大切な場所
放課後図書館なんかで勉強していると、ふと思うことがある。

あたしはこのままリリアンを出て行っていいものだろうか、と。

「出て行く」、とは、外部の大学に行くということ。どうせ行くなら一番上、ということであたしは東大の理三を目指して勉強しているのだけれど、果たしてこのままでいいのかな、と思う。

リリアンは大切な場所。

あのまま都立の高校に行っていても、別に不幸ということはなかったと思う。

けれど、リリアンに来なければ得られなかったものが沢山ある。失ったものもあるけれど、けれどやっぱりリリアンはあたしにとって大切な場所だ。

そのリリアンから、たった2年半で離れてしまっていいのだろうか。大切な場所ならば、もっと留まるべきじゃないんだろうか。

ふと、そう思う。




「あれ、もしかして玉藻?」

「あ?」

あたしはその日、家から少し離れた本屋に来ていた。

欲しい参考書があったのだけど、いつも学校の帰りに寄る本屋にはなかったから、電車に乗って遠くの大きめの本屋までわざわざ足を運んだのだ。

そして参考書コーナーを探し当て、本棚を眺め始めたそのときだった。

「あ、やっぱり玉藻じゃん。久しぶりー」

「げっ!まどか!!」

あたしに声をかけてきた人物、それはあたしがリリアンに編入する前にいた都立高校で同じクラスだった高摘まどかだった。

と、いうか、まどかとは、あたしが引っ越してお金持ちになって以来、小・中・高とずっと一緒なのだ。小中と生徒会長を務めたあたしを、副会長として補佐してくれた朋輩…もとい、腐れ縁だったりする。

「やっほー♪あ、何だっけ?『ごきげんよう』?っていつも言ってんでしょ?あはははははは!『ごきげんよう』〜」

にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて心底楽しそうに言うまどか。……変わってない。こいつは全然変わってない。

