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野の花をかざって ...
ののはなの第11回から第20回までをこちらに移しました。
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[第1回] 「ピンクのばら」
[第2回] 「コスモスの咲く路で」
[第3回] 「ゆっくりと降りて来る」
[第4回] 「風の中で待っている」
[第5回] 「北風になりたい」
[第6回] 「母の背中よ、水色星よ」
[第7回] 「いつも栗をくれたのは」
[第8回] 「飽餐男女」
[第9回] 「きもの」
[第10回] 「飛・び・ま・す」
[第11回] 「さよならね ルーシー」
[第12回] 「テツコの部屋」
[第13回] 「夜光虫」
[第14回] 「知ってるつもり」
[第15回] 「旅は道連れ世は情け」
[第16回] 「段々畑にて」
[第17回] 「今日中東から戻りました」
[第18回] 「光年の彼方」
[第19回] 「よおし、がんばっどぉ」
[第20回] 「君の好きなメロディー」
[第21回] 「日曜日が待ち遠しい」
[第22回] 「ホテル・ニューハンプシャーの法則」
[お便り、掲示板、リンク、バックナンバー etc.]
2000年2月20日 [第11回]
「さよならね ルーシー」
親愛なるチャーリーブラウン、そしてルーシー、ライナス、シュレーダー、サリーにスヌーピー ...
ピーナツの作者であるチャールズ・モンロー・シュルツが先日亡くなりました。好きな作家とか映画俳優とかって、私が初めて知ったときには既に亡くなってた人のほうが多いんだけど、そんな中で同時代に生きててうれしいなって思っていた人がいなくなってしまうと本当に悲しいものです。
私は小学校の頃からピーナツの大ファンでした。一冊300円くらいの谷川俊太郎訳の本を少しずつ買って何度も読み返していました。ピーナツのことはいろんな場所で多くの評論家が賞賛していると思うけど、子供の頃の私に対してこの本が与えた影響は計り知れません。私がいま考えたり話したりしてることの多くは、きっとチャーリーやルーシーが語っていた言葉を繰り返しているんだろうなって思います。
今日はシュルツ氏へのはなむけにかえて、手元に残っているピーナツの中からルーシーとライナスがパパの転勤のため遠い町へと旅立っていったときのお話しをご紹介します。
チャーリー (ポストから絵ハガキを取り出し、スヌーピーにむかって)
「みろよ! ライナスからハガキだ!」
『チャーリーブラウンさま
これが最初の晩に泊まったモーテルです...
プールがあったけど泳ぎませんでした。
ルーシーは一日中意地悪でした。
いっしょに後ろの座席にいなければならなくて...
長い旅になりそうです...ライナスより
追伸、スヌーピーにレッドバロンを
やっつけるよう祈ると伝えてください』
「こんなかなしいハガキ読んだの生まれて初めてだよ!」
二人が引っ越したあとのこと、シュレーダーはピアノの演奏中
頭の中に浮かぶ楽譜にルーシーの顔が重なってドキッとし、
チャーリーがライナスから形見にもらった毛布を片手に
指しゃぶりをしていると、スヌーピーは彼をライナスと
勘違いしておそいかかるのです。二人がいなくなったという事実が
残った者を混乱させてしまう。そしてページを一枚めくると...
チャーリー (突然現れたライナスにむかって)
「もどってきたの!?」
ライナス 「パパの気が変わったんだ...
新しい仕事が気にいらないのさ...」
ルーシー (二人の会話をさえぎるように大声で)
「どうなってるの、このあたりは?
わたしたちが出てってから
ちっとも変わってないじゃない!
このあたりじゃ人は進歩ってことしないの?
