メッサーシュミットBf109
    Messerschmitt Bf109-E3


     スペイン内戦で一躍勇名を馳せたヴィリー・メッサーシュミット博士の単座戦闘機は、当初ユンカース・ユモエンジンを搭載していたが、ダイムラー・ベンツエンジンに換装したD型から速度が向上、いよいよその優勢を誇った。出力をそれまでの960馬力(DB601Aa)から1100(DB601A)に上げたエミールは、西部の戦いに向けてドイツ空軍が最初に大量発注したシリーズになる。空力上キャノピー上面は最初滑らかに仕上げられていたが、視界が歪められることと、なにより大量生産に向かないため、次の4型からはボックス型に変更されている。また、プロペラ同軸発射の20ミリ機銃1挺が動作不良のため4型から撤去され、代わりに翼内機銃の2挺がMG-FFに換装された。

    ○メッサーシュミット社Messerschmidt A-G製、1939〜1940
    ●1100馬力ダイムラー・ベンツDB601A液冷エンジン1基、乗員1名、最高速度580km/h、実用限界高度10300m、MG-FF 20mm機銃1挺、MG17 7,92mm機銃4挺

     モデルはフリッツ・ロージヒカイトFritz Losigkeitの1940年フランス戦役直前の乗機。1941年5月、ロージヒカイトは東京駐在武官として来日、半年を過ごしたあと太平洋戦争勃発前に帰国した。在日中Bf109-Eで陸軍試作戦闘機キ-44(鍾馗)との模擬戦闘を体験している(41年6月)。本国に戻ってからはまず西部戦線でフォッケウルフを使い本土防衛戦に従事、43年夏からは東部戦線で第51戦闘航空団の隷下に入り、のち同航空団司令を務めた。かつてはコンドル軍団でスペイン内戦を戦い、爾来あらゆる方面であらゆる敵機と戦ってきた彼も、ドイツ本土から切り離されてしまったクールラント防衛戦のさなか(45年3月)に最後の転任命令を受け、第77戦闘航空団司令として終戦を迎えた。

    ●公認戦果68機。


     キットはアカデミーACADEMYのE3/4コンパチもの。安売りしているのを見てつい買ってしまった。買ってしまった以上は作る。作る以上はすでに作った機体を作るのも厭なので、ってゆうか「作る」多すぎだよこの一文、ええと厭なのでE3型にしてみる。風防が違うだけなんだけどね。
     安いのは値段だけで、良くできたキットだからあまり手を加える必要はない。もともと手を加えるつもりもない。なんと云っても航空機作るのは複葉機にめげたときの息抜きだからだ。コクピット内部はフットペダルもシートベルトもあるので塗装だけで問題なし。お好みで照準器を自作するのもよろしかろう。むろんわたくしは作ってない。キャノピーをオープン状態にできるので、その場合はある程度作り込んだ方が見栄えはする。機体の組上げで苦労するところはひとつもない。惜しむらくは3つに分割された風防がそのままだと収まらないので、少し削ってやる必要がある。それとE3(の風防)の丸っこさがあんまり表現できていないのも、気にかかるといやあ気にかかる。
     相変わらず主脚周りのディテールがキットによって違うのだが、もう慣れた。そのまんまいく。カバーがいっつも寸詰まりなのはどうにかしてほしい。今回主脚取付後に斜めってるのが発覚した。これはキットのせいではなく、固着前にちゃんと確認しなかったため。よってライターの火で一瞬あぶって捻るという荒技を使い、補正した。
     塗装は西部戦線初期のRLM71/02/65迷彩。71(ダークグリーン)と02(グリーングレイ)はタミヤエナメルカラーで、65(ライトブルー)はグンゼを使った。グンゼのアクリル塗料は種類が豊富で重宝するが、乾きが早く筆塗りだとむらになりやすいのが難点だ。デカールはひどく版ずれしたものがついてきたので、先のエアフィクス製メッサーシュミットで使わなかったものを流用する。ただし鉤十字はアカデミーにもエアフィクスにも存在しないので、手描き。中隊章、機番も結局手描き。ヴィルケの時とは違い、さらのデカールに書いたものを貼っている。さかなみたいにつるんとしたフォルムのBf109は、航空機のなかでは結構好きだ。


    機体下面。モールドの差異。主脚周りが例によってばらばら。

    機番、航空団章(JG26「シュラーゲター」)、「悪魔の頭」はすべて手描き。

    アンテナ線はまだ張っていないが、0.2ミリ洋白線で張ることになろう。
INDEXへ戻る 写真はすべてExa I + Makro Kilar E 3,5/40による

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