私立O川学園は物凄く広い。そりゃあ都心から離れているから土地も安いんだろうけど、それにしたって限度ってもんがあるだろ!?と、誰もが最低年三回はつっこみたくなるくらいに広い。 あまりに広いので、同じ敷地内にありながらも校舎が違えば偶然会う確立はほとんどなかったりする。元から離れて建っている大学のキャンパスはもちろんだが、初等部、中等部、高等部の校舎の間には、それぞれの体育館だのプールだの、第一、第二グランドだの、テニスコートだの道場だの、射撃場だのゴルフ場だの、講堂だの図書館だの、花壇だの畑だの、果てはクロスカントリー場だのが無数にあり、とてもじゃないが、気軽に行ってくると言える次元ではない。ちょっとした気紛れで、わざわざそれらの障害を越えてまで他の校舎まで行く生徒はまずいないだろう。行ったら最後、次の授業までに戻ってこられないと確実に断言できる。 あまりに離れているので、小中高等部それぞれ出入りする門すら違う。だから生徒たちは、他にも校舎や生徒が居る事を知っていながらも、なんとなくそれが実感できないような状態だった。特に初等部の一年ともなれば尚更である。 さて、その初等部一年に元気有り余る四人組がいた。まあ、好奇心とは誰もが持っているもので、それは特に幼い子供に顕著で、おまけに幼い分、歯止めが利かなかったりするものだ。そんな子供の中でも群を抜く好奇心の固まりたちが、目の前に転がっている「冒険」を放って置くはずもなく、その四人が放課後学園内を「探検」し出すのにそう時間はかからなかった。 O川学園のトップに鎮座ましましてございます学園長様は、今日も学園長室のご自分の机に向かい、お仕事に取り組んでおられました。 O川学園ほど大きな組織になりますと、事務の仕事も細分化され、学園長様の指示を仰ぐまでもなく、大抵のことは片が付いてしまうのでございますが、全てが片付くという訳にはまいりません。その日も学園長様は黙々と書類に目を通し、サインし、手紙を読み、何度か電話をお掛けになり、昼下がりに粗方仕事を片付けてから、日頃懇意になさっている親しい方からの手紙に、お返事を書き始められました。 学園長様らしいシンプルな無地の便箋を取り出し、愛用の万年筆で最初の一筆を入れようとしたその瞬間のことでございました。 「わははははは!オイラにかとうなんざ十ねんはやいねー!!」 「むきー!またんかーい!!」 突然聞こえてきたけたたましい声に、学園長様は思わず机に突っ伏しておしまいになられました。意外とお茶目な学園長様。日頃のスカした、いえいえ、落ち着いたお姿からは想像も出来ません。ああ、しかも今の衝撃でイギリスの某有名ブランドの万年筆のペン先が見事に割れてしまいました。あれは再起不能でしょう。ご愁傷様です。 学園長様は割れて使い物にならなくなったペン先と、そこからもれたインクでこれまた使い物にならなくなった便箋をしばらく見つめた後、ことの原因を探るため、椅子から立ち上がり、開け放っていた窓の外をご覧になられました。 そもそも学園長室のある管理棟と呼ばれる建物は学園の正門から徒歩二分の所にあり、他の校舎や生徒が利用する施設とは一際離れて建っているのです。生徒たちの利用している校舎に比べればとても小さな建物ですが、それは迎賓館としての役割も果しており、見た目重視、設備充実、この小さな管理棟一つで校舎が三つ建つと言われるほどでございます。 そんな見た目重視の管理棟の外壁は当然のように赤レンガ。周囲には花壇が配備され、四季を通じて見る者を楽しませてくれると評判です。・・・見る人は限られていますけど。 そんな静かな限られた者だけの聖域に、平職員が呼ばれただけで震えだすという場所に、なんとも珍しくもそぐわない子供の声。学園長様が声のした方――窓に面した中庭――をご覧になられますと、そこには幼稚園児にしか見えない子供が四人、中庭で騒いでおりました。 おそらく生徒でしょう。ということは小学生です。O川学園に幼稚舎はありませんから。生徒が学園内にいたところで何の不思議もありません。ですが学園長様はご自分の目を疑いました。なぜなら、この管理棟と初等部の校舎は、約1Kmは離れておりましたので。 子供の機動力はなかなか侮れませんね。学園長様がご覧になっている間も、その子供たちはあっちへちょろちょろこっちへうろうろと、めまぐるしく動き回ります。四人の中にはなにやら変わった生物も混じっていました。物珍しい思いで学園長様はその様子を眺めていらっしゃいます。と、そのうちに、その中の一人が勢い良く転びました。他の三人はそれを見てけたけた笑っています。転んだ子供は起き上がると、その三人に向かっていきました。三人はばらばらになって逃げていき、中庭は元の静けさに戻りました。 