桜88 葉桜の輪舞曲
昼過ぎの桜花学園。
6時限目の授業が終わり、帰りの支度をする生徒たちでクラスは一気に賑やかになる。
そんな中、私はそそくさと帰りの用意をしていた。
すると教室のドアがピシャ!っと勢いよくあけられる。
クラスの数人も「何事か」と開いたドアの方に注目する。
するとそこには、千歳の姿があった。
私のクラスメートは、珍しい来客に視線をじっと集めた。
わずかな静寂が訪れる。
しかしこの静寂を叩き割るかのごとく、千歳の声が教室に響いた。
「和泉ちゃん!今日、暇!?アンミラーレ行こうよ〜!私バイト休みなの!」
その元気がいい声に何人が耳を塞ぎそうになっただろう。
むしろ元気がいいというよりは、劈くような声であった。
「千歳、うるさいわよ。そんな大声じゃなくても聞こえてるから」
私は冷静に千歳に返した。
「そうなの?まあそれはいいとして、今日空いてる?和泉ちゃん?」
そう言った千歳の目はキラキラ輝いている。
何かを訴える子供のような眼差し…。この目を見ると「ダメ」とは言えなくなってしまう。
私は特にすることもなかったので、OKサインを出し、千歳と一緒に教室を出た。
教室を出てから千歳のルンルン気分は、さらに凄みを増していた。
階段を下りながら歌う鼻歌には常に『♪』が着いてしまうほどルンルン気分だ。
「千歳、今日バイト無いって言ってたけど、あんた休みは無いって言ってたじゃない」
「え、え?う〜んとね。たまには羽を伸ばしてきなさいって、マネージャーさんに言われたの」
「ん?マネージャーって何?」
「ま、ま、マネージャって店の偉い人のことだよ〜!そういう店あるじゃん!」
「ふ〜ん」
私は少し引っかかったが、奥までは詮索しないことにした。
人には知られたくないことはあるだろうし。
だって私にだって・・・。
「どうしたの?和泉ちゃん」
ちょっと暗くなった私の顔を見て、千歳がぐーっと覗き込むような形で私の顔を見る。
「なんでもないわよ、それよりアンミラーレ行くんでしょ!私は今日はミルフィーユかな!」
「私は木苺のタルト〜!」
そんな無邪気な千歳のおかげか、なんとか話をそらせた私はほっとした。
下駄箱まで来て自分の下駄箱を開けて靴を取ると、ハラハラと1枚の紙が落ちてきた。
「なにこれ?」
と千歳が拾い上げると、それを見た千歳が慌てだした。
「どうしたのよ千歳」
「あわわ!和泉ちゃん、これラブレター!女の子からだけど」
「はぁ、またなのね・・・」
実はこれは1ヶ月に数回起きる私の行事みたいものなのだ。
ある日は男の子から、ある日は女の子から。
同じ人から3日連続できたこともある。
すべて丁重にお断りしているのだが、諦めずに何回も申し出てくる人もいる。
正直、イライラするけれど言葉悪く追い返すわけにも行かないので結構困っていたりする。
「ほらぁ〜、この前言ったとおり和泉ちゃんモテモテじゃ〜ん。さすがは学園のア・イ・ド・ル」
「か、からかわないでよ!千歳!」
「で、どうするのこれ?」
「読むわよ、家に帰ってからね」
「和泉ちゃん几帳面〜。もう何百も手紙読んだんじゃないの?」
「んなわけないでしょ!そんなにもらわないわよ!」
「あー!和泉ちゃん顔赤いよ?図星だった?実は300くらい?」
「ち、千歳―!人をおちょくるのもいい加減にしろー!」
「和泉ちゃん怒った〜!逃げろー!先にアンミラーレいってるね〜!」
そういって千歳はあっという間に靴を履き替え走り去ってしまった。
「はぁ・・・」
溜息をつく私。
「何を熱くなってるんだろ、馬鹿みたい・・・」
靴を履き替えしばらく歩き校門のところまで来て、私は今度は深呼吸をした。
桜花学園の校門前、その学園名に恥じぬ桜並木の下のバス停の前。
その時私は、深呼吸とともにいつもの桜の香りが体に入ってこないことに気がついた。
ふと上を見上げると、桜は半分以上が葉桜になっていて花びらが次から次へと散りゆく。
クルクル回りながら落ちる花びらは、まるで輪舞曲を踊っているよう。
そして枝についた葉は、これから春から夏に徐々に移ることを示していた。
