小さな光を抱きしめて






異常気象のせいか、今年の秋は短い。

毎日外で、なれない土建の仕事をしながらその激しい温度差を身にしみて感じているので尚更だ。

首筋を吹き抜けていくのは秋の風というよりは、すでに木枯らしに近い寒々しさを孕んでいる。


「うーさむいよ!」

となりでさとみが小さい体を猫のように震わしている。

「そんなに着てまだ寒いの?そんなんじゃ真冬になったら凍っちゃうんじゃないの」

さとみはすでにセーターの上に厚手のコートを羽織り、その上僕が巻いていたマフラーを取り上げてぐるぐる巻きにしている。

ちなみに、僕はセーターの上にジャケットを羽織っているだけ。

さとみとの間には一つ分季節のズレが存在するみたいだ。


…僕が外の気温になれているのもあるけど、いくらなんでも寒がりすぎだよなぁ…。


その寒がり様を見てると、真冬になったら本当に猫のようにコタツで丸まって、一日中そこから出てこなくなるかもしれない。



そんなことを想像したら、あまりにその姿がマッチしすぎてて、ついつい笑いがこもれた。

「なんか、楽しそうだね」

「いや、今日の晩御飯が楽しみだなぁっと思って」

ギラリと光る訝しそうなさとみの視線を避けるように、右手にぶら下げているビニール袋をかざす。

袋からは葱の緑が飛び出し、朱い夕日に照らされながらゆれている。

袋から透けて見える豆腐のパックとともに、お買い物してきた感をこれ以上なくかもし出している。


「そうだね!今日のは国産牛だもんね。久しぶりのすき焼き、楽しみぃ」

「いつもにもまして気合入れて作るから。楽しみにしてな」


歌いだしそうなほどさとみは上機嫌だ。訝しそうな視線も、ビニール袋の中身にアッという間に吸い取られていった。

そんな風にコロコロと表情を変えるさとみ。

さっきスーパーで、すき焼きに入れる豆腐をめぐって大論争を繰り広げ、袋を見るたび「焼き目がおいしいのに…」と呪文のように繰り返していたのが嘘の様だ。

…ちなみに、さとみは焼き豆腐派で、僕は木綿派だった。今、袋には安いからという理由で木綿が入っている…

我が家の経済状況はあまり芳しくなく、財務大臣の自分としては数円単位の贅沢も許せないのだ。

それにただですら国産牛買ったし…。


そんな、僕の気持ちを知っているのかいないのか、さとみは僕の横で、手をブラブラさせながら作詞作曲自分のすき焼きの歌を歌っている。


猫みたいに気まぐれなさとみを見て、やれやれと思う僕。

けど、いつも不思議と心が安らいでいることにも気がつく。


また、ヒューと北風が二人の間を通り過ぎていく。

その寒さに負けないように、さとみは僕のポケットにつないでいた手を突っ込んで、ぴったりと身体をくっつけてきた。

さとみの暖かい体温がじんわりと伝わってくる。

さすがの北風も、ぴったりとくっついた二人の間に入り込むことが出来ないようで、恨めしそうな音を立てて、僕らの周りを通り過ぎていった。


「えへへ。これなら寒くないね」

うれしそうな顔でさとみが僕を見る。

その顔は、北風の所為か夕日の所為か分からないけれど、ポッと朱に染まっていた。


そんなさとみの顔を見て僕は、すっかり冷え切ってしまっていたさとみの手を、キュッと握り返す。


そして、二人寄り添って家に向かう長い坂道を登っていくのだった。






―――キーンコーンカーンコーン―――


坂の途中にある学校が流したチャイムが、すっかり高くなった夕焼け空に染込んでいく。

それを合図に、同じ制服を纏った生徒達が、校門を通りぬけ、僕たちの横を通り過ぎて行く。


「和泉ちゃん、今日どっか寄ってく?私アンミラーレの木苺のタルトが食べたいなぁ」

「いいけど、それ一昨日食べなかったっけ?」

「だって、おいしいんだもん。毎日でも行けちゃうんだから」

「はぁ…。まぁ、いいけど。私ガトーショコラにしよう…」



「あれー。すぴか。今日はデートじゃないの?」

「優希ぃ。あんたそんなこと言ってるとサードの守備ボイコットするよ」

「まぁまぁ、怒らないのすぴか。いくら牧尾君がかまってくれないからってさ。ね!亜衣?」

「そうそう、智美の言う通り。八つ当たりはよくないぞ、すぴか」

「う――――――!あぁぁぁ!もう、よってたかってうるさーい!」

「「「うわぁ。すぴかがキレた!!!」」」


「…楽しそうだねぇ」

楽しそうにはしゃぐ高校生を見ながら、さとみは独り言の様に呟く。

僕も次々と校門から出てくる高校生達を見る。

生き生きとした表情をそれぞれ浮かべながら、皆、楽しそうに坂を降りてくる。

