――――目が覚めて。



 真っ先に目に映った天井が、見慣れた自分の家のものだと気がつくのにたっぷり数十秒かかった。



 身体のあちこちが筋肉痛になったように痛む。



 その痛みが、あの戦いが夢ではなかったことを教えてくれる。



 もう太陽は高い位置にいるのだろう。障子の薄い仕切りを通してうららかな日光が部屋の中を照らしてくれる。



 その、目に飛び込む光の眩しさに。



 ちょっとだけ涙が出た。







 エピローグ 〜Promised Land〜







 部屋を出て廊下に立つ。縁側から見える庭には人影は無い。みんな自分の部屋か、居間でもにいるのだろうか。
 居間に向かい、角を曲がったところで遠坂とイリヤに出くわした。

「――っと。士郎じゃないの。いつの間に起きたのよ」
 とくだん驚いたという様子でもなく、おはようの挨拶代わりとでも言った感じで遠坂が言った。
「いや、ついさっきだけど」 
「おはようシロウ。もう大丈夫なの?」
 イリヤはちょっと心配そうに、両手を胸の辺りでおずおずと組み合わせながら見上げてくる。
 二人ともあの戦いのダメージや後遺症もなさそうで、安心した。一つ胸のつかえが取れたような気がした。
「ああ、ちょっと筋肉痛はあるけど意識もハッキリしてるし動かないとこもない。心配かけたなイリヤ」
 寝巻きの下、胸元や足や腕のあちこちにミイラ男のように巻かれた包帯は、俺が眠ってる間に誰かが治療してくれたものだろう。
 あの戦いで俺がいちばんダメージが酷かったから、みんなに、特にイリヤにはひどく心配をかけたんじゃないかと申し訳ない気持ちが沸いてくる。
「まったくよ。言っとくけど、今2月15日の昼よ。あんた、ほとんど丸一日眠ってたんだから」
「――――うわ、マジか」
 どおりで十分寝たはずなのに、逆にまだなんか眠いと言う妙な気分になっているし、さっきから空っぽの腹が食べ物の補給を訴えてしかたがない。
 そこまで俺の体は休息を必要としていたのかと思うと、我ながらよく生きて帰って来れたものだと実感した。

「――あ、ねえリン。シロウが起きたんなら」
「あ、そうね。わたしは先に戻って伝えておくわ」
 まるでアイコンタクトでもするように、二人は一瞬視線を交わすと――遠坂は一人で廊下を引き返していった。何か意味ありげな、悪戯っぽい笑みを俺にちらりと投げかけながら。

「? どうしたんだいったい」
「あ、えっとね。わたしとリンは、シロウの様子を見に行こうと思ってたの。ついでにもうすぐお昼だから、もしシロウが目を覚ましてたらご飯に呼ぶつもりで。
 シロウが起きてくるとは思わなかったけど、ナイスタイミングかな。まだムリしたらいけないから、わたしと一緒にゆっくり居間にいこ?」
 そう言って、イリヤは俺の左腕にしがみついてきた。少女の軽々とした重さが腕にのしかかってくるが、負担には感じない。ぶらさがるわけでも、腕を組むわけでもなく、どちらかといえば駄々をこねる子供が母親を掴んで話さないイメージ。
 きっとこれがイリヤなりの喜びの表現なんだろう。俺が無事なことをこうして実感したかったのかもしれない――と思うのは俺の自惚れだろうか。でも、悪い気分じゃない。
「今日のお昼はサクラが用意したの。昨日の夜はリンが頑張ったんだけど、シロウが起きてこなかったから無駄になっちゃった。いちおう冷凍保存はしてあるからよかったら後で食べよ。凛のエビチリはすごく美味しかったんだから」
 だから、たわいも無い話を楽しみながら、この瞬間だけはイリヤと一緒にゆっくり行こう。
 時間はたくさんある。
 俺達は勝利して、これから先、歩みを遅めつつも生きていける時間を、時には立ち止まりながらも歩いていける未来を手にしたのだから。 


「あ、そうだシロウ」
 居間につながる障子を開けようとしたとき、背中のシャツの裾を掴んだイリヤがそう言って引きとめた。
「もしかしたら居間に入って、シロウはすごく意外なものを見るかもしれないけど、びっくりしすぎないように気をつけてね」
「……?」
 イリヤの口調に、どことなく出会ったときのような悪魔っぽい悪戯心を感じ取った気がした。
 とはいえまずはこの障子を開けないと始まらない。
 長年親しんできた衛宮邸の障子は、手をかけて左右に力を入れて腕を動かすと音もなくスッと左右に開き――――



 その先に、彼女がいた。



 和風の居間の空気すら塗り替えてしまう存在感。
 それでいてこの和風の空気にすこしも違和感を生じさせない、完璧なまでに洗練された美しさ。
 座布団の上にまっすぐ正座したままこっちを見ていた彼女は、戦いの衣装ではなく清純な普段着に身を包みながら、俺たちに向かってかすかな笑みを浮かべた。


 本来ならば、ここにいないはずの存在が、本当に当たり前のように目に飛び込んできて。

 俺は一瞬、言葉を失った。



「おはようございますシロウ。もう体調のほうはよろしいのですか」



                ・ ・ ・ ・ ・
 固まっていた俺に――セイバーは優しく声をかけてくれた。



「せ……セイバー?」
 その存在を確かめるように、彼女の名前を呼ぶ。
 俺たちと一緒に最後まで戦ってくれた、強くそして凛々しき騎士王。
 最初は俺のもう一人のサーヴァントとして、そして最後は桜のサーヴァントとして、戦場を駆け抜け、常に俺たちに勝利をもたらしてくれた女神のような少女。
 聖杯戦争が終わったというのに、なぜか彼女は変わらぬ姿で、この居間の一部となったかのようにさも当然のごとくここに存在していた。

「はい。夢でも幻でもありません。私はこうして、この世界に残ることになりました」
 夢でも幻でもない声で、セイバーはその存在をこの家に染み込ませるかのように静かに言った。
「え……で、でもどうやって」


「それは、桜がそれだけの魔力を持ってたからよ」


 台所の方から声がした。そっちを向くと俺たちより一足早く戻った遠坂がいた。両手に赤い鍋つかみを持ち、何か温かいものが入っているのか、その身から湯気を立てている土鍋をこっちに運ぼうとしていた。
 遠坂は慎重な足取りでこっちに来ると、テーブルの上に置かれた鍋敷きの上にその土鍋をそっと置いた。

