きみのとなり
「・・・ふう、これで終わり、ですね」
綺麗に片付いた部屋を見回し、食事の準備を終えて、壬生屋は満足げに一人頷く。
ここは、瀬戸口の部屋である。
付き合いだしてから、週に2、3度くらいの割合で、壬生屋は彼の部屋の掃除と食事作りに勤しんでいた。
昼の弁当作りとあわせて、壬生屋にとっての日課のようなものだ。
彼は自分の部屋に執着がなく、物もまばらで、生活感がない。最近増えたものはといえば、食器や小物入れなど、生活に最低限必要だと壬生屋が判断し持ち込んだものが殆どだ。
当初、彼の部屋には時計すらなかったのだから、随分人間の部屋らしくなったと思う。
それともう一つ、軟派な外見と裏腹に、彼は和食を好んでいる。意外な事だが箸遣いも上手で、和食を得意とする壬生屋としては、手料理で彼を喜ばせてやりたかった。
整えたベッドの上に腰かけた壬生屋は、洗濯したてのシーツの感触に顔を微笑ませ、ころりと横たわる。黒髪がさらりと乱れて広がった。
「今日は・・・早く戻ってくるかしら・・・」
瀬戸口は時々、自分に部屋の鍵を預けてどこかへ姿を消してしまう事がある。
理由は、聞いた事が無い。付き合う以前は女子高生と消えていたが、最近はふらりと一人でいなくなってしまうのである。
帰りの時間もまばらだ。深夜、日付が変わる前の帰宅もあれば、朝方まで戻らない事もあった。
いつも、真っ青な顔で戻ってきては、自分を見て安心したように微笑み、縋りつくように抱き締め、そして――
壬生屋は鮮明に思い浮かぶ記憶にハッとなって頭を振り、枕に顔を押し付けた。
『はしたない・・・わたくしったら』
彼のベッドに横たわっているせいだろうか。こうも、彼を思い出してしまうのは。
打ち消そうとまた頭を振るが、それも虚しく、記憶は様々な形となって蘇ってくる。
耳元で囁く声、肌に触れる指先、意外に逞しい腕、熱に浮かされた紫の瞳。聴覚と触覚と視覚とが鋭敏に彼を思い出し、体の奥が疼く様に熱くなった。
『隆之さん・・・』
彼に与えられる感覚に溺れ、彼を全身で受け止める行為は、翌日などひどく憔悴してしまう事もあったが、嫌いではない。
愛されて求められている事が感じられるし、何より、それによって彼が安心するのだと知っているから。
抱き締めれば、彼が子供の様に幸せそうな寝顔を見せるのを知っているから。
「・・・早く、帰ってきて下さいね・・・」
壬生屋は一人呟きつつ、瞼が重くなっていくのを感じた。楽な体勢でいると、どうしても疲れを自覚し体が休息を求める。
ゆっくりと、目を閉じる。目を開けた時には傍に瀬戸口がいればいいのに、と思った。
重い体を引き摺るように、頼りなげな足取りで瀬戸口は部屋へと向かった。
時折足を縺れさせる様にしながらも、早く、早くと。真っ直ぐに、自分を待っているはずの彼女の元へ。
死を舞い、殺戮に溺れたその後は、無性に彼女が欲しくなる。
華奢な体を掻き抱き、組み敷いて、貪るように肌を合わせて。
雪白の肌を朱に染め、綺麗に整えられた黒髪を乱れさせ、凛と力のある声を快楽に溺れさせ自分の名を呼ばせて。
彼女に愛されている事を、彼女を愛している事を確認したくなる。
それは儀式のようだった。そうして求め、求められている事を知って、自分はやっと今生きているのだと感じられるのだ。
『お帰りなさい、隆之さん』
彼女はいつも、どんな時でも暖かな笑顔で自分を出迎えてくれた。ここがあなたの帰る場所だと、そう微笑んでくれる。
自分は彼女の存在に、どれだけ救われただろうか。
ここに、生きていていいのだと、赦された気持ちになれる――
ふと顔を上げれば、部屋の灯りはついたままだ。瀬戸口はたったそれだけのことに幸せを感じ、足取りを軽くした。
軽いノックをし、返事を待たずに部屋に入る。
「ただいま」
しかし、返ってくる声は無かった。靴を脱ぎながら、あまりの静けさに首を傾げる。
一人娘である彼女は家が厳しく、遅くまで部屋にいることはあっても泊まる事は稀であった。
しかし、いつでも自分が帰るまでは必ず待っていてくれる。
何か理由があって帰ってしまう事があっても、ちゃんと連絡もあるし戸締りも済ませてくれるはずだ。
鍵が開いていて灯りもついているとなれば、いないはずが無いのだが。