鮮やかな朱い夕日は、その一つ一つをきらきらと輝かせていく。


それはまるでスクリーンに鮮やかに映し出された映画のワンシーンの様に見えた。


―そして、僕はそのスクリーンの中の一人の人物に目を奪われる。


短めの髪を整髪剤でガチガチに立たせたパンクヘアー。

制服の詰襟は全てのボタンが明け放たれ、その間からはNIRVANAの顔が覗く。

肩にはバックの代わりにギターを掛けて、ぶらぶらとどこか不機嫌そうで、でも目だけは希望に満ち溢れていて…。


―その姿は、まさしく、高校時代の僕自信だった。


それはまだ、わずか2,3年前のこと。

毎日、授業もそこそこに軽音の部室に入り浸り、毎日、好きなだけギターを弾き鳴らし、さとみや部活の仲間達とバカ騒ぎし、時にマジメに練習し、将来メジャーデビューすることを真剣に考えたり、そして、喧嘩したり…。

時間は無限に思えたし、自分の可能性を無条件に信じていた。

夢は空に幾つも輝く星でいつでも掴めると思っていた。

日々は鮮やかな輝きに満ちていて、無条件に楽しかった。



それが、わずか二、三年前のこと…。

きっとあの頃の僕は、今の僕の姿を想像することすらなかっただろう。

それぐらい、僕も、僕を取り巻く環境も変わった。


無限と思った時間は瞬く間に過ぎた。

星は遥か遠くの宇宙に存在し、想像以上に大きく、一つを手に入れることだけども難しいことを知った。

日々は次から次に流れて行き、忙しさに周りを気にかけることすらできなくなっていた。


世界は急速に狭まっていた。

あの頃の様に、希望や情熱に満ち溢れた歌はもう歌えない。

手は荒れ果てて、あれだけ長くしなやかに動いた指は見る影もない。

出来ることは、毎日朝から道路に穴を掘ったり、埋めたり、そこになにかを立てたり。


…それだけだ。


夕日に照らされて、ギターにつけた幾つものカンバッチがきらきらと輝く。

その光があまりにもまぶしすぎて、僕はぎゅっと目を瞑る。



―そして、同じように、強く、強く左手を握り締める。





「……大丈夫?」

「―――。うん。なんでもないよ」

さとみの声で、僕は自分を取り戻す。

「なんか深刻そうな顔してたよ」

「ちょっと、考え事をね。ごめんね。手。痛かったでしょ?」

僕は、さとみの手を強く握っていた自分の手の力を緩める。

「全然。でも、昔に比べると握力ついたね。たくましくなっちゃって」

でも、私に勝とうなんて百年早いんだからね!っといいながらさとみはおどけて僕の背中を空いている方の手でばしばしと叩く。


―――大丈夫。


僕はさとみに背中を叩かれながら、さっきの少年を目で追った。

少年はさっきと同じ様にギターを背負い、ブラブラと歩きながらバス停に滑り込んできたバスに乗り込もうとしていた。


…少し考えたら分かること。

ここは僕の高校でもなければ、あの頃の僕はもういない。

ただ、高校時代の自分に似た少年が一人、そこにいただけだ。

そして、まだこれから先の未来に、幾つもの輝かしい未来が待っているその少年が、少しだけ眩しかっただけなのだ


…大丈夫。


確かに僕にはもう、彼の様に幾つもの未来はない。

気がつけば無くなっていたものも沢山ある。

でも、それは僕が選んだこと。

自分が大切だと思うことを選んだ結果。

後悔は無い。


だから、大丈夫。


僕はもう一度、左手のポケットにあるさとみの手を握る。

その左手に小さく、はかなく輝く、小さな光の存在を確かめるため…。

そして、そこから伝わる新たな光を感じるために。


―――ドゥルルゥゥゥ


バスが沢山の光を乗せて走り始める。

僕はここで小さな光と共にそれを見送る。


…あの少年は、もしかしたらいずれ、僕が選べなかった夢を適えるかもしれない。
でも、それでいい。

僕にはもう、それ以上に大切なものがあるから…。




バスが坂を登りきり、曲がり角を曲がっていく。

僕はそれを見届けて、小さく一つ息を吐いた。


――バン!


その瞬間、突然さとみに背中を思いっきり叩かれた。

「なんだよ、突然。痛いじゃんか」

「ため息つくんじゃない。ため息つくと幸せが逃げる!ほら、早く帰ろ!寒い、寒い、すきやきぃ!」

そんな風に言って、僕のポケットごとぐいぐいと引っ張って行く。

ペッタンコの靴を履いているせいで、いつもより力強く僕を引っ張っていく。


僕はさとみに引っ張られながら、何気なく空を見上げた。

きっとそこにはあるだろうと思ったから…。


空にはうっすらと月が昇り、その傍には、一番星が輝いていた。