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『騎士と道化の後始末』
1:道化の涙 がくりとひざをついた。身体が重い。体内から急激に失われたマナの残滓が、あたりをひらめき舞い踊る。 どう、と何かが倒れこむ音に、ギルは顔を上げた。ギルの渾身の、そして最後の一撃を受けて、宝石王は、いや宝石王だったいびつな化物は地に伏した。数呼吸分息を詰めて、その化物がふたたび動き出さないことを確認すると、ギルは深々と細く長い息を吐いた。魂までも這い出していきそうだった。 終わった。うろんな顔で目の前の遺骸を眺め、声に出さず呟くと、玉石の間には途端耳に痛いばかりの静寂が戻ってきた。激しい戦いの最中に壁に叩きつけられ、気絶したラピスラズリの騎士は倒れ付したまま意識が戻らない。自分の荒い息遣いだけが、むなしく響く。 ゆるゆると視線を巡らせると、玉石の間の奥、幾重にも張られた天幕の向こうにしつらえられたベットの上に、一人の少女が…玉石の姫が、遠からず訪れるおのれの死を前に、なすすべなく横たわっていた。はや死んだようにも見えて、その薄い胸がかすかに上下していることを確認して安堵する。それとて、終わりのときがわずか伸びただけのことであるに過ぎないが。 結局、なにも変わらなかったじゃないか。 命そのものを限界まで搾り取られ、緩やかに死んでいく少女を救わんと、彼女(あるいは彼)は1000人もの同族をその手にかけたのではなかったか。身の内に別個の宇宙を持つ宝石王に核を食わせ、死の淵より少女を救うたった一つの手段、奇跡の石涙石を生み出そうと。 「これが、最後のひとつ」 サンドラは己の胸の核を引きちぎると、優美に微笑んだ。血に濡れた金緑石は、今は深い紫に揺れている。 呆然と立ち尽くすギルと瑠璃の前で、999もの珠魅(なかま)の核を奪い殺した宝石泥棒は――玉石の騎士アレクサンドルは、核を王へ手渡すと、そのまま崩れ落ちた。伸ばした腕が地に触れるよりも早く、その身体は糸がほぐれるように虚空へと消えていった。幾度も見た、珠魅の最後だった。 なんで、とようやく呟いたギルの声はひどくかすれていた。1000個目の核を岩そのもののようなその両手でそっと包み、宝石王は言った。 「最初から、こうするつもりだったのだ、彼は」 どうか、許してやって欲しい。沈んだ声色には友人を悼む色がくっきりと滲んでいて、ギルは胸のうちで弾けた言葉を歯軋りと共に飲み込んだ。見れば、瑠璃もまた似たような表情で押し黙っている。 彼らが飲み込んだ言葉の続きを察したのか、宝石王はすまなそうな視線を向けたがそれも一瞬で、すぐにかき消された。そうして表情を引き締めると、恭しく一礼した。 「蛍姫のために」 王と騎士にとって幸いであったのは、裏切りと知りながらも彼女のためを想っておこした行為の結果が、どんな結末を迎えることとなったかを知るよりも先に、その自我を奪われていたことだったのかもしれない。 1000の核を飲み込んだ王は、涙石を生み出すどころか、許容量を遥かに超えた莫大な珠力を制御しきれず暴走しはじめた。溢れ出した力はその体を突き破り肥大させ、理性のたがを失って本能のままに暴れだしたのだ。 ……倒すより他に、すべはなかった。 「……結局、誰一人救えなかった」 ゆっくりとマナがほぐれ、掻き消えていく宝石王の姿をながめながら、ギルは最後に消えた騎士の願いを、その言葉を思い出していた。 「千人の仲間を殺しても、彼女一人を助けられなかった」 仲間をその手にかけても、自らの命を投げ出してでも。 騎士が守るべき姫を救うことは―― 「チクショウッ!!」 怒声と、それに続く鈍い音。はっとして振り向くと、気絶から回復したらしい瑠璃がラピスの右腕を、その拳を床に叩きつけていた。 「チクショウッ……結局、オレたちは」 滅びるさだめなのか、 聞き取れたのはそこまでだった。両目の奥がかっと熱くなったとたん、視界が急速にゆるみ、たわみはじめた。体中の熱が一気に顔に集中していくようで、対照的に手足は鉛のように重たく、冷たくなっていった。 「瑠璃」 とっさにつぶやいた声はかすれ、揺れていた。振り向いた瑠璃が、たちまち顔を引きつらせるのが見えた。不規則にゆれる視界の向こうで、彼はものすごい形相でこちらをにらみつけ、馬鹿野郎、泣くなと言っただろう、と叫んだようだった。 古い言い伝えのことを思い出したのはずっとあとになってからだった。だから、そのとき胸に占めた感情が罪悪感であったことにも、随分あとになってから気がついたのだ。 ただ、彼に悪いことをしたと、ただそれだけを伝えようと、 「ごめん、な」 頬をつたうそれが、すべての熱を奪い去って流れ落ちたときには、ギルの意識はとうに、つめたい暗闇の中に閉じ込められていた。
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