君が笑顔であるように
壬生屋未央は自宅の邸内にある道場でじっと正座していた。
姿勢を正し、目を閉じ、瞑想する。雑念を取り払い、自分の精神を解き放ち、無になる自分をイメージする。
剣術も、そして内面も、壬生屋の人間としてふさわしくあらねばならない。まして自分は、父にも、兄にもたしなめられる事ばかりなのだ。少しでも近づきたい。兄のように、冷静で、たおやかで、暖かくて、そして誰よりも強く…。お兄様のようになりたい、お兄様のように…。
「何かに迷っているんだね?」
静かな声がして、未央は、はっと振り返る。
「お兄様…」
濃紺の袴と白い胴着に見を包んだ兄が、壬生屋に向かい合わせになって正座した。
その端正な顔と落ち着いた物腰は、座っているだけで、なるほど旧家の嫡男という印象を与えた。
「何かに心を乱されている。だから瞑想にも集中できないんだね?」
未央は恥じ入って俯いた。何も話していないのに、自分の立ち振る舞いだけで、兄に全てを見透かされている。
「申し訳ありません…。わたくしが未熟ゆえ、些細な事にも心を乱されてしまうのです。壬生屋の娘として、あるまじき事です…」
兄は静に笑みを浮かべて未央の両肩に手を乗せた。
「無理に感情を押し殺す事はないよ、未央。それを立派だと思う事もない。自分に正直である事は、簡単なようで、実は一番難しい。未央にはそれが出来ると、わたしは思っているんだよ」
「何故、そんな事を仰るのですか?わたくしは、いつだって自分を抑えきれずに、お父様にも、お兄様にもご迷惑を…。学校でも、戦場でだって…」
未央は膝の上にのせた手で袴をぎゅっと握りしめた。自分は前に出る戦い方しか知らない。その為に機体は激しく損傷し、仲間のパイロットを危険に晒してしまうことすらある。自分の機体の整備士は徹夜で作業が続いて、出撃の度に整備主任の原やクラスメート達からたしなめられているのだ。彼等が自分を心配してくれているのはよくわかっている。それでも、それ以外に戦う術を持てない自分がいやでたまらなくなる。
兄は笑みをたたえたまま続けた。
「ああ、未央。よく聞いておくれ。感情を爆発させる事が、自分に素直であるという事ではないよ?わかるね?未央は自分に素直になれないから、感情的になってしまうんだ。わたしは、未央には美しいものには感動し、悲しい時には涙を流し、好きな人ができたら、その人に惜しみない愛情を注いで欲しいと思っている」
低く穏やかな声で話す兄を壬生屋は顔を上げて見つめた。
「す、好きな人など…。わたくしは、ただ、壬生屋の家の恥だと思われたくないだけです。お兄様にも、お父様にもご迷惑をかけたくないのです。お父様もお兄様もお国のために立派に戦っておられました。わたくしが『さすがに壬生屋の娘だ』『やはりお前の妹だ』と周りが認めてくれれば、お兄様も喜んでくださるでしょう?」
兄の漆黒の瞳がふと翳った。綺麗に整えられた妹と同じ癖のない黒髪が、首を傾げると額にかかって揺れる。未央の肩にかけた両手を離し、姿勢を整えて正座すると、表情を改め、未央の青い瞳だけをじっと見つめている。未央も黙って兄の言葉を待った。
「未央。未央は大切なわたしの妹だ。今のままのお前でも、世界中の誰にだって、お前は私の妹だと、何を恥じる事もなく、言えるよ。わたしを慕ってくれるのは本当に嬉しい。壬生の家に誇りを持っていることも。未央には優しくて強い、壬生屋の娘になって欲しいと思ってる。でもね、未央は、わたしや家の作品やアクセサリーじゃないんだ。型にはまった旧家の娘を演じたり、無理矢理に自分を殺して、未央が未央らしくなくなって、結果的に命を縮める事になってしまう事の方が、わたしは悲しい。」
「お兄様…」
未央はますます恐縮した。やはり自分は兄には敵わない。心の焦りも未熟さも、彼には全てがわかってしまう。そして自分の負担を少なくしてくれようとしている。そんな兄にわたくしは何がしてあげられる?何の力になれるというのだろう?
