その時、僕らは
               〜久瀬篇〜


 その日は、絶好の天気だった。
 何処までも伸びる蒼と、包み込むような太陽。雲は、欠片もない。
 二月だというのに、寒さも軽い。
 だが、今日という日に、彼等の住むこの街が、にわかに活気づいていたのは、それだけが理由なのではなかった。


「祭り……?」
 長身痩躯、切れ長の目に細いフレームの眼鏡をかけ、どこか冷徹さを感じさせるその男は、訝しがるようにそう言った。
 その征服の襟には、Uの学年証、そして、生徒会の文様が見える。
「ええ、今日は、この街の誕生記念祭ですよ。お忘れになったので? 久瀬生徒会長」
 返事をした女生徒は、セミロングの髪を揺らしながら書類を棚に持っていくために、机と棚の間を行ったり来たりしている。
 机に座っていた生徒会長――久瀬は嘆息しながら立ち上がると、窓の外をチラッと眺めた。
 包帯で巻かれた左手で窓に軽く触れる。
 空の色は、まだ青い。が、そこはかとなく、薄い紅が混ざり始めているようだ。
「そうか、そういえば、もうそんな時期か。忘れていた」
「まあ、仕方ありませんよ。ここしばらくは、余裕のよの字もない状態でしたから」
 そう言って、苦笑いをしながら、手元にある書類を眺める。それから、生徒会長の机に広がった白い山も。
「でも、毎年、盛り上がりますから。どうです?」
 彼女は、久瀬の方を見やると、
「ちょうど、後始末も終わったんです、誰かと一緒に行ってみては?」
「冗談を、僕と誰とが行くと言うんだ」
 久瀬は、外を見たまま呟いた。
 後ろでは、女生徒が、何かをからかうかのように笑っている。
「何がおかしいんだ?」
「いいえ、何でも」
 とりあえず、彼らの会話はこれっきりのようだった。