「先輩、おはようございます」
 続けて桜の声。
 遠坂に続くように桜が、今度は別の鍋――俺が普段味噌汁やシチューなどの汁物を作る鍋を両手で慎重に持ちながら、台所の方からやってきた。
「――といってももうお昼ですからこんにちはですけど。先輩、食欲はありますか?」
 俺のほうを見て微笑みながら、鍋を別の鍋敷きの上に置く。
 土鍋と違ってフタをしていない鍋の中、もくもくと立つ煙の向こうには豚汁と思わしき食欲をそそるスープがたぷんたぷんと入っていた。
「ああ。何か食べないと空腹でやばいことになりそうだ」
「それでしたら、先輩が起きてもいいようにとお昼は軽めの雑炊と豚汁にしましたから、たくさん食べて元気になってください」
 しゃがんだときに崩れたエプロンの形を直しながら、桜はにこやかに言う。その、昔と変わらない、いや昔以上にさまになっているエプロン姿に思わず見とれていた。

「ああ。ありがとう――それより、どういう意味なんだ遠坂?」
 セイバーが残っている理由。
 いや、セイバーが残ることが出来た理由。
 それが知りたくて、最初に答えを言った遠坂に話を戻す。

 遠坂は、隣の部屋に繋がっている襖(ふすま)の前にある座布団に座ったままで、俺にも座るようジェスチャーで促した。桜を手伝おうかと思ったが、桜は首を横に振って大丈夫だという意思を示したので遠坂の指示に従うことにする。
 膝を曲げるときちょっと痛かったが、我慢して近くにあった座布団の上に正座する。遠坂とはテーブルを挟んで向かい合う形になった。

「サーヴァントはね、特に聖杯戦争中の期間限定の存在ってわけじゃないの。聖杯戦争のために用意された大聖杯じゃないと召喚させる手助けなんかできないほどの規格外の存在とはいえ、突き詰めれば使い魔と原理は同じだからね。まぁもっとも、聖杯戦争以外の手段で呼び出したとしても令呪も無い魔術師が従えるなんて不可能でしょうけど」
 ふむふむ、と頷く。ここまでは理解する。確かに俺が最初にセイバーを召喚できたのも、聖杯戦争を行うためにあの大聖杯が起動していたおかげか。そうでなければ俺なんかにサーヴァントの召喚なんて絶対にムリだっただろう。

「ギルガメッシュがいい例よ。あれは聖杯戦争が終わったけど生き残っていたサーヴァントでしょ? 要するに、生き残ったサーヴァントは聖杯戦争が終わったから消えるんじゃなくて、サーヴァントがこの世に残る理由が無くなるか、サーヴァントの身体を構成する魔力が尽きたから座に戻るの。
 つまり、逆に言えばサーヴァントがこっちの世界に残る意思を持ち、サーヴァントに十分な魔力の供給がされれば聖杯戦争が終わっても――たとえ大聖杯が無くなっても、一度呼びだしたもの勝ちでサーヴァントは自由になれるわけ。当然ながら、大聖杯のバックアップは無くなったんだからサーヴァントの維持には聖杯戦争中よりはるかに多量の魔力が必要だけどね」
 なんとか理解できた。たしかにあのギルガメッシュは前回の聖杯戦争から今回まで生き残っていた。今となっては言峰がどうやってそのための魔力を集めていたかは分からないけど、その前例があるならセイバーもと言うことか。
「じゃあ……桜や遠坂レベルの魔力量なら、なんとかセイバーを維持できるのか」
「結果だけ見ればそうね。元々桜の魔力量はわたしに匹敵するかそれ以上なのよ。こういっちゃなんだけど、士郎、あんたよりも魔力量だけ見ればレベルは遥かに上よ」
「そ、そんな。わたしなんか」
 いつの間にか料理を運び終えていたのだろう桜が、照れたように両手を目の前でぶんぶんと大げさにふった。
 それでもその顔が満更でもないといった感じなのは、桜も自分の在り様についていろいろと吹っ切れているのかもしれない。
「といっても、セイバーほどのサーヴァントだと現界させているだけで精一杯。聖杯戦争並みに戦わせようとすると負担は大きいから、セイバーが残ってくれたからって私たちが別に無敵の存在になったわけじゃないんだけどね」
 
 ……それで理解した。
 なぜここにセイバーはいて、キャスターはいないのかを。

 キャスターは消えたくないと言った。あれは心からの言葉。残れるものなら残っていただろう。
 けれど、キャスターには魔力が残っていなかった。サーヴァントとしての肉体を構成する魔力が尽きた。そして俺からの供給も無くなっていた。いや、仮にあそこで残れても、たかが知れた俺の魔力じゃキャスターを存在させ続けるのはどの道ムリだったのだろう。
 全ては俺のせいだ。俺が、遠坂や桜やイリヤみたいなすごい魔術師じゃなかったから。俺がサーヴァントを維持させられるだけの魔力を持ってなかったから。だから、ここにキャスターはいない。その事実に、自分の未熟さをこれまでの人生の中で一番強く悲しんだ。

 けど、セイバーに嫉妬する気持ちはこれっぽっちもない。
 キャスターがいなくてどうしてセイバーだけ。そんなことは微塵にも思わない。
 俺はセイバーが残ってくれて本当によかったと思ってるから。
 もう俺のサーヴァントじゃないけれど、セイバーだけでもまだここにいてくれることがとても嬉しいから。

「そっか。ならセイバー。これからは桜をよろしく頼む」
 ――だから、俺はセイバーを心から受け入れた。

「はい。私はこれからもシロウと桜、二人の剣でありつづけます」
 そしてセイバーも誓ってくれた。桜を守っていくと。
 そして認めてくれた。こんな俺でも、まだセイバーにとってはマスターなのだと。


「でもセイバー。どうして残る気になったんだ? まさか、遠坂に弱みを握られているとか!? だとしたら正直に言ってくれて構わないんだぞ」
「あら、ずいぶんと言ってくれるわね衛宮くん?」
 どこにしまっていたのか、懐から出刃包丁を取り出してテーブルに突き刺した遠坂さん。強化なんてしてないはずなのに、包丁の刃が三分の一以上突き刺さった。というか貫通してないかあの刃。
 あははははは、やだなぁ、ちょっと場を和ませようとしただけじゃないか、だからごめんなさい本当もう言いません。

