「届かない言葉」
まず 最初に 言葉 ありき。
「届かない 言葉」
僕は前原宏。コンピュータソフトを扱う会社で働く会社員だ。
僕は、オンラインRPG「ファンタシースターオンライン」にはまっている。
いや、はまっていた、というべきか。
今に始まったことではないが、データの改造を行って、不正にアイテムを手に入れる者が増え、その増えたアイテムのせいでバランスが狂いつつある。ゲームとしてはそろそろマンネリ気味だったうえ、目の前でチート品を乱発された僕は、そろそろこのゲームをやめようかと思っていた。
そんなある日、つなぐ前に、公式BBSをのぞいてみると、「初心プレイ」なるものが流行っていた。要するに、新しくキャラを作り、移動なし・配布なしでプレイするものだ。
…面白そうだな。
そう思った僕は、今まで使っていたヒューマーの「Age」を削除して新たにレイマーの「joker」を作った。
レイマーを選んだのは、何のことはない彼が最弱のキャラだと聞いていたからだ。
プロローグをスキップし、総督の話を右から左へ聞き流し、僕は早速森へと降りた。
「ブーマって、こんな強かったっけ??」
「Age」が拳一つで倒していたエネミーを、「joker」は何度も攻撃を当ててやっと倒した。
新鮮だった。
セイバーを装備できた時の喜び。
後ろから飛びかかってくるサベージウルフの恐怖。
無限に吐き出されると思われるモスマントの群れ。
…そして、「レスタ1」を見つけた時の、何ともいえない高揚感。
これだ、僕の求めていたものはこれだったんだ!!
あまりにうれしくて、その日僕はオンラインにもつながず、ただひたすらOFFのラグオルで戦っていた。
気がつけば時計の針はすでに午前2時を指していた。明日も会社はある。僕は愉しい「PSO」を切り上げ、ベッドに入った。
次の日の目覚めはとても壮快だった。
例えるなら、ひたすら部活にはげんで、ぐっすり眠って目覚めた時のようなカンジ。
僕はとても上機嫌で、会社へ向かった。
「うれしそうだね、前原クン」
臨席の同僚・相原里美が、上機嫌で仕事をしていた僕に話しかけてきた。
彼女は、入社の時のオリエンテーションでも一緒だったせいか、僕とは比較的仲がいい。
ただ、彼女は課内でも一番の「ミステリアスな女」として名を馳せていた。誰がどんなに誘っても、定時に上がって家へ帰ってしまうのだ。家族がいて家事がたいへんだなどという話は聞いたことはないのだが…。
「まぁね。ちょっといいことがあって」
僕は上機嫌でファイルを作成しながら言った。
「ふぅ〜ん。知りたいなぁ?」
彼女が少し鼻にかかった声で聞いてくる。
「ま、例えるなら「初心に還った」ってトコかな」
「何ソレ。よくわかんない」
彼女はつまらなさそう言ったが、僕はそれ以上答えなかった。
その日は定時に上がり、僕はいそいそと家路についた。
早くラグオルに行きたい。
今の僕はその事で頭がいっぱいだった。
アパートの階段を昇り、自室のドアを開ける。
スーツを脱いで普段着に替え、テレビの前に腰を下ろす。
そして、ドリームキャストを起動した。
前日、苦労した甲斐あって、僕の「joker」のレベルは15にまで達していた。
ショートも、シンボルも作ってあった。
…オンラインデビュー、してみようかな。
そう思った。
ちなみに、「joker」は一枚もギルドカードを持っていない。
オンライン上で親しい友人もいなかったし、この際だからギルドカードファイルも一新したかったからだ。
そして、僕は「みんな」の待つオンラインへと向かった。
「移動なし・配布なしで冒険しませんか〜?」
そう声をかけるも、ロビーにいる面々の反応はあくまで冷やかだった。
皆ちまちまと動きまわり、自分好みの部屋や相手を探していた。
…まあ当然かな。レベル80超ばっかだもんな…。
仕方なく、僕は部屋を作ることにした。
部屋の名は「ただ 純粋に」。
ひょっとすると配布屋や強化キャラが入ってくるかも知れないが、その場合は趣旨を話して帰ってもらおう。
オフラインよりずっと多い敵の数に、僕の脳はアドレナリンをどんどん分泌していた。
僕の「joker」はライフルとセイバーを振り回し、森の生物たちを狩っていく。時折攻撃をうけ倒されては「joker」は必死にレスタ1を使い、回復する。
楽しい。
