『鬼の涙』



「そうそう、うまいですよ、ののみちゃん」
「ふ、ふええ〜、でも、でも、みおちゃんのほうがじょうずなの。ののみの、へんなかたちだよぉ」
「そんなことないですよ。初めてなんですから。よくできましたよ」
「…たかちゃん、ののみのもたべてくれるかなあ…」
「もちろんですとも。さあ、隆之さんとブータがお待ちかねですよ」
「…うん!」

今日は2月3日。節分である。
この日、壬生屋とののみは、壬生屋の自宅で恵方巻き作りにいそしんでいた。
自分も作りたい、というののみに教えながら、ようやく完成した太巻きと、炒った豆を盛った枡を持って、二人は瀬戸口とブータの待つ縁側へと急ぐ。

その頃、瀬戸口は壬生屋邸の縁側に腰をおろし、お茶をすすっていた。
小春日和となった今日は、縁側にも暖かい日差しが差し込み、赤茶の瀬戸口の髪が明るく照らし出されている。

「…鬼を追い払うなんて、嫌な習慣だよなあ、俺がなにしったっていうんだ、全く…」
縁側でも一番陽が当たって暖かそうな所で、丸くなって気持ち良さそうに目を閉じているブータに、瀬戸口がこぼした。
「ぶにゃぁ」
ブータは片目を開けただけで、気だるそうに鳴いただけだった。
「なんだよ、最近つきあい悪いぞ、おっさん」
「ナァァ〜(口で言うほど嫌がってはおらんくせに。よいではないか、平凡な幸せ、キッドにはなかなか似合っておる」
「……からかってるのか?」
口を尖らせる瀬戸口にブータは答えず、ヒゲをひくりとさせただけで、また眠りに落ちていってしまったようだった。

ぱたぱたと足音がして、屋敷の奥からののみと壬生屋が盆に太巻きと炒り豆を運んでくるのが見えた。
ののみと壬生屋のその姿に、瀬戸口の顔がたちまちほころぶ。

「お待たせしました。準備できましたよ」
壬生屋がてきぱきと縁側に太巻きと豆の入った枡を並べていった。
「今年の恵方は南南東ですって。さあ、食べましょうね」
「…お、俺も食べるの?」
「当たり前です」
「色男が太巻きまるかじり…」

瀬戸口がげんなりとなったところへ、ののみが少々不恰好な太巻き寿司を乗せた皿を持って瀬戸口のそばにやってくる。
「あのね、これ、みおちゃんにならって、ののみがつくったの。へんになっちゃったけど、たかちゃん、たべて」
「おお〜!こりゃおいしそうだ!ののみ、上手にできたな〜」

ブータの前にも太巻きの乗った皿を置いてやりながら、壬生屋はぐりぐりとののみの頭を撫でて満面の笑みになっている瀬戸口を、横目でじろりと睨んで、それでもつとめて平静を装った声を出した。

「では、いただきましょう」
「は〜い!いただきます!」
「はいはい」
「ニャウン!」

「「「「………」」」」

みな、食べているときは喋ってはいけない、という習慣を律儀に守っている。

3人と一匹が無言で太巻きをほおばっている光景は、冷静に見ればなんとなく奇妙だ。
しかし、ののみが小さな口で、はぐはぐと太巻きを頬張っている姿はなんとも可愛らしい。


太巻きを食べ終わり、いよいよ豆まきとなった。
瀬戸口はののみと壬生屋が画用紙で作ったらしい、どう見ても怖くない、しかも笑顔の鬼の絵の面を手にする。

「すみません、鬼の役を押し付けてしまって…」
「いいっていいって。ああ〜、でも疲れそう。俺、体動かすの向いてないんだよな〜」
そんな瀬戸口に壬生屋がいたずらっぽく笑う。
「うふふ、実はおしるこ作ってあるんです。終わったらご馳走しますから」
「なに?じゃあ、ちょっと頑張るか!」
「まあ、しょうのない人ですね」
壬生屋が半分呆れ顔なのをよそに、瀬戸口が靴をはいて庭に下りていった。



