Jealousyを眠らせて
「大事な話があるんだ。今日、仕事が終わったら校門で待っていてくれ」
壬生屋の手作り弁当で昼食を済ませた後、瀬戸口はいつになく真剣な眼差しと声で壬生屋に告げた。
「は、はい…。わかりました」
付き合い始めてだいぶ経つというのに、未だに見つめられるだけで頬を染めてしまう壬生屋は小さい声で頷くと、まだ自分を見つめている瀬戸口の視線から逃げるようにプレハブ校舎の屋上から降りていった。
戦況は悪くなかった。人類は優勢でこのところ出撃もなく、このまま休戦期を迎えることが出来るだろう。
それでも、生真面目な壬生屋は午後7時まできっちりと仕事をこなすと、瀬戸口が待っているであろう校門へと急いだ。「大切なお話ってなんでしょう…」呟きつつ急ぎ足で歩く壬生屋の耳に幼い少女の声が響いた。
「たかちゃん、きょうはちゃんとおしごとしてえらいのよ。それにね、たかちゃん、きょうはとてもうれしそうなの。それはいいことなのよ」
「よくわかるな。偉いぞ、ののみは」
壬生屋が呆然と立ち尽くすその先で瀬戸口はののみの目の位置までしゃがみこみ、優しく微笑んでいる。
「えへへ。ののみ、えらい?あのね、たかちゃんがうれしいと、ののみもうれしいなあ」
壬生屋は反射的に鬼しばきに手をかけながらつかつかと瀬戸口(とののみ)に歩み寄った
頭では理解しているつもりだ。彼がどんなにののみを大切に思っているか。その上で自分を愛してくれている事も。それでも自分の気配に振り返る恋人の笑顔が自分以外の存在に向けられていると思うだけで、醜いと思っていても嫉妬心が湧きあがってくるのが抑えられない。
「壬生屋、遅いじゃないか…ってどうしたんだ?そんな怖い顔して…」
「大事な…大事なお話ってそういう…」
壬生屋がわなわなと髪を膨らまし始めたその時──
「瀬戸口く〜ん!」
女子高の生徒が数人瀬戸口の周りに群がり、手作りのクッキーだケーキだファンレターだと頬を染めながら瀬戸口に渡すと、風のように去っていった。瀬戸口を見れば余裕の体で愛想よく笑顔で去っていく女子高の生徒に手を振ったりなどしている。両手にプレゼントを抱えた瀬戸口をののみがキラキラとした大きな目で見上げていた。
「たかちゃん、ののみがおかしつくったら、たかちゃんたべてくれる?」
「ああ、もちろんだ。ののみが作ってくれるなら何でも食べるぞ」
「えへへ」
「なあ、壬生屋、もうこんな暗いからののみを送ってから話を…おい、壬生屋?」
瀬戸口と視線が合うと、壬生屋は踵を返し、走り出しそうな勢いで歩きだしてしまった。
「あ、おい!壬生屋?待てよ!」
瀬戸口が壬生屋の腕を掴んで引き止めると、壬生屋はキッと瀬戸口を睨んだ。
「大切なお話とやら、よくわかりましたっ。ののみちゃんから高校生から、よくおもてになりますこと!わざわざ呼び出しておいて、こんな事…。見せつけずとも、わたくし、前からよく存じております!」
「何言ってるんだ?話ってこんな事じゃないよ。誤解だ」
「わかっています!そんなこと!」
「だったら…」
「知りませんっ!」
手を振り解くと、壬生屋は黒髪を揺らして走り去ってしまった。
「たかちゃん、みおちゃんとけんかしたの?けんかはめーだよ」
心配そうなののみの声を聞きながら瀬戸口はバツが悪そうに頭を掻いた。
──わかってる、わかっているのに…。彼がどんなに自分を、自分と共に過ごす時間を愛してくれているか。それでもいつも不安は胸の奥から消えない。彼が誰かに微笑むだけで、時折見せる、自分を通り過ぎて遥か遠くを想うような彼のまなざしを見るだけで、足元をすくわれるような感覚に襲われる。自分ではどういようもないこの思い。こんなにも幸せな日々なのに、醜い感情を抱く事が、その度に彼に素直な態度を取れないでいる事がたまらなく嫌だった。
