心の支え・壱
目を閉じて、座学教室をイメージする。
その中に自分を置いてみる。略式平服を着ている。クリップボードを小脇に抱え、教壇の上に凛々しく立ち、背後にはALF(エア・レーザー・フィールド)。個室に備え付けられているようなのじゃなくて、積層表示の可能な、映画館のスクリーンみたいなでっかいやつ。
うん。ここまではいい。
教官なんだから、帽子くらい好きなものをかぶってもいいと思う。中帽はやめ。”BLACK TIP”というロゴの入ったキャップをかぶせて、外から自分を眺めてみる。
よし。
教室内に訓練生を配置する。そっちの方が想像しやすかったので、自分の部隊の面々にご登場願う。ロレンゾ。ジョーイ。ヴィンセント。ニール。クリス。ナラティ。ブラッカム。サノ。コイタバシ。全員男だし、どう見たって訓練生ってガラじゃない。本当はどいつもこいつも、パンツ一丁にひんむいてサハラ砂漠のど真ん中に放り出せば、一ヶ月で3キロ太って帰ってくるような連中だ。でも、今はとりあえず全員が訓練生の役。多分、前の方の席には座らずに、後ろの方にバラバラと座るだろう。ロレンゾやクリスやナラティあたりは真面目だからいいが、ジョーイは紙飛行機のひとつも飛ばすだろうし、ヴィンセントは講義中だろうが何だろうがエロ本を手放さないだろう。ブラッカムが煙草を吸っていないところなんて想像できないし、サノとコイタバシは二人そろって顔の上にテキストをのせて、両足を机の上に投げ出して寝っこけているような気がする。
でも、わたしは怒鳴ったりしない。
わたしは「あの人」みたいな教官になるのだから。訓練生時代、殴る蹴る怒鳴るの三つしか知らない教官たちの中で、あの人だけは違った。あの人が怒鳴ったところなんて見たことない。
今日の講義は〈有重力戦闘操機〉。あらかじめ準備しておいたレーザーディスケットを教卓のシステムに差し込む。手が震えてきた。やばい。しっかりしろと自分を叱咤する。訓練生に悟られないように、深呼吸をひとつ。教官はいつも堂々としていなければならない。こっそりと咳払い、小さな声で発声練習。あ。あ。―――なんとかいける。何度も間違えながらキーを叩き、ディスクの内容をALFにぶちまけて、平静を装って教室を振り返るが、そのときには両ひざにまで震えがくる。
後戻りなんてできない。突っ切るしかない。
「ま」
完全に声が裏返っている。教室に静かな失笑が走る。顔から火が出る思い。何事もなかったかのような表情をつくって、はじめからやり直す。
「―――まず。有重力での、つまり、地球の、有気・有湿・有塵・有微生物の、1G環境下における、違いは、えと、月の埋設コロニーでの戦闘と比べてってことだけど、」
ジョーイが挙手。遠慮も何もない口調で、
「教官、聞こえません。もっと大きな声でお願いします」
それを聞いたニールが、しゃっくりを連発させているような、実に耳障りな声で笑う。腹の底からどす黒いものがわき上がる。初めてなんだからしかたないでしょあんただって教官の経験なんかないくせにじゃ代わりにやって見なさいよ!!―――そんなふうに怒鳴ったりする勇気なんてない。『緊急事態につき自習』のキーを叩いて、今すぐこの場から逃げ出してしまいたいという臆病な心。「あの人」なら、こんなとき―――
「なら、もっと前の席に座るのね」
いいぞ。見事なカウンターブロウだ。
と思っていたのは自分だけだった。ジョーイはそれを聞くなり、荷物をまとめて戦術的移動を開始。教卓の真ん前の席にどっかりと陣取って、こっちをじっと見つめてくる。突如として襲い来るプレッシャーに息がつまり、手に汗が噴き出る。必至に無視しようと努めるが、ジョーイの視線はレーザーより鋭い。
「―――つまり、月の戦闘環境というのは、ある意味、人工的な、こちらが制御可能な部分もあるわけです。でも、地球ではそういうわけにはいかなくて、」
誰かが口に拳をあてて、オナラのような「びーっ」という音を立てた。多分ヴィンセントだが確信はない。教室中に伝染していく底意地の悪いクスクス笑い。
無視しろ。
「ええと、月の方が、発生確率の、トラブルの発生確率の高さは、その、地球のよりも全然低いわけだから、」
もう! これじゃなに言ってんのかわからない!