すると雲の割れ目から太陽の光が、桜並木に降り注ぐ。
私は上を向いていたので、あまりの眩しさに目を細めた。
葉桜越しに見える太陽が差し込む雲の上。
その雲の上に本当に『天国』と言うものがあるなら、あなたは本当にそこにいるのでしょうか。
「先生、今年も葉桜の季節がやってきました・・・」
私は中1の時、ごくごく普通の女子中学生だった。
毎日学校に通い、部活をやり、帰りには友達と喋りながら帰宅する。
あまりにも普通の中学生活。
でもそんな日常に、あるときを境に変化がおきる。
入学式から少したったときだっただろうか、隣の小さな空き家(一軒家)に引越しの車が止まっていた。
「誰か引っ越してきたんだな」
私はただそれだけ思った。
これからお隣さんになる人だけど、特には気にもとめなかった。
そんな日より二日ほどたったある夜、突然うちのインターフォンが鳴らされた。
お母さんが「和泉出てちょうだい」というので、
「はーい!」
っと勢いよくドアを開けると、見知らぬ男の人が立っていた。
髪は短めで綺麗な目をした20代前半の若い人だった。
ずっと見ているとその瞳に吸い込まれそうだ。私は思わず顔が赤くなった。
「あのー、ここの家の娘かな?」
その人が話しかけると私は、
「は、はいそうですが!」
と明らかに緊張した声を出してしまう。
「僕、一昨日隣の家に引っ越してきたんだ。これからお隣同士よろしくお願いするね」
「は、はぁ」
っとその人は小さな紙に包まれた小さな箱を私に手渡した。
「その、お母さんかお父さんはいるかな?」
「あ、はい」
と言って、私はお母さんを呼びに行く。
その後は、お母さんと男の人がお互いにペコペコお辞儀をする会話が始まった。
遠くから見ていた私には、お母さんの方がお辞儀をする回数が多く感じた。
次の日の朝、学校に行く準備をしていると
「和泉、そういえば昨日の人、今日からあなたの学校の先生なのよ」
そう告げられた私はぎょっとした。
「昨日の綺麗な目をした男の人は、今日から私の学校の先生・・・」
そう呟いただけでなんとなく頬が染まる。
そんな自分の顔をブンブンと振り、いつもの顔に戻すと
「そ、そうなんだぁ」
と私は冷静を装ってお母さんに返事した。
案の定、朝のHR時に教頭先生がわざわざ教室まで来て昨日の男の人を紹介した。
「今日からクラスの担任の交代で、このクラスの担任になった臼田 泰人先生だ」
「臼田です。今日からみんなの担任だと思うと緊張するけど頑張ります」
と挨拶があった。その間、私はなぜか先生から視線をそらしていた。
照れなのか、反抗なのか、いまだに分からない。
でもチラッと先生を見た時に、先生がニッコリ微笑みかけたような気がして、私は朝同様頬を赤く染めた。
しかし先生と生徒が仲が悪いようではおかしいと自分で思い、その後からは先生と積極的に話すようになった。
私から先生に話しかけて部活の話をするときもあれば、先生から私に話しかけてきて、
「勉強ちゃんとやってる?」
などと茶化された感じの言葉をかけられたときもあった。
さらに次第に仲良くなるにつれて、部活が終わる時間と先生のお仕事が終わる時間が重なると家が隣なためか一緒に帰ったりもした。
先生からしたら『送ってくれた』と言う方が正しいのだろうが、私の中ではそのときそれ以上の変化が心の中で起こってしまっていたのだ。
ただの教師と生徒の関係ではない。
そう、私は先生に恋してしまっていた。それは今動き出したのかもしれない、出会った時にすでに動き出していたのかもしれない。
しかし私が先生を好きだと言う事実は変わらない。
初めて感じる胸の高揚感。
お風呂に入るときも、ご飯を食べる時も、ベッドに横たわる時も先生のことで頭がいっぱいだ。
初めての体験に「私おかしいのかな」などとも思ったが、そう思っている最中でも先生の顔が浮かんでくる。
高校生になった今ならはっきりいえるが、あれは間違いなく私の初恋だった。
ところがある日を境に、私は先生の目を見られなくなった。
