CALLING


八月も半ばを過ぎ、日が落ちてからの風は昼間の暑さを忘れさせてくれる。
虫の鳴き声が、残暑は厳しくとも、もう秋だという事を知らせていた。瀬戸口は窓を開け、自然の涼風を部屋に入れて自分の瞳と同じ黄昏の空を見つめていた。

「お待たせしました」
寝室のドアが開き、壬生屋が顔を出す。桔梗の花をあしらった浴衣を綺麗に着て、髪も結い上げている。瀬戸口はため息をついて、壬生屋に歩み寄った。ほっそりとした白いうなじが瀬戸口の目に眩しく映る。
「綺麗だよ…」
そう言って瀬戸口は壬生屋をそっと抱き寄せる。壬生屋の顔も、うなじもみるみる朱に染まった。
「あ、ありがとうございます…」
「…ホントはこんな壬生屋は誰にも見せたくないが、仕方ないよな。出かけよう」
「…はい…」

長かった戦争状態が終わり、廃れかけていた夏祭が今年は盛大に行われると聞き、二人で出かけようという事になった。今回は瀬戸口はシャツにジーンズという出でたちだが、来年は二人で浴衣を着ようと、会場に向かう道で話合う。どんなささいな事でも、遠い先の事を二人で話せるというのは幸せな事だった。

会場は予想以上に大混雑していた。金魚すくいや射的、りんご飴など、ありとあらゆる夜店が沿道に並び、若者や家族連れで賑わっている。少しでも目を離せばお互いを見失ってしまいそうだ。瀬戸口は壬生屋の手をとって指を絡ませた。壬生屋は真っ赤になって瀬戸口を見上げる。
「あ、あの…」
「お互いはぐれないように、な…?」
耳元でそう囁かれて壬生屋は声も出せずにただ小さく頷いた。

瀬戸口は楽しそうに夜店を覗いては壬生屋に話し掛け、人ごみから壬生屋を庇うようにして歩いた。壬生屋は賑わう夜店にもほとんど目が行かず、瀬戸口の笑顔と言葉に半ばぼうっとしている。浴衣姿の自分、普段と違う雰囲気もあってか、恋人と手を繋ぎ、彼の幸せそうな横顔を見つめていると夢の中にいるような感覚に捕われる。何にも変え難い、たった一人の、愛しい人…。



「きゃっ!」
若者の集団ぶつかったのは一瞬のことだった。その拍子に握った手と手が離れる。顔をあげると瀬戸口の姿はない。
「瀬戸口君…?」
振り返り、背を伸ばして前を見ても瀬戸口の姿は見えない。人の波が壬生屋を押し流し、その場に留まっている事すら出来ない。弾かれるように前に躓き、転びそうになる。

全身の血が引いていくような気がした。押し寄せる人達が自分を襲うようにも見え、楽しそうに行き交う人々の笑い声が自分だけが一人なのだと責めるように壬生屋の頭に響く。
「瀬戸口君!」
大声で叫んだつもりなのに、声はうわずって上手く出ない。さっきまでは感じる事もなかった夏の湿気が全身に纏わりつき、喉にはり付くようだった。

はぐれただけなのに。瀬戸口の部屋に戻って待てば彼は戻ってくる。そう思っていても、瀬戸口が自分の横にいない事が、さっきまで握ってくれていた手のぬくもりがなくなってしまった事が壬生屋を不安にさせていた。彼の姿を求めて、壬生屋は人ごみの中をさまよった。


──そう、いつかこれと同じ事があった。幼い頃の自分。兄に手を引かれて夏祭りに行った。兄とはぐれたわたくしは、泣きながら兄の姿を探し、歩き疲れてうずくまって泣いていた。
『見ーつけた』
優しい声に顔を上げると兄が微笑んで自分に手を差し伸べていた。
その笑顔に安堵してわたくしは兄に縋りついて泣きじゃくり、兄に背負われて帰った。兄の背中は大きくて、暖かくて、わたしはいつしかその背中で眠ってしまっていた──。

その兄はもういない。幸せは自分の腕をすり抜けていってしまった。
いつかまた、そんな気持ちを味わう事になるのだろうか?ようやく手に入れたと思った幸せも、指の間からこぼれる砂のように、掴んでも掴んでもいつかはなくなってしまうのだろうか。時々、遥か遠くを見るように静かに微笑む瀬戸口。彼はいつか自分以外の居場所を見つけて、こうして自分を残していなくなってしまうのではないだろうか。

