言えないオリヴィエは、黙り込むしかなかった。それを勘違いしたアンジェリークは、慌てて大きく手を振った。
「違うんです。別に、あの、オリヴィエ様が気が付かないこともあるだろうと思いますし、その・・・。」
「でさ、どんな香りだったっけ?」
いきなり話をはぐらかしたオリヴィエ。彼女が慌てたため、話を変えることにしたのだ。
「えっとぉ・・・。甘い香りだったと思います。あれ・・・?」
「どうしたのさ・・・?」
「あの香り、どこかで嗅いだような気が・・・。」
言うと、アンジェリークは考え込んだ。
「あ!!思い出しました!!あの・・・。」
そこまで言うといきなりアンジェリークは頬を真っ赤に染めてうつむいてしまった。
「どうしたのさ?」
彼女がそんな行動を起こす理由がオリヴィエには全く分からない。
「あの・・・。怒らないで聞いてくれますか?」
「何なのさ・・・?」
もじもじと居心地悪そうにアンジェリークが口を開いた。
「オリヴィエ様が気付かれないのって、当然だと思います。だって、あの・・・。」
「・・・言ってご覧。別に怒ったりしないからさ。」
オリヴィエの口調はゆったりと温かい。まるで子供をあやす母親のような雰囲気を醸し出している。
「オリヴィエ様の匂い、なんだもの・・・。」
蚊の鳴くようなアンジェリークの答えだった。
「エ?何だって・・・?」
「ですから、オリヴィエ様の匂い、なんです・・・。」
彼女の答えはオリヴィエの中にしみこむまでに少しの時間を要した。
俯いたままのアンジェリークにはオリヴィエの表情は分からない。が、次の瞬間・・・。
「オリヴィエ様?」
気がつくとアンジェリークは彼の腕の中にいた。
「ああ、もう・・・。」
じれったそうなオリヴィエの声。
「あんたがそんなこと言うから、ホントのこと言うしかないじゃん。」
「ほんとの事って・・・?」
続きを言おうとした彼女の言葉はそこで途切れた。
柔らかな唇を塞がれたことで。
「ホラ、どうしようもないじゃん。」
くぐもった甘いテノール。とろけてしまいそうな魅惑的な声に、アンジェリークは立っていられず、オリヴィエの胸に倒れ込むようにしがみ付いた。
「あんたが好きだよ。どうしようもないくらい、あんたに夢中なんだ。・・・可愛いアンジェリーク。私の、大事な大事な、たった一つの宝石・・・。」
彼女の髪の上から聞こえてくる優しい響き。
「他の宝石はいらない。あんたというたった一つの宝石があればいいんだ。この翡翠色の、淡い輝きがあればいいんだ・・・。」
「オリヴィエ様・・・。」
潤んだ瞳で彼を見上げる少女。 「私も、オリヴィエ様が・・・。」
―――――好きです。―――――
彼女の言葉は直接オリヴィエの頭の中に響いた。
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