トーマス・アルヴァ・エジソン(1847−1931)

アメリカの発明家・GE社の創業者。
小学校に入学後、変わり者であったが為に半年も経たないうちに退学。
12歳の時鉄道会社と契約し、世界初の鉄道車内新聞を発行。
15歳の時に線路に落下した子供を救助、その父親が電信技師だったせいもあって
当時最新技術であった電信の技術を教えてもらうのでした。
エジソン22歳の時、株価表示機の特許を取得し、約4万ドルで特許権を売却する。
エジソンはこの後、コピー機、電話機、蓄音機等の発明を続け、実用電球等の
現代の電化生活の基礎とも言える発明・特許取得も数多くしました。
1878年には『Edison Electric Light』社を設立、さらに様々な企業群を設立し
1889年に合併し『Edison General Electric』社となる。この企業は後の
『ゼネラル・エレクトリック』社に発展する。
彼は1892年以降は研究に没頭し、会社経営からは手を引きました。
しかし、1931年に亡くなるまで発明を続けていたそうです。


彼は子供の頃から周囲の人間から比べてハッキリ言ってバカでした。
何故1+1は2になるのか」そんな疑問を彼は抱いていた様です
彼が大人になるとそのバカさはますます磨きがかかってきました。
『バカ』から『機械狂』に、レベルアップしてしまったのです
彼は機械の開発に人生の大半を費やし、ついに電球を開発するのです。
しかし彼は、その過程に失敗作を多く作りました。
彼は「電球はどうしたら上手く行くのか」ということと「何故1+1は2になるのか」
の2つの考えが頭のなかの75%を占めていました。

彼は発明を続け、ベルに負けた蓄音機やベルに負けた電話機なんかも発明しました。
いつもベルに負けていた彼は、しだいに『発明は質より量じゃあ!!』などと訳の分らない事を言うようになりました。30歳でボケが始まってしまったのです。
彼は後の世で「発明王エジソン」というすばらしい称号を貰いましたが、彼が実はベルに負けていた事を棺桶に入るまで悔しがる程しつこいヤツでした。
彼は死ぬまぎわに
「天才とは質より量!!」そして「何で1+1=2なんだ?」とボケをかましてこの世を去りました。

エジソンって偉大な方です。
アンタが居なかったら俺はパソコンなんか見る事も出来なかったんだよ。
アンタはエライ!!(だから偉人伝なんだけどね)