丑の日



瀬戸口隆之は思い悩んでいた。
あれほど嫌いで顔を見るのも声を聞くのもいやだった壬生屋未央。彼女の行動全てが気に入らず、それなのに、どうしても目は彼女を追ってしまう。彼女の方も何かにつけて自分につっかかっては自分に関わろうとしてくる。
お互い、その思いが恋だとわかるまで、そう時間はかからなかった。それなのに…。

休戦期に入り、熊本にも夏がやってきた。
瀬戸口はうだるような暑さの中、重い足を引きずるように歩いていた。
壬生屋の瞳、壬生屋の黒髪、甘い声。全てが恋しくてたまらない。

精彩を欠いた紫の瞳に漆黒の物体が飛び込んでくる。
──壬生屋!?──
振り返った瀬戸口だったが次の瞬間にはがっくりと肩を落とす。壬生屋の美しい髪と見間違えたのは…。

『本日 丑の日 うなぎ大特価』

どうやら客寄せの為にでも置かれたのであろう、うなぎが一匹、魚屋の店先に置かれた水槽の中で泳いでる。
「俺は、暑さでどうかしてしまったのか?こんなものと壬生屋を重ねるなんて…。お願いだ、壬生屋、こんな風に俺を惑わせないでくれ、俺を苦しめないでくれ…」

うなぎは待ち受ける己のなれの果ても知らずに、悠々と水槽を泳いでいる。その流れるような姿と艶のある黒い体がますます壬生屋の黒髪と重なってくる。

「ああ、俺は、こんなにも壬生屋なしでは駄目な男だったのか…。でも、でも…。もし、こいつが俺の心の慰めになるのなら──」
無意識に瀬戸口は水槽に手を伸ばそうとしたその時。
「瀬戸口か?何をしている?」
突然背後からかかる低い声にはっとする。振り返れば目の覚めるような青い髪。
「は、速水か、おどかすなよ」
「お前こそ、こんな所になんの用があってつっ立っている?」
「い、いや、用って程じゃないんだ」
「壬生屋の事でも考えていたか?」
意地悪く図星をついてくる速水に瀬戸口は面食らう。
「人が悪いよ、お前さん。じゃあな」
これ以上、壬生屋の名を聞くのが嫌で、瀬戸口はその場を立ち去った。そのあまりに寂しい瀬戸口の後姿を速水はただ見送くった。



──どうしても、あの艶やかな黒い体が忘れられない。壬生屋と重なってしまう。人間であろうがなかろうが、せめて傍に置いてやりたい。名前を付けて大事にしれやれば、少しは俺も──

気がつけば瀬戸口は、もう一度あの店に向かっていた。しかし…。
「いない!?ま、まさか…」
昼間いたはずのうなぎの水槽は空になっている。店の主人によれば、とある政府の筋の者がついさっき食用に買い上げていったらしい。

「一体誰が…もうお前はいないのか?お前に会うことは出来ないのか…?」
呆然とその場に佇む瀬戸口の多目的結晶が鳴る。速水からだ。なにか急ぎの用件のようだ。
「そうだ、速水ならお前を取り戻してくれるかもしれない!」
瀬戸口は甘い希望を胸に速水のもとに急いだ。

速水の部屋のドアをノックすると速水の恋人である芝村舞が応対した。部屋に通されると香ばしい香りが漂ってくる。まさか、この匂いは…?ある政府筋の人間?もしや…。
不安になる瀬戸口に速水は静かに微笑む。
「よくきたな瀬戸口。お前の為に用意したものだ。食べるがいい」

テーブルに出されているのはみまごうこともない、うなぎの蒲焼きであった(肝吸い付き)。
「そんな、そんな…」
瀬戸口はヘナヘナとソファに座り込んでしまった。芝村舞がその瀬戸口の前に腕組みをして座る。
「あっちゃ…コホン!厚志から聞いたのだが、そなたがそれほどにうなぎが好きだったとはな。うなぎというのは遠い深海で産卵すると言われ、孵化に成功した例はないのだ。だが、そなたは厚志の片腕として立派な働きをしている。これより芝村の力をもってうなぎの孵化を研究し、成功の暁には毎年そなたに獲れたてのうなぎを振舞おう」
「お前ら…お前ら…」
「礼はいらぬ。そなたらの望みを叶えるのも我らの役目だ」
舞は誇らしげに胸を張り、速水は今にも笑い出しそうな表情で瀬戸口を見つめている。
「どうした、お前がずっと水槽の前でもの欲しそうに見ていたから、最高の料理人に作らせたんたぞ。くくく…」
「よくも…可哀想に…。こんな姿になって…」
テーブルの上に置かれた蒲焼は見事な照りとツヤを放ち、甘辛い匂いが見るものの食欲をそそる。