夜も更けて自室に篭もっていた壬生屋はふと障子の外に人の気配を感じて立ち上がった。
「…?」
今日は父親も戦況が安定している間にでも、と古い友人と温泉に行ってしまっている。物取りかなにかと鬼しばきを構えてすっと障子を引くと、暗闇には他でもない、自分の恋人が佇んでいるではないか。壬生屋の姿を見つけて微笑む瀬戸口。
「瀬、瀬戸口さん!?」
「よお、親父さんに先に見つかったらどうしようかと思った」
春とは言え、夜はまだ冷え込む事もある時期だ。瀬戸口の吐く息は微かに白く、不自然に白い顔は彼がかなりの時間、この場所に居た事を物語っていた。
「一体いつから…!?」
壬生屋は草履も履かずに縁側から降りると、冷たくなってしまっている瀬戸口の頬にそっと触れた。
「…どうしても聞いて欲しい話があるって言ったろ?」
壬生屋は校門での出来事を思い出し、そっと目を伏せた。
「…どんな大切なお話か存じませんが、それならそれなりの、その…雰囲気とか、態度とか、あると思うんです…。わたくしは、わたくしは…」
瀬戸口は暗がりでもなお、部屋からの微かな灯りを受けて輝く壬生屋の髪を撫でた。
「わかったわかった。もう他の子からプレゼントなんか貰わないから。みんな断るよ」
「…違うんです…。そんな事をして欲しいのではありません…ただ…」
瀬戸口は冷たい手でもって壬生屋の顔をあげさせると困ったように笑った。
「やれやれ、困った子だ。俺はどうしたらいいのかな?」
悲しそうな笑顔。寂しそうな──そして呆れたような…拗ねた子供をあやすような…?
瀬戸口のそんな笑顔が胸に痛みをもたらしたが、それでも壬生屋はもてあました感情をどう表現すればいいのかもわからなかった。ただただ目の前の恋人に当り散らしてしまう。
「どうせ、どうせわたくしは子供です!貴方に比べたらどうしようもなく幼いです!そ、そんな目で見てわたくしを馬鹿にしないで!」
瀬戸口の体を突っぱねて壬生屋はヒステリックな声をあげた。瀬戸口があわてて壬生屋の口を塞ごうとする。
「お、おい、そんな大声出したら親父さんに見つかっちまうぞ」
「父は今日は留守です!とにかく、今日はお帰りくださいまし!わたくしはとても、お話を聞く気にはなれません!」
「俺は話を聞いてもらうまで帰らない」
突然真剣な声になる瀬戸口に壬生屋は一瞬息を呑む。しかし、今更折れたり出来ないのが壬生屋の壬生屋たる所以だった。
「お、お好きになさい!わたくしは知りませんからね!」
壬生屋は大きな音を立てて障子を閉めて部屋の灯りも消してしまった。取り残された瀬戸口は縁側に腰をおろし、夜空を見上げてため息をつき、目を細めて微笑み呟く。
「まったく…。やっと話せると思ったのに…。素直じゃないお嬢さんだよな。毎日毎日振り回されっぱなしだ…。いつも騒々しくて、昔のことなんか思い返す暇もない…うお!?」
後頭部に衝撃を受けて瀬戸口は地面に転落した。もがいて縁側に手をかけた瀬戸口の頭上から声がかかる。
「離れ屋が空いています。そこでお休みなさい」
無理をして感情を押し殺している震えた声だった。
「壬生屋…」
「ただし!わたくしの部屋に入ってきたら問答無用で斬ります!わかりましたね!?」
「は、はい」
ほとんど条件反射のように瀬戸口が頷くと壬生屋は表情を強張らせたまま「よろしい」と言って再び障子を閉めてしまった。瀬戸口が周りを見渡すと寝具の一式が散らばっている。どうやら先ほどは枕が後頭部を直撃したようだ。布団をかき集めながら、瀬戸口は何かを思いついたように一瞬手を止め、再び布団をたたんでひとまとめにすると、部屋の前から立ち去った。
瀬戸口の気配が障子の外から消えると、壬生屋は布団にもぐりこみ、枕に顔を突っ伏して嗚咽を漏らした。