「くっ……あんた何でここに……」

「何でって、参考書を買いに。ここ参考書の品揃え良いんだもの」

「あぁそう。じゃあさっさと買って帰ったら?」

「それにしてもあんたも立派にリリアンの生徒としてやってんのね〜。最初は制服似合わなすぎて爆笑したもんだけど、2年も着てるとあんたみたいなのにも馴染むのねぇ」

「人の話聞けや!」

「ほらほら、本屋で大声出さないのー。ね、折角だからお茶しようよ。ここの一階ミスドだったよね?」

「申し訳ございません、わたくしこれからヤボ用が……」

「奢るけど」

「う……」

奢ると言われて行かないんじゃ玉藻の名が廃る。生来の貧乏気質が出しゃばり、あたしはついついまどかに引っ張られるままミスドに来てしまったのだった。



「……確かに奢るって言ったけどさぁ…」

「ん?」

「今月のお小遣い、もう半分パーだわ……」

「まぁまぁ、そう言うなって。親友でしょ?」

素直について来てしまったことが何となく気恥ずかしかったあたしは、せめてもの反抗とドーナツを15個注文してやったのだ。

「だいたいそんなに買っても食べられないでしょうに」

「そしたらお持ち帰りするもん」

「…………ところでさ」

気を取り直したようにまどかが言う。

「リリアンってどうなのよ?やっぱりお嬢様ばっかり?」

「んー、金持ちはやっぱり多いねぇ。玉藻家には敵わんけど」

「朝と放課後は校門に高級外車の列ができたり?」

「うん。一番高級なのはうちの車だけど」

「へぇ〜、やっぱそうなんだぁ。いいなぁそういうの。憧れるー」

「んじゃあたしの代わりに通うか?」

「あら」

まどかの目が輝く。しまった。こいつは人の隙を見つけるのがものすごく上手い。

「楽しくないの?リリアンは。それならこっちに戻ってくればいいじゃない。あんたの頭なら編入試験なんか簡単でしょ?」

「う……」

それはそうなのだ。そもそもリリアンに編入した当初、あたしは少し経って親父の気が済んだらまた都立に戻るつもりでいた。

「あたし絶対戻ってくると思ってたのに。戻ってこないってことはリリアン気に入ってるんでしょ?楽しいんでしょ?実際あたしに代わりに通わせる気なんてないんでしょ?」

にこにこと心底楽しそうな笑顔で言うまどか。あぁやっぱりお茶なんかしないで逃げるべきだった。

「あ〜、そういえばリリアンって姉妹制度なんてものがあるのよね。玉藻、あんたにもいるの?その“姉妹”とやら」

「…………」

白々しい奴め。どうせ最初からそれを聞いてあたしをからかいたかったんだろうに。そうならそうと最初から言え。

「ま、まぁ一応いないこともないけど」

深くつっこまれないように、あたしは黙々とドーナツを口に押し込む。エンゼルクリームに、オールドファッション、アップルパイ、ポンデリング(マロン)。

「ふーん。……あ、これね?姉妹の証のロザリオとかいうのは」

まどかは身を乗り出してあたしの襟元に手を突っ込み、ずるずるとロザリオを引っ張り出す。お姉さまに貰った、大切なロザリオ。

「うわっ、ちょっ、何やっとんねん!!!」

思わず叫びながら立ち上がる。一斉に店内の視線があたし達のテーブルに集まって、仕方なく小さく咳払いをして再び腰を下ろす。

「そんなに秘密にしておきたいほど甘いものなの?姉妹制度ってのは。確かお姉さまーとか呼ぶんでしょう?うっわー、濡れ濡れの百合色世界ね」

「…………」

いかんいかん、口を開けば開くほどまどかに隙を与えてしまう。ここは黙るが勝ちだ。

「あ、あんたのお姉さまってこれね。『ひゅうがまなみ』…って読むのかしら」

「!!!!!!」

思わず椅子を後に倒して立ち上がってしまった。再び店内の視線があたしたちのテーブルに集まる。

何時の間にかまどかはあたしの携帯をぴこぴこと勝手にいじっている。いつの間にあたしの鞄から出したんだろう。

ってゆーか、「ってゆーか何で真奈美さまがお姉さまだってわかったわけ?ちなみに」

倒れた椅子を元に戻しながら、眉を寄せて、あくまでも怒っている、というスタンスを主張しつつ言う。

「ちなみに『ひゅうが』じゃなうくて『ひむかい』だから」

「あぁそう。だってほら、この備考欄のところに書いてあるじゃない『お姉さま』って♪」

「ぬああああぁぁっ!!もう返してよばかー!!!」

立ち上がってまどかの手から携帯を取りかえそうとするけれど、ひょいっと避けられてしまう。

「で、妹はこの子ね。えーと、『まゆずみあんぬ』?あ、もしかしてこれってあの歌舞伎とかで有名な黛家の子!?」

「そうだけど。何か文句あんのか」

まどかから携帯を奪い返すのを失敗して、あたしはもうほとんど投げやりだ。頬杖をつきながらDポップをひたすら口へと運ぶ。

「へえ〜、あんたの『妹』ってそんなに大物だったんだ!あはははは、なんか笑える〜」

「何でやねん!!!」

「え?いや、あんた絡みのことなら何でも面白いか」

「……………」

「何だかんだ言って楽しく充実した日々を送ってんのねぇ。あたしもリリアンに行けばよかった。そしたら『ごきげんよう、お姉さま』とか言えたのになぁ」

くすくすと楽しそうに、絶対的な優位で笑う姿は、リリアンの誰かを彷彿とさせた。


「あ、そういえばあんた大学はどこ受けんの?やっぱり東大?」

ストローでアイスコーヒーをかきまぜながら、ふとまどかが言う。

「………そりゃー、日本人なら東大に行かずしてどこへ行くのよ」

「やっぱりそうなんだ。なんか予想通りでつまんないなぁ」

「何だよ、じゃあMITとでも言えば満足?そういうあんたはどこに行くのさ」

「あたしも東大。文一」

「げっ、志望校一緒かよ…あんた前京大って言ってなかった?」

