第20話
老いてなお・・・



北グスタベルグの橋復旧の知らせが街中を駆け巡るやいなや、
缶詰にされていた旅商人や冒険者達はいっせいに街の門から流れ出していった。

その勢いで再び橋が落ちる事が危惧され、一時ガードによる通行規制がしかれたほどだ。

アッシュ達はその混雑を見越して、すっかり街から
旅人達がいなくなった昼過ぎ頃、バストゥークを出発した。



その頃、セルビナでは船乗りや猟師達が忙しく各々の船の出港準備に取り組んでいた。

マウラ南方海域に発生していた暴風圏『暗闇の雲』が
東の方へ進路をそらしたため、予定より2週間以上も早く
セルビナ―マウラ間の航行が再開されたためである。



潮風に赤い髪を流しながら、活気を取り戻した港をリコは歩いていた。

時折、なまった体をほぐすようにストレッチをしながら。


「すっかり体が固くなったような・・・気がするわ。」


アッシュ達がバストゥークへ旅立ってから後、
リコが散歩をするのは今日が初めてであった。

昨日まで、あの老医師の厳しい監視の元、
診療所の病室にほぼ軟禁された状態だったのである。


「・・・ったくあのジジイ・・・。」

「ジジイが何か悪い事をしたかの?」


ぎくりとしてリコは素早く振り返った。

そこにいたのは老医師ではなく、大きな両手剣を背中にくくりつけ、
腰の上ほどまである長い白髪を後ろで束ね、
ゆったりした麻のローブを羽織り、
海に向かって釣り糸を垂らしている、異様なエルヴァ-ンの老人であった。


「ジジイを悪く言ってはいかんぞぉ。
このヴァナ・ディールの移ろいを長年見てきた生き字引じゃからのう。」

「・・・はぁ・・・。ところで、その〜、じいさんは冒険者なの?」

「ホッホッホ。」


肯定と取れる笑いだが、どう見てもリコには若き日の幻影を未だ見続ける、
すっかりボケてしまった老人にしか見えなかった。

年齢は80歳は固いだろうか・・・。


「じいさん、そんな両手剣持ち歩いちゃ危ないよ。」

「ホッホッホ。こりゃワシの相棒じゃ。今まで肌身離さず持ち歩いとるわい。」

「はぁ・・・、だいたいそんなのくくりつけてて、腰悪くならないの?」

「ホッホッホ。」


老人はずっとリコの方を見ず、垂らした釣り糸を見つめながら話している。


「おっといかん、そろそろ船が来る頃じゃのう。」


老人が日の傾き具合を見てそう言うと、釣竿をたたみ、
重そうに腰を上げてようやくリコの方を向いた。


「ワシャそろそろ船に乗らねばならんでな。
こんなべっぴんさんと別れるのは少々さびしいがのう・・・。」

「はぁ・・・。」


老人は唇を横に引いてにぃっと笑い、白くて並びのいい
年配らしからぬ健康的な歯を覗かせてみせた。


「じいさん、孫に会いにでも行くのかしら?」

「いや、船には乗るが向こうの大陸に渡るわけではない。
『暗闇の雲』が去った後の海域には、どういうわけか
海のモンスターが活発になってのう。
とりあえず船の警護のためにワシが乗り合わせるわけじゃ。」