「未央? いないのか・・・?」
荷物を放り出し、玄関から部屋に入りながら呼びかけた瀬戸口は、視界に入った光景にきょとんとして目を大きくした。
そして次の瞬間には、ふ、と吹き出すようになって、綺麗に片付けられ、食事の用意も済んだテーブルの横を通りベッドに歩み寄る。
やはり綺麗に整えられたベッドには、ベッドを整えてくれたであろう少女が横たわっていた。
そっと音を立てないようにベッドの端に腰かけながら、瀬戸口は規則的な寝息をたてる恋人を見下ろした。
いつも自分を映しては艶やかな輝きを見せる青い瞳は閉じられ、そのせいか常よりも幼い印象を受ける。僅かに開かれた桜色の唇からは吐息が漏れ、微笑んでいる様にも見えた。
何か、いい夢でも見ているのだろうか。小さな子供のようにあどけなく、安らかな寝顔だった。
彼女の眠りを妨げぬよう、瀬戸口は壊れ物に触れるように頬へ手を添えた。
「毎日、仕事も訓練も、頑張ってるもんな・・・」
疲れていて当たり前か、と手を滑らせて、シーツに広がる黒髪を指先で梳く。絹糸のような手触りに瀬戸口は口元を微笑ませた。
今はシーツに広がって艶を放っている黒髪が、きびきびとした立ち振る舞いに靡く様や、白い肌を滑って絡み付いていく様を思い出す。
その一房を手に取って、軽く口接けながら瀬戸口は目を細めた。先程まで全身を蝕んでいた疲労と絶望とが、まるで感じられなくなっている。
「本当に・・・・眠っていても、未央は可愛いな」
しかも眠っているその表情だけで、安らぎをくれるなんて。
それだけ自分が彼女にベタ惚れだということか。瀬戸口は苦笑を禁じえず、髪を離すと今度は露になっている額に口接けた。
触れるだけのキスを贈って電気を消し、上着だけを乱暴に脱ぎ捨てて静かに隣に入る。
なるべく彼女の睡眠を妨げぬように、と動いたつもりだったが、さすがに気配を感じたらしく、壬生屋がうっすらと眼をあけた。
月明かりだけが差し込む部屋の中で、彼女の瞳だけが鮮烈な光を放っている。
眠気のせいなのか、とろんとした、ある種の艶かしさがある視線に、瀬戸口はドキリとしながらも優しく微笑みかけてやった。
「悪い、起こしちゃったか」
「・・・おかえり、なさ、い・・・・」
「え?」
壬生屋は力のない声でそう言うと、するりと腕を伸ばして、瀬戸口に抱きついた。
広い胸に飛び込み、少しだけ伸び上がって顔を近づけたかと思うと、掠めるようにキスをする。
突然の行動に驚いた瀬戸口に、壬生屋はどこか焦点のあっていないような、夢現の間にいるような目で瀬戸口を見つめ、花開くように微笑んだ。
「・・・おかえりなさい・・・隆之さん・・・・・」
声は頼りなく、消え入りそうな小ささだ。これは、明らかに正気ではない。夢でも見ているつもりなのだろう。
瀬戸口は擦り寄ってきた彼女を抱き締めて囁いた。優しく、彼女が目を覚まさぬように。
「・・・・ん。ただいま」
息を吹きかけられるような呟きに、壬生屋はそれでいい、と言わんばかりにこっくりと頷く。
彼女の頭の下に腕を入れ、腕枕をする体勢で再び額にキスをすると、抱いた体がくすぐったそうに震えた。
しかし逃げ出す事はなく、さらに体を密着させて、壬生屋はゆっくり瞼を閉じる。
まるでここが定位置、とでもいうように、満足げな顔でまた眠りに落ちる壬生屋に、瀬戸口は小さく笑い声を漏らした。
これはきっと、覚えてはいまい。明日の朝、この状況で目を覚ました彼女の反応が楽しみだ。
怒るか驚くか。どちらでも可愛いからまあいい。
「おやすみ、未央。いい夢を」
彼女の寝顔を再び確かめつつそう囁いて、瀬戸口はそのまま眠りに落ちていった。
―――壬生屋の隣は、とても暖かだった。
…
……
………はっ!余韻に浸っていました!
『CLOUD PARK』の東雲悠希さんよりサイト開設のお祝いに送っていただいたSS。
いつもはあれこれしているのに(爆)、その日はぎゅーするだけの瀬戸口、という無茶なリクエストにこんなに綺麗に答えてくださいました!にじみ出る瀬戸口の優しさが溜まりません!
そして、壬生屋が甲斐甲斐しくお部屋の掃除やらご飯の支度をしているのを想像しても、萌え!
きっと二人とも、いい夢見られることでしょう!
悠希さん、ありがとうございました〜!