ヤコブレフ−3
    Yak-3


     赤軍戦闘機の傑作。Yak-1よりも高性能で、Yak-9よりも取り回しやすいため、搭乗員の評判は良かった。特に低高度での運動性に優れ、1943年のクルスク会戦前後から戦線に順次投入されて、ドイツをソ連から駆逐するのに寄与する。戦後まで生産されたが、数としては9型よりずっと少ない。

    ○ヤコブレフ試作設計局Yakovlev OKB製、1943〜1946
    ●1300馬力クリモフVK105PF2液冷エンジン1基、乗員1名、最高速度600km/h、ShVAK20mm機関砲1門、ShVAS12.7mm機銃2挺

     モデルは第1戦闘飛行軍団第303戦闘飛行師団隷下ノルマンディ連隊(1944年8月末からはノルマンディ・ニエマン連隊GC Normandie Niemen)の1944年夏頃の所属機体。パイロットは不明。フランス外人部隊として名高いノルマンディ連隊は1942年末コーカサス方面より盟邦の空へ飛び立って以来、終戦まで東部戦線において赤軍と行動をともにした。その機体の特色はスピンナーのトリコロールと、垂直尾翼のロレーヌ十字である。
     ソ連による受勲者を4名(ソ連英雄金星章GSSを受けたものもいる)輩出しながら、同時に初代指揮官テュラーヌ少佐を始め搭乗員損失率5割方に上ったノルマンディ・ニエマン連隊は、ドイツ降伏後、拝領した愛機Yak-3ともどもパリに凱旋帰国する。シャンゼリゼ通りをフライ・パスしてル・ブールジェ飛行場(リンドバークもここに降りた)に到着した6月21日、ソビエトとフランスの、最良の瞬間であった。
     それにしても44年夏の大攻勢におけるニーメン河渡河作戦の勲功で「ニエマン」名を与えられたノルマンディ部隊、彼らの先祖が130年前の同じ頃、この河を反対の方向(東)へ渡ったために栄光から没落へ転げ落ちたことを、与える側も与えられる側も知っていてのことだったろうか。


     今度こそ息抜きを、と思って買ってきたYak-3、やっぱりエアフィクスのキットらしくいろいろとやわい。バリ取りとすり合わせでいらん時間をくってしまう。胴体は継ぎ目の段差を均してから隙間をパテで埋め、整形。主翼をくっつける前にコクピット回りを仕上げなければならんのだが、説明書の塗装指定が番号だけなのでやけくその雰囲気で勝手な色をつける。なにしろ資料としてはオスプレイ/大日本絵画の「ソ連の戦闘機エース」しかない状況で、やけくそにならんほうがおかしい。ってゆうか最初からその程度で作り始めるなって気もするが、それをいっちゃおしめえなのだ。ヘッドレストや照準器等一部の部材が足りないので、プラ板とパテでそれっぽくでっちあげる。どうせキャノピーのなかだ。すりあわせが足りなくて胴体と主翼の間に隙間ができてしまったが、めんどくさいのでほうっておく。ちゃんとしたモデラー諸君はこんな手抜きはやっちゃいかん。
     足回りは指定通りだとまるで寸法が合わないので、写真を参考にこれも雰囲気ででっち上げに入る。ここまではいくつかパーツ塗装しておかないとならないので、結局息抜きにはほど遠かった。
     ボディの塗装はふつーの迷彩なので面白味に欠ける。これが複葉機だとぜんぜん気にならないんだから不思議なものだ。吹き付けではないからむらを均すのに手間がかかったが、最後はやっぱり諦める。お気楽さが一番よく表れている部分だ。塗装で面白味があるのは垂直尾翼とスピナーだけ。そのロレーヌ十字は手描き。ちょっと大きすぎたかも。これと尾翼のトリコロールは描いていない機体も多い。デカールはキットがザハロフ少将指定のみなので、ステンシルと赤星だけ使用し、参考写真通りの機番は市販のデカールセットから流用する。手持ちの資料写真にはアンテナがなかったので、そのまま。最後に墨でウエザリングを施す。
     できあがってみると、やっぱり「航空機」なんだなあ、と思う。ええ、かなりへたくそなのはわかっておるわいな。


    コクピット周りの加工。雰囲気オンリーだ。

    下面の塗装は簡単な置き台を作ってやると楽にできる。

    尾翼のディテール。マスクすれば綺麗な直線が描けるだろうが・・・
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