「は、はあ!?」


この老人には家族はいないのだろう。

もしいたら、この老人の無謀な行動を力ずくでも止めているはずだ。

そうリコは思った。

彼女は老人のために、その役目を自ら買って出ることにした。


「じいさん、短い命を更に短くしてどうすんのさ!
他の若い冒険者やガードに任せなって!
ほら、じいさんの家どこ?とりあえず家帰って頭冷やしたら?ね?」

「ホッホッホ。」


老人はリコの制止を歯牙にもかけず、腰を曲げながら
乗船所まで歩いていく。


「ちょっとちょっと!」

「なぁに、大丈夫じゃよ。今まで幾多の死線を
この相棒と乗り越えてきたんじゃ。
まだまだ若いモンには負けんわい。」

「若者と張り合って死んだら元も子もないわよ!
いいから黙って残り少ない人生を大事にしなさい!」


リコの説得の仕方もかなり乱暴だったが、
老人の理屈もまさに年寄りの冷や水だ。

2人が全くかみ合わないまま、とうとう乗船所の受付カウンターまで来てしまった。


「あ、ドノフさんですね。結構です。このままお進みください。」


受付嬢は、ドノフと呼んだその老人の乗船券もチェックせずに桟橋に通した。

リコには何がどうなってるのかがよくわからない。

颯爽と桟橋に歩いていく老人を追ってカウンターを通ろうとすると、
受付嬢が呼び止める。


「あ、お客様!乗船券は100ギルです!」

「あのじいさんはタダで入っていったじゃない!」

「ドノフさんは臨時ガードですので。一般の方は乗船券をお買い求めください。」

「はぁ!?臨時ガード!?あのボケ気味のじいさんが!?」

「お客さん、乗らないなら下がってくんな。後ろがつっかえるもんで。」


桟橋警備のガルカも交え、リコは状況が全く飲み込めないまま、
受付嬢達と問答を始めてしまった。

老人は気にも留めていない微笑を浮かべながら、
桟橋から水平線を眺めていた。



結局リコは100ギル払い、ドノフと一緒に船に乗り込んだ。

船がだいぶ沖の方へ来ても、リコはドノフへの不信感を振り払えず、
当のドノフは海に釣り糸を投げてから後、置物のようにじっと動かない。


「あ〜、あんたが凄腕の戦士だとかなんとかあの受付さんは言ってたけど、
私には全然全く頭っから信じられないわ。
ていうかそもそもなんで船の警備なんて役目を
年いったじいさんに頼むの?
セルビナの街の連中はどうなってんの?」

「ホッホッホ。」


質問には一切答えず、ドノフはようやく体を揺らして笑っただけだ。


「ま、これだけ海が穏やかなら、じいさんの出番もなさそうだけど。」

「ホッホッホ。」


天気は快晴、どの方角も海と空の微妙なコントラスト、
船の後ろについてくるのは白い航跡とウミネコの群れだけだ。

海から出てくるとすれば、モンスターではなくイルカかトビウオであろう。


「ところでじいさん、ずっと釣りしてるけど全然釣れないじゃない。」

「ホッホッホ。お前さん、エサのついていない針を食う魚がいると思うかね?」

「はぁ?エサつけてないの?やっぱりボケてんじゃない?」

「ホッホッホ。これでいいんじゃよ。」

「あ〜そ〜。」


このじいさんを相手にしていると自分までボケてしまいそうだ。

リコはとうとう見限って、操舵室の船長に到着時間を尋ねに行った。



リコが操舵室に姿を消して数分後、石像のように動かなかったドノフが
初めて釣竿を前後に揺らし始めた。

長い眉毛の奥から、それまでの彼からは想像できない刃のような眼光が放たれる。


「・・・来たか・・・。」


その言葉と同時に、空をどこからか沸いた黒雲が覆い始め、
荒々しい波が船体を揺さぶり始めた。



「急に何!?」

「いきなり嵐がきやがった!“ヤツ”が出る兆候だ!」

「“ヤツ”!?」


状況の急変に、リコは操舵室を飛び出し、ドノフの元へ駆け寄った。

彼は慌てる様子も見せず、まだ静かに海に向かってあぐらをかいている。


「じいさん!のんびりしてんじゃないよ!とっとと船倉に避難して!」

「お前さん、剣を抜いておけ。“ヤツ”が出る前に
プギルどもが飛び出してくるでな。」

「“ヤツ”って何さ!?」


一際大きな波が船の側面から覆い被さってきた。

慌ててリコは手すりにしがみついて難を逃れる。

ドノフは全く微動だにしない。

その波をまともに食らったはずなのに・・・。

波が船体に砕けた後、波間から巨大な魚の群れが飛び掛ってきた。

プギルだ。


「じいさん逃げなって!」


激しく揺れる甲板に四苦八苦しているのはリコの方だが、
それでもなんとか次々襲いくるプギルを2枚、3枚におろしていった。


「ワシの両手剣は魚をさばくにはちと大きくての。助かったわい。」

「わかったからとっとと船倉に・・・なッ!?」


リコが言い終わる前に、彼女の足にぬめり気のある何かが巻きつき、
海にひきずりこもうとした。

どうにか甲板の縁にしがみついたが、その触手のような物は
ものすごい力でリコを引っ張る。


「ほう、今年のはまたでかいの。
どれ、じいさんは船倉へ避難するかの・・・。」

「ちょ、ちょっとじいさん!これなんとかしてよ!」

「おや?さっきじいさんはとっとと避難しろと言わなかったかの?」

「わかったからわかったから!早くその剣でこれ・・・!」


指が滑ったと思った時には既に、彼女の体は海中へ飛び込んでいた。



触手の先にあるのは、全身イボだらけの黄土色がかった醜い体と
他に7,8本ある触手の群れ。

その付け根でヒルのような口が開いたり閉じたりして、
獲物がそこまでたどり着くのを待ち望んでいるようだ。

船乗り達は畏怖の念を込め、それをシーモンクと呼んでいた。


(気色悪いわね!)


