小さな冒険
| 帰り道でアリシアに会った。 「早いわね、今帰り?」 「ええ。ディルドさんも、もう終わりですか?」 「うん、今日は大変だったよ。西の森にレイスが出たんだって、それに襲われた怪我人が…」 ジェラールがスカウトギルドのスキル研修に入ったため、私たちはこの街にしばらく滞在する事になった。 研修の期間は6週間。短いとはいえないが、私のように回復魔法だけをかけていればいい身分とは違い、スカウトのスキルは日進月歩だ。この研修はパーティーのためには絶対必要。そう考えた私たちはジェラールの受講に合わせて町に入った。 自慢じゃないが私たちのパーティーは一人かけると非常にもろくなる。3人では冒険には出られない。 とはいえ一月半もの間遊んで暮らせるほど懐は豊かじゃない。言いたくはないが冒険者にはお金がいくらあっても足りない。装備の購入、傷の手当て、情報の入手…すべてにお金がかかる。僧侶がいないパーティーではリザレクションすら教会にお布施をしないとかけてもらえない。 で、私たちはそれぞれ働くことにした。 マスター君が独自のコネクションでなにやらの流通の仕事に就いたとはいえ、私とアリシアが二人ともすぐに、いわゆるまともな職につけたのは幸いだった。私の聖教会治療所はまだしも、アリシアの… 「学校はどうだった?」 「そうですねぇ。子供たちもだいぶ慣れてきましたね。もっとも先生だとは思ってくれていないようですけれど。」 この街にはスカウトギルドの支部があって、ジェラールはそこで研修を受けているわけだけど、何もギルドに登録しているのは冒険者たちだけではない。 現在は一線から退いて市井で生活している元冒険者もいる。 こういう人たちはいつどんな理由でまた冒険に出るか知れないので技術の吸収に余念がない。冒険していれば身につく技術も、普通の暮らしをしていては身につかないからだ。そのため、こういう講習会には熱心に参加してくる。 アリシアはそういう人達の子供達を講習会の期間一時的に預かる学校で読み書きの先生として採用されたのだ。 アリシアは気のやさしい娘だ。パーティーでは、戦力の都合上マジックユーザーとして働いてもらっているが、本来は私などよりよほど回復役に向いている。私には苦手な子供の扱いもちゃんとこなしていけるだろう。 「…それでですねぇ。そのカイン先生が言うのには…」 繁華街からちょっと離れた下町の道。私達の後ろから声がする。 「センセー、こんにちわー」 「アリシア先生ー」 二人の男の子が叫びながら走ってくる。10になるかならないかくらいの年齢。学校の生徒だろうか。 「はい。こんにちわ。二人とも怪我をしないように…」 男の子達がアリシアの横を通り過ぎようとしたそのとき、アリシアのスカートが爆発したかのようにまくれあがった。 「キャっ!」 私の口元が思わずほころぶ。 さすがはスカウトの卵達。すれ違いざまに風球を使うところなど才能十分だ。 「へへーん。先生ピンク〜」 「見ぃちゃった。縞々〜ん。」 私のところからは、舞い踊るスカートが邪魔で見えなかったが、位置の低い彼らは十分に堪能したようだ。うらやましい… 「こ、こらー。アラン!ピノ!」 アリシアが赤くなりながら怒る。二人の小さな犯罪者はこっちに向かって親指を立てたこぶしを突き出す。 「いえ〜い。」 そして言うが早いか、もう先のブロックまで逃げてしまっている。 「こらーっ!」 「ほー、ピンクのストライプね?」 「ディルドさん!」 私は大きな声で笑った。 「何、笑ってるんですか、ディルドさんてば!」 そして、悪ガキどもはブロックの角を曲がって消えていった。 「もぅ…あの子達…いつもああなんですよ」 まだ日も高いし…と言うことで、私達は通りに面したカフェでお茶にした。 アリシアはポットサービスのミルクティー、私はロイヤルベンガルタイガーをたのみ…当然のことながらケーキもオーダーする。 「元気がいいのはいいんですけど。いつもいたずらばかりで…」 アリシアは半分ほど残ったシフォンケーキをつつきながら言う。 