ベルの婚礼

「神と聖シルヴァリ、聖ケルトの御名において、我汝を騎士となす。
 勇気、誠実、謙譲、忠誠、礼節、憐憫、献身を具備し、日々己とその信念に忠実であれ。」

 その日、私は騎士になった。

「終わったわね。」
「ベル。来てくれたのね。」
「親友の叙勲ですもの、家で寝てなんていられないわ。ディルもお館様か。なんか遠くになっちゃったわね。」
 彼女はベルフィオナ。『北海の斧』と異名をとる猛将リービオ侯爵の娘だ。
 私の様にごつい女とはまったく対照的だ。スレンダーで線が細い。いわゆる守ってあげたくなるような女性とでもいうのだろうか。
「そうだベル。あなた私の心の貴婦人になる?戦に行く私に刺繍をしたハンカチをわたしてよ。私それを肩につけて戦うわ。」
「えー、本気?」
 こうして二人でいると、修道院の頃を思い出す。
 彼女とは、六歳のときに修道院に入れられてからの付き合いだ。
 院長先生から「ディルディオネは神の笑い声、ベルフィオナは神の歌声」と言われてたっけ。活発で修道院の厄介者だった私の後を、病弱なベルはいつもチョコチョコ付いてきていた。

「どう。一家の当主になった気持ちは?」
「止めてよベル。昨日までは軟禁状態だったのよ。
 汝は礼儀正しいか?外国の言葉はしゃべれるか?剣はふれるか?馬には乗れるか?一人で服は着れるか?
 ねえ、聞いてよ。挙句の果てには入浴中にも沐浴の騎士とやらがおいでになって騎士の心構えについて訓示をされる始末よ。
 それが、今からは、何も教えることは、ありません。急にお館様です。後は自分で考えろって言われても…その…」
「実感がわかない?」
「そう、実感がわかないわ。」
「人生は実感のわかないことだらけよ。それを一つ一つ経験という名前の財産にして行くしかないのよ。」
「言うわね。誰の受け売り?」
「先週新しく入ってきた『レザイーの人生論・第4巻』ね。」
「さすが、筆頭書官」
「…でも司書の修行も止める事になるわ」
「…なんで?オランゲンの図書館を復活させるって言ってたじゃない?」
「うーん、実はねぇ…へへ。私ね、結婚するの。」
「本当?」
「うん。ライカの貴族でね。パッツァーニ侯爵って…」

 パッツァーニ侯爵。その名前は私も聞いたことがある。と、言うか、この2週間にわたる最終審問の中で何回か出てきたのだ。
 講座名は「これだけは抑えておきたい近隣国家の注目人物」。
 彼はライカの若手貴族の中ではなかなか切れ者の外交家だと言うことだ。
 あ、そうか。私は気が付いた。
 もともと北部エルヘブンの貴族達の多くが、王国統一のときには反王室派だった。今でも王室のことを心底は信用はしていない。それはリービオ家でも同じこと。
 ライカなら首都をはさんでリービオ家の領地と反対側。そこに娘を出せば、前後から王室にプレッシャーを与えることができる。まして外交家ならば…つまりこれは政略結婚。
 私も貴族の身だ、政略結婚自体が悪いとはいわない。
 しかしこれは…王室への反乱のための備え。しかし、王室への反乱を起こせるだけの力は、私たち落ちぶれた北部の貴族たちにはない。まったくの無駄な政略だ。
 …ディ・リービオ候は確かに堅物ではあった。王室への布石。それは北部貴族としては幾許かの夢、溜飲を下げる事もできるだろう。そこまでの意思はないと思っていたが…彼が娘を溺愛していたのは確かだ。それがなぜ。
 これがベルにとっていかに危険なことか、父親ならば分からぬはずあるまい。ベルは…

「…ねえベル。」
「なぁに?」
「まだ…早いと思わない?その、まだ私達18じゃない。まだまだ…」
「ディル、あなただって18で家を継ぐんじゃない。責任と誇りのある地位に付くんだわ。私にだってできないはずはないわよ。」
 そういうと彼女はまっすぐに私を見る。こうなるとこの娘は手ごわい。自分は正しいという確信を持っていて、それが大抵間違っていないのだ。
「…でも…」
 私はそのあとの言葉が出ない。するとベルは、静かに微笑んで
「…ありがとう…ディル。わかってるわ、この結婚の意味するものは。
 でもね、貴族の娘ですもの。私はいかなることがあっても領民のために良い選択をしたい。北部への王国の締め付けは年々厳しくなってきているわ。私には何かあったときに彼等を戦に駆り出すことはできない。
 私がライカに嫁ぐことで、少しでも王室への…」
「ベル。鉄と炎の時代とは違うのよ。私達の世代には北辺からの反乱はおきないわ。」
「わかってる。でもね。あなた、見落としていることがあるわ。」
「…?」
「私ね…幸せなの。」
「幸…せ?
 ベル、そんなことは言わないで。この結婚の意味することがわかっているのならそんなことは…
 ただ、義務を果たすとだけ言えばいいんだよ。ベル、自分の気持ちを騙してまで…」
「もう、硬い硬い。わかってないなぁディルは…政治云々は後からついてきたことなのよ。どうして気がつかないかなぁ。
 私は、パッツァーニ候とはもう何年も前にお会いしているの。
 へへ。実はね。政略云々は無しにして前からお慕いしていた方なの。」
「…本当か?」
「それはもう。あなたと私の美しいブロンドにかけて。」
「…でも…その…全部話したの?」
「話したわ、私の体が弱いということ、月に何日かは寝込まないといけないということ、風の強い日には表に出られないということ、食べ物のこと、全部。
 …ねぇ、ディル、パッツァーニ候はそれでも私がいいと言ってくれたのよ。…あなた…祝福してくれないの?」

