守里 慧一の飼いならしている、餓鬼のダックがトカゲを貪りながら言った。
「慧一、いつになったら俺は実際に戦うんだ?」
「ダック、お前にはまだ早い」
「実践訓練はないのか?」
「そこら辺の野良犬でも斬ってろ。殺したら食ってもいい」
「本当か?」
「あ、いや、駄目だな。ペストに罹りたくなかったら食うな」
「なんだよ…たまには肉が食いてぇな…」
「贅沢言うな」
 慧一が立ち上がりながら言った。
「おっ、帰るのか?」
「…肉が食いたいんだろ?」
「あぁ」
「調達してきてやる。でも期待するな」

「クソ! あの糞ガキ! 絶対に捕まえてやる! 絶対に捕まえてやる!」
 場所は立山のインディーズブランドのブティック。試着室の中ではソニア・ホルストマンが騒ぎながら着替えていた。
「あの…ソニアさん、新しい服なんて買ってどうするんですか?」
 二ノ宮 丸鈴が恐る恐るソニアに訊ねる。
「決まってるでしょ! 動きやすい服に着替えてあのガキを捕まえるのよ!」
 試着室のカーテンを勢いよく開いたソニアは、八分丈の黒いパンツと、白いYシャツに着替えていた。
 その格好のままレジカウンターまでツカツカと歩き、カウンターの上に飛び乗り、足を投げ出して座った。
「時間が無いの! いくら!?」
 店員はソニアの態度に呆然としていたが、すぐに気を取り戻し、服の値段を思い出した。
「じょ…上下で8800円です」
「まあまあ安いじゃない。はい」
 ソニアは一万円札を差し出した。
「二ノ宮さん、もちろんあなたも糞ガキを捕まえるのに協力してくれるわよね!? してくれるんならあなたにも洋服買ってあげるけど!?」
「………」
「どうなの!?」
「…私は協力しません」
 色の無い目を閉じながら二ノ宮は言った。
「ここまでの縁ですよ。深入りするつもりはありません」
「…そう」
「それにこれから行かなきゃいけない用事があるので…。これでもうお別れです」
「ふん、まぁ仕方ないわね。その見えない目でどうするのかは知らないけれど、元気でやりなよ」
「ソニアさんこそ。それじゃ、失礼します」
 そう言った二ノ宮の目は笑っていなかった。それどころか、(本人は盲目だが)何か物を軽く見るような目で、ソニアはあまりいい気にはなれなかった。
 店を出てから、二ノ宮は双頭種の犬に話しかけた。

 八万寺市・江の内公園。狼に化けた東乃 流布は、茂みの中に隠れるのを止め、なるべく遠くへ移動しようとしていた。警察官と思われる二人組みが公園に入ってきたからだ。
「8326号の非常伝書鳩が飛んできたんだ。この公園内で起きたんだろう」
 そう言いながら警察官の片方が大木に括り付けられていた巣箱を覗く。
「やっぱりそうだ、ここの鳩だったんだな。8、3、2、6番…うん、間違いない」
「狼に化けた男に噛み殺されたとか」
「最近の庶民階級も玉石混合だからな、何が起こるかわかったもんじゃない」
「見つけたらその場で殺していいそうです」
「そうか、わかった」
 東乃は、やっぱりか、と思った。極刑になるのは知っていたが、衝動で殺してしまったあの瞬間に、覚悟というものなど微塵も無かった。やはり止めておけばよかった。しかしもう遅い。警察は目の前で自分の事を探している。小さな携帯用ボウガンに矢などセットして。物騒である。
 ふと警察と反対の方を見ると、東乃に向かって手招きをする少女がいる。あの少女は何なのだろう。背丈が1メートルほどしかない。しかし頭は小さく、子供ではないのかもしれない。むしろ、成人しているように見える。おそらく小人族なのだろう。
「狼さん、こっち…!」
 警察に聞こえない程度の声で子供のような女性が叫ぶ。東乃は藁をも掴む思いでその女性の足元に近寄った。すると、
「死ね!」
 と叫びながらその女性は東乃の腹を蹴り上げ、「おまわりさーん! 早く! こっち!」と警察官を大声で呼び寄せた。東乃は苦しくて動けない。
 警察官はボウガンを向けながら東乃の方へ走り寄ってきた。
「動くな!」
「腹を見せろ!」
 東乃はなぜすぐに撃たないのだろうと思いながらも、すぐには殺さない事はわかったので大人しく従う事にした。
「大人しくしてりゃ寿命が延びるんだよ。言う事を聞きな」
 もう片方の警官がロープで東乃の四本足を一まとめにする。そしてそれをきつく結ぶと、顔を見合わせながら言った。
「久しぶりに肉が食えるな」
 東乃は驚きのあまり、頭が真っ白になった。
「あぁ、今夜は俺とお前と…そしてこのおチビちゃんと一緒に犬鍋だ!」
「ハーイ! 狼さん。狼さんは赤ずきんちゃんでも悪役、七匹のこやぎでも悪役、そしてここ八万寺市・江の内公園でもあなたは悪役! だって貴族を殺したからね。あたしも最近、動物性タンパク質に飢えてるの。悪いけどお鍋に入ってくれる!?」
 東乃の前に現れた小人族の女性は警察官と一緒に大笑いし始めた。この女性こそが、古杜 玻璃である。