「ほかの女の子達にはそう悪さもしないんですけれど…なぜか私には…今朝もカエルをくれたり…」 私は最後のモンブランを口にしてこういった。 「で?」 「短期間とはいえ、人様のお子さんを預かるのですし、私としてはいいかげんなことはしたくないんですけど…」 「心配ないんじゃない?」 「そうでしょうか…」 「はしかだし。」 「はしか?病気ですか?」 「ふふーん。教えてあげない。」 「もう…あら?ピノ。」 不意にアリシアが言う。確かに、何か深刻な顔をして通りを走ってくるのはさっきの少年だ。おかしい、私は直感した。何か思いつめた顔をしている、そう、何かを必死にこらえているような…喧嘩でもしたかな?アリシアもそれは感じたようだ。 「ピノー?」 ピノはアリシアの声に一瞬立ち止まるとあたりを見回す。そして私達を認めると一身に駆け寄ってきた 「どうしたのピノ?」 「先生。アランが大変なんだ。町外れのお化け屋敷に閉じ込められちゃったんだよっ!」 「なぁに。落ち着いて先生に話してごらん?」 「二人でお化け屋敷に行ったんだ。前に二人で行ったときに紫色の石を拾って、父ちゃんがこれは値打ち物だって言ってお守りにしてくれたんだ。それで、先生があんまりどんくさいから。アランがお守りをとってこようって言って。 でも、入り口の所で、戸がバァンッて閉まって。僕は外にはじき出されちゃったんだ。戸をあけようと思ったんだけどちっとも開かなくって、そのうち中から悲鳴が聞こえたんで、大変だと思って、大人を呼びに行かなきゃと思って、それで走ってきたんだ。 先生。戸が開かないんだよ。」 「ディルドさん?」 「行こう。」 「ピノ。案内して。」 町外れのお化け屋敷、それは何年も前にうち捨てられたらしい屋敷だった。当然敷地の中には入れないようになっていたが、彼らの知っている秘密の裂け目を通って塀の中に入ることができた。 「どうですか?ディルドさん。」 「…いるね。」 私は一応聖職者だ。霊がいるかどうかは一応わかる。 「ピノ。あなたは戻って…」 「いやだ!アランを助けに行くんだ!」 「ピノ!」 「いやだ!」 気持ちはわからなくもない。しかし、中に何がいるか知れないのだ。子供たちは感受性が鋭い。余計な霊まで引き寄せてしまう可能性もある。はっきりいって足手まといだ。 「ピノ…」 アリシアはピノの正面にしゃがむと、彼の両肩に手を置いた。 「いい、よく聞いてね。街へ戻って、お父さんたちにこのことを知らせて頂戴。大人の助けがいるの。 あなた以外にはできない仕事なのよ。だってここに入るのには秘密の通路を通らなきゃいけないでしょ。 ここに来たことをお父さんに話したら、あなたはきっと怒られるかもしれない。でも、できるわよね。ううん。あなたはやってくれるわ。」 と、アリシアはまっすぐに少年の目を見てこういった。 「友達を助けるためにね。」 街に向かって走り去る少年の背中を見送るとアリシアは言った。 「急いだほうがいいですよね。」 「そうだね。中にいる奴がどんな奴か知れないからね。」 「でも、どこから入り込みますか?」 「正面から入れるよ。」 私は意匠を凝らしたドアノブの裏から手のひらほどの小鬼をつまみ出しながらそういった。 「こいつはロックという妖精でね。ドアが開かなかったのはこいつの仕業だね。そういう能力があるんだ。たぶん幽霊に取り込まれていたんだろう。さあ、行こうか…」 ドアの中は大きなホールになっていた。元は豪華だった絨毯には埃が積もり床は一部割れおちていた。シャンデリアにはクモの巣がはっている。厚手のカーテンは、色こそ落ちていたがそれでも自分の仕事をきちんとこなしていて、建物の中は薄暗い。 壁際にはお決まりの甲冑と肖像画。ホールの奥は二階への階段があったのだろう。高い天井にはぐるりと回廊がしつらえてあり、明かり取りのモザイク窓が上のほうに見える。 扉を開かなくしていたのはロックだが、どうやらそれを閉めたのは幽霊のようだった。その証拠に私たちの背後で扉がしまる。 しかし、私もアリシアも後ろを向きはしはかった。 