 放課後になってから、結構時間が過ぎたのか、それとも、今日の祭りとやらに関係があるのか、人の数が随分少ない。
 そのせいだろう、リノリウムの床に自分の足音が強く響くのは。
 だが、それすらも、現在の彼――久瀬にとっては、開放感を感じさせてくれる心地よい音であった。
 そんなことを考えながら歩いていると、がらがらになった教室の中が見えてくる。
 別に見たいわけではないのだが、見えてしまうのだから仕方がない。が、そんな中に、一人の見知った人影を久瀬は見つけた。
(ほう…)
 思わず、久瀬はにやっと笑った。
 どうやら、その人影は、機嫌が良さそうに鼻歌などを歌いながら、帰りの支度をしているようだった。
 久瀬は、なるべく相手に気配を悟られないように、静かにそれに近づいていく。相手はまだ、それには気づいていない……。
「何だ、珍しく鼻歌なんか歌って、脳みそでもいかれたか? 潤」
 そう言って、久瀬は、金髪に変な癖毛、ついでに言えば、童顔の少年に声をかけた。更に続ける。
「いや、もともとか……」
 相手は、こちらをきっと睨んできた。最も、それは、本気でやったのではないだろう。
 かなり、「わざと」な感を受けた。向こうがそれに気づいているのかは、分からないが。
「久しぶりに会ったと思えば、いきなりそれかい、久瀬」
 「それ」でなければ、一体何を期待していたと言うのか。久瀬は、からかうように笑う。
「これも、一種の愛情表現さ。それとも、僕に、会いたかったよ、じゅ〜ん。なんて言って欲しいのかい」
 とりあえず、相手は、その挑発(?)には乗ってこなかったようだ。半眼で、久瀬の方を見ている。
 いつもの彼、北川 潤ならもうちょっと、強く反応してきそうなものだが…
(ほほう、今日は、本当に機嫌が良いらしい…)
「止めてくれ、気色の悪い。しかし、お前は、何でそう歪曲したことしか言えんのだ?」
 なるほど、最もな意見ではある。
 が、生徒会長などという、因果な役職についている手前、こういう風に皮肉になってしまうのは仕方ないだろう。そう久瀬は考えた。
 その後に、生まれついてのものだろう、などという考えも浮かんできたが、それはとりあえず却下しておく。
 潤は、相変わらず、半眼でこちらを睨んでいる。
 ふと、彼が、何かをポツリと漏らすのが聞こえたような気がした。
「何か言ったか」
「何でも」
 潤は、何故か急に機嫌を悪くしたらしい。そっぽを向いてしまう。
(はて、何か気に障ることでもいったか?)
 だが、前の言葉以降、気に障るような発言はしていない(はずだ)。
(それにしても……)
 それにしても、面白い男だ。と、久瀬はいまさらながらに思う。
 この男は、久瀬にとっての未知そのものなのであった。
 ころころ変わる表情。
 自分では、まともであると思っているらしいが、やはり、どうも変な性格。
 そして、その考え方。
 自分は、この男に出会ってから随分変わったように思える。最も、変えてしまった本人は、気づいていないだろうし、気づいていたとしても全力で否定するだろう。
 久瀬は、思考の海から抜け出して、その男を見た。
 まだ、そっぽを向いたままで、機嫌は直っていない。一体、何時までかかるのやら。
 こんな子供っぽい部分にも、惹かれたのだろうか――
(僕には、とても真似など出来ないがね)
 そしてやっと、相手は取り直したようだった。久瀬の方に向き直り、最もな疑問をぶつけてくる。
「で、何でここに来たんだ?」
「やっと、後始末が終わったんだ」
 即答する。飾りも何もない言葉ではあったが、それでも、相手に意図は伝わるはずだ。
 案の定、潤は、驚いたように言って来た。
「今まで掛かってたのか!?」
 そう。あの「後始末」は、今の今まで掛かっていたのだった。
 それにしても、自分も無茶をやるものだなと、久瀬はあの時、心底そう思ったものだ。退学者の復帰などということを独断で行ってしまったのだから。
 あの川澄 舞という少女(と言っても、年上だが)のために、自分は何故こんなことをしてしまったのか。久瀬は、そのことを未だに把握できずにいた。
 彼の少女は、自業自得なのに。加害者であるゆえの被害者、いや、被害者であるゆえの加害者か――どちらにしろ、自分で起こしたことだったのだ、あの事件は。
 だが、久瀬は、そう考えていながらも、あの少女を助けようとしてしまった。
 潤になら分かるのだろうか? だが、その思いとは裏腹に、久瀬はあっさりとこう答えていた。
「ま、そういうことだ」
 さらに、続ける、肝心のここに来た理由を答えていないのだから。
 やはり、自分は皮肉屋だ。などと思いながらも久瀬は、こう付け足したのだった。
「で、それも終わって自由になったところ、久しぶりに”親友”を見かけたからね、声をかけに来るのは当然だろう」
 相手は、その言葉にちゃんと反応したらしい。
 その言葉に報いるために、それ相応の礼を返してくる。
「そうかい。そういや、お前、今日、祭りに一緒に来る気はないか?」
(律儀なものだな、よく分かりやすい「お礼」だ)
 とりあえず、けん制でもかけてみる。
「いきなりどうした。底意でもあるんじゃないのか」
「いや。まあ、嫌ならかまわんのだけどな、他の奴と行くし」
 口調も仕草も、怪しさを全く感じさせない見事なものではある。
 だが、言い出したタイミングがタイミングだ、間違いなく罠だろうが……。ここで、そこに踏み込むことは、愚かな行為だろう。
 そして、賢いものは、愚かなことはしない。
 社会で、人生で、上手く立ち回っていくには、賢くあるべきだ。しかし、とも久瀬は思う。
 しかし、賢いばかりでは、人はいつか腐っていくものだ。しかも、自分では、気づかない。
 ならば、時には愚かになる必要もあるのだろう。
 それが、久瀬の持論だった。
 もしかしたら、潤は、それも分かっていたのかもしれない。自分では、気づいてないにしても。
「まあいいだろう。で、何処に集まる?」
 潤の顔が変わった、意地の悪そうな表情に。それも一瞬のことだが、久瀬は見逃さなかった。
(まあ、分かっていたことだがね)
「じゃあ、駅ってことで」
 さて、どんな罠を用意しているのか。ただ単にすっぽかすだけか、それとも、もっと酷い何かか……。
 だが、今はもう自由の身なのだ。今日は、馬鹿をやって過ごすのも悪くはないだろう。
「楽しみにしてるよ」
 久瀬は、そう言って、その場を立ち去った。



