1948年頃
サンチャゴにて左より松田・イェペス4人目
アメリカ演奏旅行へ
セゴビア・タンスマン
   
1957 神戸大学経済学部卒業
月刊ギター専門誌「ギターの友」新人音楽賞受賞
1959 演奏が来日中のアンドレス・セゴビアに認められ
1960 渡欧、アンドレス・セゴビア及び、アリリオ・ディアスによる2回の夏季講習受講
講習の第一日目、見学に来ておられたピアニスト、タンスマン師(ポーランドの著名なピアニスト・作曲家)と相談の上、セゴビア先生は「Japan now has a guitarist」(日本にギタリストあり)と言って下さった
その後セゴビア先生の推薦によりロンドンでジョン・ウイリアムス(当時若手世界第一人者のギタリスト)の元にギターを学ぶ
1961

スペインの北東の町オレンセにてセゴビアをチェアマンとした国際ギター・コンクール(オレンセ音楽院後援)でパパス・プヤナ賞(Papas-Puyana Prize)を獲得
その後機会ある毎に国の内外においてセゴビア師の指導、助言、薫陶を受けることになった

1962 ヨーロッパよりの帰路渡米、十数都市で演奏、TV及びラジオなどに出演
1963 アランフエスのコンチェルトの演奏とジョン・ウイリアムスとの2重奏を認められ同年度の日本クリティッククラブ賞を受賞
1964 再度招かれて渡米、各地で演奏後ヨーロッパに渡り帰途香港、シンガポールにデビュー
1969 カーネギー・リサイタル・ホールでニューヨークにデビュー ニューヨークタイムス紙に好評を得、アメリカ各地及びカナダで演奏
次いでロンドンのウィグモア・ホールでのコンサートも成功裏に終える
 
ニューヨークタイムス、ギタリスト・マツダ、自己のスタイルを展開。
 
ピーター・G・デイヴィース
マツダは師として、アンドレス・セゴビア、アリリオ・ディアス、ジョン・
ウィリアムスといった強力な個性あるギタリストをもっているにもかかわらず、実に全く自己を失っていない。
この日本のギタリストは、カーネギー・リサイタル・ホールで演奏した昨プログラムによれば、はっきりと物の言える演奏家である。彼の楽器のひかえ目な本質を考慮に入れるとしても、松田氏の演奏は極度に内面的な尺度によるものであった。事実ドゥ・ビゼーのニ短調の組曲とバッハの第三組曲(セロのもの)では彼は殆ど彼自身のために演奏しているかのように見えた。
しかし彼のより洗練された得意の部門では、松田氏は音色の並はずれて微妙な変化の漸次移行を支配している。特にあのバッハには、とろけるようなデリカシー(繊細で優美なこと)が陰を投げかけてきた。デリカシーは構造的な明瞭さと各楽章のリズミック・デザイン(律動上の構想)を巧妙に強調した。ロドリーゴ、ビラ=ロボス、トローバ及びテデスコ等、ギターのための作品群に於いては、松田氏は彼の幾分内省的なアプローチを拡大した。ここでもまた、彼の演奏は、審美眼と精妙さとの模範であった。
カーネギーホールの
リサイタルのチラシ
     
ガーディアン紙('73/1/25 ロンドン)  ウィグモア・ホール  
 
"ついに我々は日本にギタリストをもつ"、セゴビアは昨夜のウィグモアホールに出演した松田についてそういっ ていた。松田は技術的に卓越したギタリストである。彼のバッハの編曲ものは非凡な流麗さとなめらかさで演奏 された。(奇妙なことにギターではもっともやさしいとひびくところが最もむずかしく、一方最も輝かしいパッ セージが初級の問題であり得るということである。 ポンセ----低音部と高音部の音域の種々の性格の変化を幻 想的に活用する。他のどの楽器でこんなに説得力豊かに音色の変化を利用することが出来るであろうか?スペイ ン又はスペイン風の作品----自由で表現力に富み、完全なスペイン的特徴を持っていた。それは真面目さにみえ を張ることの最も少ない作品であり、私にも、私以外の聴衆にも、最も大きな喜びをあたえた エニス・ジェ ミールの三つの作品----美しくも哀しい。ヒューゴー・コール(作曲家、批評家)
 