崩れ落ちた階段の上、正面の回廊にいるのは… 「センセ〜」 アラン。 「怪我はない?」 アランは無言でうなづく。とはいえ、階段が朽ちかけていて降りてくることはできないらしい。 「今そっちに行くから…待ってなさい」 アリシアが小さなウィル・オー・ウィスプを召喚して明かり代わりにする。 私たちは奥に進み、階段の下に立った。 「私が行きます。」 「そのほうがいいだろうね。私じゃ崩れるよ、こりゃ。」 「いい。じっとしてるのよ。」 アリシアが慎重に階段を上る。年月を経た板たちが苦痛の声を上げる。アランの目がすがる様にアリシアの足元を見る。じりじりするような時間。そしてアリシアは彼の元にたどり着いた。 今まで我慢していたのだろう。アリシアが肩を抱いてやったとたんアランは泣き出してしまった。 「先生〜」 「よしよし、怖かったね。先生が来たから、もう大丈夫だよ。」 「うっうぅ。俺たちこれを取りに来たんだよぉ…」 「あら、魔法石のかけら?」 「えぇーん。前はあんな奴いなかったんだぁ。」 その泣き声を聞きながら私はあることを考えていた。 誰がこの子を閉じ込めたんだろう?いや、何で閉じ込めたんだろう?そして、こんなにもあっさり助けちゃっていいものなんだろうか?邪魔は?してこないのか?だとしたら、単に怖がらせるためだけに閉じ込めたみたいじゃないか? アランはまだ泣き止まない。その時私の視界で何かが動いた。 「アリシア、明かりちょうだい。」 アリシアは、黙ってウィスプを階下に飛ばす。私はウィスプを操り、床の上を丹念に調べようとした…これがミスだった。 奴は、ウィスプが私のそばに来るのを狙っていた。 ロックのような妖精に憑依できたのだ、ウィスプだって同じようなものだと気がつかない私がバカだった。ウィル・オー・ウィスプがふたまわりも大きくなったかと思うといきなり私に向かって飛んで来たのだ。 「ディルドさん!」 「おばちゃん!」 光の精霊は熱を持たない。しかしそのエネルギーをまともに受け止めた私は、それでも2.3歩後ずさった。 「おばちゃん…じゃ、ないから…」 「大丈夫ですか?」 「うん。心配ないよ。」 イオンのいやな匂いがするが本当にダメージはない。だが、明かりがつぶされた。 と、ホールを何か白いものが猛スピードで横切った。右から左へ、左から右へ。 『ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ』 悲鳴のようなものが響きそいつは私たちの間でとまった。 「うわぁ、出たぁ」 それは若い女のようだった。髪を掻き乱して首をかしげながらこちらを見ている。透き通った白い顔に落ち窪んだ穴のような目。うつろにあけられた黒い口。 レイスだ。 『…い……く…い…くい……い…くい、憎…憎…い…』 負のエネルギーをこれでもかというほど撒き散らしている。それにつられて低級霊が集まってくるのが見える。 『…憎い、憎……くい、憎い、憎っひぃぃぃぃぃぃぃぃ』 レイスは事もあろうに集めた低級霊を私に向けて一気に解き放った。 透き通った白い顔。うつろな目。それから手とかなんだかわからない体の一部とかがからまりながら私に向かって迫ってくる。私は左手をまっすぐに差し出し、護法印を切るとこう言った。 「安らぎの地へ戻るがよい!」 低級霊たちが柔らかな光に包まれて霧散する。ターニングスピリット。簡単な除霊だ。 『憎い…憎いぃ憎いよぉ…誰も私をわかってくれないよぉ…』 死者の霊があまりに強い恨みを持ったまま成仏できないでいるとレイスになってしまうことがある。こいつはその典型的な例だ。 『何で私だけこんなに不幸なの…憎いよぉ』 前半の質問と後半の感情がどうして結びつくのかが私にはわからないが…自らの不幸を嘆いているうちにレイス化してしまったか…しかし私は一応話しかけてみる。 「あなたにだって暖かく接してくれた人はいたはずでしょ?それを思い出して…」 『ひぃぃぃ…そんな人…いないよぉ…憎い…憎いよぉ…』 生前の不幸を嘆く場合には『痛み』とか『暗さ』とかを表現するはずだが…こいつは『憎しみ』しか発していない。