 だが真面目な話、俺はセイバーがどうして聖杯戦争に参加したかまでは知らないが、セイバーがあのアーサー王だった事実はハッキリと認識している。
 そんなアーサー王が現代に残る理由。サーヴァントと言う存在のままでい続けてまで、座に戻ることではなく現代で生きることを選んだ理由は知っておきたかった。
 するとセイバーは姿勢をただし、正面から射抜くような鋭い構えで改めて座した。
 もっとも、その表情は比較的柔らかいもので、その理由は俺たちが心配するほど血なまぐさいものではないと分かって安心する。
「そうですね――特にこれと言って固執する願いがあるわけではありません。ただ、もう少しだけあなたたちを、シロウや桜や凛やイリヤスフィールや、そして――――いえ、みんなの生きる姿をこの目に刻み付けたくなりました。
 私が聖杯を手に入れて叶えようとした願いは本当に正しかったのかと、聖杯戦争で戦うあなたたちを見ているうちに思いました。そして答えを見つけたくなりました。二度目の新たな生を、少女としてまたゼロから生きることを選んだ者と共に歩んでくことで、それが見つかるのではないかと思いました。
 ……いえ、本当は答えなど出ずともよいのかもしれません。正直なところ、私はただ見届けたい。シロウや桜、あなたたちの行く末を。あなたたちの未来に何が待っているのかを。
 そしてその未来をあなたたちが笑って迎えられるよう、私の力を貸したい。王ではなく、一人の騎士としてその未来を作る手助けをしたい。ですから私は自分の意思で残ることを選びました」 
 
 それを聞いて、自然と笑みがこぼれた。
 俺だけじゃなく、遠坂も、桜も、イリヤも。
 セイバーが誰に決められるでもなく自分で選んだ道に、異論などあるはずが無かった。
 セイバーがいるならきっと、この先どんな困難が待ち受けていても一緒に道を切り開いていけるだろう。
 もし俺がこの先道を間違えるようなことがあっても、遠坂や桜、そしてセイバーがきっと俺を止め、正しい道に戻してくれるだろう。
 その素晴らしき未来に、胸が一杯だった。


 だから、セイバーの言葉に隠れていた、本当に大切なことを聞き逃していた。


 二度目の生を、ゼロからやり直すことを選んだ少女のことを。


「それじゃ、冷めないうちにお昼にしようか」
 セイバーの歓迎会も兼ねるには、ちょっと質素かもしれない。夜には俺も手伝ってセイバーを改めて歓迎する豪華な食事にしよう。そう思いながら、俺はそれぞれの皿に盛り付けようとお玉を手に取る。だが、
「うん、それはいいんだけどシロウ……」
「シロウ、誰かを忘れてはいませんか?」
「先輩、一人足りないと思いませんか?」
 誰も料理には手を伸ばすことなく、そんなことを言ってきた。
 足りない誰か。この場にいない誰か。それがこの家を出るとき、一緒に帰ろうと誓ったメンバーの中で唯一この場にいない少女であり、いつも必ず俺の隣を占領していた小さな少女であることはもちろん知っている。
 だから三人の言っていることが分からなかった。
 イリヤもセイバーも桜も、いなくなったキャスターのことを持ち出して俺を陰険にからかうようなやつじゃないことはよくわかる。
 何より、三人が三人とも、嫌味でも皮肉でもなく、まるでびっくり箱を友達に渡したときの子供のように、嬉しさやドキドキを隠し切れない。そんな期待に満ちた曇りない表情をしていたから。
 だから三人がどうしてそんなことを言うのか、分からなかった。
「それじゃあ姉さん、お願いします」
「オッケー。……ほら、いい加減観念しなさい」
 そう言って、遠坂は立ち上がる。その顔にもまた、クールを装った表情の中にこらえきれないほどの笑みが隠れていた。
 そのまま襖の横に立つと、隣の部屋、今は使ってない客間に続く襖に手をかけた。
 
 ――予感がした。
 三人がどうしてあんなことを言ったのか、分からなかった、のに。
 
 分かってしまったような気がして。
 そんなはずはない、と理性が言って。
 でも、それを誰よりも望んでいるココロがその答えを導き出して。


 なぜか、涙が出て来た。



 そして、襖が開かれる。





 ――その先には、彼女がいた。



 

 見間違えるはずも無い。

 所在なさげに、俺の顔と他のみんなの顔を交互に見てはオロオロする少女がいた。
 魔女のローブなどもはや不要とばかりに脱ぎ捨て、本来の衣装を嬉しそうに着こなす少女は、
 人形のように可憐なフリフリの服を着て、
 腰まで届きそうな長い紫の髪には、大きなリボンが留められていて、
 絵の中から飛び出てきたかのような可愛らしさをこれでもかと放っていた。

「……キャス、ター」

「そ、その……」
 呼ばれた少女は何を言ったらいいのか分からなそうにその場で固まる。
 キャスターも同じなのだろうか、目を合わせようとせずその場に立ち尽くす。
 少しばかりの沈黙があって、そして先にキャスターが口を開いた。

「恥ずかしながら残ってしまいました……おはようございます士郎」
 嬉しいような、困ったような、そんなちょっとだけ固い笑顔を浮かべて。
 キャスターが、本当の意味で今日と言う一日を動かし始めた。

「キャスタ――!!」
 硬直していた体は、はじかれるようにテーブルを飛び越えてキャスターの元へ。
「え……きゃっ……」
 そのまま体当たりせんほどの勢いでキャスターに近づき、捕まえ、そのまま抱きしめる。
「ししし、士郎!? ま、待ってくださいこんなところで! いえイヤではないのですが、ほら、凛やイリヤスフィールが見てますからっ」
 抱きしめて押し倒した少女の体は、柔らかくて、温かくて、いい匂いがして、心地よくて。
 夢でも幻でもなく、本当にキャスターはここにいるんだということを体の五感全てで感じることが出来る。
 腕の中にすっぽりと収まるキャスターの体は本当に小さくて。こんな体で本当に今まで戦ってきたのかと今更ながらしみじみとした想いが湧き上がってくる。

「うわぁ、わたし、人が人生を誤る瞬間を初めてこの目で見たわ」
「わたしも、男の人が罪を犯す瞬間を初めて見たわ」 
「だ、大丈夫です先輩! 先輩がたとえ犯罪者になっても、わたしは先輩の味方ですから!」
「シロウ。嬉しい気持ちは理解しますがそう節操が無いのはどうかと思います」

