最初の物語

 街の中心地を半分囲むようになっている丘をぐるっと回ったところにその修道院はあった。名は『ハイリガーユプシュィロン』という。
 それほど高いとはいえない丘の中腹。それでも眼下には旧市街、街の先には視界を横切るように川が流れ、黒い森へと続いている。

 ハイリガーユプシュィロンというのは古代語で、ここは通常「聖イプシロン」もしくは「聖なるYの修道院」と呼ばれている。
 イプシロンはこの地域にいた聖人で、両手を広げて祈りをささげたまま木に変わった…という伝説を持つ人物だ。
 なんでも木になって永遠に人々を見守りたいと言ったとか言わなかったとか。
 そのイプシロンの木は修道院の中庭に生えている。堂々とした古木だ。

 ここまでの道のりがあまりにも気持ちよかったのでブラブラ歩きながら来てしまい、修道院に着いたころには日が落ちかけていた。
 夕方以降の修道院は夕べの祈りやら何やらで忙しい。中を見たかったが、お邪魔しても悪いし…どうせしばらくこの町にいるつもりだから明日にしよう。
 そう決心すると私は修道院の前の坂をくだって旧市街の酒場に入った。

 日が落ちて夕餉の時刻。酒場はいろんな人でごった返していた。
 この手の酒場はある程度客層が決まっているものだが、この店には本当にいろんな人がいる。
 カウンターには鬚面の戦士風の男と、きちんとした身なりの僧侶達が話をしている。その隣にいるのは商人だろうか?
 暖炉の前には真っ赤な目をした老人とメイド頭か家庭教師のような風貌の黒い服を着た婦人が座っているし、その横のテーブルには町娘達が陣取っている。
 盗賊風の男、ルシアールの仮面をつけた魔道師。道化か遊び人風の男、東方から来たのだろうか変な髪形の人もいるし、浅黒い肌もあらわな南方の女に、あの白い鬚の陸バイキングはエルヘブンの鎧を着ている。
 暖炉の反対側にも、いるわいるわ。とにかく冒険者風。とにかく機会兵。とにかく危ないオーラを出した剃刀のような目の男。そして冒険とは関係のなさそうな街人らしい人たちと、店のすみには肩身が狭そうにしているとはいえ小奇麗なゴブリンが3人。

「いらっしゃい。悪いが満席なんだが…」
 カウンターの奥から店の主が声をかけてきた。
「…あー、あんた、バードだな?」
「え、ええ。」
「おぉーっ。」
 なぜか店中がざわめく。
「バードならちょうどいい。ここにすわんな。」
 鬚面の戦士がカウンターの隅の席を叩く。
「ドク!店が壊れる!」
 カウンターの中から出てきた若い娘が怒鳴る。
「でもバードがきてくれるなんて、よかったよ。さあ、ここに座って。」
 私はその娘に言われるまま席についた。

「えーっと、食事と…」
「すまんが詩人さん。今日は料理は選べないんだよ。」
「まずはこれだ!」
 ドクと呼ばれた男がエールのジョッキをドンっと置く。
「え、えっと…」
「こいつを飲んでもらわんことにゃ、何も始まらんな。」
「そうですね。まずは一気に。」
 初老の牧師が平然と言ってのける。一気って、これ結構大きいんですけど…
「大丈夫。ジョッキが助けてくれるわよ。」
 っとテーブルの町娘。
「そうそう、そのジョッキで飲んで悪酔いした奴はいねぇしな。」
 っと、これはゴブリンの脇にいた剃刀目だ。
 ひとしきり笑いが出た後、店中の注目が私に集まる。私は観念してそのジョッキを手にとってみた。
 灰色の金属で作られたそのジョッキはひんやりと冷たい。表面には一面に、神話か何かの彫刻が彫ってあった。これでこんなに大きな傷がついてなきゃきっと値打ち物だろうけど…
「じゃ…じゃぁ…」
 私は観念してそのエールを飲むことにした。

 冷たい液体が喉をとおる。
 自分でも不思議だ、いつもはもっと甘いお酒しか飲まないのに、今日はエールがすっと入ってくる。
 ヘェ、エールってこんなおいしかったんだ…

