メッサーシュミットBf109
    Messerschmitt Bf109-F4/Trop.


     イタリアが勝手に始めた戦争のために、急遽改装を余儀なくされた熱帯仕様のBf109-F4。液冷エンジンだから見た目には主にエアフィルターを加えたくらいの違いしかない。F型はE型の機首形状を流線型に改め、翼端を伸張(零戦32型から22型へのように)、ラジエータと兼用のフラップを採用するなど、最高速度、格闘性能を向上させたもので、その代償として両翼の20ミリ機銃を撤去したためにパイロットたちから不平を買ったこともある。そのかわりエミールでは見送られたプロペラと同軸の20ミリ機銃を搭載、つまりF型は機首軸からのみ銃撃することになるため、エースたちが得意とした精密射撃にはお誂え向きだったというものの、それは反面、未熟なパイロットの勝率を、ひいては生存率をも減らしたことになる。F型(フリードリヒ)は各型の中で一番機動性が高く、のちのG型よりも好んだパイロットは多い。英国本土決戦には事実上間に合わなかった機体であるものの、英王立空軍は地中海戦域でフリードリヒに一転苦戦を強いられることとなる。これには天敵スピットファイアの最新型が主に英本土に留め置かれて、旧型やハリケーン戦闘機、それに米国製戦闘機が「第2戦線」に送られたためでもあった。

    ○メッサーシュミット社Messerschmitt A-G製、1940〜1943
    ●1350馬力ダイムラー・ベンツDB601E液冷エンジン1基、最高速度626km、上昇限度11600m、乗員1名、MG151/20 20mm機銃1挺、MG17 7,92mm機銃2挺

     モデルはハンス・ヨアヒム・マルセイユ少尉Lt. Hans Joachim Marseilleの1942年初春、通算50勝目を上げた頃の乗機(3./JG27)、通称「黄の14」。飛行学校の問題児、部隊のはみだしっ子マルセイユの初陣は1940年8月、かの英国上空の戦いに参加して初白星を挙げるが、しばらくは凡庸なパイロットのままで、戦歴2年半のうち最初の1年は撃墜7機、被撃墜も6回という有り様だった。彼の才能はアフリカ戦線に来て開花した。ギュンター・ラルと並ぶ世界最高水準の射撃技術(いわゆる見越し射撃)で、6分間に6機撃墜、あるいは1日17機撃墜('42.9.1)という記録すら樹ち立て、ロンメル元帥をはじめとする前線将兵はもちろんのこと、銃後の女性にも大人気だった(これはありがちだけれども長髪の美男子だったからだ)。戦果158(うち戦闘機154)は西側相手のスコアとしては最高位を誇るが、彼らのアイドルのために部隊員がこぞってマルセイユの支援に回っていたことも記憶されるべきだろう。
     21時57分のベオグラード放送(これが何を意味するかすぐに判る人は相当のマニアだ)をヨッヘンが聞いていたかどうかは判らない。聞いていたとしても、燃え尽きようとする恒星のごとく急激な戦果の増大に輝いていた彼に、どれだけの感傷をもたらしただろう。前触れとしていくたりかのエクスペルテンを喪っていたI./JG27は、第1次エル・アラメイン会戦後、「アフリカの星」が墜ちてまもなく、あまりの士気の低下ぶりにシチリアへと撤収させられた。
     彼が不運な死を遂げなければ(パラシュート脱出時に尾翼に激突死)間違いなくハルトマンを抜いて世界一のエースとなったであろうが、それはセナが生きていればシューマッハも色褪せただろうと云うに等しく、無意味な空想だろう。たとえ運に左右されようとも、生き延びるということはそれ自体、一つの技量なのである。

    ●最終階級大尉。公認戦果158機。1942年9月30日戦死。


     意外とF型のメッサーシュミットは流通に乗っていない。乗ってるのかもしれないが、人気が高いのか棚に見かけない。1/48は見かけるのだが、そんなでかいもん飾っとくスペースはないから1/72で揃えているのだ。Yak-1探しついでに同じロシアのAモデルから出ているのを発見したので、今回はこれでいく。ロシアのプラモデルはすでにローデンとイースタンエクスプレスで精密なものだと認識していたが、今度はあてが外れた。いわゆる外国製モデルとさっぱり変わらない、つうか、水準以下のキットだったのだ。おまけに樹脂は柔らかく、うかつにカッターもあてられない。かくて苦しみは続く。
     コクピット周りは先のエアフィクスのYak-3並みに簡素だったので、頭部防弾板と照準器を追加する。機体の左右が合わないのはいつも通りなので、ヤスリとパテを駆使してみる。もちろん根性がないので中途半端に終わる。主翼の付け根の処理もやってない。航空機なので組立そのものに面倒なことはほとんどない。相変わらず主脚がいいかげんなので調整を必要とするくらいだ。プロペラはもちろん可動式のを固定にしてしまい、別に塗装を済ませて組んでおく。
     一番の問題は塗装で、エアブラシを使わないわたくしはいつも捌け塗りのムラに苦労する。苦労するくらいならエアを使えばいいのだが、意地でも使いたくないので、無駄な苦労をしょい込むわけだ。また、ドイツ機のトロピカル迷彩では下面はRLM78ライトブルーなのだが、これは普通に売っているライトブルー塗色より彩度が高い。見繕ってる暇はなかったので、RLM76でやっつけてしまう。ちなみにRLM78はグンゼから出ているので、慎重派はそちらを使ったがいいだろう。
     ラダーのスコアマークは最初さらのデカールに引いてから貼るつもりだったが、途中で飽きて直接書き込む。米に字を書くほど器用ではないので、かなりひん曲がってしまったが、まあ、いいだろう。デカールはキットのものを指定通り使うが、実機では塗り潰されているものもあるので、資料を元に省略する。機番の「黄の14」はあとからRLM21で塗り直した。RLM21(オレンジイエロー)はグンゼから出ているのが薄かったので、タミヤカラーで混色した。このとき初めて信念を枉げたわけだ。
     最後にアンテナ線を0.2ミリ白金線で張る。墨入れをしていないが、これは気力がなかったため。いずれ墨入れと排気汚れを入れたいとは思っている。


    コクピット周りの工作。照準器はよく見えないだろうと思って透明板の折り曲げのみ。シートベルトやフットペダルはパス。

    ほら、どうせよく見えないでしょ。機番デカールは処置前なので反射している。

    ラダーのスコアマーキングはかなりいい加減だが、48本も引いてられねえっつうの。
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