速水が舞の横で意地悪い笑みを浮かべて長い脚を組んだ。
「そんなに嬉しいか、瀬戸口」
「嬉しいわけないだろう!この子は俺の…!」

肝吸いがひっくり返る勢いで瀬戸口が立ち上がったのと、ドアがノックされたのはほぼ同時だった。
速水の返事にドアを開けた人物に瀬戸口は目を瞠る。

「み、壬生屋!!」
驚く瀬戸口に壬生屋はにっこり微笑むと、速水の前に歩み出て書類を手渡した。
「速水さん、舞さん、お待たせいたしました。ただいま帰りました」
「ご苦労だった。急に東京までいかせてすまなかった。俺も舞もここを離れられなかったのでな」
「いいえ、わたくしに出来る事ならいつでも」

舞とも挨拶を済ませ、壬生屋は瀬戸口を振り返った。
「瀬戸口さんもいらしてたんですね。予定より早く帰れる事、連絡しないでごめんなさい」
「い、いや、いいんだ…」
驚いたままの瀬戸口を見ながら、速水は肩を揺らして必死に笑を堪えているようだ。
それを見てようやく自分がからかわれた事に気付く瀬戸口。
一言いってやろう、と口を開きかけて、やめる。こいつには、かなうはずがない。

「どうかしたんですか?瀬戸口さん?」
怪訝に自分を見上げる壬生屋に慌てて首を振り、その肩を抱く。瀬戸口の手に柔らかい感触が伝わった。
ああ、帰ってきた…。
「なんでもないよ。さあ、帰ろう。ああ、速水、姫さん、それはお前さん達で食べてくれ。俺は悪いが、満腹なんでな」

瀬戸口が壬生屋と共に部屋を出ると、速水は耐え切れなくなって笑い出す。
「なにがそんなにおかしいのだ。あっちゃ…い、いや、厚志」
「舞、見ていたか?壬生屋が俺に頼まれて東京に行ったのが3日前だ。たった3日だぞ?3日間まるで壬生屋と永遠に別れたような顔をして…。くっくっく…」

「そのような軟弱な者をそばに置いてよいのか?わたしは厚志と遠く離れようが何も恐れはしない」
速水はゆっくり舞との距離を縮めて腰に手を回して微笑んだ。
「あいつは、あれでいいんだ。それに…。できれば俺も舞と遠く離れるのはもう嫌だ」
「な、なぬを」と真っ赤になる舞の額に速水はそっとキスをした。



「瀬戸口さん、あ、あの…」
「黙って」
一方、瀬戸口は速水の屋敷を出て早々に天下の往来で壬生屋を抱きしめていた。あまりに激しく長い抱擁と人目に、壬生屋は瀬戸口を押し戻そうとするが、さらにきつく抱きしめられる。

「一週間は戻らないって言ってたろ?」
「す、すみません、予定が早く済んだのに連絡せずに…あの、怒っているのなら…」
「違うよ。嬉しいだけだ。3日お前に会えないだけで、気がおかしくなりそうだった」
「そんな大袈裟な…」
壬生屋の言葉に瀬戸口は口を尖らせて拗ねてみせる。
「お前は俺がいなくても平気だった?」
「…そんな事…。だから眠れなくて電話もしたじゃないですか…」
「そうだよな!よ〜し!じゃあ帰ろうか!」
子供のように無邪気な笑顔を壬生屋に見せると瀬戸口は壬生屋の手をとって、ぐんぐん歩き出した。
「ちょ、ちょっと、痛いです!離して下さいっ」
「やだね。早く帰って3日分取り戻さないとな!」
「な、な、な、なんですって!?こんな所で…不潔です──!!!」

壬生屋は瀬戸口に引きずられるように去ってゆく。
かくして二人はその日、無事3日分、取り戻したのだった。

おわり


とりあえずスマン!!!(平謝り)
うなぎの黒と黒髪を重ねてしまう瀬戸口、は少しばかり(いや、その筋では結構)反響を呼びまして、シオネとか死んだ壬生屋に重ねる瀬戸口はあまりに情けないので書けないため、「壬生屋と1日でも離れて元気なくなって、うなぎでも壬生屋を思い出す瀬戸口」にしてみました。(笑)
たった1日でも離れるのがいやな瀬戸壬生、というのも色々その筋で話題になりまして…。壬生屋が泣きながら「眠れません…」とか瀬戸口に電話してくるとかなんとか…!人間の寿命で千年分愛し合わなきゃならないから大変でしょう〜!
で、瀬戸口をからかって愉しむ青厚志(このSSでは一応「速水厚志」のままにしちゃました)、というのはもう、わたしの周りの青スキーさんの影響です。この後「お前がうなぎを見て壬生屋を思い出したこと、壬生屋に言うぞ」なんて、しばらく瀬戸口で遊び続けるかと思われます。(笑)瀬戸口も負けじと舞にちょっかいでも出せばいいんですが、そんな余裕なんかないのが私の瀬戸口像なのです(笑)。

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