平成10年から”JW-CAD”を使っている、これは便利だった。
誰しもが、同じ図面を描く事が可能になった、あと製作者に求められるものは、哲学だけになった。
紙飛行機を作り始めた頃は、はがきに1枚づつ手で描いていた。
それをカッターで切り抜き、接着剤(セメダインCがベスト)で貼り合わす、この作業の繰り返しだった。
その当時は、コピー機さえ一般的には普及していない時代だった。
一機作るたびに、前述の作業の繰り返しである。
今思うと、若かったから出来たのだろう。
その点、CADで描いた図面は保存ができ、何度も複写が可能だ。
私は、”DOS/V版”を今でもつかっている。それには、完成度の高い奥深さがあるような気がするからだ。
”Windows版”が主流の今日だが、いまだに”DOS/V版”から離れられないでいる。
ただ、欲を言えばきりがないが、おおまかに線、文字などの削除が可能な消しゴムが欲しい。
それに、曲線内の塗りつぶしツールである。
機体の色付けは、間隔:0.2mm〜0.3mm、角度45°・-45°でハッチを掛けている。
この作業が結構、時間を費やす。
はがきに手描きで作っていた頃は、色は水性のプラカラーを塗っていた。
これも時間が掛かり、それに紙飛行機自体が重くなる欠点があった。
やはり機体は、軽く作りたいものである。以下、次号に続く、、、、、
学生時代の製図道具と言えば、製図板とT定規、墨入れは烏口と決まっていた。
(建築科はドラフター、ロットリングを使っていたが、なぜか土木科は、”製図の基本は烏口にある。”の精神があった。)
しかし、0.1mmの線を描き続けることは、至難の業である。
学校では太い線だけ描き、寮へ帰って0.1mmのロットリングを使っていたものだ。
しかし、見る人が見れば
何で墨入れをしたか判るものらしい。
ロットリングの構造上、紙を引っ掻いた跡が残ってしまうからだ。
社会人になってからは、ドラフターを使うようになったが、それさえも今では、姿を消しつつある。
パソコンの普及、製図ソフトの開発に原因がある。
T定規などは図面を描かず、背中を掻いている状態になっている。
もう一つ見かけなくなった物は、計算尺だろう。
国家試験等にも、電卓の使用が許され、見たことの無い人の方が多いかもしれない。
今では、生産もされていないようだ。”HEMMI”はいったい、どうなったのだろう?
何年か前、ポケットサイズの計算尺が欲しくなり、探しまっわたが見つけることはできなっかた。
無ければ、自分で作るしかない。5個ほど作り、今は手元に未完成品が1個しか残っていない。
カーソル部分が未完成のしろものだ。
ひにくな話ではあるが、目盛り間隔の計算は、関数電卓の”Log”キーで計算した。
下の写真がそれだ、全目盛り長さ12.5cm、なぜか偶数の長さで作ると誤差が大きくなるような気がした。
CADの話は、まだ出てこない。以下、次号に続く、、、
回顧録
昭和62年、紙飛行機を作り始める。
きっかけは、子供達の喜ぶ顔が見たかったから、でも、あまり喜ばなかった。
三人とも、女の子だった。
それでも、私は作り続けた。
その当時、「子供の科学」に載っていた、切り抜きの紙飛行機を作ってみた。
同じ形の紙を、何枚も切らなければならない。
そこで、思いついたのが立体化にする事だった。
1ヶ月後、機体は完成した。
葉書1枚で、作った機体だった。飛ばすと、風に乗ったようによく飛んだ。
あの時の感動は、いまでも忘れる事が出来ない。
けれど、その紙飛行機は、今はもう無い。
その時期、悩んでいた事があった。機体と主翼の結合部のことだった。
主翼後部と機体部分の結合部の、「フィレット」と呼ばれるヶ所が1枚の部材では、どうしても作れなっかた。
悩んでいた。
そんな日、ある書店で、「世界で初めて、立体紙飛行機」なる本を発見した。
「ここに、ヒントがあるはずだ!」
喜び勇んで、開いて見て、ガクゼンとした。
そこには、自分が作り始めて1週間ほどたった頃の、マッチ箱ような紙飛行機の写真が掲載されていた。
もう、他人から学ぶものは、何もない!
その後、製作活動を休止する。
復活したきっかけは、「JW−CAD」との出会いだった。
以下、次号に続く。