「つまり、その、地球では各種トラブルの発生確率が高く、細菌感染による回路異常もより多く発生します。―――えっと、流体脊髄素子の発狂暴走事故のいくつかは、このことが原因であるという報告も、」
ブラッカムが挙手。
「教官。訓練生時代に、軌道降下演習でおもらししたって噂はほんとですか?」
無視。
「現在、兵器は複雑化の一途をたどっており、それはひとりの兵士が把握できる限界を越えています。しかし、」
「教官。俺もおもらししていいですか?」
「それでも、訓練時においては、ありとあらゆる意味において、使用する装備について知り尽くすことが重要で、」
「教官みたくパンツの中にするんじゃなくて、トイレでってことですけど」
聞こえよがしなひそひそ声、小馬鹿にするような視線、ばら撒かれるポップコーンに飛び交う紙クズ。教室に背を向け、ALFだけを見つめて、もうやけっぱちの大声で喋り続ける。
「例えばさ、さっき言った回路の細菌汚染、これなんかは、発狂した回路の隔離が必要で、システムの板、e009を切断、主要な三つのアシストプロセスを全部KILLすれば、流体脊髄のオペレートが停止され―――」
その瞬間。教室中が水を打ったように静まり返った。
突然の静寂に、こっちまで言葉を続けることができなくなった。あまりの不安に、振り返らずにはいられない。
教室内の全員が、こっちを見つめていた。無言で、まるで仇でも見るような目で。
ロレンゾが挙手。指名されるのも待たずに起立、
言う。
「教官。同様の細菌感染事故は、流体脊髄を搭載していない、例えば、クレイプなんかでも起こり得る事態ですよね?」
悪寒。質問に答えられない。もういやだ。こんなのは遊びだ。頭の中のシュミレーションだ。もうやめよう―――そう思っても、一度加速のついた想像力はそう簡単には止まらない。
教室から光が失われていく。ロレンゾは続ける。
「あいつは、そのやり方を知らなかった。知らなかったんだ。―――どうして、あらかじめ教えてやらなかったんですか?」
ロレンゾと目を合わせていられない。顔を伏せると、教卓の上に、壊れた懐中時計が置かれているのに気づく。うそ。さっきまでは、そんなものなかったのに。アナクロなデザインの、歪んだ文字盤と曲がった針が、永久に同じ時刻を指し続けている。
七時四十八分。
何が来るのか、悟る。
「そうすりゃ、あいつは死なずにすんだんだ」
そして、教室の光が完全に失せる。壊れた時計が闇に呑まれ、全員の姿が闇に溶け、しかし、教室の一個所だけ、ひとつの机の周囲だけがスポットライトを浴びているように明るい。
ただ、机。
そこに、誰の姿も見えはしない。だって、あのとき、あいつの死体は、わざわざ回収するほどは残らなかったから。でも、あいつはそこにいる。あいつはそこにいて、その机から、じっとアイリを見つめている。
カイン。
突然、背後でけたたましい笑い声。おぉーほほほほほほほほほほほほほ!!
振り返る。振り返ってしまう。
ラスティーナがそこにいた。笑い続け、ゴミでも見るような目で、
「大した教官ですこと! アルマジロとどっちが有能かしら!? まあせいぜいがんばるのね! 私は地球で、陰ながら応援していますわ!」
誰かの手が肩にかかる。指の細い、繊細な、しかしどこか力強い手。
「あの人」だ。
アイリの背後で、「あの人」はこう言った。
ここから先はあなたには無理よ。代わるわ。
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