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『祈り』
突き出した刀身から雷光がほとばしった。切っ先をギリギリでかわしたものの、間髪入れずに襲い来る雷になすすべなく打たれて、しいなの顔が苦悶に歪む。きれぎれの悲鳴と共に床に叩きつけられた彼女が、それきり動かなくなったのを見て、リフィルはすぐさま詠唱に入った。癒しを願う呪文の言葉に、背を向けていた天使がゆっくりと振り返る。 こちらを見据える天使の顔には、どんな表情ものぼってはいなかった。自分たちを裏切ったことに対する罪悪感も、背に負った翼を誇らしげに羽ばたかせた守護天使が見せた、あまりに人間味溢れる侮蔑も。なにも、なかった。 ただこれまで幾多の魔物と対して来たときと同じように、感情の失せた暗い瞳のまま。 青い翼の天使は無言のままに走り寄ってくる。詠唱を止めるだけならその場から衝撃波でも放てばすむことだが、先に回復役を潰しておくことにしたのだろう。恐らく、自分が彼と同じ立場でも、同じことを考えただろう。そう思うと、無性に笑い出したくなった。 「姉さん!!」 無防備な状態で詠唱を続けるリフィルに、ジーニアスが悲鳴じみた声をあげた。彼の側でうずくまっていた少年は、天使の攻撃を阻むべくもがいていたが、たちあがることすらままならない。 「先生!逃げろ!!」 魔術にしろ治癒術にしろ、呪文の詠唱中は術士はまったくの無防備となる。それをフォローするために、常ならば武器を手に前線で敵を食い止める役を果たす者達は、裏切りの天使によって残らず地に這わされている。 弟と教え子とがそれぞれに悲痛な声で自分の名を呼ばわるのを、詠唱に集中していた彼女は半ば聞いてはいなかった。朗々と読み上げられる言葉のひとつひとつによって、術士の足元には複雑な紋様が描かれ、生成されてゆく。抜き身の剣を手にした天使は、ここにきて不意に目の前の治癒術士が唱えようとしている呪文の正体に気付いた。 これは、治癒を行う呪文ではない。 マナを操り、その力を行使する『魔術』だ。 すぐ近くまで近づいてきていた男の顔が、驚愕にひび割れる。まさか自分が魔術を使ってくるとは思ってもみなかったのだろう。実際、ここにたどり着くまでの旅路で、魔術を使ったことはなかったのだから。 ――切り札は、最後までとっておくものでしょう? 「――フォトン!」 問いかけのかわりに放たれた光が、物理的な力をもって御使いの身体を貫いた。よろめいた男が思わず膝をついたのを確認して、リフィルは身を翻すと気絶したままの符術士のもとへ走った。彼女の隣へかがみこんで、今度こそ癒しの呪文を唱え始める。 不意打ちを喰らった天使がダメージから立ち直るころには、剣に縋ってどうにか立ち上がれるようになったロイドが、彼女らを庇うようにその前に立ちふさがった。 (勝てないかもしれない) 発動した術が傷ついたしいなを包み、その傷をひとつひとつ癒していくのを見ながら、リフィルは胸中で呟いた。出血を止め、傷口を塞いでも、流れ出た血を補うことはできない。奪われた体力を完全に取り戻すこともできない。 一人を相手に、四人がかりでもこれほどまでに苦戦を強いられているのだ。じりじりと力を失い、尽き果てて倒れるのはこちらの方だろう。 懐に忍ばせていたグミを口に放り込むと、その猛烈に甘ったるい味に舌が痺れた。もともと無味無臭のグミに、無理矢理砂糖と果汁を叩き込んで食べやすくしただけのこの薬品は、どう頑張っても『美味しい』などという言葉とは無縁の存在である。しかしそれでも疲労に塞ぎかけていた視界は急速に晴れて、随分と磨り減っていた思考を回復させるのが分かる。 そうして顔ごと視線を上へ向けると、地を這う自分たちを遥かな高みから見下ろす存在があった。 幼なじみの上げる痛切な叫びにも、教師の向ける苦悩と憐憫の混じる視線にも、眉一つ動かさないかつての神子は、女神の器は、その足元で繰り広げられる争いに目もくれず、虚空へ固定されたまま、愚かで醜い人間たちを、ただ静かに睥睨している。 胸元を飾る紅玉と同じ血の色をしたその双眸を見上げて、リフィルは唇をかみ締めた。
END |