頭の中で吐き捨て、リコは足首に巻きつく触手を剣で払おうとした。

しかし動きを制限される海中では勢いがつかず、
また触手の表面のぬめり気が刃先を滑らせてしまう。

魔法で焼くにしても、詠唱できなければ発動できない。

焦れば焦るほど息は苦しくなっていく。


(まずい・・・。せめて船だけでも無事に行かせないと・・・。)


突然、海中を爆発音が響き渡った。

それと同時にリコとシーモンクの間を白い亀裂が走った。

触手を失ったシーモンクは海底の砂を巻き上げながら暴れ、
リコは手足を懸命に動かして海面へ逃れた。

リコを救ったのは、彼女自身が信頼していなかった老人らしい。



「おーい、大丈夫かの〜?」

「げほっ、ごほっ・・・!い、今のじいさんがやったの!?」

「ホッホッホ。」


ドノフは両手剣を肩に乗せ、またとぼけた笑いをふりまいた。


「笑ってないで浮き輪投げてよ!」

「おお、こりゃうっかりしとった。」


甲板に備え付けの浮き輪にしがみつき、リコは振り返って
シーモンクの様子をうかがった。

と、海上に青いドームが盛り上がったかと思うと、
それを破ってシーモンクが姿を現した。

胴の上についた2つの目は、何の感情も表さないまま真紅に淀んでいた。

再び何本かの触手を船体にからみつかせ、
今度は船ごとひきずりこもうとしているようだ。


「おっと、こりゃいかんな。」

「どうするの!?」


ドノフは甲板から一気に宙へ舞った。

あの激しく揺れる甲板をものともせず、
また重い両手剣を抱えたまま見せた跳躍力、
リコははっきりその老人に驚嘆した。

そしてその形相、稲妻のように刻まれたシワと白刃の如き双眸が
古き雷神・ラムウを思い起こさせる。


「つぅあぁぁぁぁぁッ!」


ドノフの咆哮と共に、雷鳴を伴って白い双璧が猛り狂う海を押しのけて現れる。

その間では、両断されたと言うより胴体の中心線を吹き飛ばされたシーモンクの死骸が、
水の通わない海底へ落ちていく。

やがて双璧が崩れていくと、癒すように裂け目に海水が流れていき、
何事もなかったように平穏な海原の姿を取り戻す。

いつのまにか波も嵐も去っており、日の光が海を青く浮かび上がらせていた。



「凄かったわドノフ。あんたを見くびっていたのを詫びなきゃならないわね。」

「ホッホッホ。初めて名前を呼んでくれたのう。」


マウラに到着したリコ達は、別れの挨拶を交わしているところだった。

リコはUターンしてセルビナに戻るつもりだったが、
ドノフはマウラの猟師に頼まれ、彼らの漁船の警備をする予定だそうだ。


「いつかうちの弟子どもも、あんたみたいな戦士にしたいものね。」

「ほう、その若さで弟子がおるのかの。」

「まあね。」

「ホッホッホ。さすがは“赤い風のリコ”じゃのう。」

「!・・・さては最初から・・・。」

「ホッホッホ。噂は聞いておる。じゃがまだまだ修行が足りんようじゃの。
精進するがええ。」


たしなめられてしまったリコだが、今となってはドノフに一言も反論できないばかりか、
その言葉を素直に認めざるを得ない。

事実、ドノフとの力の差は先程痛感したのだから。

もしかしたら、あのキリークと互角かそれ以上ではないだろうか・・・。


「さて、ワシはそろそろ行くとしよう。」

「あ・・・、またどこかで会えるといいわね。」

「ホッホッホ。その時はお前さんの弟子でも拝見したいのう。」


その時のドノフの背中は、他の老人と同じように小さく見えた。