ソニア・ホルストマンがじっくりと間合いを詰める。周囲にギャラリーはいない。ジン=ハウザーも短剣を取り、両手で落ち着いて構えをとった。同時に素早く前へ踏み込むフェイントをかけたが、ソニアはまるで動かない。動かなかったのか、反応できなかったのかはわからない。
「フェイントなんて必要ないでしょ? 斬りたきゃ振ればいいのよ」
口車だ、とジンは意識して心の中で言った。ジンも少しずつ間を詰める。破けた襟の部分がひんやりする。
距離はあったが、ジンが走りこんで短剣を突き出した。ソニアは落ち着いて頭を引き、目の前15センチの短剣をナイフで叩き払い、ジンの顔が見えたところでカウンターの突進! ジンは反応しきれず、体が思うように動かず、足がもつれ後ろに倒れこんでしまった。後転しながら起き上がるジン。ソニアはナイフを振りかぶりながら走り込んでいる。助走付きのソニアの強烈な一振り! 体重も預けている。ジンが短剣で受け止める。相手が女でもこの一発は重い。ソニアが鍔(つば)迫り合いを外して眉間めがけてナイフを滑らせる。頭を大きく振ってかわしたジンが肩で体当たり! ソニアは後方へ倒れこみ、目を開けるとジンの短剣が左方から空を切って目の前へ。とっさにナイフで受け止めようとしたが、ひるんだソニアはナイフを弾かれてしまった。
「痛っ!」
ソニアから遠く離れてしまったナイフ。取りにいけるような距離ではない。既にジンは短剣をソニアの額に突きつけていた。尻を地につけたままジンを見上げるソニアの目は何とも憎々しげだ。
「その箱、置いていけよ。そうすれば許してやる」
「あたしと交渉するつもり?」
「交渉? そんな穏やかな話じゃないと思うんだけど…」
ジンがクスクス笑いながら言う。
「………」
「どうする? どうするって言っても、もう決まってるよな?」
「…箱はあなたにあげるわ。その方があなたにとって悪い選択だから」
「はぁ? …まぁいいか、そういう事なら箱はもらうぞ」
ジンが箱に手をかけたところで、ソニアの遥か後方に双頭種の黒い犬を連れた女性が立っているのが見えた。
「おっ、あんたの友達? それじゃあ早いうちに逃げるとするか」
「ガキ!」
「誰がガキだ!? 何回やったってあんたは俺に命乞いするんだ! 俺の名前がジン=ハウザーである限りな!」
「糞ガキー!」
ジンはそのままソニアの箱を抱え、逃げてしまった。
「あの糞ガキ…後悔するわよ…」
盲目の女性がソニアに歩み寄る。
「大丈夫ですか!?」
「あなたさっきの…」
「二ノ宮と言います。二ノ宮 丸鈴です」
二ノ宮は見えない目でソニアの体を探している。
「二ノ宮さん、こっち」
ソニアが二ノ宮の手を掴む。すると二ノ宮は驚き、サッと手を引いてしまった。
「あっ、すいません…」
二人が同時に言った。
「二ノ宮さん、やっぱりあなた見えないのね」
「はい」
|
ジン |
ソニア |
| 1回戦 |
グー |
グー |
| 2回戦 |
グー |
チョキ |
| 3回戦 |
グー |
チョキ |
「俺、ちょっとダックの様子見てくるわ」
守里 慧一が席を立った。
「あら、もう行っちゃうの? もうすぐ開店するから、戻るんなら裏口から入ってよね」
珊瑚が冷たく言い放つ。
「はいはい…わかってますよ…」
慧一はドアをゆったりと閉めた。
「あんたたちはどうするの?」
珊瑚が齋藤 祐毅と鏑木 勇也の二人に訊ねる。
「俺…寝る」
「僕も」
「お店開けるのに邪魔だったら起こして」
「可能だったら早々に酔いつぶれた客だって事にしてそっとしておいて」
珊瑚はカウンターに突っ伏す二人を見て溜め息が出た。この二人は本当にやる気があるのだろうか。
「本当にしょうがない子達ね…いい事教えてあげようかしら」
「えっ?」
「グー」
「鏑木ちゃん、起きなさい。新聞もろくに読めないあなた達に朗報よ」
「なんだよ、何?」
「グーグー」
「昨日のお客さんから聞いた話なんだけどね…今世紀最大の発明品よ」
その頃、慧一は浜辺でよく名前のわからない海草を拾い、一日中日陰になるビルの間などでトカゲを捕まえたりなどしていた。
「これだけあればいいか」
染みだらけの大きい麻袋に、海草とトカゲがどっさり詰められていた。袋の中の様子は海草にとってもトカゲにとっても心地良いものではない。
慧一は空き家の中に入り、最初から放置されていたロッカーを開け、中で寝ていたダックを起こした。
「起きろ」
慧一がダックの湿った肌を揺すりながら呼びかけた。
「あぁ…? なんだ、慧一か」
「飼い主様に向かって呼び捨てかよ。お前の飯を誰が調達してると思ってるんだ」
「飯? そうか、もうそんな時間か…」
そう言いながら麻袋に手を伸ばしたダックだったが、その手は慧一に叩かれてしまった。
「わかってるよな? ナイフを持て」
「…たまには飯を先にしてくんねぇかな?」
「駄目だ。構えと素振りとコンビネーションを百セット。手抜きしたら飯は半分だからな」
