フォッカーDr.I

    Fokker Dr.I



     オランダ人のアントニー・フォッカーの設計になる三葉機。ただし、オリジナルと云うよりはソッピース・トライプレーンへ対抗するために急遽制作されたもので、エンジンは鹵獲したル・ローン9型のコピー。性能も本家を上回ることはなかったようだ。ファルツやアルバトロス社でも三葉機を準備したが、制式化されたのはこのDr.Iだけである。
     リヒトホーフェンの愛機としてもはや伝説となったフォッカー三葉機だが、当時としても小型の上に、三葉機の常で高重心のためバランスがとりにくく、扱いは難しかった。その反面、ドイツ飛行機監査部がトライプレーンの高性能に驚きこれを模倣しただけはあって、上昇、機動性能の非常に優れた格闘戦向きの機体に仕上がっている。いわば、通好みの機体と云えるだろう。同盟側で好んでこの機体を使ったパイロットはかのリヒトホーフェンのほか、フォスやヤーコプスが有名だが、それほど多くはないようだ。後世写真で多く目にするのは、当時既に偉大なエースだった連中の乗機であったからである。
     アントニー・フォッカーは戦後オランダに戻ってフォッカー社を再興し、いまでも旅客機などを生産している。

    ○フォッカー飛行機製造会社Fokker Flugzeug Werke GmbH製、1917.4〜1917.12
    ●110馬力オベルウルセルUR.II回転式空冷エンジン1基、最高速度165km/h、上昇限度6100m、乗員1名、LMG08/15シュパンダウ7.92mm機銃2挺。

     モデルはヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリングHermann Wilhelm Goeringの1917年夏頃、Jasta27指揮官時代の機体である。フォッカー三葉機と云えば誰でもリヒトホーフェンの真紅のものを思い起こすだろうが、それじゃあつまんないのでここは敢えてゲーリングを選ぶ。彼の乗機そのものについてはラインハルト(マンフレートの後任)亡き後のJG1司令時代の真っ白なフォッカーD.VIIが有名だが、この頃はJasta27の慣例通り基本は黒塗りで、個人マーキングとして白を使っている。彼は白色が好みで、第3帝国時代でもその巨体に白のコートを羽織っていた。
     写真を見る限り、ヘルマンは当時から女好きのする顔立ちのきりっとした伊達男だ。画家崩れの元伍長と運命をともにした後半生が彼の評価を一気に、かつ永久に貶めてしまったが、戦闘機乗りとして、それ以上に指揮官として優れた人物であった(不幸にして航空相としては劣悪だった。戦略眼にまるきり欠けていたわけだ)。ただし戦果の多くが単独哨戒中に発生しており、地上確認すら受けていないものが散見されるため、記録の真偽を疑う史家がいないわけではない。20機撃墜の戦果により軍事功績勲章Pour le Meriteを受章、2次大戦でも騎士十字章Ritterkreutzを受けた数少ない(ロンメル他合計14名)ダブルタイトル保持者である。

    ○休戦時階級中尉(最終階級は第三帝国国家元帥)。公認戦果22機。1946年10月15日ニュルンベルク軍事裁判判決後に自決。


     そちこちでぼろくそに云われているイギリスはエアフィクスのキット。由緒正しいメーカーだけあって、年期が入ってるとは云え、しろーとが見る限り悪いものではない。お気楽に作ろう、がモットーのわたくしとしては、わざわざメタルパーツやらなんやらを探して買ってくるのも厭だから、手許にある素材でできるだけのことをする。これがまた、お気楽を蹴飛ばすような作業に陥る罠ではあるのだが。
     ついてきたデカールがリヒトホーフェン指定なので、パーツが最初から赤い。どうもグレーやサンドイエローでないパーツってのが安物ぽく見えてしまうのは、選民思想なのか。ゲーリング機にするつもりなので下地が赤いのは問題だ。やみくもにバフで下塗りしてしまう。湯口が派手に出ているのも無視するつもりだったけれど、色を塗ったらものすごく気になったのでパテで埋める。さらにコクピットも人形をのっけるつもりを、気が変わったので座席とインパネを工作する(インパネってものは、Dr.I、ほんとはないんだけどね)。ただの丸太ん棒な機銃はそのまま使って、弾薬ベルトをなぐさみに加工してみる。やはりちいともお気楽になってない。
     キットのプロペラがガルーダぽくないのだが、目をつぶる。それよりも長さが違うほうが気になる。なんとか頑張ってみたがどうにもならなくなったので、ローデンのキット(フォッカーD.VII)から余りのプロペラを拝借する。張線はかなり少ないのだが、ステップやら手掛けやら余計な小物を工作しなければならん。ならんのだが、結局ステップしか作らなかった。なんていい加減。それでもカウリングと側壁にはちゃんと吸排気用の穴を開けておく。
     本機の国籍表示は1918年3月の通達により従来のアイゼルネスクロイツからバルカンクロイツへ変更されているので、ペガサスのデカールセットから見繕ってくる(キットつきのは最前の通りリヒトホーフェン指定だから役に立たない)。
     アルバトロスやF2bと並べてみると、やけに小さいのが判る。もともと小ぶり(翼幅7m強。アルバトロスD.IIIは9m)の機体とはいえ、若干アンダースケール気味のようだ。


    下塗りの状態。この時点では人形を乗せる気でいたので、これも下塗りしている。

    上)キットのプロペラ(右)とローデンのプロペラ(左)。同じ射出成形なのにこんなにも違う。
    下)張線より泣けてくるのが操縦索。ちゃんと穴を空けてから通す方がよい。


    フォッカーDr.Iが一番映えるのはこのアングルかもしれない。
INDEXへ戻る 写真はすべてExa I + Makro Kilar E 3,5/40による

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