そうやって僕が森を進んでいると、画面が止まった。
THE BIG さんが参加します。
しばらくお待ちください。
お、初めてのお客さんだ。
僕は期待半分、不安半分でその人を待つ。
そして、世界は動き出す。
「こんばんは。入っていいかな?」
THE BIGさんはそう尋ねてきた。
僕はカンタンに趣旨を説明し、THE BIGさんにそれでもいいか、尋ねた。
「奇遇ですね。私も同じ事してるんですw」
「おお、同志w」
僕らは、その場でギルドカードを交換した。
その日、僕らは4時間かけて坑道エリアまでをクリアした。
THE BIGさんはレベル10のヒューキャストで、攻撃面ではとても頼りになるものの、いい鎧を拾ってないらしく、攻撃を食らっては死にかけていた。
だから、洞窟で「レスタ3」が出た時には、2人して喜んだ。
そして、別れ際。THE BIGさんが言った。
「明日も来る?来るんだったらまた遊ぼうw」
僕らは、じゃあ部屋作ってパスかけて待ち合わせしよう、と約束した。
部屋の名は、「ただ 純粋に」。
次の日の朝も、とてもいい目覚めだった。
ともに闘う仲間の出現。
仲間がいる、それだけで、こんなに楽しくなるなんて。
今日も楽しい一日になりそうだ。
会社につくと、玄関ホールでいきなり背中をたたかれた。
「オッハヨ、前原クン♪」
相原さんだった。
「おはよう、相原さん。元気いいね」
「うん。ちょ〜っち、イイコトあってね〜♪」
満面の笑顔で彼女は言う。その表情は「きいて、きいて?」と語りかけていた。
「…イイコトって何?」
とりあえず僕はそう訪ねる。
「ま、例えて言うなら「初心に還った」ってトコかな」
わざと低い声で、彼女は言った。僕の声マネのつもりらしい。
「…昨日のしかえし?」
「そんなトコかな〜♪」
彼女はうれしそうにそう言った。
まあいい。今日の僕は上機嫌だ。そんな仕返しならカワイイもんだ。
その日も家に帰ると、食事もとらずに僕はPSOに熱中した。
約束どおりTHE BIGさんは来てくれて、同じ趣旨の仲間をあと2人ロビーで見つけ、一緒に冒険する。
何度も何度もつまづきながら、その日、僕らは初めてノーマルをクリアーした。
それから毎日、僕とTHE BIGさんは一緒に冒険した。
気があうせいもあったし、同じ男という安心感、それに最初にギルドカードを交換した相手ということで、彼は僕の中でとても大事な人になっていた。
そう、例えるならそれは「親友」。
メンバーが揃わない日は二人きりで冒険することもあっった。
また、多くメンバーが集まって時は、僕ら二人がチームリーダーとなって、メールでお互いのチームの進行状況をやりとりしながら進むこともあった。
そして、僕の「最高に楽しいPSOの日々」は続いていた。
…「その日」が来るまでは。
その日、僕は会社の残業で遅れ、いつよりラグオルに降りるのが遅くなってしまった。
つないで検索をかけると、すぐにTHE BIGさんは見つかった。
部屋の名は「ただ 純粋に」。
僕はすぐにメールを送る。
「ごめん、残業で送れた(汗)パスお願いw」
すぐに返信が来る。
「心配したゾ☆なんつってな!!>「送れた」てなんやねんwパスは1234だぜぃ」
おっと、変換ミスをつかれてしまった。
僕はすぐに彼がいるロビーへ飛び、部屋にはいる。
「ばんわ〜」
「よ〜す。今森2〜」
いつもの挨拶。僕は装備を整えると、すぐに彼の待つ森2へと向かった。
「やっほ。遅かったな」
目の前に立つ、大きなヒューキャスト。
しかし、その姿にはいつもと違う部分があった。
「あれ、そのマグ、クエスト?」
彼が背負っていたのは、いつものマグではなく、ダウンロードクエストで入手できるマグだった。
彼もいろいろやってんだな、と思いながら、僕らはとりあえず先へ進んだ。
しばらく進むと、異変が起きた。
画面が暗転し、フォトンミラージュが浮かび上がったのだ。
当然、僕のマグはまだ半分もPBゲージは溜まっていない。
そうなると彼のマグの放ったフォトンブラストなわけだが…。
ダウンロードクエストで入手できるマグに、フォトンブラストを撃てるものは存在しない。
僕は、思わずこう打っていた。
「…お前それ、チートじゃねえか」
彼は、すぐにもらいものだ、と否定した。
だが、僕らは移動なし・配布なしを旨としてやってきたのではなかったか?