兄は表情を崩すと、立ち上がって木刀を取り出した。
「さあ、少し稽古をつけてあげよう。体を動かせば、未央の中で何か答えがでるかも知れないよ」
「は、はい!よろしくお願い致します!」
沈んだ顔がとたんにぱっと明るくなる、久しぶりの兄をの稽古に、未央は心を躍らせた。
「なぜついてくるのです!わたくしは子供ではありません。一人で帰れます!」
「俺だって別にこんな事したくはないがね。知ってるだろ?最近幻獣共生派のテロが多いの。司令にお前さん送っていけって命令されたから、仕方なくこうしてるんだ」
未央はその日の夜遅く、同じ小隊のオペレーター、瀬戸口隆之と家路についていた。未央が憤然としながら前を歩き、少し遅れて瀬戸口が頭を掻きながらふらふらとついてきていた。
壬生屋が足を止めて、瀬戸口の方を振り返り、睨んだ。
「あなたのような軟弱な方に守ってもらわなくても結構です!ついて来ないで下さい!」
「それはそれは戦場と変わらずに勇ましい事で。おかげで整備士達は徹夜続きだ。少しは巻き込まれる方の事も考えたらどうだ?え?」
「それは…」
「剣でつっこむしか芸がないって?それが味方全員を危険に晒す理由になるのか?」
痛いところを突かれて未央は押し黙った。怒りに燃えるようだった蒼い瞳が頼りなく揺れる。彼は全ての女性の味方と公言して憚らないが、自分にだけはこうして時折厳しい言葉を投げつけてくる。
この人は苦手だ。無礼で、破廉恥で…。
それでも…。
この人に微笑みかけて欲しい。優しい言葉をかけて欲しい。
嫌いになれたらいいのに、冷たい言葉が突き刺さる度、自分の胸の中には嫌悪とは全く違う感情が募ってくる。彼に反発して、自分でも子供の屁理屈としか思えない言葉を吐きながら、心の奥で、ではどう言えば彼を見返してやれるのか、彼の気を惹けるのか、考えてしまっている。そんな思いは日に日に募り、心を掻き乱される。
「ど、どうせ、わたくしは、未熟者です…。小隊のみなさんにもご迷惑もかけてます。これでもわたくしは、壬生屋の名に恥じないように、一生懸命…」
未央はそれ以上言葉を紡げなかった。これも言い訳だ。彼の言葉には毒があるが、間違った事ではない事は彼女自身が一番よく理解していた。
口ごもる壬生屋に、瀬戸口は舌打ちした。この娘を前にすると、わけもなくイライラする。毎回、後悔する事もわかりきっているのに、傷つけるような事ばかりが口をついてしまう。今も自分の言葉に酷く傷ついている壬生屋を見つめながら、どうしていいのか、わからなくなっている自分がいる。
「お前さんが戦うのは、家の名誉のためか?お前さんが死んで、大切な『お兄様』が、『壬生屋の娘らしく、立派にに戦って死んだ』と喜んでくれるとでも思ってるのか?残されたやつの気持ちがどんなものか、考えた事があるのか?」
分かっていても、言い募ってしまう。自分の心の中にある、何かを誤魔化そうとするように。その「何か」を知ってしまうのが、認めてしまうのが、怖かった。思ったとおり、未央は先ほどまでの剣幕が嘘のように、俯き、目を伏せている。
──未央は先日、兄から諭された事を思い出していた。この人は兄と同じ事を言っている。それなのになぜ、こんなに腹が立つのだろう。悲しくなるのだろう。どうしてこの人の言葉だけは素直に受け入れられないのだろう。
「お前が勝手に家柄自慢や兄貴自慢をするのは構わないが、周りの人間を巻き込むのはやめるんだな。大体、あんな戦術を教えるなんて、自慢の兄さんてのも大した事ないんじゃないか──」
言い過ぎた、と瀬戸口が思ったのと、壬生屋の平手が飛んできたのは、ほぼ同時だった。
「あなたは、わたくしだけではなく、兄や家まで侮辱するおつもりなんですか!?」
未央は怒りで体を震わせ、瀬戸口を睨み付けた。ほんの一瞬、瀬戸口が怯む。瀬戸口が頬をさすりながら、口を開こうとした、その時──
「未央」
その時、背後から声がかかる。壬生屋邸の門前で未央の兄が立ってこちらを見ていた。
「お兄様…!」
未央が驚いて振り返る。見られてしまった。こんな所を、こんなくだらない事をしている自分を──。ゆっくり自分達に近づいてくる兄を見ながら、未央はまた、自己嫌悪に苛まれていた。
「お前は、先に家に入っていなさい」
咎める口調ではない、いつものように、静かで低い声。だが、反駁を許さない兄の声に未央は素直に従った。最後にチラリと瀬戸口を見ると、玄関に駆けていく。
妹の姿を見送ると、兄は瀬戸口に向き直った。高い上背に綺麗な姿勢、日に焼けていない肌。華奢にも思える細身の体型だが、頼りない印象はなく、見事に隙というものがない。なるほど壬生屋が自慢するのも頷ける、と瀬戸口は妙に納得してしまった。かしこまって頭を下げる兄。
「妹が失礼をしたね。せっかく送ってきていただいたのに申し訳ない。後で未央にも謝罪させよう」
「いえ、こちらがそうされても仕方ないことを言いましたから。謝るのはこちらの方です」
瀬戸口の言葉に兄は少しだけ口元を綻ばせた。それから目の前の人物を見定めるように、視線を動かす。瀬戸口の方も動じることなく、兄を見返した。