 辺りを照らす紅い光に包まれながら、久瀬は、駅前の人ごみの中に埋もれていた。
 さすがに祭りなだけあって、違う町から来ている人も大勢いるようだ。先程から、駅の出入りが激しい。
 久瀬は、周りを見回す。もう既に潤と約束した時間は、過ぎているのだが……。
(すっぽかしか?)
 正直、久瀬には拍子抜けだった。あの男のことだから、派手なものを用意してあるのだろうと思っていたのだが。
 だが、まだそう考えるには早い。
 武蔵と小次郎の戦いのようなものだ。怒りに我を忘れ、焦ったものが負ける。
(今の僕は、立場的に小次郎かもしれないが)
 だが、それでも、自分は、そのような過ちは犯さない。自分には、武器がある。
 それは、刀のように鋭くも、羽のように柔らかくもなる、変幻自在のもの。自身の精神を完全に操作する強い制御力という、唯一にして最大の武器が。
 が、その武器もその人物には、もろく崩れた錆びた刀も同然だった。
 彼は、次の瞬間それを思い知らされることになる。
「久瀬……見つけた」
 聞き覚えのある声。
 心臓の大きくはねあがる。
 悪寒も、焦燥も、もしかしたら恐怖も――それらを一身に受けながら、久瀬は恐る恐る振り返った。
「か、川澄……さん」
 そこに立っていたのは、件の少女、川澄 舞だった。
 感情のあまり感じられない、能面ともいえる表情を彼女はたたえていた。
「どうした、久瀬」
 そう言って、彼女は一歩踏み出してきた。久瀬は、心情的には、一歩どころか、二歩、三歩と後ずさりたかったのだが。
「い、いや…そ、そんなことよりも、何故あなたがここに?」
 もはや、久瀬の中には、制御力――この場合は、冷静さだ――など、欠片も残っていなかったらしい。
 ここにいる理由などという、今は重要でないことを聞いてしまう。
 今聞くべきは、何故あなたがここにいるのか、ではなく、何故自分がここにいることを知っているのか、であるのに。
 普段の久瀬なら、こうにはならないはず。
「佐祐理が、お祭りに行こうって言ってたから」
 簡素な答え。つまりは、川澄 舞とは、こういう人物と言うことだ。最も、外面と内面が同じであるとは限らないが。
 ほっと久瀬は、息をついた。
「そ、そうか。じゃあ、僕は帰らせて――」
 そう言って立ち去ろうとした久瀬の裾を、舞がむんずと掴んだ。
「久瀬も一緒に行く」
 久瀬のその整った顔に、冷や汗が滴り落ちる。
 状況から見れば、その表現は適切ではないのだが、久瀬からすれば、正に、蛇に睨まれたかえる状態であった。
「何故、僕まで」
 舞が、その視線を久瀬の顔に移す、久瀬自身は、その視線を避けたかったが、何とか思いとどまった。
「久瀬も行くって言ってた」
 そんな馬鹿な。久瀬はうめいた。
 そもそも、彼女とは、あの一件以来、会わないようにしてきたのだ。
「そんなこと言ってない」
「でも、佐祐理が言った」
 何? どういうことだ、それは……。
 僅かに、久瀬の中に冷静さが戻ってくる。だが、それらが完全に久瀬の中で稼動する前に、
 プルルルルルルッ
 電子音。携帯が鳴った。
(知らない番号……誰だ? こんな時に、いや…)
「はい……もしもし」
 あわよくば、その電話を理由にして、ここから脱出できるかもしれない。
 だが、その行為も、後から考えたら、迂闊なことに違いはなかったのだ……。
「あはは〜、久瀬さんこんにちは」
 ……
「…何故、あなたが僕の携帯の番号を知ってるのですか、倉田……佐祐理さん」
 電話に出たのは、彼女の、川澄 舞の親友の倉田 佐祐理であった。
 彼女もまた、件の事件で色々と関わったため、舞と同様に避けていた人物であった。
「それはですねぇ、とある人物から聞いたんですよ」
 とある人物……となれば、該当者は一人しか存在しない。
 久瀬の頭の中で、パズルのピースが一つ、一つとはめ込まれていく。そして……
(ふふ、なるほどねぇ――やっと、分かったよ、潤)
 だが、そのパズルの完成は、あまりにも遅すぎた。もう既に、彼は、罠の中にいるのだから。
 が、そのことにはあえて触れずにこう返した。
「まあいい。で、僕に何のようです」
 だが、急速に冷静さを取り戻しつつあった久瀬には、もう罠の内容がいかなるものなのか、ほぼ完全に理解していた。
 無論、電話越しの相手が、この後にとる行動も。
「ええ、それが、佐祐理ってばうっかりさんで、今日、用事があるのでお祭りに行けなくなっちゃたんですよ」
 予想したとおりの答え。
 だが、次の動きまでは、予想することは出来なった。
「で、このままだと、舞がかわいそうなので、久瀬さんよろしくお願いしますね、それではっ」
――ブツッ
 電話の切れる音。
 久瀬の動きがしばらく止まった。
「は?」
 とりあえず、状況を理解するのには、しばらく時間が掛かった。
 ついでに言えば、取り戻した冷静さも今、再び、霧散していくのが分かった。
「お、おい! ちょっと」
 あわてて、リダイヤルをする……が、
「……おかけになった電話は、電波の届かないところか、電源を――」
「やられた……」
 呆然とする久瀬に、舞が声をかけた。
「…どうしたの」
 さて、どうしたものか。このまま、嘘を言って祭りに行くのが中止になったと言えば、それでことは済むに違いない。
 だが……
(何故、迷う?)
 自分でも良く分からない焦燥感にも似た何かに、体が包まれているのを感じながらも、久瀬はそう言い出すことが出来なかった。
「どうしたの、久瀬」
 舞が、再び久瀬に問い掛ける。
「いや、倉田さんが用事が出来てしまったから来れないと…」
 舞は、相変わらず無表情だったが、それでも、がっかりするような気配は感じ取れた。
(後は、「だから、祭りに行くのは中止になった」、そう言えばいい)
「だから……」
 そう言って、舞の表情を伺い見る。
 その表情自体からは、何も感じない。だが、
(やはり、楽しみにしていたのだろうか? 祭りに行くことを)
 彼女の過去は知っている。彼女の孤独さを知っている。
 それは、本来、自分が知るべきものではなかったのに。それでも、知ってしまった。
(僕は――何を考えている)
――何をしようとしている。
 そう思ったときには、彼はこう答えていた。
「だから、二人になってしまいましたけど、祭り、行きましょうか」
 舞の表情を見ることは出来なかった。
 けれど、彼女が頷くのは、気配で感じ取れた。