僕は、とても裏切られた気がした。
ただひたすらに、切なかった。
その後のことは、よく覚えていない。
彼とひたすら口論したあと、僕は一方的にゲームを終了させた。
ドリームキャストの電源を切ると、真っ黒な画面に僕の顔が写っていた。
最悪な表情をしていた。
次の日、僕は入社以来初めて、遅刻した。
最悪の気分だった。
仕事も手につかず、ただひたすら時間をたつのを待つだけの一日。最低だった。
…飲みに行こう。
飲んで、全部忘れてしまおう。
定時になって仕事の明けた僕は、そう思って席をたった。
「…前原くん」
突然、声をかけられた。
それは、臨席の相原さんだった。
そういえば、朝からずっと彼女の声を聞いていない。
「あのさ。ちょっといいかな」
そう言った彼女の声は、とても沈んでいた。
「ごめんね。相談とかできそうなの、前原くんくらいしか思いつかなくって」
彼女に連れられてきたのは、会社近くのラーメン屋だった。
彼女はそう詫びながら、水の入ったコップをあおる。
「…で、話って?」
僕は、そう言って彼女を促す。
「うんとね…。私さ、好きな人に酷いことしちゃったんだ」
半分ほどになったコップの水をながめながら、彼女は続ける。
「信じてくれてたのに、裏切って…傷つけちゃったの」
「ふうん。で、その人って恋人?」
「ううん。私の片思い。向こうは…そうね、大切な友達、くらいには思ってくれてたのかな。
酷いことしちゃって…別れたっきりで…やっぱり、嫌われてるよね、私」
そう言った彼女の目からひと粒の涙がこぼれた。
「ラーメン、おまちぃ」
店の親父の大声が雰囲気を台無しにした。
僕はラーメンを食べながら、ひとしきり彼女をなぐさめた。
なぐさめているうちに、僕の中に妙な感情が生まれているのに気がついた。
彼女に泣いていてほしくない。
いつものように笑っていて欲しい。
そう、切実に思った。
「ありがと。いろいろ、聞いてくれて」
ラーメン屋の外に出ると、彼女は泣き笑いの顔でそう言った。
「これくらいなら、おやすいご用」
「へへ。じゃあまた愚痴きいてもらおっかな」
そう言って彼女は背を向けた。
「それじゃあね。おやすみ」
彼女はそう言って手を振った。
今の僕にはただ、見送ることしかできなかった。
その日は結局、ドリームキャストを起動することはなかった。
次の日の朝。
いつも通りに会社へ行くと、相原さんが「いつものように」挨拶してくれた。
「おはよ。前原クン」
かつてのようなテンションはなかったが、昨日に比べるとずっとましだった。
僕は少し元気の戻った彼女の笑顔を見ながら、答えた。
「おはよう。相原さん」
その日の昼休み、僕は相原さんに昨日一晩かけて考えた台詞をぶつけた。
「あ、あのさ、昨日ラーメンおごってもらっただろ?
そそれで、そのお返しに今日の昼ご馳走しようかな、って思ったんだけど」
うあ、ちょっとトチった。
相原さんは驚いたような顔をして答えた。
「え、いいの?丁度金欠で困ってたの」
よし、いい感じ。
「じゃあさ、好きなものおごってあげるよ。何がいい?」
「よりにもよって吉牛デスカ相原ドノ…」
てっきり今評判のフレンチのランチバイキングでもおごってくれ、とか言われると思っていたのに。
吉牛ってのはかなりヘヴィだ。
「そうだよ前原二等兵。我々はね、戦争をしてるんだよ」
つゆだくねぎだく特盛りの牛丼を待ちながら、彼女はおどけて言った。
「戦争ってナンデスカ…」
とりあえず突っ込む僕。
「じょ〜だんよじょ〜だん。ありがとね、おごってくれて」
彼女はニコニコ笑いながらそう言ってくれた。
まあいいか。この笑顔を見れただけでもよしとしよう。
その日の帰り、僕は意外な言葉を耳にする。
「ねえ、晩ご飯一緒しない?」
相原さんは突然そう僕に語りかけた。
「…え!?今なんて?」
思わず聞き返してしまう。
「晩ご飯一緒に食べよ、っていったの。
具体的に言うと、愚痴を聞け」
まさか、彼女の方から誘ってくれるなんて。
しかし、彼女の次の台詞が、僕の今の地位をはっきりさせた。
「断るの?友達甲斐のない奴だなあ、前原クンて」
友達。
そうだよな。ハァ…。
「へえへえ、愚痴でもなんでも聞かせていただきますだ、庄屋サマ」
僕は落胆をギャグでごまかした。