嫌いになったのではなくて、逆に好きになりすぎて中一の女の子には重かったのかもしれない。
そんな私を見て先生は大変心配してくれた。
「どうした気分悪いのか?保健室行く?」
とか
「今日は早退するか?」
などと優しくしてくれた。
でも私のその病気は治るはずも無い。だって病気の原因は目の前にいる人。
大好きな先生、でも思いを伝えられない先生なのだから。
日がたつごとに、私はどんどん病気に蝕まれていく。
先生の喋る一言一言に頭がクラクラする。
そんなもう『頭がおかしい』といわれてもおかしくないような域にまで達していた。
友達からも「元気が無い」などといわれた。
ある日、部活の帰りに先生と帰りが同じになった日があった。
先生と並んで帰る道、胸は再び異様な高揚感に包まれる。
先生の顔すら見れない、先生の革靴の底が地面を叩く音に共鳴して私の心拍も呼応する。
誰ともすれ違わない、そんな夜の道を二人で歩いた。
しかし、そんな静寂も一瞬で壊される。
「本間、どうだ?今度の日曜日、どこか出かけてみるか?」
「えっ?」
胸が破裂するかと思った。
先生のほうから誘ってくれた。ただそれだけが嬉しかった。
覚えたての『両思い』と言う言葉が、頭の端から端をくまなく駆け巡る。
そのときの私の顔と言ったら、ありふれた表現だがユデダコだったのだろう。
「は、はい。いいですけどどこに?」
喉の奥から辛うじて搾り出した言葉に、先生は答えてくれる。
「遊園地でも行くか。俺もこんな年になったから最近行かないし」
「そ、そんな先生は全然若いじゃないですか!」
とっさに出た言葉だった。しかし先生は、
「ははは、ありがとう」
と言って微笑みかけてくれたんだ。その笑顔が私にとっては何より嬉しかった。
ある日曜日。
今日は先生と遊園地に行く約束の日だ。
あの時はデートだと思ってた。今考えれば、先生が私に元気を出してくれるように考えたのだと思った。
先生はうちの母さんと1階で談笑していたが、私が
「準備できたよ」
と言うと、
「よし行くか!」
と満面の笑みで立ち上がった。その笑顔が伝染したかのように私もニッコリ笑った。
現地についてからの先生は、まるで私と同じ中学生みたいだった。
コーヒーカップに乗れば勢いよくグルグル廻し、ジェットコースターに乗れば両手を挙げて叫ぶ。
屋台でミルフィーユを買ってきては、まるで小学生みたいに嬉しそうな目で食べる。
私はそんな先生の見たことの無い一面を見れて、もの凄く嬉しくなっていた。
「こんな先生の顔、クラスのみんなは見たこと無いでしょ?」
自慢したくなった。
しかしそんな私の独占欲が祟ったのか、事件は帰りに起きる・・・。
もう夜遅く、行きと同じく電車で帰ろうと乗り換えの駅のホームで待っていた私と先生に背後から男が忍び寄った。
先生も私もそれに気づいていたが、無視するのが一番である。
この時先生が、私の手をぎゅっと握ってくれた。
もの凄く嬉しかったが、これが逆にいけないことであった。
「お前、こんな中学生と付き合ってんのか?ロリコン」
背後にいた男が突然話しかけてきた。
しかし先生は顔を崩さない。いつもの笑顔は保ったままだった。
「無視か?おい!聞いてんだろ!」
それでも先生は無視し続ける。
しかしその後、口に出してはいえないような言葉がその男から次々と漏れる。
私の中にフツフツと湧き上がってくる憎悪の念。
「私の大事な時間を汚さないでよ!」
そういいたかった。
だけれども先に動いたのは、私ではなく先生だった。
「お前、僕のことはどう言ってもいいが、僕の生徒には汚い言葉を投げかけるな」
「お前ら教師と生徒か!?こりゃ問題だな!ム所行きだ!」
男はわけの分からないことを言いだす。さっきから思っていたが、目もなんだかおかしい。
生きている人の目をしていない。その目に怖くなり、私は先生の袖をきゅっと掴む、
しかし先生は
「離れていなさい」
と言って突き放された。
私から離れたところで先生と男の口論は激化していた。
電車が2本ほど通過したが、それでもやめる気配は無い。
すると
「3番線に東京行きの電車が参ります。危ないですので白線の内側にさがって・・・」
