グレゴール・ヨハン・メンデル(1822−1884)

オーストリアの牧師。
神学、数学、生物学等の学問を若きころに学習。
1856年からエンドウを用いた交配実験を行い、その法則性を発見。
1865年にその結果を「植物雑種に関する研究」と題して学会で発表。
『メンデルの法則』として後の遺伝子工学の発展に貢献
しかし、メンデルの考えは当時の植物学者には(数学的な部分が有ったためか)受け入れられず
論文の内容は無視され、35年間 放置されてました。
しかし、彼の死後ようやくメンデルの論文がド・フリースによって見直され
後に、その存在がダーウィンの進化論等の基礎になりました。


彼の子供の頃(彼の家は貧しかったため)学校に行くにも苦労しましたが
成績優秀だったため、周囲の援助を得て学校に通うことが出来ました。
彼は生物の分野に長けていました。しかし、そんな彼にも欠点は有りましえぢそnた
『マメ(特にエンドウ)が大好きで、豆フェチだった』のです。
彼は、学校に行くにも豆を持ち歩き、朝食、昼食、夕食はもちろん、おやつにも
豆を欠かさなかったそうです。しかも、 彼の家系は庭師が多かったので必然的に家族全員が豆好きでした。
一言で言うならば『豆の為なら何でもする』状態でしたが、そんな彼も報われる日が来るのです。
それは・・・『メンデルの法則の発見』です。彼はこれで『豆フェチ』というあだ名から解放され
エライ植物学者として世界に認知される・・・なんて事をもくろんでいました
もしかしたら『有名な植物学者』として両手にオネーチャンつれてウハウハとかも考えていた様です。
しかし、大体の『もくろみ』はうまく行かないものです(水戸黄門の悪代官ももくろみは失敗するでしょ)
彼の研究は認知されず、それどころか『豆の研究をする程の豆マニア』と言う微妙な評判が立ちました。
あげくの果てには『豆を欲しいが為に強盗まで行った』とか『人質をとってその要求は豆だった』とか
変なウワサが流れました。
メンデルは未だに『パツキンのナイスなネーチャンを両手にクラブをはしご』を夢見ていましたが
豆と自分の変なウワサが流れている事実を知り、修道院で(豆と共に)働くことにしました。
そして、彼は死ぬまぎわまで豆のさやを握りしめていたそうです。

中学校からお世話になるメンデルさん。
ゴメンなさい。