 ……ありがとうみんな。感動の再開をぶち壊しにしてくれて。



「っていうか、なんでそんなところにいたんだよキャスター! 俺は、ここにキャスターだけいなくて、ホントはすごく寂しくて、本当にもうキャスターには会えないと思ったんだからな!」
 さすがに絵的にまずいから、押し倒した体勢から姿勢を正して立ち上がる。そうなるとキャスターを正面から抱っこして持ち上げる体勢になってしまってなんかよけい恥ずかしい気がしたが、今はそんなことどうでもいいやとばかりにキャスターを回しながら踊るように回転する。
 恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、振り落とされないようにしがみついてくるキャスターが本当に可愛かった。
「す、すみません士郎。ですがさすがにこの格好は恥ずかしいのですが……降ろしてくれませんか? ってきゃっ、揺らさないでくださいっ」
「もう、あまりキャスターさんをいじめたらダメですよ先輩」
 困ったように楽しんでいる桜がたしなめる。別にいじめているつもりはなくて、ただキャスターの存在を確かめてるだけなんだけれど、やっぱりみんなの目にはそう見えるんだろうか。

「まぁ無理もないけどね。士郎とあれだけ悲劇の別れをやっておいて、実は助かってしまいました、でしょ? どんな顔して士郎の前に出てきたらいいのか分からなくて、ずっとそっちの部屋でオロオロしてたのよキャスターは」
「凛が『シロウが目を覚ましてもうすぐ来る』とキャスターに伝えたときのあのあわてようは後世に伝えたいほどでした」
「う……うう〜」
 なんだかキャスターがかなり悔しそうにうなるので、とりあえず降ろしてあげた。
 ……ということは、俺がセイバーと挨拶したり正座して遠坂の説明を聞いている間、キャスターは隣の部屋でどう俺に会っていいか分からずに悶えていたということか。
 なんか、恥ずかしいけどすごく嬉しい気がする。俺が同じ立場だったとしてもたぶん、どんな顔してのこのことキャスターの前に出たらいいのか分からなくて、一人で悩みながら引きこもっていたかもしれないんだから。 
「え? でも……なんで? 本当に、キャスターはまだ現界してられるのか?」
「はい。……その、あれだけ恥ずかしいお別れを言っておいて、こうして士郎の前に顔を出すのも非常に後ろめたい気持ちはあるのですが」
 ものすごく言いにくそうにキャスターが言いよどむ。
 そりゃ、俺もキャスターもあの時はあれが最後の別れだと思って、なんの躊躇いもなくあんなドラマみたいな別れのシーンをやっちゃったからなぁ。しかも遠坂たちの見ている前で。その気持ちは分からないでもない。もちろん、それよりもまたキャスターがここにいてくれることの方が何百倍も嬉しいんだけど。
「まだ私はこの世にいられます。もちろん、士郎との契約もそのまま残っています」
 自分の体に意識を集中させる。今まで気が抜けてたから気がつかなかったけれど、たしかに俺の魔術回路に外部との太いつながりが一本残っていた。それは、キャスターに俺から魔力を供給するためのマスターとサーヴァントとしてのつながり。
 ……じゃあ、もしかして。
 やぶかんばかりの勢いで、治療のためか腕全体に巻かれていた包帯をほどいていく。
 その下、包帯の向こうに除いている手の甲には。
 決してその形を忘れることのない、令呪が一回分残っていた。

 嬉しさがこみ上げてくる。
 契約の証が。繋がりの証拠が。こんなにハッキリと残っていた。
 夢でも幻でもなく、キャスターはここにいた。
「でも、どうして」
 あの時確かに大聖杯は破壊され、聖杯戦争は終わり、俺もキャスターも完全に魔力を使い果たした。
 じゃあ、なんでキャスターはこうしてここにいるのか。
 誰にと言うわけでもなく尋ねると……

「……なんでさ」
 なぜか遠坂以外の全員は生暖かい目で遠坂を見て、
 遠坂だけは一人遠くを見るような目で全員の目線をかわすように目をそらした。

「実はですね。あの時士郎が意識を失った直後――――」
 キャスターが口を開く。なにやら遠坂に関係あるらしいことはこの場の空気で何となく分かった。でも遠坂がキャスターの説明を止めようとせず目をそらしたままだということはは、遠坂自身何かこの件に関して弱みでもあるのだろうか……。





「シロウ! 起きてよシロウ! このままじゃキャスター本当に消えちゃうんだよ!? キャスターを見送らなくていいの? シロウのバカバカバカ――っ!」
「姉さん! 本当に何か無いんですか!? 何でもいいんです、何かこの場をしのげるようなものとか!」
「いいのよイリヤスフィール。桜も凛を困らせないで。私は士郎が生き残ってくれたのならそれでいいわ。それより士郎が起きてしまうから、静かに寝かせてあげなさい」
「キャスターも諦めよすぎ! けど桜も無茶言わないで! そんな便利なのあったらとっくに言峰との戦いで使ってるわよ! そんな、膨大な魔力のこもったアイテムなんて、どこを探しても…………」
「……? 凛、どうしたのですか胸の内ポケットに手を入れたまま、まるで戦場に出た兵士が剣を忘れてきたことに気付いたときのようなものすごい失態をおかしたことに気付いたかのごとく青ざめた顔をして」
「………………あった」
「え?」
「ふえ?」
「はい?」
「何がですか?」
「……………………あった……とっておきの宝石……お父様が残してくれた奴………………キャキャキャキャスター! これ、これ!! この宝石使いなさい!」
「え、ええ……って何よこの魔力量! 凛、あなたなんでこんなものを今まで」
「忘れてたのよ! 使うタイミングがなかったから! いいからさっさと! 消えたくなければそれ飲む!」





「――――ということがありまして」
 ……うわぁ。
 遠坂には本来ものすごく感謝してしかるべきなんだけど……なぜだろう。あの最後の別れを台無しにされたせいか、俺も桜やイリヤたちと同じ目で遠坂を見たくなってきた。
「本当にリンはうっかりしてるのね。そういえば私の中にある記憶でもトオサカの先祖はここ一番でうっかりしていたわ」
「まあまあ、今回はその姉さんのうっかりのおかげでキャスターさんが助かったんだからいいじゃないですか」
「そうですね。世の中と言うものは何がプラスに転じるか分からないものです。たとえ凛がうっかりしていても、それが悪いこととは限らない」
「あんたら、うっかりうっかり言うな――――!!」
 遠坂さん、爆発。
 拳を振り上げながらイリヤと桜とセイバーを追いかける。追う遠坂、きゃーきゃー言いながら逃げるイリヤたち。まだまだ湯気の上がる鍋が乗ったままの食卓のまわりをぐるぐる回りだす四人。ほとんど子供のような追いかけっこ。
「……ぷっ」
「……ふ、ふふふ……」
 その様子が、とてもおかしくて。
「はは、ははは……!!」
「あはっ、あはははは……!!」
 ずいぶんと久しぶりに見た気がする、穏やかで騒がしい光景が、とても懐かしくて。
 