 私の負けだ。多分、彼女の気持ちは本当なのだろう。
 だが、王室はどう思うか。いや…リービオ家もこれは幸いとカードを切ったというところか…
 私としては北部蜂起には興味はない。こうなれば親友の一人として彼女の幸せを祈るだけだ。
「…誰かに話した…その、司書仲間とか、サロンの友達とか…」
「あなたに一番最初に話したわ。」
「…わかった。じゃあ、これが私の当主としての初仕事ってわけね。
 ベルフィオナ・メル・ディ・リービオ、ご婚約おめでとう。
 略式ながらシューリヒト家は、両家のますますのご発展をお祈りし、若き二人の前途を祝します。幸あれ。幸あれ。
 …おめでとう、ベル。お祝いの品などは後でって…ベルぅ…ちょっと、泣かないでよ。」
「…だってぇ…」

 私は彼女に近づくと、涙を流している彼女を抱きしめた。
 ディルは私より頭半分小さい。彼女の髪からはオレンジの花の香りがした。

 昔から彼女は泣き虫で、こうして髪をなでてはよくなだめたものだ。
 修道院の鐘楼に吹く風の音が怖いといって泣いていたベル。
 おばあ様がお亡くなりになったと言う知らせを受けて泣いたベル。
 アンジョンの村に慰問に行くときに、なぜか行きたくないといって泣き出したベル。
 私が聖宮騎士団に入るときに分かれたくないといって泣きじゃくったベル。
 体が弱いというその理由で王立図書院の司書資格を剥奪されたといって悔し涙を流したベル。
 そのベルが結婚か…大きくなったものだ、彼女も私も。

「こんな所、旦那に見られたら、決闘を申し込まれるわ。」
「…パッツァーニ候は文官よ。あなたが勝つわ、きっと。」
「やれやれ、親友を未亡人にするわけにはいかないからね。これからは旦那様になだめてもらいなさいな。」
「婚礼は半年も先よ。」
「あなた、半年の間に何回泣きに来るつもりなの?」



 執務室のドアがノックされた。
「馬車のご用意ができました。お供はシモーネで。何しろ聖職者ですので。」
「わかった。では行って来る。ベレッティオ、後はたのむ。」
「かしこまりました。お送りいたします。」

 あれから半年。ベルは一度も泣きには来なかった。
 手紙が4通。
 正式に花嫁修業が始まったという報告が来たのは私の叙勲の次の月。
 その次の月には二人の肖像画も送ってきた。パッツアーニ候は話で聞くよりたくましそうな方だった。これならば文官といえども楽に勝てそうにはないな、と二人並んでいるその絵を見て思ったものだ。
 そして先月はライカにいくという知らせ。
 そして最期の一通はベルの父上ガブリエル・ディ・リービオ候からのものだった。

「この黒馬車をこんなにも早く使うときが来ようとはな」

 秋の終わりの最期の雨が降っていた。いくら礼装用とはいえ黒馬車に黒い馬を着けなくてもいいだろうに。
 この鉛色の空といい、全ての色が世界から消えたようではないか。

「ディルディオネ様、お帰りは…」
「…3日後かな。」
「収穫も終わりましたゆえ、御領の方はしばらくはご心配いりませぬ。
 最近お疲れのようですので、そのまま暖かくなるまで、南のほう…そうですな。ベーレン様のところにでもお世話になってはいかがでしょう。
 何しろベーレン様の工房はディルディオネ様にとっては第二のご実家のようなものでございます。さぞやお疲れも取れるかと…」
「爺。私は…そんなにひどい顔をしているだろうか?」
「この半年、大変でございましたな。かなりお疲れのお顔でございます。とにかく行きの馬車の中だけでもゆっくりお休みにならないと…」
「そうか、ベルにあわせられる顔ではないかも知れぬな。」

 シモーネはすでに馬車の中にいた。彼女は高齢ゆえ、私がその権利を与えたのだ。馬車の中には彼女と私の二人。
 私が黒馬車に乗ると扉が閉められた。私は窓を開けベレッティオにこう言った。

「では行ってくる。ベーレン師匠のところに行くかどうかは向こうで決め、連絡するから。」
「かしこまりました、行ってらっしゃいませ。シモーネ、たのんだよ。」

 声をなくした修道女のシモーネは黙ってうなづいただけだった。

 鞭の音と共に馬車が出る。
 リービオ領までは丸々一日かかる。爺の言うように少し眠ったほうがいいだろう。
 外を見ていても仕方ない、陰気な空が続いているだけだ。
 窓を閉めると私は自分の服装を見てため息を付いた。
 いつ見ても嫌なものだ…喪服というのは。

 ディ・リービオ侯からの手紙には短くこう書かれていた。


私の娘であり、あなたの友人でありましたベルフィオナは、ライカへの途上で病により…


 最後はインクが涙でにじんでいた。

 北海の斧とまで呼ばれた男が涙と共にしたためたその手紙を持って、私はベルに会いに行く。
 彼女はもう私の胸で泣くことはない。ほかの誰の胸でも。

 涙が一つ私のほほを伝わる。
 ああ、母様がお亡くなりになったと聞いたときでも泣かなかったのに。

 そっと私のほほに触れるものがあった。シモーネだった。
 彼女はゆっくりとうなづくと私の頭を引き寄せた。
 何かが私の中で外れた。私は彼女に抱かれたまま狭い馬車の中で泣きだした。

「…神よ。あなたはいつも、不公平すぎます。」

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