「そんなぁ…百は多すぎですよ」
「お前もだいぶ体がでかくなってきたからな、百セットぐらいやらないと成長しないよ」
「クソッ! 構えて、前進・ディフェンシブ、突き、振り上げ、横振り…!」
ダックは三年前、慧一が川辺で拾ってきた餓鬼である。当初はあまりにも小さかったため、慧一はゴブリンの子だとばかり思い込んでしまった。最初はダックの食べっぷりに喜んでいた慧一だったが、トカゲを食べる所を初めて見た時からおかしいと気付き始めた。そして数年経っても一向に筋肉のつかないダックを見て、ようやく慧一は気付いた。ダックは餓鬼なのだと。
「落胆したよ」
慧一は普段、人に話す時はそう言うが、一度飼い始めたダックに情が移らないわけがない。緑色の湿った汚らしい肌だが、慧一はすっかりダックの親代わりになってしまった。
喫茶店に避難した二ノ宮は、盲目ながらもソニアの体を気遣っていた。ソニアの腕を撫でる二ノ宮。腕をさすっているのか手探りで求めているのかはよくわからない。
「大丈夫ですか?」
「うん…怪我とかそういうのは無いから平気」
「でもお財布持ってかれちゃいましたね」
「財布はいいのよ、大して入っているわけでもないし。ただ、箱を盗られたのが…」
「箱?」
「さっきあたしが倒れている時に、箱を持ってたんだけど、それを盗られちゃったのよ。せっかく闇市で買ってきたのに…」
「箱には何が入ってるんですか?」
「そのお客さんが言うにはね、魔法の概念を覆すような代物だっていうのよ」
「何ができるっていうの? その発明品は。…鏑木、起きろ。大変な話だぞ」
「ググー」
「発明といっても本当は7、8年前からあったらしいけどね」
「へへへ…ここまで来ればいいか」
ジンは人気の無い公園のベンチに座り、箱の中身を確かめようとした。
「箱の蓋を開けると、中には凹型に綺麗に湾曲した鉄板。大きさは15センチから20センチ。その隣には木に直接打ったパンチ穴が20から30。そしてゼンマイが2つ」
「そんな物をわざわざ闇市で買ってどうするつもりだったんですか」
「あれは普通の物じゃないのよ。でなきゃ闇市でなんか売られないわ」
「それでね、2つのゼンマイを同時に巻いて、箱の鉄板を空に向けるだって。その時、鉄板は裏から極めて短い間隔でチチチチチと叩かれる音を出し、穴はジージーと不快な音を出すの」
「何それ。何の役に立つんだよ」
「グー」
「きちんと空に向けた時、穴からのジージー音が変わるのよ」
「どんな風に?」
「なんだこれ? ジージー言ってて…不良品か?」
ジンは箱を揺すってみた。
(ジー…ジジー…な…ジー…ジ…ジジッ…で…ま…ジッ…)
「あれ…? 今、変な音が混じってたな…?」
「あたしは試しに使う前にあの糞ガキに盗られちゃったけど、聞いていた話では穴から人の声が出るらしいわ」
「人の声!?」
「二ノ宮さん、ちょっと声を抑えて」
「その声はやたら淡白な口調でね、その日に起こった事を次々に言い続けるの。言ってみれば、声の新聞ね」
「じゃあ、字の読めない俺達でも…」
「グー」
「そういう事。どう? いい話でしょ?」
「ソニアさん、その変な道具、何て名前なんですか?」
「確か…」
「珊瑚さん、俺達それ欲しいよ。何ていう道具なんだ?」
「知りたい? それはね…」
「『ラヂオ』」
(ジッ…まの時刻…っ分です。続いてのニュー…ジー…)
「何なんだこれ…!? 人の声が聞こえるぞ!」
(…で、貴族の経営…に平民階級の人間が押し入り、貴金属…ジー…が盗…ジッ…ジッ)
「なんで時々聞こえなくなるんだよ、クソ」
ジンは箱を掲げ、六方を回しながら観察しているうちに、自分がちょうど箱の裏を見ている時に、声がハッキリ聞こえる事に少しずつ気付き始めた。
(…今の時刻はジッ時5ジッ分です。臨時ニュースです。ジッ先ほど、八万寺市の江の内ジ公園内で、貴族の人間を平民階級の男が殺しました。目撃者の話によると、その平民階級のジーは、貴族の人間の撒いていた麩を食べていたところ、貴族に何かジーれたようで、逆上するように急に狼に化け、貴族を殺害…ジー、ジジッ…察はこの逃走した平民階級の男の居場所を捜しており、見つけ次第、極刑に…ジッ…ジャッ…だ今の時刻は5時51分…ジジッ…)
「………」
ジンは自分がどういう物を手に入れたのか、まだ実感ができなかった。自分の生まれた国にはこんな物は無かった。大日本国では当たり前の物なのだろうか。それすら彼にはわからなかった。
「…神の声を授かる道具? いや、そんな感じじゃなかった。何なんだ? 八万寺市、江の内公園で平民階級が貴族を殺害…? 本当に起こった事なのか?」
自問するが、まったく理解はできない。
「ヘェッ…ヘェッ…」
江の内公園の茂みの中に隠れ、心臓の高鳴りが止まらない狼がいた。口の周りを真っ赤に染めた、東乃 流布の変わり果てた姿であった。