とアナウンスが入った。
そのとき先生は「もうお話にならない」と言った感じで、男を突き放して私のほうへ歩いてきた。私も
「あーこれでやっと帰れるんだ」
と思っていた・・・。
しかし次の瞬間、突き放された男が先生に向かって走りよる。
嫌な予感がした。
背筋に悪寒が走る。
私は先生に叫ぼうとした。
「先生!危ない!後ろ!」
っと。
だがその思いが言葉になるよりも先に、男が先生にピッタリついた。
かと思うと次の瞬間、男は先生を思いっきり線路に向かって突き飛ばしたのだ。
ホームから下に落ちて見えなくなる先生。
私は
「先生!」
と叫び、落ちた場所に駆け寄ろうとしたが、
背後から来る大きな物に、嫌ながらも気づいてしまった。
その大きなものの目は真っ白に輝き、徐々に先生に迫る。
すると先生に気づいたのか、それに乗っていた人間はハンドルを大きくひいた。
先生に襲い掛かったものが「ききーーーー!」っと奇声をあげてスピードを落とす。
しかし
次の瞬間
なんとも形容し難い、鈍い音がホームと私の胸に響き渡った。
それからのホームは大変だった。
ホームでは電車を待っていた人たちが叫ぶわ、駅員が急に駆け寄ってくるわで大惨事。
でも私の頭は空っぽで、何も聞こえなかった。
無音 無音 無音
ホームの喧騒も、先生が突き飛ばされた男が捕まり奇声を上げているのも、
すべてが聞こえない無音の世界。
そんな世界がグルグル回る。グルグルグルグルグルグル・・・。
時折先生の笑顔が浮かぶ。
一転の曇りも無い吸い込まれそうな瞳。
しかし突如としてその瞳が、ガラスのようにバラバラに砕け散る。
引き戻される私の意識。
戻りたくは無い現実に無理やり引き戻される。
1ヵ月後
先生を突き落とした男は、やはりどこかおかしかったようだ。
後日警察から『麻薬使用の疑い』と教えられた。
でもそんなことは教えてくれなくていいと思った。
先生と一緒に登校した楽しみ。
先生と一緒に授業したあの教室。
先生と一緒に帰ったあの帰り道。
そして先生を返して欲しかった。
他には何ものぞまない。それだけ帰ってくれば、犯罪を犯した人だって許せる・・・。
だから先生を返してよ!先生を返して!先生を返してよぉぉぉぉぉ!
一人で登校する道は何もかもが入学から少したった時と同じものだった。
ただ違うことは、
隣に先生がいないこと、桜が葉桜に変わっていたこと。
葉桜はまた1年経てば綺麗な花を咲かし、新入生や通りすがる人たちを喜ばすことだろう。
しかし先生は1年たっても2年たっても10年たっても帰ってこない。
先生はもう花を咲かすことの無い永遠の葉桜。
そんなことを思っていると、どうしようもない気持ちになる。
私は中学3年間、ずっと引きずって生きてきた。
だから高校は、このことを誰も知らない遠くの桜花学園を選んだ。
遠くに行けば、知らない人ばかりの学校にいけば、嫌な思いから逃げられると思ったから。
でもそれは間違いだった。
こうして、今でも先生の事を思い出してしまう。
でも最近分かったのだ。『忘れたい』ではなく『忘れてはいけない』のだと。
私が初めて恋した人。
そんな人を忘れてしまったら、私の胸は乏しいじゃないか。
この学校に来て新しい友達も出来た。
頭を切り替えられるほどのバカで気さくな親友も出来た。
この学校に来て毎日楽しいことがあったから、切り替えることが出来たのかもしれない。
ですから、夏休みにでも明るい顔で先生の所にお伺いいたします。
伺う時は、私のバカな大親友も一緒に連れて行きたいと思います。
そして親友だからこのことを、知って欲しいと思います。
私が恋した人のことを。
迷惑ですか?でも私は絶対連れて行きますよ?
だってそれだけ先生といた時間がいとおしかったから自慢してやります♪
アイツがうらやむほどにですよ?
では先生、夏休みまでもう少し待ってくださいね。
今日はバカな親友と、先生の大好きなミルフィーユを食べてきますからね。
「でもやっぱり、先生のいない桜の季節は淋しかったです・・・。」