 屋台から照らされる明かりが、辺り一面を照らしている。
 久瀬と舞は、そんな中を歩いていた。
 久瀬は、ちらりと隣にいる舞を伺い見る。その間には、微妙な距離。
(何を意識しているんだ、僕は)
 ぶんぶんとその思考を取り除く。こんなのは自分ではない。
 久瀬は、強引にそう考えることにした。
「あ、コアラさん……」
 舞が急に声を上げる。
「コアラさん……ああ、あれのことですか」
 久瀬の視線は、すぐ近くにある、子供向けのおもちゃなどが売っている屋台に向かっていた。
 その中には、確かに、コアラのキーホルダーが。
「……欲しいんですか? あれが」
「……はちみつクマさん」
 ……聞き間違いだろうか?
「ええと、今、何と?」
「はちみつクマさん」
 何語だろうか? 久瀬は、本気でそう考えた。
「一体なんなのですか、それは」
「祐一が、はいの時は、はちみつクマさん、いいえの時は、ぽんぽこタヌキさんと言えって言った」
 なるほど、確かに、あの男ならこんなことを言い出してもおかしくはない。
 久瀬は、変な方向で納得した。
(仕方ない、か)
 久瀬は、さも自然にその屋台に近づいていく。
「すいません、これ下さい」
 そして、何事もなかったかのように、コアラのキーホルダーを舞の手に渡した。
 舞は、しばらく無反応だったが、やがて、それを胸の前でぎゅっと握った。



