ハンザ・ブランデンブルク D.I

    Hanza Brandenburg D.I



     本機はブランデンブルク社のエルンスト・ハインケル技師(のちにハインケル社を興す)が最初に設計した単座戦闘機KD(Kampf-Doppeldecker)を、オーストリア軍が導入したものである。その特徴的な翼間支柱から「くも」だの「スターストラッター」だのと呼称される。張線を一切使わない独特の支柱のほか、くさび形の機尾や風車で弾薬を給送補助するガンポッドなど、多くの注目すべきアイデアが盛り込まれているが、とりわけこのガンポッドは飛行中に故障すると修理がきかないという点でニューポールより始末が悪く、どちらかというと不評ではあった。ストイスアフリェフィク大尉(10機)などはガンポッドを取り払い、フォスター式によく似た銃架に2挺のシュワルツローゼ機銃を搭載している。この武装の欠点を除けばおおむね高性能な飛行機で、アルバトロスD.IIIのライセンス生産が始まるまで、その俊足を活かして二重帝国航空隊の主力戦闘機として活躍した。
     ドイツ本国ではブランデンブルク社が製造し、一部は水上機KDWとして採用されたが、オーストリア=ハンガリー帝国向けには元アルバトロス・オーストリア支社のフェニックス社と、UFAGが製造を担当した。合計95機が製作されたものと思われる。

    ○フェニックス飛行機製造会社およびハンガリー飛行機工場Phoenix Flugzeug Werke AG und Ungarische Flugzeugfabrik AG製、1916.5〜1917.4
    ●180馬力オーストロ・ダイムラー列型エンジン1基、最高速度187km/h、実用限界高度5000m、乗員1名、MG07/12 8mmシュワルツローゼ機銃1挺

     モデルはカッサーラ・カローリ代理士官OfStv. Kaszala KarolyのFlik41J在籍時の乗機。カッサーラは開戦直後、陸軍から航空隊に転科したが、最初に配属されたFlik14の装備機がひどい操縦性で搭乗を拒否。本来なら営倉入りのところをどうしたことかFlik1に配転されて、複座機のパイロットとしてロシア戦線に戦った。1917年2月には新たに創設されたFlik41Jへ移籍、これは二重帝国トップエースのブルモウスキーが率いる最初の戦闘機部隊だった。同年5月20日、イソンゾ方面において彼は、本機でスパッド複座機を撃墜し、戦果を5機に伸ばしてエースの仲間入りを果たす。「白いズボン」のカッサーラは、オーストリア=ハンガリー軍下士官ではただ一人、ドイツ2級鉄十字章を受章したパイロットであり、東部と西部(イタリア戦線)の両戦線で戦った唯一のエースでもある。
     戦後はハンガリーに帰属して、侵入を繰り返す周辺諸国との戦いに身を投じたあと民間に下り、ハンガリー航空クラブの創設などに参画している。天性のパイロットだった彼も、1932年、デモンストレーション飛行中に墜落。同乗していた夫人ともに死亡した。
     なお、カッサーラはハンガリー人であるため名前を姓・名の順に表記するが、大概の文献では西洋風にカール・カッサーラKarl Kaszalaと記されることが多い。第8位のエース、ステファン・フェイエスStefan Fejesもハンガリー人で、正しく表記すればフェイエス・イシュトヴァンFejes Istvanとなる。

    ●休戦時階級代理士官。公認戦果8機。1932年事故死。


     これはイースタン・エクスプレスのキット。このメーカー、樹脂がかなりもろく、今回も支柱を1本折ってしまったので難儀する。
     まずはお決まりのコクピット内装から組み立て。操縦桿、インパネ、座席のみで、床板はない。木目を再現しようとして失敗。どうせよく見えないからいいやとばかりにほうってしまう。胴体が反っているのでいったん暖めて曲げてから接着する。一昼夜固定し、隙間をパテで埋めて整形。仕上げはニス塗りの濃いオレンジ調とするため、バフで下塗りののちクリアオレンジの重ね塗り。根気がある人は木目を描くもよろし。その後下翼と尾翼を取り付ける。尾翼の支柱はキットに含まれていないため、0.5ミリ黄銅線で自作する。エンジン周りはいくつかバリエーションがあり、カッサーラの乗機では剥き出しになっている。とりあえず怪しげなキットのパーツをまんま組む。胴体側を少し削ってやらないと収まりが悪い。ラジエータパイプもキット付きのパーツが細すぎるので0.5ミリ黄銅線で自作。
     特徴的なくも足支柱はキットの固定位置がまるで役に立たないので、今回次の手順で主翼の組み上げを行った。まず機首側の胴体支柱を組み付ける。操縦席側の支柱はキットにないので、図版類を参考に0.5ミリ黄銅線で自作する。次にさっさと主翼を取り付けてしまう。瞬間接着剤が固まったら、ばらばらになった支柱のうち長い方から左右とも取り付け、最後に残りのパーツを組み付ける。とにかくダボもくそもない状態なので、確実に固定していってやらなあかん。こののち主翼を持つさいも、普通の複葉機と違って翼端側にあまり負荷がかけられないので、常に中央部を押さえるようにしたほうがいいだろう。ところで今回はかなりひん曲がってしまったが、もはや修正する気力もない。
     ここまで済めば、このキットはほぼ終わったも同然。主脚周りを組み付け、ガンポッド、尾橇などの小物を取り付ける。ラダー操縦索はおなじみの0.3ミリピアノ線。主翼の塗色は図版によって違うので、作例ではクリームイエローっぽくしてみた。ちょうどいい色がなかったのでグンゼの塗料で混色。2度目の信念枉げ。デカールはブルモウスキーのものが付属しているが、木目や迷彩パターンはまるで使い物にならず、アイゼルネスクロイツだけ利用する。陰陽のパーソナルマークはクリアデカールに手描き。プロペラはフラットブラウンのベタ塗り。余力があればガンポッドに風車を自作してもいいが、1/72でこれをやるのはちょっとつらいかもしらん。
     参考資料としては恒例のオスプレイ「Austro-Hungarian Aces of WW1」と、フライングマシン社から再販されているオコーナー氏の大著「Air Aces of the Austro-Hungarian Empire 1914-1918」を利用した。こと二重帝国に関しては後者があればこと足りる。


    主翼胴体支柱の自作。右は尾翼の支柱を接着したところ。

    右舷後方から。ガイドがないため、このクモ足支柱に難儀する。

    1次大戦中の実用複葉機の中では随一の奇妙な機体だ。
INDEXへ戻る 写真はすべてContarex super + Distagon 4/35による

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