 気がつくと私は一気にエールを飲み干していた。
 それを合図にしたかのように店の中にざわめきが広がった。
 私の横に洒落たグラスが置かれる。
「はい、ごくろうさま。私ニニよ。」
「この店の女主人さ。」
「違う違う。ここの娘よ。次はこれよ。ゆっくり飲んでいいわ。」
「あ、ありがとう…あ、冷たい。」
「あの人はこの甘いワインが大好きで…」
「冷たく冷やしたのがね。」
「真冬でも氷を入れてさ…」
「そうそう、一度あんたがフリーズを使って冷やしたことがあったよな。」
「あん時ゃ店中凍るし、大変だったぜ。」
「しかもその後…」
 店の中は喧騒に包まれる。
「ごめんねうるさくって。」
 ニニが私の前に料理の載った皿を出して話し掛ける。
「いや…私、職業柄、こういうのは…うれしいです。」
「そう。あ、この席さ、変わってるでしょ?」
 たしかに。自然木を利用しているとはいえカウンターがここだけ大きくえぐれている。この席に座ると、まるでカウンターに囲まれているような気持ちになる。
「そこは『賢者の席』と言うんですよ。」
「いいや、『説教ババァの席』だ。」
「何とでも言えばいいさ。その席はね、そう座るんじゃないんだよ詩人さん。後向きに座ってごらん。」
 店のすみにあるこの席で後ろ向きに座るってことは、必然的に、皆さんと顔を合わせることに…
「ほぉ…」
 なぜか店の中が少し静かになる。
「あ、…どうも…」
 我ながらさえない挨拶だが、
「えーっと、一曲歌いましょうか?ご馳走もしていただいたし…」
「歌は後だ。まあ食え。」
 誰かが叫ぶ。そしてまた喧騒。
 確かにこの席は後向きに座るのがいい。カウンターが背もたれと肘掛の役割をしてくれるし、店の中を一望できる。店の雰囲気がいいから感じることのできることだけど。
「あんた、いろんな所を廻って来たのだろ?」
 白い鬚の戦士が声をかけてきた。
「え、ええ。」
「俺はブーリ。エルヘブンの北から来たのだが、あの辺は行ったことが?」
「はい、一昨年の夏から秋口に、涼しくていいところですね。」
「まあな、冬は寒くて何もない所だが…辺境に程近いところにトルテブルグという町があるのだが、行ったことは?」
「えーっと、たぶんないと思います。」
「そうか、今はプレドル=シューリヒトっていうお館様が治めているのだが…そのシューリヒト家ってのは面白くってさ。女主人が結構出る家柄なのだよ。」
「あ、それは聞いた事があります。女傑サティーン=シューリヒトの家ですよね。」
「おうおう、知ってるか。そう、そのサティーンと夫ので学者だったオネストは黄蝗の乱って争いで死んでしまうのだが、実はこの夫婦には双子がいてさ。」
「この家には言い伝えが合ってな。」
 会話に入ってきたのは、暖炉の前にいた老人だった。
「『双子が代を変える』というんじゃよ。双子が生まれるたびに領主が男から女、女から男と変わる。」
「へえ。」
「詩人さんは、こういう話は好きかな?」
「ええ、土地のお話を聞かせていただくのは好きです。」
「うん。普通双子ってのは男と男か女と女とかじゃないか。サティーンの子供も双子だったのだが、これが男と女だった。土地の長老に聞いてもそんなことは初めてでさ、どうなるかかなり話題になったらしい。」
「で、どうなったんですか?」
「さっきの黄蝗の乱な。あれでサティーン様とオネスト様がなくなって、その戦いで息子のほうも行方不明になった。で、娘が家督を継いだ…」
「じゃあ、代は変わらなかったんですね。」
「そう。ところがその時娘は18才。騎士院ではこの娘が領主としてふさわしいかどうか試すためにあるクエストを命じた。」
「3年で行方不明になった兄を探し出せ。」
 話を聞いていた冒険者風が口を挟む。
「戦場で行方不明になった人ひとりを探せってのは…どうかね。」
 たしかに…
「それは、無理な話じゃないですか?」
「そういってくれるとうれしいよ。だが、実際にはそんなクエストがかけられた。」
「我輩その話をきくたびに思うのだがそのクエストには大いに問題がある。」
 赤ら顔の騎士が口をはさむ。
「3年で見つからなければクエスト失敗ということで党首御自害、お家断絶のご沙汰。よしんば兄上を発見したところで、今度は正当なる長兄が家に帰ってきたとなれば、やはり当主争いがおこることは必定。いかにしてもお取潰しという、なんとも卑怯なやり方である。
 もしこの私がその場にいたら、この卑劣を世に知らしめんと、騎士院の院長に決闘を申し込んだであろうに!」
「まあまあ、ケハダ卿。兄の死体が見つかるという可能性もあるわけだから、もっとも3年も死体が残っていればの話だが。」
「で、最初の半年ほど領内で政をおこなった後。その娘はクエストのために各地を歩き回ったってことじゃよ。」
「それで?見つかったんですか?」
「結局3年立ったら。その長男が帰ってきてさ。」
「はぁ?」
「偶然らしいんだがね。長男はそのときの戦いで目をやられたらしいんだが…結局家はその長男が家を継ぐことになったんだ。あの辺じゃ盲目王って呼んでるけどな。」