 事件は唐突に起こるものだ。
 だから、この祭りの最中、二人の前でそれが唐突に始まっても、おかしくはない訳である。
「探し人?」
「うん。祐一くんを探しているんだよ」
 着物を着た月宮 あゆと言う少女は、なにやら、うぐ、うぐ言いながら、そう言って来た。
「祐一……知ってる」
 舞がポツリと漏らす。
 が、あゆはそれに過剰に反応した。
「え!? ほんと、祐一くんのこと知ってるの!?」
 舞に飛びつきゆさゆさと横に振ったりしている。だがそれでも、舞はその表情をほとんど変えない。
 無表情のままぶんぶんと揺らされている。
「ちょっと待て、その人物が僕たちの知っている相沢 祐一と、同一人物とは限らない」
「うわぁ、苗字も一緒だからきっとそうだよ、ねえ、一緒に探してよ!」
 更に興奮したのか、あゆは、舞を揺する速度を更に速める。
 何なのか、もう少し、落ち着くと言うことを知らないのだろうか? この奇妙な生物は。
「まあ、待て。いちいち探さないでも、相手をこちらに向かわせればいいだろう」


『迷子のお知らせです。ただいま、こちらで、月宮 あゆちゃんを預かっております。保護者の相沢 祐一さんは――』
 音割れしたスピーカーで、そんな放送が流れてくる。
「……あれで、良かったの?」
 舞が、微妙に心配そうな声で言ってきた。
「あれが、一番手っ取り早い解決方法でしょう」
 最も、悪意が全くなかったとは言えませんが、と心の中で付け足しておく。
 と、気づく。
 今、自分は舞の微妙な口調の違いに気づくことが出来た。
(こんな短い時間しか、一緒にいなかったのに)
 或いは、彼女は、分かりずらそうな性格に見えて、その実は、とても分かりやすい性格なのかもしれない。
 だが、久瀬は、たったそれだけのことに妙な嬉しさを感じた。さっきまでは、罪悪感のようなものしか感じられなかったのに。
 それは、きっと自分も結局は、単純な人間なのだからなのだろうか。
「ちょっと、疲れた…」
「あれだけ、振り回されれば疲れもするとは思いますがね」
 ちなみに比喩的表現ではない、本当に、振り回されたのだ。
「じゃあ、少し休憩でもしましょうか」