 二ノ宮の元へ、放して散歩をさせていた犬が戻ってきた。
「見つけたの? ウー…ゥワン!」
「ワウ! ワゥ!」
「そう、偉い偉い。で、どこにいたの?」
 公共の鉄製ゴミ収集箱の中だった。
「みーつけた」
 一日に二度も見つかり、冷や汗が止まらないのはジン=ハウザーである。
「…うそぉ」
「残念ながら嘘じゃないわよ」
「この変な箱なら売るよ、わけわかんねぇ。金になるんなら俺はそれでいい」
「正規の値段もわからないのに商談なんてしないで。それにソニアさんのラヂオをあたしが持ってることが知られたら、ソニアさん、あたしに何を言い出すか知れたもんじゃないわ」
「この変な箱、ラヂオって言うのか? それと…あんたら友達じゃなかったのか?」
「ハッキリ言わせてもらうけど、違うわ。そしてあなたを探したのは頼みがあったから。闇市で日本語は通じないわ。外国語が必要なの。あなた、肌が黒いし名前も変わってる。外国人なんでしょ?」
「あ…いや、俺は日本に流された孤児だから、日本語しか話せねぇんだ」
「…そう、なら用は無いわ。ソニアさんに見つからないよう、ずっとそこに入ってなさい、役立たずめ」
 二ノ宮はゴミ箱の蓋を閉め、鍵をかけてしまった。
「お、おい! 何をするんだ! ふざけるな!」
「あたしがあなたと接触した事がソニアさんにばれるとまずいのよ。なんで連れてこなかったんだって言われるからね。もしソニアさんに見つかったとしても、あたしと会った事は話しちゃ駄目よ」
 二ノ宮はしたたかにその場を去り、駅へと早足で向かった。
「誰がお前の言う事なんか聞くか!」
「バーイ♪」

「珊瑚さん、俺達なんとかしてラヂオってのを見つけてくるよ」
「こんな遅くからでかけるの?」
「こんな時間だから、だよ」
「夕方からは列車がちょっと安くなるんだよ」
「あぁ、そうだったわね」
 そう言いながら、齋藤 祐毅と鏑木 勇也が席を立った。
「で? どこまで探しに行くの?」
「うーん…どうする?」
「春芽町まで行ってみよう。鏑木、鏑木は確か英語だったかなんだったか、話せたよな?」
「え? あぁ、英語だったら何とか話せるけど…なんで?」
「ラヂオなんて、ブラックマーケットにしか置いてなさそうだろ」
「だから外国語が?」
「そう、ああいうところは貴族に知られないよう、外国語でしか売ってくれないんだよ」
「あぁ、なるほど」
「それで? 未成年のお坊ちゃん、お金は持ってるのかしら?」
 珊瑚が意地悪そうに言う。
「お金たって…うん…持ってないけどさ…」
「持っていきなさい」
 そう言うと珊瑚は小さな金庫からお金を取り出し、数枚のお札を齋藤に手渡した。
「ちょっと! 駄目だよ!」
「何言ってるのよ! お金持ってないんでしょう!?」
「もらえないよ!」
「いいの! 帰ってきた時に、私にもラヂオを聞かせてくれればそれで充分だから…」
 そう言われて齋藤は大人しくなってしまい、胸に押し付けられたお金を受け取るざるを得なくなった。
「さっさと行きなさい。慧一にはあたしの方から言っておくよ。たまにはあなた達だけで手柄あげてらっしゃい」
「…わかったよ、このお金はもらってく。行こうぜ、鏑木」
「おう」
 齋藤は刀を二本、鏑木は針の様な細身の剣を背中に差し、席を立った。
「お店の札は? 『営業中』にしていいの?」
「うん、そうして」

