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井上寿司の西の空にも太陽が落ち始めていました。 大きな釜でご飯を炊き始めると、主人はいつものようにトロの食事を用意しました。 『トロー!早く食っちまいな!!』 静かな店内に主人の声が響きました。 ・・・・・・・・・・・・ トロはもういません。
主人にはクセがついていました。 『・・・・・・こんなことなら拾わなきゃよかったなぁ・・・』 主人は肩をがっくりと落としました。 でも、いないものはいないのです。 主人は気を取り直して仕込みを始めました。見事な手さばきで魚をおろして行きます。 『おぉ!今日のトロは極・・・上・・・・・・・・』 主人は「トロ」と付けてしまったことを後悔しました。 『・・・・・・さびしいモンだなぁ・・・』 いつもの調子が出ないようです。 毎日トロが出入りしていた戸の方に目をやりました。 少し開けた戸もトロが来てからのクセでした。 『トロ・・・・・・』 主人の目に涙が溜まりました。 視界がぼやけました。薄暗い店内は戸から差す光だけが確認できます。 その時です。真っ白な光の中で何かが動いたような気配がしました。 主人は涙を拭い、目を凝らして戸を見つめました。 主人は言葉を失いました。
いつもの井上寿司の店内にトロと主人がいます。 でもいつものトロと主人ではありませんでした。 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・会えなかったニャ・・・』 風呂敷包みを引きずってトロは泣きながら帰ってきました。 地面を見つめて言いました。 『知らないおじさんとおばさんにおこられちゃったニャ・・・』 主人はトロをじっと見つめています。 『トロ・・・塩かけられて・・・ほうきでたたかれて・・・2度ともどってくるな!このノラネコめ!って・・・』 トロの目には大粒の涙が溢れていました。 『ママとパパに会いに行っただけにゃのに・・・ママもパパもいにゃいの〜!!!』 トロは主人に飛びつきました。 『わけわかんにゃいニャ!〜もうイヤニャ〜!!うわ〜ん!うわ〜ん!』 主人はトロの頭をなでました。 『・・・ゴメンなぁトロ。きっと引越ししちまったんだな・・・』 主人はひと月前にきいた情報だったことを思い出しました。 (こんなことになるなら、もっと早くいってやればよかったなぁ) 主人は自分のことばかり考えて、トロの気持ちを大切にしてやれなかったことを後悔しました。 『ふみゃ・・・ふみゃみゃ・・・ふみゃ・・・ここにはご主人さんがいるニャ・・・ もしもどってきて・・・ご主人さんもいなかったらどうしようかにゃって・・・』 主人はトロにひどいことをしてしまったと、心の底から思いました。 『あったりめーよ!いつまででも待っててやったぞ!』 これが主人の精一杯のお詫びでした。
『・・・ご主人さんのニオイがするニャ!ご主人さんのコエがするニャ!!トロはもうひとりぼっちじゃにゃいのニャ!!!』 トロの言葉に泣きそうになりました。 『あぁ!!そうだぁ!』 主人はむりやり声をはりあげました。 トロにいつもの元気が戻ってきました。 『えへへ・・・もうなかないニャ!』 トロは主人のエプロンに顔を押し付けて涙を拭きました。 『ご主人さんありがとうニャ!またよろしくにゃのニャ!!』
トロと主人は今までで一番、 とってもとっても幸せでした。
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