 公園の中は、意外にもほとんど人が見られなかった。
 まあ、ここには、屋台も神輿もないのだから、当然と言えば、当然なのだが。
 公園の周りは、祭りの光で明るいのに、公園の中は、弱々しい電灯で照らされているのみ。薄い闇が、辺りを満たしている。
 二人は、ベンチに座りながら、特に話をするわけでもなく、ただ、思い思いの時間をすごしていた。
(思い思いの時間か、ただ、ボーっとしているだけだがな)
「久瀬」
 抑揚のない声が聞こえる。
「何です、川澄さん」
 舞は、天を見上げながら、こちらに話し掛けている。
 それにつられる様に、久瀬も視線を空に向けた。祭りの明かりのせいで星はほとんど見えないが、それでも月の光だけは、はっきりと見て取れた。
「久瀬には、謝らなくちゃいけない」
 苦い思いが、頭を駆け巡る。
 空を見上げながら、その顔は、苦虫でも噛み潰したような表情になっていた。
「あなたが、謝る必要なんて何処にあるのですか?」
 久瀬は、苦心しながらも、冷静にそういい返す。月が、薄い雲に覆われていくのが見えた。
「私は、あなたは佐祐理を利用しているだけだと思った」
 そう。彼は、倉田 佐祐理という強力な人材を得て、生徒会長としての権力を更に強めたのだ。最も、それは、川澄 舞の退学を取り消すために必要な作業だったのだが。
(だが、そんなのは言い訳だ!)
「正にその通りですよ。僕は、僕自身の権力のために、倉田さんを利用したのです」
 冷酷な笑みを浮かべる。少なくとも、表面上はそう見えたはずだ。
 二人とも、互いの顔を見ていないのだから、意味がないような気もするが、今は、こうやって「なりきらなくては」とても、そんな台詞を吐けそうにもなかった。
「嘘」
 一言。たった一言だが、その言葉は、あっさりと久瀬を貫いた。
「久瀬、わざとそういう風に振舞ってる」
「何を根拠にそんなことを!」
 思わず、大きい声で返してしまう。そして、舞のほうをきっと睨んだ。
 舞は、相変わらずの無表情。だが、その瞳には、強い意志を感じる。
「久瀬は、優しいから、自分が非難を受けることで、私をかばってくれたって、そう北川も佐祐理も、言ってた」
(あいつら……勝手なことを!)
 確かに、久瀬は、その権力と引き換えにさまざまな悪評を得ることになってしまった。
 あの会長は、権力を手に入れるため、倉田 佐祐理を利用したのだ。
 倉田 佐祐理を手に入れるため、川澄 舞を退学にさせたらしい。
 そして、あの舞踏会の惨状も、本当は、久瀬が仕組んだものなのではないか……。
 それも、これも舞の退学を無効にするための作戦。そして、それは、見事に成功したわけだ。
「それに…」
 刹那、久瀬の手が、包帯の巻かれた左手が、何かに握られる。
「何を……」
 それは、舞の手だった。氷のような相貌からは、考えられないほど、その手は暖かかった。
「久瀬、私を止めてくれた」
 あの時、彼女は、確かに死のうとしたのだ。
 久瀬は、強引にそれを止めようとした。左手の怪我は、その時出来たものだった。
 一瞬か、永遠か、よく分からないが、沈黙が降りた。
 しばらくの間、時が止まっていたのかもしれない。少なくとも、久瀬は、そう感じた。
 そして、久瀬は俯きながら、口を開いた。
「僕はね、未だに分からずにいるんですよ。あの時、あなたを止めてよかったのか」
 彼女の過去を考えれば、彼女のやってしまったことを考えれば、彼女にはその権利があったかもしれないのに。
 でも、それでも、止めてしまった。自分には、その資格さえ無いというのにも関わらず。
 舞は、ポツリ、ポツリと漏らす久瀬を、じっと見ている。
「違う。私は、そのことに感謝してる、だから、久瀬はきっといいことをした」
「感謝を……? 僕のやったことが、ただの同情だとしてもですか?」
 魔物を通して知ってしまった、彼女の過去。それを知った時、久瀬は、自分の行為に恐怖した。
 私は、何ということをしてしまったのか。
 そう思ったときには、久瀬は既に動いていたのだ、それがきっと同情心だと知りながらも。
「そう、感謝してる。久瀬――」
 久瀬は、舞の顔を恐る恐る見た。

「ごめんなさい。そして――ありがとう」

――ドン!
 タイミングよく、花火がなった。

 閃光が、彼女のその笑みを照らす。
(……笑っただと!?)
 久瀬は、一瞬、目を疑った。能面の仮面を被る彼女が笑っただと?
 しかし、一瞬のことではあったが、確かに笑ったのだ。本人も気づいていないかもしれない。
 舞は、既にいつもの無表情に戻っている。
「どうした、久瀬」
 久瀬は、何故か無性に笑いたくなった。
「何で笑ってる?」
「いや、何でもありませんよ」
 再び、天に光の花が散った。舞は、今度は、天を見上げ、それに見とれている。
 閃光に照らされて、二人の影が映った。
 その二人の間は、最初の頃に比べて、随分近くなったような気がする。
 久瀬はそれを見ながら、同情心は、他の別のものに変わったりはするのだろうかと、本気でそんなことを考えていた。

          FIN


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