なぜ、どうしていつもこうなってしまうのだろう。一体彼になんの不満があるというのだろう。彼がののみにも、他の女性にも笑顔ひとつ見せくなればそれでいいのか。違う、不満があるのは彼にではない、彼に遠く及ばない自分の狭量さにだ。瀬戸口と話す度、自分の未熟さを思い知らされた。そしてそんな瀬戸口にますます惹かれていく。愛し、愛されているのに募る不安…。
──そう、自分は彼にふさわしい人間ではないのかも知れない──
(大事な話というのも、もしかしたら、そんな話だったのでしょうか…。わたくしだってこんな女、願い下げだもの…)
とめどなく溢れ出る涙で枕を濡らしながら、壬生屋は泣き声を押し殺した。
「う…ん…」
翌朝、窓からの木洩れ日で壬生屋は目を覚ました。どうやらあのまま泣き疲れて眠ってしまったらしい。
瀬戸口が部屋に来てくれるのを期待していなかったわけではないが…。壬生屋はそんな思いを払うように頭を小さく振ってけだるい体を起こし、腫れた目を擦る。
「──?」
瞼に固いものが当たって壬生屋は爪を引っかけでもしたのかと手を離した。しかし、次の瞬間、瞼に当たったものの正体を知り目を見開いた。しばらくの間呆然と自分の手を見つめていた壬生屋はやっと自分に何が起きたかを悟るとはじかれた様に部屋から飛び出した。
乱れた髪も、夜着もそのままに、壬生屋は離れ屋に駆け込んだ。瀬戸口はとうに身支度を整ており、ゆっくりと壬生屋の気配に振り返る。悪戯っぽく微笑む瀬戸口に壬生屋は呼吸を乱し、しばらく声も発する事もできない。ようやく壬生屋は左手をもう片方の手で庇うように胸の前で重ねて声を震わせた。
「これ…これは…」
瀬戸口は優しく壬生屋の手を解き、左手と、その指にはめられた指輪に口づけた。瀬戸口の瞳と同じ、紫色の小さな石のついた指輪…。
「大事な話って言ったろ?それなのにお前が聞いてくれそうにないから、俺も断るって言っても聞かないからな。決定だ。まあ、親父さんにどう話すか、がまだ残ってるけど…」
「でも、一体いつの間に…」
まだ信じられないといった様子の壬生屋を瀬戸口は胸に抱きこんだ。乱れた髪を梳いてやりながらそっと耳元に囁く。
「お前は俺のもの…いや、俺をお前だけのものにしてください、だな」
壬生屋は身じろぎして瀬戸口を見上げた。
「わたくし…嫉妬深くて、貴方に当り散らして、一人じゃなにも出来ない子供なんです」
「よく知ってる」
「…それでもいい、と仰るんですか?」
「お前じゃなきゃ駄目なんだ。それに、俺だって一人じゃ何も出来ない。一人じゃ出来ないから二人で、だ。
その方がいいだろ?愛してる。そんな不器用な所も全部」
「瀬戸口さん…」
瀬戸口がもう一度壬生屋を抱きしめると壬生屋もそれに応えて腕を背中に回す。壬生屋の白い指にはめられた紫の宝石が朝日を浴びて輝いている。降り注ぐ陽光のなかで二人はいつまでも抱き合っていた──。
──その日以来、傷だらけになって壬生屋邸から出てくる瀬戸口の姿が毎日のように目撃されたという…。
おわり
す、すごい、葛藤もなにもない、ただのバカ瀬戸壬生!いや、わたしが二人のシリアスを書くと、「子供を誘拐するような連中のいいなりになるのは忍耐でも寛容でもなく、単なるマゾヒズムでしょう」「忍耐や寛容の意味についてお主に説教してもらう必要はないよ」という創竜伝の世界になってしまうわけでして…。つまりが後ろ向きな瀬戸口をどう前向きに持っていくかを上手く書けないんですよね〜。瀬戸口を書く方はほんとうにそういう瀬戸口を書くのが上手で、本当に読んでいて泣いてしまう事が多いです。後ろ向きから脱却しているんだけど、すんごいポジティブでもない、それでいてちゃんと未来を見られるようになっている瀬戸口、というか…。そういう瀬戸口がわたしの理想だったりするので(笑)、そういう瀬戸口がたくさん読めるのは幸せです〜。わたしも精進しなくては…。