 立山駅は非常に人が多い。昔はそれほどでもなかったが、再開発されてからは駅もすっかり様変わりした。
 十数年前までは貴族が列車の経営を一手に受け持っていたが、公務員的な経営ではにっちもさっちも行かなくなり、とうとう列車の経営権は庶民階級へ渡されるという、「珍事」とも言える経営権交代劇が起こった。庶民階級は当然これを誇り、列車その者が庶民階級のシンボルになっているとも言える。
 十数年前まではなかった昼夜料金制。夜からの乗車料金を安くする事により、昼間の混雑が解消されるという理由で、庶民階級に経営権が渡ってからすぐに実地された。この狙いは的中し、昼間の混乱を取り去る事に成功。今も確実に利益を上げ、庶民階級の希望の灯として栄え続けている。
「この時間からはいくらでしたっけ」
 二ノ宮が小銭を手で確かめながら言う。
「400円だ」
 二ノ宮は500円玉を払った。駅員は二ノ宮が盲目である事はわかっていた。しかし、この駅において、庶民は意思が疎通する。駅員は100円玉を素直に手渡した。
「お嬢さん、どこまで行きたいんだ?」
「ふふ、内緒」

「こっから春芽町なんて近いのにな。二駅か三駅…それぐらいじゃなかったっけか」
「じゃあ歩く?」
「いや、足が棒になった鏑木君をおんぶする破目になりそうだから止めておく…」
「なんだよ、俺をガキ扱いすんな! 誰が交渉すると思ってるんだ?」
「あぁ、ごめんよ。でもどこまで乗っても、すごそこで降りても、一律400円っていう料金はちょっと腑に落ちないところがあるだろ?」
「それはわかるけどさぁ…せっかく珊瑚さんがお金もくれたんだし、今日は乗ろうよ」
「そうだな」
 ちょっと料金システムに納得がいかない二人はホームまで降り、列車が到着するのを待った。しばらくすると、列車が到着する事への警告として、天井に糸で吊るされた沢山の鈴が一斉に鳴き出した。
「やっときたか」
「おい、前の方、見に行こうぜ。列車なんて久しぶりじゃないか」
「そうだな、あれ見ようか」
 齋藤と鏑木はホームの先端まで急いで走った。奥の方から列車が迫るのがわかり、グングン近づいてくる。荒々しい突風を引き連れながら、列車が苦しそうに止まろうとする。無理もない。この列車を引っ張っているのは、巨大な龍なのだ。
 龍が列車を牽くため、列車の事は龍車などとも呼ばれる。列車の戦闘に縄で龍を車両とつなぎ、手綱をかけ、龍を走らせる。走らせると言っても、正確には龍に低空飛行させる。そして駅が近づいてきたところで後部車両の人間が一斉にブレーキをかけ、手綱を持った人間が全力で龍を抑える。龍が止まったところで大量の水を飲ませる。決して楽な仕事ではない。そのため、この仕事だけは貴族時代の頃から庶民階級が担っていた。
「いやぁ、いつ見てもこの龍はでかいな!」
「齋藤、この龍を使えば革命なんて楽なんじゃないのか? 管理は庶民階級がやってるんだし」
「ダメ、龍だけは貴族が管理していて、去勢してから列車を牽かされるんだと。そのせいで火も吹けなくなってるらしい」
「あぁ、これもダメなのか」
「めげるな、これからのためにラヂオを買いに行くんだろ」
「…そうだな。じゃ、行こうか」
「あぁ。いいか、鏑木。座席から窓の外を覗く時は、おクツを脱いでから上がるんでちゅよー」
 鏑木をからかいながら列車に乗り込む齋藤のケツを、鏑木は後ろから思い切り蹴り上げた。