     
     
1970 この年より数年間軽井沢におけるモルナール氏主宰の夏季講習会のギター科の講師
1973 イギリスにコンサートツアー、ダブリン、パリでも演奏
ロンドンでArgo DeccaにLP録音
ノルウェイのベルゲン音楽祭にソリストとして出演


Morgenavisen-Bergens Arbeiderblad by A.CH.Meyer
 

マツダは、洗練されてすばらしく熟達した技術を持っているにもかゝわらず、全プログラムを通じて単なる技術を見せびらかす作品を避けた。彼は非常に印象的な方法で、即ち良く変化させられた音の取り扱い、とりわけ音色の多様な陰影をもって、柔らかく、温く、そして歌うような音からあの鋭く容赦のない音まで、驚くべき広大な音色を創造し得たのである。それは、あのスペインの革命の詩人、ガルシア・ロルカの ーー心臓を突きさす6本の劔ーー というギターについての詩を思い起こさせた。 1973年11月16日
 
1974 香港芸術フェスティヴァルにソリストとして出演
同年、セゴビア演奏会観賞旅行と銘打って約60名の有志と共にヨーロッパツアーを企画
(主な訪問都市、ロンドン、ニューキャッスル。エディンバラ)


1976 アルハンブラ宮殿におけるアンドレス・セゴビアの音楽映画撮影に演奏助手として招待される。 同年第二回セゴビアヨーロッパツアー (主な訪問都市、ベルリン、シュテュトガルト、ハンブルグ)
1978 セゴビアヨーロッパツアー
(主な訪問都市、ロンドン=セゴビアのアルハンブラの映画特別試写会、バルセロナ、 マラガ、グラナダ、 マドリッド、ミュンヘン、フランクフルト、 マンハイム)
1979 香港芸術フェスティヴァルにソリストとして出演
同年、セゴビア演奏会観賞旅行と銘打って約60名の有志と共にヨーロッパツアーを企画
(主な訪問都市、ロンドン、ニューキャッスル。エディンバラ)

 
アルハンブラ宮殿のライオンの庭で
映画 "Song of the guitar"撮影準備中


1980 セゴビア、三度目の来日(1929,1959以来)
1982 NHK教育テレビ、「ギターを弾こう」の講師この年セゴビア四度目の来日
1985 テデスコ作曲「カプリッチョ・デ・ゴヤ」世界初演 姫路市文化賞受賞
1989 スペインのマドリド近郊El Escorialで開かれた第1回 アンドレス・セゴビア国際ギターコンクールの審査員
1990 野鳥保護と自然環境保全の為に"SAVE THE BIRD CONCERT"を日本野鳥の会と共催し、北海道のタンチョウ鶴保護の為の基金を寄贈
1991 SIMIZU MUSIC COLLECTIONでアランフエスのギター・コンチェルトを大阪センチュリー交響楽団と競演
コロンブスのサンタ・マリア号鳥羽寄港記念コンサート
レッスンを受けている

1992 東京、大阪で本荘玲子と M.M.Ponce のGUITARとHARPSICORDの為のSONATAを共演
それを含むCD「サウンドオブザギター2」を製作、発売
1995 朗読とギターのための「プラテロと私」を影絵の藤城清治氏と恵比寿のエビスホールで共催(朗読は八千草薫)
1996 ドイツのミュンヘン市立博物館その他でコンサート
2001 「ギターは小さな星のオーケストラ」(エッセイ集)発売
2003 「Sound of the Guitar 3」を「ギターは小さな星のオーケストラ」発売記念として製作、発売
そのほか、毎年(時たまの例外を除き)東京と関西でコンサートを開いている。


趣 味
 

野鳥の会会員(383の会−丹頂鶴の保護の為の会)
ドライブ・旅行(国内・外)
喫茶店・食事(外食)に行く
SPレコード鑑賞と収集
囲碁 アマチュア五段認定(免状は無し)
球乗り(出来るはず)