 気がつけば、笑っていた。
 俺もキャスターも、その光景を見て心から笑っていた。





「それで遠坂」
 落ち着いたところで遠坂に尋ねる。
 ちなみに遠坂を除く俺たち五人の頭の上には仲良く遠坂のゲンコツをくらった証が残っていたりする。なぜか、俺一人だけタンコブが三つもあるのはなんでなんだろう。
「何よ」
 まだちょっと拗ねている様子の遠坂。頬を膨らませて横目で睨んでくる。ああ、遠坂の地ってこんな感じだったんだよなぁと改めて認識。
「いや真面目な話。キャスターを助けた宝石ってどういう代物だったんだ?」
「ああ、うん。お父様……つまり先代の遠坂家当主がわたしのため、つまり今回の聖杯戦争のために残しておいてくれたらしい宝石のペンダントよ。聖杯戦争が始まる前に地下室で見つけたんだけど、ぱっと見わたしの魔力の十年分に相当する魔力が込められていたわ」
「なっ……」
 スケールの大きさに言葉が出なくなる。だって、遠坂だって魔術師としてはそうとうの実力者のはずだぞ? その遠坂の魔力十年分? って、俺の魔力で言うと何年分くらいなんだろう。いや、考えたところでしょうがないか。 

「だから本当に本当の切り札にする予定だったの。あれだけの魔力があればサーヴァントの宝具に匹敵する威力も出せただろうし、死者蘇生の真似事も出来たでしょうね。……まぁ、あくまで力技に頼る使い方限定だけど」
「でも、結局使うことは無かったんですね」
 微笑みながら桜が言う。それが結果的に最後まで残り、キャスターを現界させることができたのだから俺たちにとっては使われないで本当によかったといえばよかったことになる。
「まあね。だってこっち側の陣営にはサーヴァントが四人もいたから、戦闘は私自身自分の用意した宝石で十分だったし、桜を助けるために使うには力技じゃムリだったから使えなかったし、使わないでいるうちに途中からはいざと言うときのためにコートに入れたことさえ本当に忘れていたし……」 
 後半はややボソボソ声になる遠坂。
 ……まぁ、確かにそれだけの切り札を存在さえ忘れるって言うのはどうなのかと思わなくも無いけれど。
 でも遠坂のおかげでキャスターが助かったんだから、俺は今はただその幸運に甘え、限りなく奇跡に近いこの幸運と、それをもたらしてくれた遠坂に感謝しよう。

「遠坂。本当にありがとう。そんな貴重な宝石を使ってまでキャスターを助けてくれて」
「……べ、別にいいわよ。どうせ聖杯戦争が終わったんならもう使いどころに困るものだし。せっかく助けられるのに助けないのも後味悪いし」
 そっぽを向く遠坂。イリヤと桜、それにキャスターはそんな遠坂の横顔を見て一斉に吹き出す。「本当に素直じゃないんだから」とでも言いたげに、楽しそうに。
「でも、それにしたって魔術師の研究とかにあって困ることはないし、そもそも遠坂の親父さんが残してくれたってことは父親の形見なんだろ? それを俺たちのために使ってくれたんだから、俺は遠坂にどれだけ感謝してもしきれない」
 仮に俺が同じ状況で、切嗣から形見にもらった何かを持っていたとしてもやはり迷うことなく使っていただろう。
 けど、それでもやっぱり誰かの形見と言うものは、その人にとっては本当に大切な思い出の証だ。それを他人のために使うと言うこと、それ自体が俺にとってはとんでもない借りを遠坂に作ったことになる。
 だがこっちを向いた遠坂は、予想以上にさっぱりした声で、
「あ、いいのそれくらい。ちゃんとキャスターから等価交換で対価はもらったから」
 と、なぜか満面の笑みで答えた。

「対価? 何を遠坂にやったんだキャスター」
 その遠坂の満面の笑みが気になって尋ねる。
 たしか、アインツベルンの城でキャスターの魔力を補給するために宝石を使ったときは、対価として俺が持っていたセイバーのマスター権を、セイバーを助けるためとはいえ、遠坂の妹だからってことで桜に譲ることで等価交換が成立したんだった。
 それなら、それ以上にすごいものを差し出した遠坂に対していったい何なら釣り合ったと言うのか。

「……凛。士郎に見せてあげなさい。 どうせ貴女も見せびらかしたくてしょうがないんでしょう?」
「あ、分かる? えへへ、見て見て士郎。凄いのよこれ」
 と、顔がとろけんばかりの笑顔を浮かべながら遠坂は服の中に手を突っ込んで、なにやらゴソゴソとやりながら平べったい何かを取り出した。

「ほら、これよこれ! これがなんだか分かる? キャスター、他のみんなも、ヒントはなしよ」
 遠坂がたいそう大事に服の中にしまっておいた……というより身体から離そうとしなかったものは……えーと……なにやらフカフカのじゅうたんやカーペットを思わせる、平べったい毛皮。その毛並みは高貴で艶やかな黄金色に輝いて……ってまさか……

「ひょっとして……イアソンがコルキスの国に行って取ってきたっていう……」
「せいかーい♪」
 毛皮に頬ずりしながら遠坂が答える。
 ……おかしいなぁ。
 札束のプールで泳ぐお嬢様のごとく金の亡者と化している元・学園のアイドルを見るのって、こんなに悲しいことだっけ。