僕が愚痴を聞かされた場所は、昨日相原さんに連れられて行ったラーメン屋だった。
「でね、結局繋がらなくて、連絡が取れないのよ」
彼女の愚痴は、片思いの相手の話。
自分の気持ちに気づいた僕には、少々残酷な話題だ。
「ふ〜ん。それって携帯?」
「あ、えと、少し違うけど…似たようなもんかな」
彼女はそう言ってラーメンに混ざったもやしを端でよりわける。彼女はどうやらもやしが好きではないらしい。
「それじゃ、謝りようもないね」
「そうなんだよねえ…」
言って、相原さんはため息を一つ。
僕なら、彼女にそんな思いはさせない。
たとえどんなに裏切られても、彼女を許すことができる。
でも、今のままでは僕の地位は永遠に「友達」のままだ。
彼女と分かれ、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、僕は家路についた。
家に帰ると、僕はドリームキャストを起動した。
オンラインに繋ぐつもりだった。
THE BIGには会いたくなかったが、今の僕はただこのモヤモヤ
した気持ちを何かにぶつけたかった。
部屋の名は、以前とは違う。パスもかけた。THE BIGを除いた知り合いに声をかけ、僕はラグオルにおりた。
しばらくすると、メールが届いた。
「あ、ごめんメール」
そう言って僕はメールを開いた。
THE BIGからだった。
「この前はごめん」
それだけ書かれていた。
それで済ますつもりか?たったそれだけの言葉で!!
あの時の嫌な感情が盛り上がり、僕の中に嫌なモヤモヤが浮かびはじめる。
僕は返事を出さず、しばらく冒険を続けた。
メールが届く。
「怒ってるなら謝るよ」
怒ってる!?怒ってるに決まってるじゃないか!!
返信をせずにいると、またメールがきた。
「会って謝りたいんだ」
しつこいぞ、こいつ!!
僕は完全に常軌を逸していた。
僕はチームメイトに一言断りを入れると、さっさとゲームを終了した。
電源を切ったTVに、僕の顔が写る。
あの時と同じ、とても嫌な表情をしていた。
次の日。
僕がいつもどおり会社に着くと、隣席が開いていた。
あれ?相原さん遅刻かな?
そう思って仕事を始めると、不意に携帯が震えた。
「もしもし」
「もしもし…相原です…」
僕はびっくりした。
相原さんからこんな時間に電話があるなんて。
「どうしたの?遅刻?」
「今日ね、気分最悪なの…。休むね…」
それだけ言って、電話は切れた。
彼女が休む、という言葉より、僕にはその尋常でないほどローテンションな声の方が気にかかった。
僕はその日、適当に理由をこじつけて会社を早退すると、相原さんの家へ向かった。
僕は緊張しきって、相原さんの部屋のインターフォンを押した。
「はぁい」
インターフォンから彼女の声がする。
「…前原だけど。大丈夫?」
「前原くん?わざわざ来てくれたんだ。ごめんね、気ぃ遣わせちゃったね」
「いいよこの位。それより、平気なの?」
「うん。体は平気」
ひっかかる物言いだった。
僕はすぐにピンときた。
「…またなんか言われたのか。「アイツ」に」
「アイツ」。相原さんの片思いの相手。
息をのむ声。そして、返事。
「…違うの…無視、されたの…」
「え!?」
「やっと連絡とれて…これで謝れる、って思って…。
謝ったんだけど…一言も、答えてくれなかったの…。
こ、これってさ、き、嫌われてるんだよね。あ、あはは、はは」
無理な笑い。
間違いない。彼女は今、泣いている。
僕の胸がぎゅううっと締め付けられる。
次の瞬間、僕は、信じられない台詞を口にしていた。
「そんな奴、忘れちゃえよ」
「…え??」
どんどん、言ってはいけない台詞が僕の口からあふれ出る。
「嫌なやつじゃないか。少し位約束破ったからって無視までするなんて。そんな奴、相原さんに思われる資格なんかない」
「前原、くん…?」
止められない。自分の気持ちをこれ以上…抑えていられない。
「僕がいる。僕なら相原さんにそんな思いはさせない。
今はただの友達かもしれないけど。
僕は、世界で一番君が好きだ」
言い切ると、まるで世界が止まったような沈黙が辺りを包んだ。
そして、インターフォンから彼女の声が聞こえる。
「うれしい。…ありがとう。