たくさんの見知らぬ人に囲まれているのに、世界で自分がたった一人になってしまった気がした。自分を知っている人がこの世界に誰もいない、ここにいるのに、誰も自分の存在に気付かない。瀬戸口が傍にいなければ、もう、歩く事さえ一人では出来ない…。
「瀬戸口君…瀬戸口君…」



──もう、どれくらい経ったのだろう。
壬生屋は会場のはずれにある公園のベンチに腰をおろしていた。遠く祭囃子が聞こえてくる。髪がほつれて頬に貼り付き、浴衣も皺だらけになっていた。
それに構わず壬生屋は顔を手で覆って涙を堪えた。

──貴方がいないだけで、こんなに不安になるなんて…。どこにいるの?応えて、瀬戸口君──

「見つけたぞ、お姫様」

低い美声にハッとして顔を上げる。そこにはいつもと同じ、優しくて暖かい恋人の笑顔。
「瀬戸口く…」
目を瞠っている壬生屋の横に座って、瀬戸口は体を壬生屋に向けた。
「探したじゃないか。まったく、はぐれたらその場から動かない、なんて子供だって知って…って…壬生…屋?」
瀬戸口の言葉が終わる前に、壬生屋は瀬戸口の胸に縋って泣き出した。瀬戸口の胸で、彼の匂いを感じると、先ほどまでの不安が嘘のように引いていく。
「は、はぐれただけだろ?泣いたりするな…」
言いながら瀬戸口は優しい手つきで壬生屋を抱き、乱れた髪を整えてやった。
「だっ…て…。瀬戸口…君が…このま…ま…、どこかへ行って…しまうような
…気…がして…」
「馬鹿なこと言うな。俺はどこにも行かないよ…」
もう一度髪を撫でて汗ばんだ壬生屋の額に口づけすると、瀬戸口は手を離して壬生屋の足元に跪いた。
「瀬戸口君?」
「…血が出てる」
「え?」
瀬戸口はハンカチを取り出して、壬生屋の足の指を拭った。おろしたばかりの草履を履いて随分と歩いたせいか、指が擦りむけてしまったようだ。夢中で歩いていたので瀬戸口に言われる今この時まで気付かなかったが。

「仕方ないな、ほら」
瀬戸口は跪いたままくるりと背中を向けて壬生屋を促した。
「はい?」
「ほら!早くしろって」
「…!!」
瀬戸口の思うところを悟って壬生屋は耳まで真っ赤になった。
「だ、だめです!そんな、は、恥ずかしい…子供みたいなこと…」
「俺だって恥ずかしいんだからな。早くしろって」

おそらく瀬戸口も頬を染めているのかもしれない。壬生屋からは背中しか見えないが、そんな瀬戸口を思って壬生屋は少しだけ、笑った。
「わかりました。えっと、今日だけですからねっ」
壬生屋はそっと瀬戸口の肩に手をかけた。



瀬戸口に背負われての帰り道、壬生屋はひとつだけ気がついた。瀬戸口のシャツがしっとりと汗に濡れている。いくら夏とはいえ、夜だというのに、こんなに汗ばむはずがない。きっと自分を必死で探してくれたのだ。愛おしさがこみ上げて壬生屋は頬を瀬戸口の大きな背中にすり寄せた。

「どうした?」
「いいえ…なんでもありません…」
瀬戸口のシャツはひんやりと濡れていたが、その背中は何よりも暖かだった。


<後書き>
書き始めて随分経っているのですが、個人的に色々ありまして、ようやくアップです(笑)。
でも、季節ごとにいかがわしいネタの尽きない二人です。

ちなみに「CALLING」はB’zではなく(笑)、氷室京介さんの曲からとりました。
「そむけた顔いくつ打たれたら 気付かぬふりやめるのか
どれほどの悲しみに耐えたら 笑顔は自由になるのか」

「ふりしぼる声と握り締めるその手で
運命はきっと 変わる時を待ってる
ちっぽけな愛のささやかな力で
悲しみはいつも 抱かれるのを待っている」

瀬戸口(瀬戸壬生)ソングだ〜!!!
ちなみに瀬戸口視点の話はこちら
から
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