「金羊の毛皮? でもなんでキャスターがあれを?」
 あれを取ってくるよう命じられたのは英雄イアソンのはず。たしかに王女メディアの協力で取ってこれたものだったけど、キャスターがそれを持っているのは少し違和感があった。
「まぁ……詳しい経緯は省きますが、あれを最後に持っていたのは私でした。それがサーヴァントとなった今でも残り、昇華されてアルゴンコインという宝具になったみたいです」
「すごく高いんだってこれ。魔術的にも学術的にも、とてもお金じゃその価値をあらわせないくらい。助かったわ。遠坂の遺産もそろそろなくなりかけてた頃だし、これから研究をするにも何かとお金は必要だしね♪」
「ただ素材として高価なだけではなく、それを地に広げれば竜種も召還できます。もっとも私には竜召喚能力が無かったのでこの宝具を使いこなすことはできず、聖杯戦争でも使わずじまいだったのですが」
 なるほど。それで遠坂との等価交換に提供したってワケか。遠坂の喜びようから見て俺なんかには到底理解できないくらいの価値があの新聞紙ほどの大きさの毛皮にあるんだろうけど……まぁ、遠坂本人が満足してるんだから俺が口を出すことでもないだろう。
 俺やキャスターには有り余る代物のようだし、キャスターの命に比べたら安いものだ。


「う〜、マスタ〜、苦しいですよ〜」


「……?」
 と。
 どこからか、聞き覚えの無い声がした。
 それは家の中、すぐ近くから聞こえてくるようで、それはなんだか遠坂のほうからしたようで……

「――ぷはっ。マスター、いいかげんボクに頬ずりするのはやめてくださいよ〜。もう今朝から何回されたか分からないんですから」

 ……って。
 金羊の皮から、なんか小さい子が出て来た。

「キャスター、質問」
「……アレはいつの間にか毛皮に宿っていた精霊です。ハッキリ言って、本当にただ宿ってるだけの存在です。凛に所有権を移したので、あの子のマスターも私から凛に変わりました」
「こらアルル、士郎の前で出てくるんじゃないの。あのお兄さんは小さい子が好きな変態さんよ? うかつに姿を現したらあんたの貞操も危険よ」
「待てい」
 なぜそこで俺が出てくる。
「……あ、士郎さんですね? はじめまして。ボクはアルゴンコインに宿っていた精霊です。元マスターが本当にお世話になりました。元マスターはボクをほとんど使わなかったので名前は無かったんですけど、現マスターの凛さんがアルルという名前をつけてくれたのでそう呼んで下さい」
 どこか空ろだが、喜びの感情は確かに読み取れるぱっちりとした目でこっちを見上げながら、ぺこり、と頭を下げるアルル。うん、よく出来た子のようだ。
「アルルか。ああ、よろしくな」
 男か女かはよく分からない、中性的な顔立ちと声だけど……まぁどっちでもいいか。後でキャスターに教えてもらおう。

「ところで遠坂。さっきの一言はさすがに訂正してもらうぞ。俺はロリコンじゃない」
「……」
「……」
「……」
「……」
 何でみんなしてこっちを見るのさ。
「ねぇ士郎。あんたの周りにこれだけの女の子がいるのにそのロリロリなキャスターを相手に選んだ時点で、すでにあんたの疑惑は確定してるとは思わないの?」
「あら凛、負け惜しみかしら? ふぅん、貴女も士郎を狙っていたのね」
「なっ……べ、別にわたしはそんなんじゃ……!」
「仕方が無いでしょうリン。魔力の消費を抑えるためかは知らないけれど、縮んだキャスターの身体は元に戻らないみたいなんだから。でもシロウがちっちゃい子好きなら、わたしにもチャンスはあるってことよね♪」
「だ、大丈夫ですよ先輩。先輩が小さな子が好きでも、私は先輩のことを変な目で見たりしませんから!」
「シロウ。私は王として様々な人間を見てきました。ですから愛には多様な形があることも承知しています。シロウは胸を張るべきだ」

 …………ほんのちょっぴり、涙で視界が滲んだ。





「――でもね、単純に喜んでばかりもいられないわよ士郎」
 遠坂への抗議は案の定と言うか軽くあしらわれたアルルが半泣きで毛皮の中に戻った後、今度は真面目な声で遠坂が言った。
「え? 何がだ?」
「キャスターよ。確かにわたしのペンダントで一時的には助かったけど、そのペンダントに込められていた魔力はわたしの魔力十年分よ? ということはどういう問題があるか分かる?」
 ……と、いうことは。
 仮に大聖杯のバックアップなしで、魔術師が単独でサーヴァントを現界させるとして。
 遠坂や桜クラスの魔力量でもサーヴァントを現界させるのがやっとだとすれば……
「……単純に考えて、キャスターが宝石の力で現界していられるのは十年だけってことか?」
 答えたくは無い。
 もう一度、あの別れのときが来ることを考えたくは無いが。
 未熟な魔術師の衛宮士郎にとっては、けっして目を逸らさず現実と向き合わなくてはならない答えを口にした。

「正解。まぁ、キャスターはご覧の通り魔力節約のため幼女並に縮んだままだし、士郎の身体からもパスを通じてキャスターに少しは魔力は行ってるから十二、三年……うまくいけば十五、六年くらいはもつかもしれないけれど、それでも桜がいる限りずっと現界していられるセイバーと違って永遠じゃないわ」
「…………」
 キャスターは何も言わない。 
 自分のことは、キャスター自身が一番よく分かっているんだろう。
「どうすればいい?」
「……え?」
 キャスターが驚いたように俺を見る。
 遠坂は予想通りと言わんばかりに小さく頷いた。
「方法は無いわけじゃないわ。一つ、魔術を使って魔力を集めること。……といっても、自然界のマナじゃだめ。サーヴァントと言うのは人間としての身体を魔力で構成するわけだから、人間が体内で生み出すオドが大量に必要。例えば生命力を吸い取って集めるとか、血液を飲むとか……」
「お断りよ」 
 遠坂が言い終わる前に、キャスターは強い口調でその案を跳ね除けた。その声には、嫌悪の色すら混じっている。
「要するに他人の命を奪って自分の食糧にしろということでしょう? ライダーがやっていたみたいに。士郎がそんなことを許すと思っているの? そんなことをしてまで生き延びて士郎に嫌われるくらいなら、私は消えたほうがマシよ」
 敵意をむき出しにして。
 揺るぎなき決意で、キャスターは言った。
 俺の抱く正義を、汚させはしないと。

 ……俺だって、キャスターとはずっと一緒にいたい。けど、無関係の人間から生命力を奪ってまでというのは、それはやっぱり間違っている。衛宮士郎の背負い続けた正義は見失ってしまったけれど、他人を犠牲にして得る幸福は決して衛宮士郎にとっての幸福じゃない。それは断言できる。だからその方法しかないと言われたら、たぶん俺だけなら迷っていた。キャスターのために自分の信念を曲げるか、それとも自分のためにキャスターを見殺しにするか。その決断ができなくていつまでも葛藤していただろう。