「京都は旅に行く街だって気づいたのよ」

「あっそう……まぁ別にいいけど…どうせ学部違うだろうし…」

「あれ、玉藻は文二?」

「…んにゃ、理三。どうせならトップを目指す」

「だって経済学やるなら文二でしょう。あんた医者目指してたの?」

「ん〜、医学と経済だったらそりゃ経済のが楽しそうだけどさー、何ていうか、経済は既に独学で学んでるし。今更大学に入って習うでもないかな、と」

「ほほう。まぁそういう考え方もありか。あんたはトップ取らないと気がすまない猪のような性格だしねぇ」

「何だその例えは!」

「それにしてもさっき答えるときに少し間があったわねぇ。理三か文二かとかで悩んでんの?」

「!!!!」

こ、こいつどこまで鋭いんだ……

「ほらほら、吐いて楽になっちゃいなって。あんたの話まともに聞いてくれるボランティア精神旺盛な人間なんてあたしくらいのものでしょうに」

「…………」

「吐かないとこっちの学校のみんなに玉藻がリリアンでどんな生活を送っているかあることないこと面白おかしく喋っちゃうぞ」

「ひ、卑怯者っ!!!!」

本日三度目の注目。あたしはまた椅子を倒しながら、そしてテーブルを叩きながら立ち上がってしまった。

「それはあたしにとって最高の褒め言葉だわ」

「くっ…鬼!悪魔!!」

渋々と椅子を戻し、歯軋りをしながら座る。

「ほらほら、あたしこれから予備校なんだから。さっさと吐けバカ玉藻」

「何よバカまどかっっ!あんたいつからそんな性格悪くなったんだ!…って出会った当初からそんなだよなぁお前は!あああぁむかつく!!」

身もだえするあたしの向かいで、まどかはにこにこと楽しそうに笑っている。憎い。どこまでも憎い。

「で?何に悩んでるの?東大でいいじゃない。何たって日本の頂点に君臨できるんだもの」

「…………」

もう暴れる気も起きなくて、あたしは机に突っ伏す。

「…………アンの……に……って…」

「聞こえませんよ玉藻さん。はっきり喋れ」

「リリアンの女子大に残った方がいいのかなって」

あたしは机に突っ伏したまま、今度は思いっきり滑舌よく言ってやる。

「……そりゃまた意外な悩みねぇ」

「……………」

「リリアンの女子大って就職にはそれなりに強いけど、偏差値はそれほど高いわけじゃない。

「んたには物足りないんじゃないの?あ、でも男にはモテるか。合コンでリリアンって言えば引っ張りだこだもんねぇ」

「…………」

「そんなに離れたくないほど良い場所なの?リリアンってのは」

「……………」

あたしは乱れた前髪を整えながら、顔を上げる。

「行きたいのは東大。東大に行くのは小学校の頃からの夢だし、今だってそれは変わらない。でも」

「でも?」

「でも簡単には離れられないくらい、色々なことがあったから。リリアンは、大切な場所だから。たった2年半いただけで、離れちゃっていいのかなって」

ぶふー!!!!

まだあたしがセリフを全て言い終わらないうちに、まどかが吹き出した。

「た、玉藻…あんた…あははははは…ちょっと会わない間にまた随分とクサい台詞言うようになったのね……あははははははは!!」

「そんなに力いっぱい笑うとこじゃないし!!!」

苦しそうにおなかを抱えているまどかの脳天にチョップをかまそうとするも、あえなく白刃取りされてしまう。

「やるなお主……」

「だてにあんたと8年もつきあってないって」

「…………」

「まぁ玉藻にも色々あったんだろうけどねぇ。あたしが外野からとやかく言うことじゃないけど」

「そうだよあんたは外野だよ」

「けどさ、色々あったからこそ、離れても大丈夫なんじゃない?」

「………」

「あたしには知りえない辛いこともあったんだろうし、幸せなこともあったんでしょうよ。だからこそリリアンは玉藻にとって大切な場所になったんでしょう?」

あたしは首を縦に振って肯定する。

「それほどまでに大切なら、たとえ居た時間が2年半だって、リリアンはまたいつでも迎えいれてくれるでしょ。他の大学行ったくらいじゃ“非・大切な場所”にはならないと思うけど」

「…………」

「惰性でリリアン女子大に行くのは自分にも、周りにも失礼なんじゃない?遠くに行ってもリリアンはいつでもそこにあるでしょ。っていうか、『離れたくなかったから』なんて言い訳考えながら通ったら絶対後悔するって。それなら『リリアンの子たち今なにしてるかな』って郷愁を感じながら東大に行く方がいいんじゃん?」

「……まどか、あんた……」

「ふふん、あたしの素晴らしい台詞に酔いしれた?あたしって何て頭が良いんでしょう。くーっ、良いこと言うねぇまどかさん!」

「あんたのセリフのがクサいわボケっ!!!!」

あたしはリベンジとばかりに、もう一度脳天にチョップをかます。やった、今度は見事ヒット。

「いっっっっったー……」

涙目で頭を抑えるまどかは放っておいて、あたしは荷物を纏めて立ち上がる。今度は、椅子を倒さずに。

「そんじゃあたし帰って勉強するから。あでゅ!」

すたすたと出口に進んだところで、ふと思い出して踵を返す。

「あれ、まだ何か用?暴力女」

「ドーナツはまどかさんの素晴らしいお言葉のお礼として差し上げますわ。それでは、ごきげんよう」

あたしは2年半のリリアン時代で培ったお嬢様オーラを全開にして微笑むと、ふわりと優雅に向きを変え、そして優雅に歩き出した。

「はいはい、ごきげんよう『蒼依さん』」

まどかの似合わない呼び方に思わずあたしは笑ってしまう。後でまどかも笑っていることだろう。

やっぱりドーナツ自分で持って帰ればよかった、なんて思いながらミスドのドアをくぐって、あたしは思いきり背伸びをする。

まどかに会う前よりも、空が晴れている気がした。