学園長様はと言いますと、窓辺にたたずんだまま、なにやら考え込んでおいででした。 『なんだって、子供はああも良く転ぶんだ?走る比率の問題か?神経が未熟だからか?やっぱり頭が重いからか?』 大した事は考えていませんでしたね。ともあれ、そんなことを考えているうちに、先ほどの子供が一人、中庭に戻ってきたようです。どうやら追っ手は振り切ったらしく、得意満面な顔で走ってきました。そして中庭の中央まで来た辺りで、その子供はいきなりすっ転びました。先ほどの子供より、良くも悪くも豪快ですね。2mはスライディングしたんではないでしょうか。下が芝生でしたからね。 『どうしてあんな平坦で、何もないところで転べるんだ?』 ミステリーですね。子供の方はと言いますと、辺りをきょろきょろ見回して、誰も見てなかったのを確認しています。どうやら見られてなかったと思ったらしく、ほっと息を付いた所までしっかり学園長様に見られていたんですけどね。それだけではなく、無駄に視力の高い学園長様は、その子供が額と膝をすりむいているのも見て取られました。そしてそれに気付いたときにはもう、思わず声を掛けていました。 「おい、そこのちまいの。お前のことだ。来い。」 突然掛けられた声に、驚くよりも興味が先に立ったのか、子供は手招きに応じ、素直に近付いてきました。窓枠の下から顔を覗かせて、学園長様を見上げます。 「な〜に〜?」 学園長様はそれにはお答えにならず、両手を子供の脇に差し入れると、持ち上げ、そのまま学園長室内のソファに座らせました。子供の方は驚いて目を丸くしています。 「ちょっと待ってろ。」 そう言って学園長様は部屋を出て行っておしまいになり、少しして戻ってらっしゃったときには、その手に、明らかに救急箱と分るものを携えておいででした。子供の方はと言いますと、ちゃんとソファに座ったまま、初めて入った知らない部屋の中を物珍しげに見回しております。 「ほら、怪我見せてみろ。」 その姿を見た人がいたら、きっと即眼科に駆け込んだでしょう。床に膝を着いて、怪我をした子供の手当をする学園長様。普段のお姿を知っていればいるだけ、それは信じ難い光景でした。あの、学園長が!怪我した子供の手当を!・・・・・・ありえねー!! ソファの前のテーブルには、昼間来た客に出したお茶請けの、焼き菓子の入ったガラス製の鉢が置いたままでした。額と膝に大きめの絆創膏を貼られた子供は、目をキラッキラッさせながらそれをじーっと見ています。いくら鈍い・・・いえ、他人に興味のない学園長様でも、その視線の意味することぐらいお分りになります。 「・・・・・・食っていいぞ。」 「いいの!?ホントに!?」 「ほら。」 学園長様はその鉢を引き寄せ、子供の手の届くところに置いて差し上げました。 「わーい、ありがとう!いっただっきまーす!」 子供は始終笑顔で、次々に菓子を頬張って行きます。それを見ていた学園長様が、食べてもいないのに胸焼けを感じるほどの勢いでした。余りに美味しそうに食べるので学園長様はその子供にお茶を出して上げました。きっと自分が飲みたくなったからでしょうけど。子供はそれも喜んで口にします。 話を聞いてみると案の定、初等部一年の生徒で、「ニシキギタラバ」という変わった名前の子供のようでした。ちゃんと了解を求めるところや、礼を言うところはなかなか好感です。きっとまともな常識のある人が傍にいるのでしょう。鉢がほとんど空になった頃、子供はカップのお茶を飲み干して、満足げな息を吐きました。 「ぷは〜。ごちそうさまでした!」 学園長様はただただ、その様子を眺めておりました。あっけに取られていたとも申します。子供はそのご様子に気付くと、聞き捨てならないことを言いました。 「ところでおじさんはだーれ?」 なんという怖いもの知らず。命が惜しくないんでしょうか。知らないこととはいえ、学園長様にこの暴言。ああ、くっきりと青筋が浮かび上がったのが見て取れます。 「だーれーが、おじさんだ〜?お前は自分の学校の学長の顔も知らんのか。ん〜?」 「あひゃひゃひゃ。」 学園長様はとんでもないことを言ってくれた子供の両頬をつまむと、左右に思いっきり引き伸ばしました。当然子供は痛がって、訳の分らない、くぐもった声を発しています。しかしまあ、その伸びること伸びること。それがお気に召したらしく、学園長様はしばらくそれをぽよぽよ引っ張っておりました。 『何なんだ・・・、この微妙な近視感は・・・。』 それはきっと前世の記憶ですよ(笑)とにもかくにも、気付けば学園長様は、かなり長いことそのよく伸びて、やわこくて、ぷにぷにぽよぽよするものを玩んでおりました。 「む〜〜〜。」 うめき声に正気に戻り、慌てて手を離したものの、既に子供の頬は真っ赤になってしまっておりました。 