「分かってるわよ。あくまで一例として上げただけだから……そんな今にも噛み付いてきそうな顔はやめなさい。他の案はそうね……男性の魔術師……要するに士郎から、精という形で魔力を分けてもらうことかしら。毎日やればけっこうな魔力補給になるんじゃない?」
 そうか。俺が頑張ればキャスターにもっと魔力を補給できるのか。
 しかも精で。うん。それなら……それなら……って、精……?
 精ってことは、あの、俺とキャスターが出会った日にしたコトを、しかもお互い好きあってる今の状態で、その、しちゃうってことでしょうか?
「…………」
「…………」
 顔から湯気が出た。
 隣からも一筋の湯気が上がっている。
「うわぁ……二人とも、顔真っ赤」
「……神代の魔術師メディアもずいぶんとウブになったものね……」

「つつつつつ次! 他に方法はないのか!?」
「いいいいいいえ士郎、し、士郎が望むのでしたら私は毎日でも構いませんが、やはり人の目と言いますか凛やイリヤスフィールが何と言うかとかそもそもこんな貧相な身体で士郎を満足させられるのかとかいろいろと問題が、いえでも私は決していやと言うわけではなく」
「落ち着け。とくにそっちの小さいほう。あんた本ッ当――に裏切りの魔女として名高いあのメディアなんでしょうね……」
 なんかケージの中でパニくっているハムスターでも見るような生暖かい目で俺たちを睨む遠坂。俺からすれば、女の子なのに精とかそういうことを平然と言えるお前のほうが変だと思うぞ。ほら、桜やセイバーも恥ずかしそうに赤面してるし。

「じゃあ真面目な話。あとはもう、あんたがレベルアップするしかないわよ士郎」
 その、あまりにも単純にして明確な答えに気付かされて。
 ぽかんと開いた口がふさがらなかった。
「――――俺が、か?」
「そうよ。生まれ持った魔術回路の数は後天的には増やせないけど、訓練しだいで魔力を効率よく大量に作ることは可能になるかもしれない。そうすればキャスターに士郎自身の魔力を多く渡すことが出来る。
 それとも魔術を鍛えて腕を磨いて、トレンジャーハンターにでもなってみる? 私がキャスターに使ったペンダントのような魔術的価値の高いお宝を見つけるとかもいいわよ。長年にわたって魔力を蓄え続けてきた宝石とか装身具とか、そういう神秘性の高いアイテムを使えばキャスターの魔力をさらに補給できるかもね」

 ――それを聞いた瞬間。
 衛宮士郎のやるべきことは決まったのかもしれない。

「……よし、ありがとう遠坂。なら俺は決めた。どれだけ大変か分からないけど、俺はキャスターの味方として、出来る限りのことをする」
 遠坂は、待ってましたといわんばかりにニヤリと不適に笑う。
「そう来ると思ったわ。――士郎。わたしは卒業したら、ロンドンの時計塔――つまり、魔術師たちの研究の場として存在する魔術教会に留学するつもりなんだけど」
 そう言って、遠坂は手を差し出した。
「士郎さえよければいっしょに行かない? 私が口を利いてあげる。そこなら他の何処よりも魔術の研究が出来る。それに運がよければ様々な魔具や遺跡なんかの情報も手に入る」
 
 俺は。

 差し出された遠坂の手を、硬く握って。

「よろしく頼む遠坂。俺をビシビシ鍛えてくれ」

 新たな、揺ぎ無い目標を口にした。


「待ちなさい凛、士郎に教えるのは師匠である私の役目よ」
 握った手の上に、キャスターの小さな手が重なって、

「わ、わたしも……! わたしだって、先輩や姉さんともっと一緒に勉強したいですっ」
 その上に、桜の温かい手が重なって、

「でしたら当然私もお供します。桜とシロウのいるところが私のいるところですから」
 セイバーの、剣を持つとは思えないほどに細く白い少女の手が重なって、

「ちょっと、わたしだけ仲間はずれなんてダメだからね! ついてくるなって言われてもわたしもぜったい行くからね!」
 イリヤが、思いっきり自己主張するように両手をその上に重ねた。



 俺はもっと強くなろう。
 キャスターのパートナーとして相応しいくらいの魔術師になるために。
 キャスターや、みんなを守れるだけの力をつけるために。
 俺自身の魔力だけでは足りない分を補える、未知の魔具を探し当てるために。



「キャスター。約束するよ」
「はい。なんでしょう士郎」
「俺は強くなる。キャスターやみんなを支えられるくらい成長して、最後までみんなと共にある。俺はみんなを置いてどこかに行ったりしない」
「――ええ。士郎ならできると信じています。私も士郎が勝手にどこかに行ってしまわない様に――士郎を支えると誓います」
「ありがとう。だから――ずっと俺についてきてくれるか? キャスター」
 それでも、いつか別れのときは来る。
 何十年か先。あるいは何年か先。それとも明日かあさってか。
 俺が人間である限り。俺が魔術師である以上。永遠なんてここにはない。
 けれど、その時を今度は笑顔で迎えられるように。
 最後まで笑っていられるように。
 その瞬間まで、繋いだこの手を離さないように。
 この少女と共にあり続けることを、俺は選んだ。
「はい。よろしくお願いします、士郎」



 そして、いつかキャスターを故郷へ連れて行こう。


 もう一度、祖国の土を踏ませてあげよう。


 今はその景色はすっかり替わってしまっただろうけど、その地に吹く風はいつまでも色あせないから。


 昔の名を捨てたとしても、その魂が記憶している望郷の念だけは決して消せはしないから。


 だから、いつかみんなで行こう。


 果て無き海の向こうにある国、コルキスへ。


 キャスターがずっとずっと帰りたがっていた、黄金の地へ。



 俺たち二人の、約束の地へ――――。



 〜The End〜  


あとがき


 長きに渡って連載してきたロリ化キャスターの話もこれで終わりです。
 ここまでお付き合いしてくださった皆さん、本当に本当にありがとうございました。
 きっかけは初回特典のサイドマテリアルにあった、「キャスターをロリっ子にしてパートナーにするキャスタールートがあった」という公式の没ネタ話。
 それでも最初は連載するつもりなどなく、ギャグとして導入部分だけ書いてみようと短編として世に出したキャスタールート。
 けれど予想外に連載を望む声があり、なら真面目にやってみようと、それでも最初はまだギャグ色を濃くしつつも、後半からは真面目に聖杯戦争をやっていたキャスタールート。
 一度目の公務員試験挑戦で中断し、受験失敗でのショックから立ち直れず半年以上中断が続き読者の方々を心配させ、
 二度目の公務員試験挑戦でまた中断し、合格が執筆意欲を後押ししてくれてラストスパートをかけられたキャスタールート。
 結果的に完結まで二年以上もかかってしまいました。
 正直途中からは、ギャグではじめたこのタイトルを使うのが恥ずかしくて、何度真面目なタイトルに変えようかと考えたか知れないキャスタールート。正直、今は以前のタイトル見るだけで恥ずかしいのです。もともとの第一話なんか今読んだら死にたくなりました。冒頭からウホッ、ネタはないよなぁ当時の私……お前は何を考えてあんな話を書いたんだと問い詰めたい。
 
