メッサーシュミットBf109
    Messerschmitt Bf109-E4


     ドイツを代表する戦闘機メッサーシュミット最初の大量量産機でもあるE(エミール)シリーズは、ポーランド戦を初陣に、2次大戦初期のヨーロッパの空を覆い尽くす。スピットファイアが登場するまでは向かうところ敵なしの有り様で、早くも多くのエースたちが誕生した。ただ、当時ドイツには長距離爆撃機掩護という発想がなかったため、航続距離の短さが災いして英国本土決戦での敗北を招いてしまう。それでもなお、多くのエースたちの活躍が本機の時代遅れぶりを糊塗したために問題は先送りにされて、さらに独ソ戦緒戦の大勝が後継機種の開発遅延という将来の禍根を残す。やがて彼方の同盟国もまた、同じ轍を踏むであろう。目先の改良に気をとられ、あるいは遥か未来を夢想する暇は、じり貧の彼らにはなかったのにも拘わらず。
     ちなみにメッサーシュミット社はもともとBFW(バイエルン航空機製造会社)といい、1938年に主任設計技師ヴィリー・メッサーシュミット博士を社長にいただいて、その商号を変えた。有名なジェット戦闘機262の前置文字がMeなのに109がBfと表記されることが多いのは、空軍省が設計当時の型式を引き継いでいたからである。BFWはご存じBMW(バイエルン自動車製造会社)の航空機版だ。

    ○メッサーシュミット社Messerschmidt A-G製、1940.5〜1941
    ●1100馬力ダイムラー・ベンツDB601A液冷エンジン1基、最高速度580km/h、実用限界高度10300m、乗員1名、MG-FF 20mm機銃2挺、MG17 7,92mm機銃2挺

     モデルは1940年8月、ヴォルフ・ディートリヒ・ヴィルケ大尉Hptm. Wolf Dietrich WilckeのIII./JG.53隊長当時の乗機(推定)。名門第53戦闘航空団は、戦争中一貫して配下の機体に掲げられた「ピーク・アス(スペードのエース)」の標章で知られるが、一時期これを外した(厳密には隠された)ことがある。空軍相ゲーリングの命により赤帯で隠すよう指示されたのがちょうどこの頃で、JG.53司令フォン・クラモン=タウバーデル少佐が非アーリア人種と結婚したことへの嫌がらせであった。ポーランド戦からのJG.53パイロット、ヴィルケ大尉はこの政治的な命令に対して、ハロ・ハーダー戦死後の8月13日から率いることとなった第三飛行隊所属機の、垂直尾翼のハーケンクロイツを塗り潰すことでこれに抵抗した。このほとんど意味のない対立は同年冬までにはきれいさっぱり忘れ去られ、おなじみのピーク・アスの標章が復活するのは周知の通りだ。
     その物腰から「王子Fuerst」の異名をとったヴィルケは、戦前から戦闘機乗りであったものの、英本土決戦で漸くエースの仲間入りを果たす。続く地中海方面と東部戦線、就中スターリングラードを巡る作戦で活躍、最終的には第3戦闘航空団(通称ウーデット)司令にまで登りつめ、剣付柏葉騎士鉄十字章(RK/EL/S)を受章している。1943年に入ると本土防空のためJG3本部中隊はドイツ国内に移動、ここでマルセイユに続き4番目に150機のスコアを達成したが、P-51との格闘戦のさなかついに自らも撃墜されてしまう。司令自ら操縦桿を握らなければならないほど、人員面でもルフトヴァッフェはすでに追いつめられていたのである。

    ●最終階級大佐。公認戦果162機。1944年3月23日戦死。


     キットはエアフィクス。ガーラントの乗機を作るのにパーソナルマーキングを自作するのがめんどくさいので、デカールを流用するつもりで入手したもの(このデカール、黄色の版がずれててほとんど役に立たない)。古い時期(内側に1957年と刻印してあった)のもので、リベットがひどく誇張されてモールドされている上に、ぜんぶ凸彫りだからヤスリ掛けで簡単にのっぺらぼうになる。ここで気合いの入ったモデラーはぜんぶなめしたあとスジ彫りをするのだが、それは趣味じゃないので削れちまったとこはしょーがねえやとそのまんまでいく。いさぎいいでしょ。よくないってか。
     ところでエアフィクスはヨーロッパのメーカー(英)のせいか、取説やパッケージはおろか、デカール自体にもハーケンクロイツがない。よってこのキットはどうあがいても1940年のIII./JG.53所属機にならざるを得ない(うそ)。最初そのまんま重ね塗りで消したように見せかけたが、しっくり来ないのでさらのデカールにいいかげんに描いたものを貼り、改めて塗りつぶす。なんて面倒なことをしているんだろうと思う。まあ、気に入らなきゃあとでひっぱがしゃいいわけだし。
     コクピット周りは例によって照準器なんかついていないし、防弾板もいい加減なものだが、ぜんぶそのまんまでいく。だいぶイージーゴーイングが身についてきた。風防パーツと機体との隙間が多かったのでパテで埋める。ほかは対して追加作業もなく、エアダクトの形状が悪かったので一旦パテで埋めてから削りなおしたくらい。
     塗装に関してはほとんど推定。境界線はぼやけているのが正しいはずだが、そこはイージーに考える。なんたって筆塗りだ。まだスポンジ(脱脂綿)のテクニックは身に付いてない。つうかいつつけるつもりなのか、小一時間ほど問いつめられそうな気もする。デカールはリベットがうるさいために付きが悪かったので、マーキングの類は全部手描きである。よって細かい表示は省いてある。アンテナは0.2ミリ白金線。この白金線、巻いてあるのしか入手できなかったので、毎回伸ばすのに苦労する。やっぱテグスか釣り糸を使うのがセオリーなんだろうな。金具(絶縁子?)をパテで表現してみたのですがいかがですか。わかんねえってかはいすいません。


    この時代のはやりである、リベットの誇張表現がうるさい。

    初めてデカールを使わず手描きしてみる。赤十字はわれながら巧く描けたと思うがどうか。どうでもいいか。

    機体下面。カバーといい主脚収納部といい、どのキットもてんでモールドが違うのはどうゆうことか。
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