となると、悪霊化している。おそらく魂を救っている暇はない。 "蛮ッ!" 大きな音がして、壁際の鎧が倒れる。そして外れた鎧のパーツが私に向かって飛んできた。 『ひぃーひっひっひっひぃぃぃ…お前が憎いよぉ…』 「誰でもいいんだろ!」 叫びながら私は身を翻す。 ヘルメット。ゴントレット右。ゴントレット左。ブレストパーツ。ネックガード。そこまでよけた時、いったんよけたはずのパーツが背後から私を襲った。 「ぁはっ!」 私は床に投げ出される。 『ひぃぃっひっひぃぃ…』 レイスが喚起の声を上げる。こいつ、人の苦痛を喰っているのか。 『ひぃぃぃいい…いいぃぃぃ…みんなあの日の私より…不幸になればいいぃぃぃんだぁぁぁ…』 ねじまがったやつ。しかし力はある。こいつを倒さないと外には出れないし、たぶん救援隊も容易には勝てないだろう。 「ディルドさん!大丈夫ですか!」 今思うとピノを父親の元に走らせたのはミスだったかな。スカウトが何人か来てもこいつにはかなわないだろう…こいつらが恐れるのは聖職者だけ…ん?なのになんで私から逃げない?奴の向こうにはもっとおいしそうな獲物がいるというのに… 『…頂戴…もっと痛みを…頂戴ぃぃ…』 壁の肖像画が私に向かって跳んでくる。街の外にいるときなら魔力を持ったスタッフくらい持っているのに、今日は丸腰だ。転がるようにして肖像画をよける。しかし肖像画は執拗に私を追ってくる。 「おばちゃん!」 『ひぃぃっひっひぃ…もっと…もっとぉぉ…』 ああ、そうか。私はいたぶられているんだ。やつは痛みだけじゃなくって焦りとか瑣末な恐怖とかも喰らっているのだ。だとすれば手はある。 私は奴の前に堂々と立つとこう言った。 「ぜんぜん平気。」 絵が床に落ちる…奴の輪郭が一瞬ぼやける…いや怒りに震えているのか? 『そんなはずは…ないでしょぉっ!』 絵が猛スピードで飛んでくる。今度は当てるつもりだ。あまりやりたくはなかったが私は右手を高く上げる… 「いいか、ディルド。俺たちのパーティーはいつ別れ別れになるか知れねぇ。後でどこかでお前さんが切られたなんて話を聞いたら寝起きが悪いからな。俺様がいいことを教えといてやる。 殴り合いは何も前に出りゃいいってもんじゃねぇ。一歩引いて相手を引き込むことで爆発的な力が生まれることもあるんだ。」 …体が覚えてるといいんだけどね。ブラック… 絵が飛んでくる。恐怖感は…不思議とない。必要な間合いは… 「ここ!」 私は一歩下がりながら右手を引き下ろす。 "堕巌ッ!" 命中…肖像画は粉々になった。 「タンヘイトーという技だ。お前が女なんで男どもはかさにかかって襲ってくるだろう。そん時には、こういう風に一歩引いて相手の隙をつくって叩き付けてやれ!」 …ブラック先生、うまくいきましてよ… 『ひぃぃぃ…憎ぅぅいぃぃっっっ…』 ま、そりゃそうだろう。 『お前なんか…お前何かぁぁぁぁ…』 "逗々" ロビーの奥で音がする。ゆっくりと空中に浮き上がったものは…大きなソファーだ。 「ディルドさん!」 さすがにあれは無理だ…早めに決着をつけるか…とはいえ、奴の力は無尽蔵に思える。レイスは精神体だ、本来はこんなにいろいろなことをしたら一時的にパワーが落ちるはずなのに…こいつには何か秘密がある、秘密のパワー供給源が。 こいつは、自分以外のすべてをうらんで逝った、自分以外のすべてに恨みを持っている…自分以外にはすべて不幸を…あっ…だとすると、奴のパワーの源になっているのは… 「アリシア。その子落ち着かせてあげて。たぶんその子の恐怖を喰ってるわ。」 少年の鋭い感受性が奴に力を与えている。 「え?」 アリシアは一瞬で理解したようだ。 「あ、はい。」 そういうと彼女はまだ泣いていたアランを強く抱きしめた。 「アラン。落ち着いて。もう怖くないのよ。あのお姉さんを見てごらん。あの人は、あんな怖い相手なの絶対に逃げたりしないの。絶対にやっつけてくれるから。」 アランはまだぐずっている。