 バー「赤珊瑚」。今宵も店内は赤いロウソクが妖しい灯りを作り、客のアルコールの酔いを進ませる。ロウソクは貴重な照明だ。これに代わる照明が他に無いため、ロウソクを作る技術は進歩し続けてきた。ロウソクに色をつける事ができるようになり、同時に火の色までを自由に変えられるようになった。これに珊瑚は当然、赤を選ぶ。赤いロウソクだけを大量に購入し、店中を赤色に染める。
 自由に飲みたい客はテーブルに席を取り、珊瑚と話したい客はカウンターに座る。誰がそうしようと言ったわけではない。このような空間では、無意識のうちにそういった決め事ができてしまう物なのだ。
「なーんかボケとグズとガキがいなくなると寂しいなぁ…」
「ママぁ、僕と話すのがそんなに苦痛?」
「谷ちゃん違うのよ、あの3バカは特別なんだってば」
「ママもいい加減ホステス雇ったら?」
「うーん…うちはそんな店とは少し違うんだけど…」
「それじゃ、またね。今日はもう帰るわ」
「や、ちょっと谷ちゃん帰るの早いわよ」
「お金はここに置いておくから。お釣はとっておいていいよ」
「この前もそんなこと言って、お金が足りなかったじゃない」
「じゃーねー」
「あぁ…」
 常連の谷ちゃんに早々に帰られて、珊瑚は何か面白くなかった。客は15人ほど飲んでいるが、全員テーブルだ。常連同士が仲良く飲んでいる。3バカもいない。何か寂しい。
 するとそこへ、ドアを静かに開けながら初めて見る客が入ってきた。
「珊瑚さん…ですか?」
 常連共が話をピタリと止め、一瞬ドアの方を確認したが、仲間ではない事を確認するとまたワイワイとやりだした。
 その男はコートのフードを異常なまでに深く被っており、珊瑚の目にも異様に見えた。男はテーブルの方へ一瞥したが、迷わずカウンター、それも珊瑚の正面に席を陣取った。
「珊瑚さんですね…」
「…そうよ、あなたは誰?」
「………」
「言えない様な事でも?」
「…佐々木 尚人っちゅうモンです…珊瑚さんにお話を伺いたくて…」
 フードを取らない佐々木は目を見ずに話し始めた。
「せっかくだけど、込み入った話なら一見さんにはできないわ。でも代わりに何か良い情報をあなたが…」
「ボトルキープ、20本」
「え?」
「20本。あなたにはその価値があるんです」
「………」
 珊瑚は空恐ろしくなった。
(なんでこんな時に限って1バカもいないのよ…)
「どうしても教えていただきたい事があるんです。それはあなたなら知っているはずの事だ」
「…なんですか」
「宗教団体の『ジャムール』についてです」

「♪煮えたかどうだか見てみよう。もういいかい?」
「♪まあだだよ」
「♪煮えたかどうだか…」
 夜の八万寺市、江の内公園では警察官二人と波璃が鍋を煮ながら宴会を行っていた。幸い、狼になった東乃はまだ解体されておらず、木の枝に足を縛られながら逆さづりにされていた。鍋を炊く焚き火が目から焼きついて離れない。
「煮えごろになったら解体しよう。肉は解体したてが一番うまいからな」
「それよりおまわりさん、あたしにご褒美ちょうだいよ。この狼の居場所を教えたのはあたしなんだから」
「なんだ? 情報料か?」
「そうよ、この狼に相応しい金額をちょうだい」
「それじゃあな…ほら、10円だ」
「そんなに!? 嬉しい!」
 東乃から見れば悪趣味としか思えないやりとりをしながら、警察官と波璃は笑い転げていた。そしてしばらくすると、またあの歌を歌いだした。煮えたかどうだか見てみよう…。
「アウォーーーーーーーーーーン!」
 東乃の遠吠えが公園中に響き渡った。それを嘲笑う波璃と警察官。しかし、この声を聞いた者が他にもいた。
「今の声…間違いなく東乃さん…」
 八万寺駅で列車を降りた、二ノ宮だった。

 珊瑚はワイングラスを差し出し、適当なワインを注いだ。手は震えていない。
「…『ジャムール』に、何か恨み言でも?」
「なぜそう思うんです」
 珊瑚には頭の中ではっきりと分かっていた。この佐々木という男は私と駆け引きをしている。にもかかわらず、珊瑚は佐々木のペースに飲まれていった。
「だって…それは…『ジャムール』だからよ…」
「わからない。『ジャムール』だったらなんだっていうんですか。珊瑚さん、あなたおかしいんじゃないですか」
「私はおかしくなんかないわ。ただ、『ジャムール』だからそう思っただけよ」
「だから、なぜ? 『ジャムール』はそんなに変な団体なんですか?」
「あなたは知らないからそう言うのよ。『ジャムール』は…止めておいたほうがいいわ」
「ですから、わからない。あなたの言う事は、何一つ」
「『ジャムール』をおかしいと思わないあなたの方がどうかしてるわ」
「ですから、なぜ!?」
「私は、誰にだって言うわ! 『ジャムール』ほどイカれた団体は無いって!」
 珊瑚が一息で言い切ると、佐々木はカウンターを拳で強く叩き上げ、立ち上がった。一瞬、テーブルで飲んでいた常連の間にも、緊張が走った。
「そう…それが聞きたかった。あなたはやっぱり珊瑚さんですね。間違いないよ、聞いていた通りだ。そこまでお詳しいなら、『ジャムール』のシンボルくらいご存知なのでは?」
「シンボル?」
「そう、シンボル…」
「『ジャムール』の信者…」
「そう、信者は?」
「顔を見てすぐわかるよう、目の下に…」
「目の下に?」
「赤と白の…」
「………化粧…」
 珊瑚がそこまで言うと、佐々木はそれまで深々と被っていたフードをゆっくりと上げ、目の下に描かれた赤と白のラインメイクを見せつけた。

