「ねえ、待って!待ってよ潤!」
青年―北川 潤は振り返る。
「香里か。」
「こんな夜中に何をするつもりなの?練習なんていわないでよね。大会は中止になったのよ。」
そう言って北川の胸元をつかんで揺さぶる。
「なんでよ!?なんで行こうとするの。久瀬君を見たでしょ?死んじゃうのよ。そんなの嫌よ!!」
「香里、聞いてくれ。」
「嫌よ!!行かないでよ!あなたが死んじゃうなんて、そんなの―」
「香里!!」
強い声が香里の言葉をさえぎる。香里の肩をつかみ体を引き剥がす。
「久瀬は死んだ。俺の記録を超えようとしてな。」
「そうよ、あなたはチャンピオンなのよ。誰もあなたより深く潜ることなんてできない。122メートルよ?十分じゃない。」
香里に背を向け台まで歩く。
「なんでよ?これ以上何が欲しいの?」
台に座り込み足ヒレを付け、体に海水をかける。香里のことは愛している。でもそれ以上に強く北川を呼ぶものが心の中にある。
だから―――止まれない。
「『やっぱり海がいい。連れてってくれ。』」
「・・・・・・・・・」
「久瀬が最後に言った言葉だ。俺はあいつの体を沈めた、海の中にな。」
「ねえ、潤・・・」
「久瀬は見つけたんだ、俺達人間が生きることを許されない、深い海のなかで。」
「何を?久瀬君は何を見たっていうの?」
北川は頭を振る。
「わからない。でも俺の中で声がするんだ、あいつが見たものを見に行け、ってな。」
香里が北川に近づく。あと一歩、それで香里の手は北川に届く。
「お願い、行かないで。海に中になんて何もないわ、暗くて冷たいだけ。
「香里」
北川が振り返ってロープを差し出す。深く潜るための“重り”、その留め金にロープは繋がっていた。ロープを引けば留め金が外れ重りが沈む、ダイバーと共に。香里はそうやって北川が潜るところを何度も見たことがあった。
―ああ、もう何を言ったっていっちゃうんだ―
涙が香里の頬を濡らす。香里は北川の手からそのロープを受け取った。
「すまない。」
笑顔だった。申し訳なさそうな笑顔。
「潤、わたしの愛を見てきて。あなたの行くところにはきっとあるから。」
そう言って香里がロープを引く。
ガン
留め金が外れる。暗い海の中へ重りが沈む、最も海を愛する青年と共に・・・
了