「じゃぁ、そのクエストを命じられた娘は…」
「騎士院のクエストってのは厳しくてな。失敗すると自害勧告が出される。」
「悪法もまた法である。騎士たるもの、いつでも厳しい規則で自分を縛らなければならん。どんな無茶なクエストでも命じられていったん受けた以上。達成しえなかったならば自害して果てるのが騎士の本望である。」
 っと、これはケハダ卿が言う。
「かわいそうな話ですね。」
「それが命は助かったんだよ。あちこちから除名嘆願がきてな。」
「結局、爵位剥奪の上で養子に出されてしまった。」
「最近じゃ聞かない話だよな。だが、ほんの30年前まではそんなことはよくあった話だ。」
「あのころはディアスの連中もおって、世の中ピリピリしておったからな。」
「へぇ…で、その人その後どうなすったんですか?」
「ああ、ライカで修道女になって…」
「修道女?また、ずいぶんと違う世界に入ったんですね。」
「養子に出された先が修道院長のところだったのでな。」
「貴族がお坊さんのところへ?それって三男とか四男の歩む道じゃないですか?双子の兄が長男ってことは…その人は長女ですよね?」
「普通は政略結婚に使われる…と?」
「ええ。」
「その辺は僧籍の方も多いので話してもらうといい。」
「そうですね。私がお話しましょうか。」
 そういったのは私にエールを勧めたあの神父だった。
「貴族の子弟が子供のころに教会に出されるということはよくあることなんですよ。行儀見習の一環としてね。
 まあ、普通は行儀見習一般だけなのですが、彼女は優秀だったらしく…ああ…素質もあったようです。そのまま、そこで信仰の修行をしたとのことです。」
「ヘェ…」
 別の教会の服を着た若い尼僧も話に入ってくる。
「守護騎士団といって、寺院を守る騎士団があって、小さいころ幼年部隊にも入ったらしいのよ。」
「聖職者と騎士の両方のベースをそこで培ったということですね。」
「もともとその修道院は…ああ、オランゲンザード修道院と言うんですが…、彼女への自害勧告の時にも除名嘆願を出していましたので、ライカの修道院行きにはそこの意向もあったんでしょう。」
「当時北部エルヘブンの諸侯とエルヘブン王室は仲が悪くてな。北部にはライカと関係を結んでいる貴族も何人かいたらしい、そいつらの援助でライカに渡って命拾いしたってことだ。」
「子供のころ一度奇跡を起こしたそうじゃないか?」
「ああ、神様の像の前で踊ったらその像が壊れたってやつね。」
「それをライカの修道院長が聞き及んでいたって噂だな。」
「本来なら偶然で済ませるようなことなんでしょうけれども…」
「結局、キルシュバルト修道院に入ってから正式にじゃないがパラディンの能力も発現したし…案外すごい人だったのかもな。」
「へぇ、なんか、皆さんお詳しいんですね…この話は…」
 私の一言に店の中は静かになる。あれ?またやっちゃったかしら?吟遊詩人として最もいけない事なのだが、私は場の雰囲気を壊す時がままあるんだ。
「その人な…」
 カウンターの奥で主人が口を開く
「キルシュバルト修道院で諮問を受けた後正式な修道女になって…といっても元が騎士だから、パラディンなんだけどな。長い間仲間達と各地を廻っていたんだが。10年位前にそこのほら、聖イプシロンにな、修道院長として来たんだよ。」
「結構有名でさ、三年位前は法王庁のお偉いさんも教えを受けに来たことが会ったよな。なぁ。」
 ドクの話を受けてみんながしゃべり出す。
「私こんな肌の色でしょ。この国に来たころは仕事もなくてさ。夜を鬻ぐ仕事をしていたころにお母さんには怒られたのよ『肌の色より心の色が問題だ!』って」
「あの人の説教は末香臭くなくて…」
「半面ストレートすぎて理解しにくいというきらいはあったな…」
「ぼく達も、ばば様のおかげで、この町に住めるダ。」
 ゴブリンまでもが言う。
「俺たちには昔の仲間だって言う盗賊の話をしてくれたよな」
「ああ。子悪党で終るくらいなら大きな志を持てってな。」
「盗賊の志を説教する修道院長ってのも問題だとは思うが…」
「俺も駆け出しのころはよく怒られたっけなぁ…」
「カーズは本当によく怒られてましたね。」
「そう言う先生だって連敗記録更新中じゃないのか?」
「勝ち負けじゃありませんよ。『意見の交換』です。」
「俺も、親の金盗んで家を出ようとしたら、見つかってなぁ。『親の金を盗むような男に何ができる。』って怒られたなぁ…」
「で、裸一貫で出て。夢破れ戻ってきたんだよな。」
「そう、その時も内緒で修道院にかくまってくれて…」
 ふぅん。おもしろそうな人だ、どうせ今日はこの町に厄介になるんだし、明日またあの修道院に行って会ってみるのもいいかもしれない。
「口の悪さは、天下一だよな!」
「言い様が厳しいんだよ。」
「そこに座って人の話をきいてる時にゃいい人なんだが。」
「じゃあ、ここが…」
「そう、そこは院長の指定席で…」
  DON!
 その時店の戸が開いた。