アリシアは自分の額をアランのおでこにくっつけ 「男の子でしょ、冒険者になるんでしょ。こんなことくらいで怖がっててどうするの。勇気を出して。その目でしっかりと見ていなさい。」 少年は恐る恐るこっちを見る。レイスに本体はない、その姿は見る者の精神に直接訴えて頭の中で映像化される。後ろから見ようが横から見ようが奴の正面を見ることになる。レイスと目が合ったはずなのに、それでも彼はレイスをじっと見据えた。 『ひぃぃぃぃぃ。なによぉ。私の坊やに何をするのぉ。』 「ほら、あいつ怖がってるよ。あなたの勇気があいつを怖がらせているんだよ。」 アリシアが彼の頭を優しく抱きながら言う。 "呑!" ソファーが床に落ちる。やっぱり…肌にまとわりつくかのようだった空気が少し軽くなったようだ。 『ひぃぃぃぃいいいいいいい。私の…私の…憎いぃ…』 子供の恐怖だけを好んで食っていたのか…急速に力が弱まっていくようだ…今なら並のレイスより若干強いという所だろう。これなら…いける。 『ひひひひ…いいねぇあんたは、守ってくれる人がいて…私にはいなかったんだよぉ…』 そう言うとレイスのかしげていた首が床に落ちた。とたんに体が消えていく。 『憎いよぉ…憎いよぉ…憎いよぉ…憎いよぉぉぉぉぉ』 低級霊たちが集まっていく。うつろな顔だけがどんどん大きくなっていく。人の姿を捨てたか。そこまでして私たちに憎しみをぶつけるというのか。 いいだろう。受けてたとう。私は両手をクロスさせると小指と小指を絡ませ、前に出した。ゆっくりと三本の指を立てる。 これは勝負だ。自分だけが不幸であると主張しすべてを恨みながら死んでいった女と、さまざまな縛りの中で生きて行こうと心に決めた私の。そう、私のためにも、負けるわけには行かない。 「天国って言うのはね。自ら祈る人のためにあるんだ。お前みたいに生きることに不平不満しか言わなかった奴は、死してなおその存在にふれることすら許されない。」 『きぃぃぃぃぃ…生意ぃぃ気ぃぃぃなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』 奴が突進してくる。しかし印はできた。 「大いなる意思の名にかけて。霧散するがよい。マーシレス・リライフ!」 『きかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』 八方から光のシャワーが奴を襲う。「無慈悲なる救済」はターニングスピリットとは違う。霊の存在そのものをなかったことにしてしまうのだ。 『ひぃぃぃひぃぃ鎔けるぅ消えるぅ…』 奴の姿がだんだん薄くなっていく。逃げようとでたらめに動き出すが「無慈悲なる救済」は特殊魔法だ。ターニングのようにどこかに帰すのではない、その場でなかったものにしてしまうのだ、厳密に言うと消すのですらない。だから魔法に方向性がない、逃げることは不可能。この魔法に唯一ベクトルがあるとすれば… 『…ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…』 奴と目が合った。どうやら気がついたらしい。この魔法から逃れる道は唯一のベクトルを持つ術者しかない。 『…ひひ…ひひひ…』 奴の姿が凝縮していく。小さく縮んではいるが色が濃くなってきている。拳大の崩れた顔にまで縮まったそれは、ほぼ実体化していた。最期の攻撃に出るつもりだ。 『…ぉぉぉおおおまえがぁ…』 そういうとレイスは猛スピードで突進してきた。 上等じゃないの。聖シンボルで吸い取ってあげるわ。 私は胸元のシンボルに手を伸ばして唖然となる。ない。しまったブラウスの中だ。いまさらチェーンを手繰って取り出している暇はない。 「いらっしゃいな!」 私はそういってブラウスを引き裂く。シンボルがあらわになる。 聖シンボルが見えてしまっては奴にはすべはない。 『ひぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』 ひときわ長い悲鳴と共に奴はシンボルに吸い込まれていった。 (…これでおしまいね…) 奴が吸い込まれた瞬間。私は吹っ飛んだ。 あれだけの勢いを体で受け止めたんだ。当然だろう…だから吸霊時はシンボルを手に持ってって習ったじゃない…そのままじゅうたんに倒れこむ。一瞬息が止まる。 これで奴は消えた、もうその存在を感知できない。生前何があったかは知らないが、恨み言だけで生き、死んでいったものに向ける救いの手はない…神は自ら助くる者を助くるのだ。もっとも、このままレイスとして存在するよりは霧散してしまったほうが幸せなのは間違いない。奴にしてやれる唯一の救いというわけだ。 宿主が消えたため、奴に縛られていた低級霊や精霊たちが解放されていくのが見える。彼らは一身にこの場から逃げ出したがっている。壁を着き抜け、窓をこじ開け、館全体が激しく振動する。 終わった。あちこち痛むが回復魔法で何とかなるだろう。レイス相手に何の準備もしなかったことを考えれば、上等な幕切れだ… 「ディルドさん!」 「おばちゃん!」 はいはい、私はもう少し眠っていたいんだけど…と、その時、私の目が見開かれる。今の振動で外れたのだろう。天井の大きなシャンデリアが落下してくる。やばい、逃げられない! 私が顔を背けたその時、いきなりシャンデリアが横に吹っ飛んだ。そして叩きつけるような風。 舞い上がるほこりの中で、顔を向けるとアランが肩で息をしながら立っていた。 さすがはスカウトの卵。落下するシャンデリアに反射的に風球をぶつけるころなど、才能十分だ。 私は右の親指を立てるとアランに突き出した。 エピローグ 帰り道でアリシアに会った。 「早いわね、今帰り?」 「ええ。ディルドさんも、もう終わりですか?」 「うん、今日はなんかだらだらしてたなぁ…」 繁華街からちょっと離れた下町の道。私達の後ろから声がする。 「センセー、こんにちわー」 「おばちゃん。コンニチワー」 二人の男の子が叫びながら走ってくる。 あの後二人はたっぷりとお説教を喰らったはずだが、そんなことで男の子たちの行動力と好奇心はへこむものではない。彼らはいつでも夏の太陽のように元気だ。 「ほらもう、あんたたち、そんなに走り回って怪我をしないように…」 男の子達が私たちの横を通り過ぎようとしたそのとき、また風球を破裂させた。しかし… 「おっと!同じ手はそう何度も食らわないわよ。」 今日のアリシアはロングのボンネット入りスカート。とてもじゃないがまくれ上がるものではない。 今日のところは失敗ね諸君。と、私が思ったその時また風球が爆発した。さっきの風球より大きい。なるほど前のは囮でこっちが本命か。しかも今日の獲物は私!! 大きな風が舞い上がって、私のスカートが広がる。 「ディ、ディルドさん。大丈夫ですか!」 アリシアが声をかける。この位置じゃ、彼女には舞い上がるスカートしか見えなかったはずだけど、坊やたちはしっかりと中を見たはずだ。 スローモーションのようにスカートが元に戻る。 私は優雅にすその反り返りを直すと一歩踏み出し、右手の人差し指を立ててこの愛すべきボーイフレンドたちにこう言った。 「さて、諸君。何が見えた?」 とびっきりの笑顔はおまけのプレゼントという奴だ。何が見えたかな? 二人は動かない、目を大きく見開いて口をあけたまま動かない… 時が止まったかのようだ。うららかで絶妙の沈黙…とその時アリシアがこう言った? 「ピノ?どうしたの?鼻血が出てるわよ?」 その声が合図だったように二人はビクッと後ずさる。その顔が見る見る真っ赤になっていく。まあ、かわいいこと。耳まで真っ赤だわ。 「う、うわあ〜」 「ひゃぁ〜」 悲鳴とも叫び声ともつかない声を上げて二人は同時に駆け出す。 「ちょ、ちょっと。アラン、待ちなさい。ピノ、鼻血!…ディルドさん、なに笑ってるんですか?」 気分爽快! 「えー。訳わかんないです。一人で笑ってないで…もう…ディルドさん!」 |
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