About Her
彼女──壬生屋未央について、自分が知っている事。
どんな荒廃した戦場に身を置こうと、その黒髪は何時も毛先まで艶やかで、柔らかだという事。秋の青空のようにどこまで澄みきった真っ青の瞳は、何時も固い意志を秘めていて、誰にも侵しがたい情熱に溢れているという事。本人の不器用という弁通り、戦い方は何時もがむしゃらに敵陣に切り込む事しか出来なくて、けれど家事だけは器用に何でもこなしてしまうという事。
──どうして?
瀬戸口は苛立ち、ぐしゃぐしゃと前髪をかき乱した。
嫌いな筈の女。憎しみさえ抱いている筈の女。なのにどうして、ちょっと彼女について思いを馳せてみただけでこんなにも、自分の頭は彼女についての情報を保有しているのだろうか。
狭い視野しか持っていなくて、融通が利かなくて。自分の価値観に合わないものは更正させないと気が済まなくて突っかかってくる。その事を指摘すれば彼女は黙り込んだが、何故か自分の心まで気まずくなった。
──むかつく。
自分の言葉はある程度、彼女に影響を与えているようだ。不器用だという彼女にはいきなり考え方を180度転換するのは難しいらしいが、しかし、前ほどにその言動がきつくなくなったのは確かだ。けれど、彼女はその事について特に何も言わない。自分に何も、言って来ない。気まずそうな眼差し。瀬戸口が冷たく蔑む言葉で真実を言い当ててから、彼女は自分を避けている。その癖、何故だか何時も瀬戸口の視界の何処かにいて。瀬戸口の心をざわつかせる。
──俺の事が嫌いなんじゃないのか!
思わず、叫びたくなる。嫌いなら。嫌いなら、徹底的に無視すればいいではないか。なのに何故、俺の視界に入ってくる。どうして、そんな顔しかしないんだ?
彼女について知っている事。
今にも泣き出しそうな顔。瞳を、波立つ湖面のように頼りなげに揺らめかせて。自分以外の者になら、物怖じしない真っ直ぐの眼差しを返すのに、自分の前でだけ彼女は俯くのだ。俯く事しか、しない。他の奴の前では、あんなに綺麗に笑うくせに……!
──俺を、見ろよ。
激しい勢いに任せた怒りの奔流から、ぽろり、零れ落ちた想いに瀬戸口ははっとなった。だがその感情を冷静に吟味する事もせず、即座に否定する。有り得ない。嫌いだと思っていた女に惹かれる訳がない。厭っていた女を愛しいと思える訳がない。嘘だ。こんな感情は一時の気の迷いだ。さっさと消えてしまえばいい……!
だが一度自覚してしまえば、抗う気持ちに反して、むしろそれを飲み込むほどの勢いで瀬戸口の心は彼女を、壬生屋を求めた。誤魔化し切れないほどの愛おしさが胸に押し寄せて来る。噛み締めた唇から喘ぐような呼気が漏れた。高ぶった感情に眩暈さえ覚える。抗い……きれない。
しかしそれでも瀬戸口は今自覚した想いにその身を捧げる事を良しとしなかった。長く大切に暖めてきたかの人への想い、長い時を重ねてきたからこそ、最早『観念』めいてさえいるその想いが、瀬戸口が素直に今の想いを受け入れる事を拒んでいた。
俺が好きなのは、シオネ・アラダだけのはずだ……!
瀬戸口は何度も自分自身に言い聞かせた。初めて愛しいという想いを教えてくれた清き姫巫女。自分は彼女に永遠を誓った。彼女のためだけに自分は今まで生きてきたのだ。そんな存在に対して抱いた以上の想いを、他の人間に抱ける筈が無い。まして、その相手が自分が嫌っていた壬生屋などである筈が無い。──例え百歩譲って壬生屋に惹かれているとしても、あの人への想いに比べれば、それは本当に一時の気の迷いに違いないのだ。
しつこい位理屈をこねまわして、瀬戸口は何とか心の平安を取り戻そうと、愛しい姫巫女の姿を思い描こうとした。忘却という時の残酷な仕打ちの中で彼女の明確な輪郭は失われてしまったが、例えおぼろげであっても思い出せば、その姿は必ず瀬戸口の心に安らぎと温もりを与えてくれるに違いなかった。しかし──、そうした瞬間、瀬戸口は愕然とした。
壬生屋未央。彼が脳裏に真っ先に描き出した姿は、たった今否定した筈のその人だったのである。そこに愛した姫巫女の姿は微塵もない。
── 一体どうなってるんだ、俺は……!
自身で把握している自分と、実際に行動している自分との間の決定的な相克に行き当たって瀬戸口は俄かに慌てた。必死に自問を繰り返す。だがそれは本人が認めていないだけで、とうに答えの出ている問い掛けであったから、何時まで経っても別の真新しい答えなど出る訳もなかった。問い掛けだけが焦りに呼応して増幅し、彼の中で虚しく空回りする。何故だ、どうして、何故……。
混乱した想いを抱えながらも、本当は瀬戸口も心の何処かで分っていた。求める答えはとっくの昔に自分の中にあって、自分はそれをただ認めて受け入れさえすれば全て決着がつくのだと。だが、分っていても、瀬戸口はなかなか素直になれなかった。自分の変化を率直に受け入れることが出来なかった。それは、頑固な彼らしい抵抗でもあったが、余りにも長い時を、ただ一人に捧げてしまったための、変化への恐れでもあったろう。
葛藤と困惑の長い長い沈黙が流れた。しかしそれも永遠に続くものでは無い。やがて、瀬戸口はゆっくりと顔を上げた。その面には長い懊悩ゆえの、疲労の影がある。と、不意にその口元が歪んだ。両端がゆっくりと釣り上がり、それは次第に笑みの形を取っていく。何処か困ったような、情けなさそうな笑みだった。ややして片手を額に当てて、瀬戸口は上を向いた。苦笑交じりに小さくごちる。
「参ったな、完敗だ」
──俺は、誰よりも壬生屋を愛している……。
悔しそうな声だった。しかし同時に、幸せの溜息でもあった。
散々抵抗していた筈なのに、認めてしまえばそれは余りにも簡単な事で。そしてその途端、今までの自分が瀬戸口には酷く滑稽に思えたのだ。だから、思わず笑ってしまった。全く、どっちが子供だったのだろう。
もう一度溜息をついて瀬戸口は大きく伸びをした。
自分がこの感情を認めただけでも大きな前進だろう。だが実のところ、彼女との関係がそれで変わった訳ではない。
彼女について、自分が知っている事。
それは依然として怒り顔と泣き顔だけなのだから。
──どうやったら、壬生屋は笑ってくれるかな。
再び思案の海に沈みながら瀬戸口は歩き始めた。その一歩は彼にとって、文字通り新しい一歩だ──。
いつもチャットでお世話になっている沙綾さまが「何故いつも自分が壬生屋に辛く当たるのか自覚して、壬生屋に告白する瀬戸口」というリクを書いてくださいました!!うっとり〜!!
もう、瀬戸口の葛藤が素晴らしいですよ!自分の想いを自覚するまでの瀬戸口の心が緻密に繊細に表現されていて、溜息です〜。自分の中に壬生屋がいる事すら許せない瀬戸口。否定しても否定しても、行き着くところは「壬生屋の事が好きだった」という事!!これですよ!実は答えはとっくに出ていたのに認めたくないだけだった。これが瀬戸壬生の醍醐味ってヤツです!(笑)
沙綾さん、本当にステキなSSありがとうございました!
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