 このSSで失敗したことはいくらでもあります。
 まず、ヒロインであるキャスターのキャラをうまく生かせなかったこと。マスターが葛木じゃなかったせいもありますが、原作のキャスターのイメージとずいぶん違う、という意見も聞かれました。
 主人公サイドの戦力を過剰にしてしまったこと。キャスターだけでは(失礼な話)弱すぎて勝ち残るのは難しいとはいえ、セイバー、アーチャー、ランサーとサーヴァント四人の共同戦線はちょっとやりすぎだという意見も聞きました。
 敵サイドが、その分原作より補正をかけて強くしたつもりではありますが、やはりFateのSSとしての名敵役にするには力不足感は否めませんでした。
 ホロウで、キャスターが葛木メディアとして幸せを掴んでいたのを何度も見たときは、果たしてこんなSSでキャスターを救済してあげるのは正しいのだろうかと悩みました。
 きのこ氏のような文章を書くには表現力も単語の知識も全然足りず、描写も稚拙でした。
 キャラの心理とか、戦闘の流れとかも上手く書けた自信はありません。
 設定や進行に無理があったんじゃないか? と言われそうなところもおそらくかなりあったでしょう。

 でも、私はこの話を書き終えられたことを誇りに思います。
 この話が肌に合わなかった方も多いでしょう。「なんだこのSS」と思った方も少なからずいると思います。それは仕方ありません。本家型月がせっかく用意してくれた最高の素材を活かしきれなかった私の力量不足ですから。
 それでも私はそれまでやったことのない真面目な長編に挑戦し、本編再構成を始めから終わりまで丸々書いて無事に完結できたことに今心から満足しています。
 Fateではどのルートでも死んでしまい、不幸キャラだったキャスターを幸せにすることができました。
 原作でお気に入りキャラだったランサーを、軒並みの敵に勝利させて原作での鬱憤を晴らさせてあげることができました。
 本家型月がせっかく考えながら没にしてしまったアイデアを、頼まれたわけでもないですし、拙い出来でもありましたが、この世から消滅させることなく再利用することができました。
 なにより、連載を続けていく中で読者の皆さんからたくさんの感想をいただけました。面白かったと言ってくれました。
 私の書いたSSを誰かが読んでくれて、楽しんでくれる。それが出来たのなら私は本当に作家冥利に尽きます。

 第一話も真面目なものにリメイクしましたし、これで本当にこの話は終わりになります。
 Fateファンの方には残念ですが、私はたぶんこれ以上型月の長編SSには手を出さないと思います。
 なぜなら、キャスタールートと同時に始めたAIRの長編SSがまだ終わっていませんから。
 公務員になって忙しくなる前に、なんとか、AIRの長編を完結させるのが次の目標です。
 本当はAIRのアニメが放映されていたうちに完結させたかったんですけどねあっちも。
 この長編で得られた経験を活かし、AIRのほうもいい作品に仕上げたいと思います。

 ちなみに最終話に関してのあとがき。
 最終話のタイトルはシャーロックホームズシリーズの最後の話「最後の挨拶」からそのまま。
 エピローグのタイトル「プロミスドランド」はこのSSのテーマの一つである「約束」に絡めたものですが、実はケルト神話で実在する楽園の名前です。
 ケルト神話には様々な楽園がありまして、「ティル・ナ・ノグ(常若の国)」や「ハイ・ブラゼル(幸福の国)」、そしてFateに登場する「アヴァロン」もまたケルト神話の楽園の一つとして数えるという説もあります。(なお、Keyのゲーム『CLANNAD』の主題歌である『メグメル(喜びの国)』というのもケルト神話の楽園です) 
 ですから、もしかしたらFate世界では、「プロミスドランド」は「アヴァロン」と名を変えて、英雄たちが永遠に楽しく暮らす楽園になっているかもしれませんね。
 余談ですが、私が一年以上ネットゲームの『マビノギ』を続けているのは、マビノギの舞台がティルナノグであり、ケルト神話をベースにしたゲームだからと言うのが一つの理由です。興味がある方は『マビノギ』をプレイしてみてはいかがでしょうか。私はタルラークサーバーで少女の魔法使いキャラを育ててます。(残念ながらマビノギのゲームにはアーサー王やクーフーリンは登場しませんけどね)
 もう一つ余談ですが、サイト名「神秘の島」もケルトの楽園と関係がありそうですがまったく関係ありません。こっちは、作者お気に入りのヴェルヌの小説からです。

 凛のペンダントでキャスターの命を繋ぐというのは、実は連載開始当初から決めていたことでした。
 だからランサーとの夜の学校の初遭遇でも士郎は殺されない(=凛がペンダントで士郎を助けない)ように話を作りました。
 伏線と呼ぶにはあまりにも稚拙ですし、いくらなんでも父親の形見の存在を最後まで忘れてるわけねえだろとか言われても仕方ないですし、実際凛のペンダントがサーヴァントを何年も現界させられる力があるのかも不明ですが、作者的にはこれでよかったと思っています。 
 あとエピローグにセラリズが登場しませんが、彼女たちは聖杯戦争が終わり安全になったからと言うことでアインツベルンの城に戻り、後片付けやイリヤが衛宮邸でつかう予定の私物の整理などをしています。最終話で彼女たちを出してもなんか蛇足な気がしたので。

 それでは最後にもう一度、読者の皆様へ。
 ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。
 メディアでもなくサーヴァントでもなく、一人の少女・キャスターとしてゼロからのスタートをきった少女と、
 その少女のためにこれからも頑張り続ける少年の二人にどうか幸せな未来が待ち受けんことを。

 2006.11.04   エルハート

 完 

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