「・・・すまん、(なぜか知らんが)つい。痛むか?」 「ううん、これくらいだいじょうぶだよ。よく圭としょうぶするし。」 どんな勝負か気になり所です。 「悪かったな。」 「だいじょうぶだって。えーと、おじ・・じゃなくてー。」 ちゃんと分ってないらしい子供に、一語一句はっきりと言い聞かせます。 「学園長。」 「がくえんちょう?せんせいなの?」 「一応な。ったく、これでもこの学園で一番えらいんだぞ?」 その自分が何でこんなちまこい一生徒と、とでもおっしゃいたいようですね。 「いちばんえらいの?こうちょうせんせいより?」 「校長?初等部の部長のことか。当然私の方がえらいに決まってるだろ。」 「えんちょうせんせいすごいんだー。」 「え、園長先生?」 「うん、だってえんちょうせんせいでしょ?」 おそらくO川学園に入るまでは、どこかの幼稚園か保育園に入っていたのだから、学園長を園長先生と言うのは至極自然な発想と言えましょう。しかし、言われた方はご自分が、黄色い帽子と水色のスモッグの子供たちに囲まれたところを想像して固まってしまわれました。何も自分がファンシーなアップリケつきのエプロンをしているところまで、事細かに想像しなくてもいいと思いますがね。 「・・・・・・成だ。」 「???」 状況を飲み込めていない子供に、苦々しげな顔をした学園長は分りやすく説明なさりました。 「私の名前だ。それで呼べ。二度と園長とは呼ぶな。」 「なるせんせえ?」 「そうだ。」 ・・・そんな風に学園長様のことを呼ぶ者はO川学園広しと言えど、この子供だけでしょうな。 子供が慣れない言葉を口先で転がしていると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきました。 「たーらばー!どこいったー!にげるとはひきょうなりー!!」 「おーい、たらばー。」 「たらちゃーん!?」 中庭にさっきの子供たちの姿があります。どうやらこの子供を捜している様子。 「お前の友達か?」 「うん。オイラもう行くね。ごちそうさまでした。」 子供はソファから飛び降りると、ちょっと顔をしかめて窓に向かいました。と、そこで窓枠を見上げて途方に暮れてしまいます。仕方なく学園長様は子供の手を引いて、学園長室を出、中庭への出入り口まで連れて行ってお上げになりました。やはり明日は雨でしょう。 「ここくつのままでいいの?」 「ああ、管理棟は全部そうだ。ほら、そこから中庭に出られる。」 「ありがとうございました。」 子供は最後に深々と一礼しました。躾が行き届いてますね。親(兄?)の顔が見てみたいです。 「なるせんせえ、またあそびにきてもいい?」 顔を上げた子供は、小首をかしげながら学園長様を見上げています。これが噂のつぶらな瞳攻撃と言うやつでしょうか。そりゃもう、アイフルに走るしか! 「・・・暇なときなら相手をしてやる。ただし、このことは絶対誰にも言うなよ。一クラスまとめてくるようなことになるのは御免だからな。」 子供はよく理解できなかったらしく、ますます首をかしげています。 「だから、ここに来る事も、ここで何か貰ったとかいうことも、全部秘密にできるなら、遊びに来てもいいってことだ。」 「ぜんぶないしょにするの?」 「そうだ。」 「圭にも、竺にもパテットにも?」 「(誰かは知らんが)そうだ。」 「ろくせんせえにも?」 「当然だ。」 「おとーさんにもおかーさんにもおにーちゃんにもおねーちゃんにも?」 学園長様、答えるの面倒で適当に頷いてらっしゃるでしょう?子供の方はちょっと考えてこくりと頷きました。 「わかった。ないしょにするね。」 そう言って子供は玄関に向かって駆け出しました。その早いこと早いこと。 「またあそびにくるからねー!」 「ぬ!?たらばー、おまえどこいってたんだよー!」 「たらば、かくれるのうまいなー。」 「どこにかくれてたの?しんぱいしたんだよ〜?」 外から子供たちの騒がしい声が聞こえてきましたね。 「なーいしょ!そろそろかえろうよ!」 口々に話す子供たちの声は徐々に遠のいて行き、管理棟はまた、元の静けさに戻りました。 「たしかまだ、あったよな・・・。」 あまり甘いものがお好きでない学園長様は、頂きものの菓子の類は手近な職員にあげてしまわれることが多いのですが、来客用に取っておいたものがまだ事務室か給湯室にあったはず。とまあ、そんなことを考えながら、学園長様は仕事にお戻りになられました。 その後、気に入っていたらしい万年筆と便箋のありさまを思い出し、ちょっと呆然としたりしていましたけど。 これがO川学園で最も恐れられている学園長様と、ちまいのの出合いでございました。 |