「キャーーーーーーーーーー!!」

「全て洩れている! お前がウチの悪い評判を流し続けている事も、お前が革命家の連中とつるんでいる事も、そして俺に飲ませようとしたワインに毒が入っている事も! 全て!」
 テーブルで飲んでいる常連達がすぐに立ち上がり、佐々木の方へ敵意の視線を向けた。
「おい! なんだお前は!」
「ママに何をした!」
「うるせぇんだよ! お前ら全員外へ出てろ! これから珊瑚に罰を与える!」
「ふざけんな! このサイコ野郎!」
 群集の一人が前に飛び出し、佐々木に殴りかかろうとしたが、その振り上げた腕に何かが刺さった。
「痛ってぇ!」
「全員外へ出ろ! さもないと次はマナコをブチ抜くぞ!」
 腕に刺さった物をよく見ると、それは何の変哲も無い、ただの硬貨だった。
「お願い! みんな外に出て! 私なら大丈夫だから!」
「ママ!?」
「お願い! これはあたしが招いた事なのよ! だから…出てって!」
 常連共は珊瑚の言う事にしばし考えていたが、珊瑚の言った通り、出て行くことにした。
「ふーん、ママさんの言う事なら素直に聞くんだな。お、ちょっと待て」
 佐々木が常連共を呼び止める。
「そいつはここに置いていけ」
 佐々木が指差したのは、腕を怪我した常連の一人だった。
「どういうつもり!? この人は関係無いはずよ!」
「人質だ。もし途中で誰か店の中に入ってみろ。それこそ容赦はしねぇ、こいつの目をぶっ潰す」

 店の入り口の前で常連が溜まっているのを見て、慧一は不可解に感じずにはいられなかった。少々贅沢である事は分かっていたが、ダックの餌にツマミの干し肉でももらえれば、と思って店に戻ってきたのだ。
「あの…どうしたんですか?」
「あっ! 慧一! お前どこに行ってたんだ! お前がいない間に大変な事に…」
「えっ、何? 何があった!?」
「変な客が出てきて、ママに恨みを持っているらしくて罰を与えるとか何とか…」
「はぁ!? ちょっと助けてくる!」
「待て! 駄目だ! 今、中に入ったら人質の菊丸が殺されちまう!」
「菊丸さんが人質? 一体どうなってるんだよ!?」
「お前がもっと早く戻ってくればこんな事にはならなかったんだよ!」
「バカ言ってんじゃねぇ!」

 腕を押さえて痛がる菊丸だったが、その腕も容赦なく後ろ手で縛られ、耐え難い苦痛を強いられる事になってしまった。
「安心しろ、余計な事さえしなきゃすぐ解放だ」
 そう言いながら佐々木が菊丸をテーブルに寝かしつけた。
「あんた…佐々木とか言ったよね…。何が目的なのよ」
「ウチの邪魔になる奴は思い知らせてやる。その基本方針に従ってこうしてるだけだ」
「所詮その程度の団体じゃない」
「それは違うね。ウチに入って一体何人の人間が救われた事か」
「救われた気になってるだけで実はそうでもないのかもよ」
「皮肉のつもりだろうがそれも違う。本人がそう思っていれば幸せなんだ。他人の決める事じゃないな」
「そうやって詭弁ばかり散らしているのね」
「他の客にもそうやって教え込んでいたんだな」
「………」
「………」
「やっぱりあんたと話す事なんか…」
 そういいながら珊瑚がカウンターに足を乗り上げた瞬間、ワイングラスが爆発した。ガラスの破片に混じって珊瑚の足元まで転がったのは、ただの100円玉であった。
「佐々木なんて言っても通じないかもな。俺の事は『コイン』って呼びな。その方が団体の中でも通りがいい…」

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