女の節句
2月も下旬にさしかかったとある夜。壬生屋の家では賑やかにみなで鍋をつついていた。
壬生屋とその父親、そして終戦後、なし崩し的に同居している瀬戸口とののみ、という面々である。
食卓を大勢で囲み、食事をする、という家族団らんに、慣れないののみは嬉しがってはしゃぎ、
憧れていた瀬戸口は心なしか目が潤んでいるように見えた。
食後のお茶をすすりながら、壬生屋父がおもむろに口を開いた。
「未央、ようやく平和になったのだし、どうだ、今年は雛人形を飾ってみては」
「えっ?」
思いがけない提案に壬生屋は怪訝そうに父の顔を見た。
「戦時中は浮かれて女の節句など祝っている場合ではなかったが、せっかくワシがお前が我が家に来た年に大枚ハタイて買った豪華7段飾り(謎)、飾らぬままでは勿体無いではないか」
「ええ、でも…」
壬生屋は俯いてもじもじと自分の湯のみをいじっている。
「わたくし、もうそういう歳ではありませんし…。その、なんと言いますか、とっくにわたくし、行き遅れているような気配が…」
何気なく向けられた視線に、うっと気おされる瀬戸口。同居していながら、まだ父親から結婚の許可を貰っていないらしい。
「ねえねえ、ひなにんぎょうってなんですか?」
ののみが壬生屋親子に尋ねると、瀬戸口がホッと胸をなでおろす。その瀬戸口を少しだけ恨めしそうに睨んでから、ののみには、優しい笑顔で答える壬生屋。
「ええと、3月3日に、女の子の無病息災…ええと、女の子が幸せに育ちますように、とお人形を飾ってお祝いするのですよ」
「ふええ〜。楽しそうだねえ!じゃあ、そのお人形さんがみおちゃんのお家にあるの?」
「ええ、そうですよ」
ののみは目を輝かせて隣に座る壬生屋の袖を掴んだ。
「うわ〜!ねえ、みおちゃん、そのお人形、ののみ、見たい!」
「ののみちゃん…」
壬生屋はひな祭りさえ知らずに育ったののみが不憫に思えて、自分の袖を掴むその小さな手をそっと握った。
「どうだ、ののちゃんも見たいと言っている事だし」
「未央、ののみに雛人形見せてやってくれ。きっと喜ぶ」
男性陣に押され、トドメにののみから「見たい見たい」視線を受け、ついに壬生屋は「わかりました」と答えてしまうのだった。
翌日。
早速壬生屋は、壬生屋父が誇る豪華7段飾り雛人形の飾りつけに取り掛かった。
朝早くから埃臭い納屋から人形を一体一体取り出し、虫干しし、午後からはひな壇を組み立て、人形を置き、小道具やひし餅を飾っていく。壬生屋の横でののみが嬉々としてそれを手伝い、壬生屋からひとつひとつ人形や道具の意味や成り立ちを聞いては感心しているようだった。
が…。
その頃、壬生屋家の男性陣二人は、台所で4人分の食事の準備をするハメになっていた。
壬生屋が一日がかりで雛人形を飾る作業に没頭しているため、壬生屋家の男性二人が、その日の家事一切を任されることになってしまっていたのだ。
瀬戸口がまめな性格で料理の腕に多少覚えがあるとはいえ、所詮男が一人で暮らしていた時のものである。しかも将来の義理の父(予定)と二人きり、慣れない台所での仕事となれば、包丁を持つ手もおぼつかない有様である。
「いやあ〜。お義父さん、お互い余計な事言っちゃいましたかねえ。はっはっはっ!!」
軽く頭を掻きながら、陽気に、半分自棄な口調で話し掛けてくる瀬戸口に、壬生屋父が持っていた包丁で瀬戸口に斬りつけてきた。
「やかましいっ!!誰が父と呼ぶことを許したかっ!!!!!!!」
ハラハラと磨かれた床に落ちる茶色の髪を見て青くなる瀬戸口。
「ほ、本気でしたねっ!?今のは!!」
「黙らっしゃい!!今日という今日は、貴様の性根を叩き直してやる!覚悟っ!!!!!!」
包丁を振りかざして瀬戸口に次々斬りかかる壬生屋父。ひょいひょいと器用にそれをかわしていく瀬戸口。
「お、おのれちょこまかと…」
「では俺もそろそろ本気を出させてもらいますよ」
瀬戸口が、口の端をビミョーに吊り上げ、自分が先ほどまで使っていた包丁を持って構える。
お互いの「気」(?)が高まったその時──。
「一体なんの騒ぎですか!!」
騒ぎを聞きつけたらしい壬生屋が台所の入り口に仁王立ちになっていた。
ぱっと振り向いて、娘に駆け寄って縋りつく壬生屋父。
「おおぉぉぉぉ!未央〜〜〜〜〜!!飾りつけは終わったか?うん、パパが手伝ってやろうか?」
「何を言っているんですかっ!お台所が滅茶苦茶ではありませんか!!」
「未央〜。義父さん、酷いんだぞ、俺の、この顔めがけて包丁を…」
「ええい!!父と呼ぶなといったであろうが!!娘から離れろっ。軟弱男め!」
何故か壬生屋の袴にしがみ付いている男二人。
「ちょ、ちょっと二人とも離して下さい!」
ずり落ちそうな袴を押さえて、壬生屋が叫んだ。
「うわぁ〜!ののみもぎゅ〜したいのよ!ぎゅ〜」
つられてののみも壬生屋にしがみつく始末。
「いい加減になさいっ!!!!!」
壬生屋が自慢の後ろ蹴りを放つと、瀬戸口と壬生屋父が揃って「ノォォォォ」という叫びと共に台所の奥に吹っ飛び──、泡を吹いて気絶した。
「ふええ〜、みおちゃん、つよいねえ!!」
何故だか無事なののみがきゃっきゃとはしゃいでいた。壬生屋はもはや、ノびている男二人に目もくれる事もなく、ののみの小さな手を握って跪いた。
「ののみちゃん、お台所もこんな事になってしまいましたし、今日はどこかでお食事しましょうね?」
「わ〜い!!おそとでごはん、おそとでごはん〜!」
すでにののみですら気絶している連中に興味がないようである。
こうして壬生屋家の女性陣二人は、仲良く食事に出かけ、台所の窓から差し込んだ月明かりが、いつまでも、いつまでも、取り残された二人が吹いた泡を照らしていた。
夢散に出てきた壬生屋父のイメージです(笑)
ののみは、もうこういうゴタゴタに慣れきっている、ということで。
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