「あの子は普通の子だ。君たちの隊には随分と変わった者が集まっているようだし、政府が何をしようとしているかはわたしにはわからない。しかし、あの子が政府や軍や、君にとって価値のない子だろうと、わたしにとっては特別な子だ。間違いなく。だが、未央は壬生屋の娘たろうと、そしておそらくは、君にふさわしくあろうと、必死だ。そのために、自分を見失おうとしている」
「…」
「君が妹にどんな感情を持っていようと、わたしの知るところではないが…」
兄が目を細めて瀬戸口を見やる。すさまじい威圧感を瀬戸口は感じていた。
「たとえどんな理由があったとしてもだ」
兄は凍りついた目で瀬戸口を見据えた。
「君が未央を泣かせるような事をしているのだとしたら、わたしは君を殺してはならないという理由を、何も思いつかない」
兄のその視線は、それだけで瀬戸口の命を奪ってしまうかと想われるほど、鋭く冷たかったが、瀬戸口は正面からその視線を受け止めていた。真剣な顔で兄に答える。
「肝に銘じておきます」
真顔になっている瀬戸口を見て、兄がふっと笑った。
「はは、冗談だよ。君は未央をいい意味で変えてくれる男かも知れない。至らない子だが、まあ、よろしく頼むよ」
「は、はあ…」
ほんとに冗談か?と考えている瀬戸口に兄は更に付け加えた。
「わたしも父も、それなりに手ごわい。君も大分出来るようだが、せいぜい覚悟しておいてくれ」
「は?」
呆ける瀬戸口を残して、兄はさっさと壬生屋邸の門をくぐっていってしまった。
「あの人が好きなのかい?」
数日前と同じように、未央と兄は道場で向かいあわせになって正座していた。いきなり切り込まれて慌てる未央。
「そ、そんな!あの様な方、好きになど…」
真っ赤になって反論する未央を見て兄は笑った。本当に、嘘のつけない妹だ。自分を取り繕う事も出来ない、不器用な子。できればこのままずっと、この子を守ってやりたい。だが…。
「未央、この前言った事、覚えているかい?自分には素直になりなさい、と言ったね?」
「はい…」
兄はそっと妹の髪を撫でてやった。
「すぐに変えなくていいんだ。最初から、少しづつ…。いいね?」
「は、はい…。その、わたくし、努力してみます」
サラサラと心地よい髪を撫でながら、いつかあの男が、こうして自分に代わって、この子の髪を撫で、涙を拭う時が来るのだろう、そう思って兄は自嘲気味に微笑んだ。全く、修行不足はこちらの方だ。未央がはっきりと、自分よりあの男を選んだとき、自分は平静でいられるか、自信がなかった。
翌日の昼休み、瀬戸口は戦車によりかかってとろとろとまどろんでいた。昨日、壬生屋に平手打ちを食らった頬の腫れは引いてはいたが、無意識にそこを手でなぞって、彼女の事を考える。目を閉じると、なぜか壬生屋の顔が浮かんでくる。悲しそうに俯いている、怒りに震えて自分を睨んでいる彼女の顔…。
「瀬戸口君」
急に考えていた人物の声がして、瀬戸口が身を起こすと、未央が瀬戸口に目を合わせないようにして、立っていた。
「何か用か?」
努めて冷静を装う瀬戸口。だが、そんな瀬戸口には構うことなく、未央はもじもじと両手を体の前で組んで下を向いていた。
「あの、その、わたくし…」
いつもの未央らしくない、消え入りそうな声だった。それでも次には、頭を直角以上に下げて、小隊中に聞こえそうな大きな声を出した。
「とにかく、昨日は申し訳ありませんでしたっ」
未央は瀬戸口の返事を待たず、瀬戸口を見る事もせず、踵を返すと、ぺたぺたと草履の音を響かせて走り去ってしまった。
瀬戸口は呆気に取られながらも、今起きた事をコマ送りのように思い返していた。頬を赤くして、必死になっている彼女の顔、走り去る後ろ姿。流れる黒髪──。
もう自覚せずにはいられない。自分の想い、自分でもわからなかった苛立ちの本当の意味──。
瀬戸口は大きく息を吐く。こんな簡単な事だったのだ。本当になんて簡単な…。
「兄さんに、オヤジさんか…。本当に、俺、殺されるんじゃないか?」
瀬戸口は一人呟いて、指揮者にもたれかかって、目を閉じた。瞼の下で、壬生屋が自分に微笑みかけている。いつか、それが現実になるように…。
そう願いながら、瀬戸口は心地よい眠りに落ちていった。
長い割りにはよくわからない!「兄が生きていたら」というのを一度書きたかったんです(爆)。
本当は瀬戸口VS兄のギャグの予定だったんですが、あれれ、という方向に。しかもいまいち消化しきれませんでした。前後編にでもしようとも思ったのですが、ゲームには登場もしない兄ネタでってのもアレかな〜、と思って無理矢理に最後を締めくくってしまった…。(汗)
ちなみに壬生屋兄像は、このように、ひたすら優しく強いというイメージと、壬生屋の潔癖症に影響を及ぼしたっぽいちょっとおちゃめなイメージ、二つあります(笑)
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