「おにはそと〜!」
壬生屋邸の庭に、ののみの元気な声が響いている。鬼の面をつけて広い庭を追いかけられている瀬戸口は、それなりに芝居をしてつまずいたり転んだりして見せていた。そのほのぼのとした様子を、縁側で壬生屋が微笑んで見守っている。

「変な鬼ですね…」
ちっとも怖くない、不真面目で、破廉恥で、優しくて、愛しい鬼。
あなたが鬼だとしたなら、誰も家から追い出したりしないのに…。

ぼんやりとそんな事を考えているところへ、ののみが駆け寄ってくる。
「ねえねえ、みおちゃん」
「…え?な、なんですか?」
「うんとね…。なんか、たかちゃん、かわいそう」
「え?」
大きな瞳でじっと壬生屋を見上げるののみ。
「たかちゃん、まめをなげられて、かわいそう。むかしはほんとうのおにさんになげてたんでしょ?だったらおにさんもかわいそうだよね。おうちからおいだされて。ののみは、おにさんとも、なかよくなりたいなあ」
「ののみちゃん…」
「たかちゃんおにはおうちにいてもいいよね。みおちゃん」
壬生屋は草履を履いてののみの前にしゃがみこんだ。その頭を優しく撫でてやる。
「ののみちゃんはいい子ですね。そうですね。鬼さん、可哀想です。じゃあ、これからは…」



「お〜い、どうしたんだ?ののみ?」
ののみに追いかけられない事に気付いた瀬戸口が鬼の面を取って戻ってくる。
壬生屋が立ち上がって振り返り、にっこりと笑った。
「ど、どうした?」
ののみも瞳を輝かせて瀬戸口を見上げながら、瀬戸口の袖を引っ張った。
「うんとね〜。これからは『おにはうち』にするの!」
「はあ?」
ねえ〜、と顔を見合わせて笑う壬生屋とののみを見ながら、瀬戸口が顔を傾げる。

「今年から、、我が家では『鬼は外』はやめて、『鬼は内』にすることにしましたの」
「え?」
「ええと、だからね、『たかちゃんおに』は、『おにはうち』なの」



──まさか、知っているはずがない──。

立ち尽くしている瀬戸口の手から、可愛らしい鬼の面を取って、壬生屋が微笑んだ。
「ずっとこの家にいてくださいな、優しい鬼さん」
「俺は…」

言葉が出てこない。何を言っていいのかわからない。壬生屋も、ののみも、自分の本当の姿は知らないはずだ。
でも、それでも、ここにいていいと、いて欲しいと、その言葉が瀬戸口の心に染みこんでゆく。


「たかちゃん…ないてるの?」
「──!」
ののみにそう言われて、自分の顔に手を当てる瀬戸口。その時はじめて、自分が涙を零している事に気がついた。
「たかちゃん、うれしいのになくの?へんだよ。うれしいときはわらうのよ」
またもののみが瀬戸口の袖を引っ張った。
「へ、変な人ですね。泣くことなんてなにもないでしょうに…」
傍らの壬生屋も自分が告げた言葉の本当の意味にも気付いてはいないようで、瀬戸口の涙に、戸惑っている。だが、涙を流す理由も、まさか説明するわけにもいかず、顔に手を当てたまま黙るしかない瀬戸口。

やがて、壬生屋がふっと笑って腕を伸ばして瀬戸口の髪をそっと撫でた。
「泣き虫鬼さん、もう泣かないで」
「…っ」

頭ひとつ高い自分にではあるが、悪戯した子供を赦す母親のようなその仕草に、瀬戸口は耐え切れずに、二人を抱きしめた。


固まる壬生屋と、喜んで自分にだきついてくるののみ。
自分がここにいてもいいと、そう言ってくれる、天使のような娘と、愛しい恋人…。
瀬戸口は泣き顔を隠すように、いつまでも二人を抱きしめていた。

う、う〜ん、これでいいんだろうか…。
SSの部屋へ
トップへ戻る