桜の花に酔いながら
昼も近くなってから目が覚めると、良い匂いが漂ってきた。
布団の中でぼんやりと思い出す。
ああ、今日は、俺の誕生日だったっけ…。
台所にいくと、壬生屋が上機嫌で料理に勤しんでいた。
「…おはよう」
昼まで寝てしまったのを咎められるかもしれない、と、なんとなく小声になって挨拶する。
恋人の声に振り返る壬生屋。
「うふふ、おはようございます。もうお昼ですよ」
「あ、ああ…」
たしなめられるどころか、壬生屋はますます上機嫌になって鼻歌まじりに出来上がった料理の数々を重箱に詰めたりしている。ここまで機嫌がよいと、返って拍子抜けしてしまう自分に苦笑する瀬戸口。
誕生日の贈り物を聞かれて、瀬戸口が「お手製のお弁当でお花見をしたい」と答えたので、壬生屋は朝早くから、そのご馳走を作っているというわけだった。
色鮮やかに盛り付けられたご馳走に、瀬戸口は今更ながら壬生屋の家事技能に関心してしまった。
「う〜ん、美味しそうだなぁ〜」
「つまみ食いはダメですよ。もう出来上がりですからね。さあ、出かけましょう。どこがいいでしょうか。桜も、もう終わりですし、どこも空いているとは思いますけど…」
壬生屋はてきぱきと重箱を風呂敷で包み、着ていた割烹着を脱いで嬉しそうに支度をしている。
春らしい淡い色のワンピースに見を包んだ壬生屋の手をとると、その体を自分に向かせた。
「あのさ…。この庭でしないか?お花見」
「は?」
「庭にも立派な桜の木があるだろ?」
「…でも…」
「人ごみで桜を見るより、二人っきりの方がいい。…ダメ?」
縋るようにそう問われれば、逆らえるはずもなく、壬生屋は真っ赤になって頷くしかなかった。
壬生屋家の庭にはたいそう立派な桜の木が見事に花を咲かせていた。
満開は過ぎてはいたが、風にはらはらと舞う花びらが、まるで雪のように二人に降ってくる。
その桜の木の下で、瀬戸口は壬生屋手作り、和食中心の自分の好物ばかりのご馳走に舌鼓をうっていた。
「やっぱり美味いよ、お前さんの料理。最高の誕生日だ」
「そ、そう言っていただくと、わたくしも嬉しいです…」
うっすら頬を染めながらそう言いながら、壬生屋は、瀬戸口と、彼の髪や服の上に舞い降りてくる桜の花びらとをぼんやりと眺めていた。
紫の瞳と、淡い桜の花びらとが混ざり合い、それは幻想的な光景で、まるで彼は、桜の精のようだ。
自分を見つめる視線に気付いて、瀬戸口は壬生屋に顔を近づける。急な事に驚く壬生屋に柔らかく微笑んで、髪についた花びらを、ひとつ取ってやる。
「こうしてると未央は、桜の妖精みたいだな」
瀬戸口の言葉に、壬生屋も顔をほころばせた。
「…わたくしも、あなたのこと、そう思っていたんです。たった今…」
「俺が?花の精?」
「…だって、あなたは…」
壬生屋の言葉をさえぎるように瀬戸口がその細い顎を取ると、壬生屋は黙って目を閉じる。
桜吹雪の中で、二人の影がひとつになる。
短い口付けから開放して、顔を覗き込むようにすると、壬生屋はたまらず目を反らし、赤くなった顔を伏せる。普段の凛とした彼女からは想像も出来ないその態度に、瀬戸口は満足そうに微笑んだ。
「なあ、膝枕、して?」
「えっ?」
瀬戸口は壬生屋の返事も待たずに、体を倒してその柔らかい膝に頭を乗せる。
「も、もうっ…勝手に…」
抗議の声をあげながらも、壬生屋はそれを拒絶することはぜすに、ひとつため息をつくと、やがては瀬戸口の柔らかい髪を撫で始めるのだった。
髪を撫でられる感触にうっとりしながら目を閉じると、桜の微かな香りがした。
桜は、あの人を思い出させる。自分の、たった一人の女神が好きだった花。それは彼女そのもののようでもあった。人の心を捕えて放さず、短い命を終えるもの。美しく、悲しい花…。
自分が「壬生屋未央」を愛していても、壬生屋がその記憶を失ったとしても、彼女の存在はずっと自分達中に在り続け、時には互いを苦しめるのかも知れない。
まだ、それはお互いが、あるいは瀬戸口だけが、昇華しきれていない想いなのかもしれない。
けれど、こうして、葛藤を繰り返しながらも、同じ時間を彼女と刻んでゆけるのなら、きっと、いつの日か…。
壬生屋は瀬戸口の茶色の髪を撫でながら、独り言のように、言葉を紡いだ。
「わたくし、桜って悲しい花だなって思っていたんです。春の、短い間だけ、小さい花をたくさんにつけて、こんな風に、あっという間に花びらを散らせて。それからは、人から見向きもされずに、その次の春を待つ…。儚い花なんだ、と…。でも…」
「でも?」
膝枕をしてもらっている体勢のまま、瀬戸口が問うと、壬生屋は一度、髪を撫でる手を止め、再び同じように優しい手つきで髪を撫で始める。
「でも、何故か今はそうは思いません。短い間でも、懸命に咲くから、美しくて、そして力強い花のだと思います。一年中咲いているより、ずっと。そうやって咲いた花を見て、悲しく思うのは、限りある時間の中で、一生懸命に咲いた桜に失礼なんじゃないかなって…。」
壬生屋の膝の上で、瀬戸口が目を瞠った。
自分の、抜け殻同然の永かっただけの生より、こうして、「人間」になり、いつか終わりの来る、限りのある生であっても、時を刻んで、もがきながらも、愛し愛されている今にこそに、価値があるのだと、そう言われているような気がした。
もちろん、壬生屋は、そんな事を意識せずに言っているのだろうけれど。
瀬戸口は体を起こし、両手で壬生屋の肩を抱く。
「隆之さん?」
きょとんと自分を見つめかえす壬生屋に、先ほどの彼女の言葉を反芻して、瀬戸口は思わず苦笑する。懸命に咲いた花を、儚く思うのが、花に無礼だとは、なるほど同情される事を嫌う彼女らしい。
来年は、自分も桜を、そうやって見る事が出来るだろうか。
きっと、出来る。彼女が一緒なら…。
「なんだか、酔ったみたいだ」
「酔った?何にです?」
「桜の花と…それから、お前さんに、だよ」
「…え…?」
瀬戸口は戸惑う壬生屋の顔を両手で優しく覆う様に包み込むと、唇を重ねる。
壬生屋はその日の、二度目の口付けを受け入れた。
春の日の、穏やかな風に乗って届く、愛しい人と、美しい花の微かな香りに、自分も酔ってくのを感じながら。
瀬戸口祭参加作品。
桜の花に関する思いは、壬生屋がそう思っていそうと私が勝手に考えただけです(笑)
やっぱり桜は美しくて、どこか儚い感じがします。
そして、瀬戸壬生にとっても似合う花ですよね〜v
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