でも、気持ちの整理がつくまで待って。卑怯かもしれないけど、私、まだ彼のこと信じてみたいの…」
「いつまでも待ってるよ。それじゃ」
そして僕は軽い落胆とともに、その場を後にした。
それから二日の間、彼女は会社を休んだ。
その二日の間、僕は一切ドリームキャストには触らなかった。
もし彼女から連絡が来たら。
それを考えるとゲームなんてやってられなかった。
三日目。
彼女は会社にやってきた。
欠勤したことを課長に詫びると、彼女はかつてのように僕の隣に座った。
「返事、するから。仕事終わったら、待ってて」
彼女はそれだけ言うと、たまった仕事を片付け始めた。
仕事が終わって、僕は会社の入り口の柱にもたれかかり、彼女を待った。
「お待たせ。前原クン」
神妙な顔つきで、彼女がやってきた。
「聞かせてくれ。どんな結果でも、後悔しないから」
僕はそう言った。
「うん。
私、嫌いじゃないよ。前原くんのこと。
ううん。きっと好きなんだと思う。
前原くん、いいの、こんな女で?」
「君だから好きなんだ。君じゃないと、ダメなんだ…」
そう言って僕は遠慮なく彼女を抱き締める。
「ありがとう、前原くん。ほんとに、ありがとう…」
彼女は泣いていた。
僕は彼女の涙を拭き取り、彼女の唇をふさいだ。
それでもまだ、彼女の涙は止まらなかった。
そして、僕らの新しい日々が始まった。
仕事の後は彼女とデートするために、PSOはしなくなった。
たぶん、あの状態のままだったら、いずれそうなっていただろう。彼女という理由があるだけ、まだマシな気がした。
そうして、1ヶ月が過ぎようとしていた。
ある日、里美が僕の部屋に料理を作りにきてくれることになった。
彼女曰く、「どーせロクなもん食べてないんでしょ」とのことだが、まさにそのとおりだった。
そして、その時がやってきた。
僕は里美より先に部屋にはいると、「見られてはまずいもの」を隠した。
「はいどーぞ。入っていいよ」
「いまさらエロ本隠したって意味ないでしょーよ」
「気分の問題だよ、気分の」
僕らはそう言いあいながら、居間に荷物をおいた。
「あ、これ…」
彼女の動きが止まった。
「ああ。ドリームキャスト?今はほとんどやってないなあ」
だが、未だに「PSO」が入ったまま、TVの下に置かれている。
「PSOって知ってる?ネットワークRPGの最高峰て言われてたんだぜ」
そう。過去形だ。
「いっぺん、見てみる?」
「…うん」
彼女がうなずいた。
そうだな。ひさしぶりにコレも悪くない、か。
ドリームキャストを起動し、コンティニューを選ぶ。
そして一月ぶりにTVに浮かび上がる、「joker」。
「…うそ!!」
彼女が突然、そう叫んだ。
「ど、どうしたの?」
彼女を見ると、泣いていた。
「ど、どうした?里美?」
僕は彼女の肩をつかんだ。
「あなたが…jokerさんだったの…!?」
「え??」
「…私…このゲーム持ってるの…。キャラの名前はTHE BIGっていうの…」
「…ええ!?」
まさに晴天の霹靂だった。
「じゃあ、じゃあ、里美の言ってた「好きな人」って」
「そう、「joker」さん。
あの日、私「joker」さん驚かせたついでに、女だって言って、告白するつもりだったの。それが、あんなことになっちゃて…」
僕は、彼女の告白を呆然と聞いていた。
「忘れてたのに…やっと忘れられたのに…」
僕は、彼女の告白を聞いて蒼白になった。
彼女と知っていたら、僕は、僕は…。
「じゃあ、僕はずっと君を騙していたのか」
「騙していたんじゃないよ。知らなかっただけ。
届かなかった、だけだよ…」
愕然とする僕を、里美が優しく抱き締める。
はっとする僕に、彼女は謝りはじめた。
「ごめんね、本当に…約束、破って…」
ずっと、届かなかった、言葉。
「いや、僕も言いすぎだった。悪かった…」
やっと、届いた、言葉。
僕は、優しく彼女に口づけた。
「また、一緒に冒険しようね…」
彼女が言う。
「うん。約束だ」
僕は答える。
そして、僕の「PSO」はまた幕を開けた。
デートの場所は、いつもの場所。
部屋の名は「ただ 純粋に」。
「あなたを好きになって、本当に、よかった」
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