 人々が戸口を見る。
 そこには修道女の服を着た女の人が一人。

 店の主人があきれたように声をかける。
「戸が壊れるから…」
 女性は困ったような笑みを浮かべるとこういった。
「ごめん、ごめん。」
「どうだった。」
「ああ、師匠は話を聞くなり床についてしまってね。」
「だめだったのかい。」
「でも娘婿が引き受けてくれたよ。でなきゃこんなに時間がかかるもんか。」
 そういうと彼女は隠しから一枚のプレートを取り出した。
「何にした?」
「温感にしたよ。触るとほんのり体が暖かくなる。言葉をしゃべるよりよっぽどいいだろ。柄じゃないしさ。ん、その人は?」
「旅の詩人さんじゃよ。院長の話を聞いてもらうには最適じゃろう。」
「そう。あなた、母様の話を聞かされてたの?大変だったろう、よくしゃべる人たちでさ。」
「いや、まだ話の口じゃよ。」
「そうそう話すことは山ほどあるぞ。」
「丸太の話とかな」
「僕らの話も」
不意に人々の喧騒が遠い所から聞こえるような気がした…私の目はそのプレートに刻まれた文字を追っている。


 『 ディルディオーネ=アレグリア 享年57歳
    ハイリガーユプシュィロン修道院長にして凶眼の聖母

     教会からの贈り名は「聖アレグリア」
    しかし、この街で私達はあえてこう呼ぼう。

              「母さん」
     
       ここは、母さんのお気に入りの席である。     



 私は理解した。
 その人はもう居ない。これは…たぶん告別の宴。
 ここにいる人たちは修道院長に世話になった人たちなのだろう。

「トモス殿。今一度お聞きしたい。
 我輩はディルディオーネ様に恩返ししたいと思ってはや二十有余年。お母様は本当に御本懐を遂げられたのでありましょうな。」
「ああ、私が最後まで看取ったんだ。母様は確かにアバドンの首領を倒した。これでアバドンの残党はもういない。アバドンのかけらも全て破壊された。」
「40年近くかかってあの反乱は終ったってわけか。」
「もうお年がお年でしたし、誰か教区の者に任せてもよかったのではないかという気もいたしましたが…」
「先生、それじゃぁ母様が母様じゃなくなってしまうよ。それに…最後は『シューリヒト家の恨みの太刀、受けてみよ』っていってたし…」
「お嬢様…」
 赤目の老人が涙する。
「最期は…ご両親の御無念もおはらしになったのですね…」
 それを合図に娘達が涙する。
「な、何だよ何だよ。泣くなっておまえら。」
「そうそう、最期は明るくやってほしいってのは院長のお言葉でしょう。」
「辛気臭い式は教会で挙げてくれるって。なぁ。」
「ほれ、トモスも!」
「そうだね…楽しい席の好きな人だったし…騒ぐか!」
「オイ詩人さん、いよいよ仕事だぞ。なんか歌ってくれ。こう、ぱーっと明るくなる奴をさ。」
 店の主が私に言う。私はすでにそのつもりだった。キタラの音をあわせながらこう言う。
「あ…はい。じゃぁ『ホイ私のナザン』から始めましょう、そのあとは『アルメニアンの3番』とエルヘブンの民謡で『ウズラ』…と。後は何でもリクエストしてください。じゃぁ皆さん、盛り上がりますよ。」

 再びエールとワインと料理が回される。
 今宵はその人についてたくさんの話を聞こう。
 吟遊詩人の仕事は歌を歌うことだけじゃない。各地に埋もれたこんな物語を探して新しい歌を作るのも大事な仕事だ。
 長くなりそうだが、いい歌ができるだろう。
 キタラの前奏に合わせて娘と男達が踊りだす。
 まだ、夜は始まったばかりだ。

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