なんてバカげたとこなの!!」
ライナス (去って行くルーシーを見送りながら)
「彼女ももどってきたよ...」
こうして大切な友達は戻ってきたのです。
シュルツ氏もピーナツの面々ももちろん私の中に戻ってきています。というよりもずーっと住みついてるっ て感じです。出会いと別れはセットになってるってよく言われるけど、大切な出会いは物理的な別れとは関係 なく永遠になりますよね。
シュルツさん、安らかにおやすみください。 ののはな
2000年3月20日 [第12回]
「テツコの部屋」
今日は、前からやってみたかった...クイズ大会で〜す! 今までのののはなとのギャップには目をつむ って、「まじめな」クイズをお楽しみください。
前提条件:
上から見ると正円形の部屋をベンツのエンブレムのように3等分に仕切ってショートケーキ型の3つの部屋に 分けます。
その3つの部屋に男3人(時任三郎、山崎努、美輪明宏という超豪華メンバー)を一人ずつ閉じこめます。
3つの部屋は壁で仕切られていますが、その壁には大きなガラス板がはめ込まれてるので時任さん、山崎さん 、美輪さんの3人は各々他の2人の姿を見ることができます。
ただし3つの部屋は完全防音なので互いに話すことはできません。また、ガラスは無反射ガラスなのでガラス に映った自分の姿を見ることもできません。当然部屋から出るのもだめだよ。
3人はゼスチャーや手足の動き、口の動きなどで情報を伝え合うことができないようにがんじがらめに縛られ た上、マスクをつけられています。
部屋のオーナーのテツコさんに会いたいときは各部屋の隅のテツコボタンを押せば来てくれますが、以下の問 題に正解しない限り、一言もしゃべらずすぐに出ていってしまいます。
設問:
オーナーのテツコさんが、部屋に入った3人の男一人ずつに、本人には見えないよう(しかし他の2人には見 える)ツバ無し帽子をかぶせました。こう言いながら...「帽子は赤が3つと白が2つ、全部で5つあって 、その中から1つを選んでかぶせてあげたわ。だけどどっちの色をかぶせたかはヒミツ!」
そしてテツコさんがかぶせたのは、3人とも赤い帽子でした。
では問題です。「さあ、皆さん、自分の帽子の色が何色なのか、正しい理由とともに言い当てることができた ら、すぐに縄をほどいてテツコの特別室に案内してあげるわ。だれか一人でも当てられるかしら?」
すると3人の男達はテツコさんの特別室に行きたくて真剣に考え始めまた。 そして5時間が経過したとき、遂に時任三郎がテツコボタンを押し、自分帽 子の色を完璧な理由とともに言い当てたのです。
さて時任さんはどう答えたでしょうか?
【この下に回答があります。まじめに考えたい方はあとで見て下さい】
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答え:
時任さんは以下のように考えて正解に至りました。
「ふぞろいの林檎たち」っていいドラマだったよなー。俺ももう40過ぎちゃったけど気持ちは若いし、もう 一回、ああいう青春ものの仕事やりたいよなあ。今度、倉本っちゃんに頼みに行ってみようかなあ。でもあい つ富良野だから日帰りできないしなあ。
【お詫び】
上の文を書いたときは「ふぞろいの林檎たち」の
脚本家を倉本聡さんと勘違いしておりました。
あの名作ドラマの脚本は山田太一さんであります。
倉本さん、山田さん、そして読者の皆様、失礼しました。
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ポカッ!
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痛えなー。何すんだよ、テツコさん。
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アホッ! さっさとクイズに答えんかい。
読者のみなさんが飽きてしまうでしょうが。
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わ、わかったよ、じゃあ答えるよ。あのね...
「もし俺(時任さん)が白をかぶってたとしたら、山崎さんも美輪さんも赤を1つと白を1つ見ていることに なるはずだろ」
「その場合、山崎さんは赤を1つと白を1つを見ながらこう考えるはずだ」
『もし私(山崎さん)が白をかぶってたとしたら、
美輪さんは白を2つ見ていることになるはずだ』
『だったら美輪さんはすぐに自分が赤だと判るはずなのに、
さっきから色っぽい眼差しで私を見つめるばかりだし』
『そうか。ということは私は白ではなくて赤をかぶってるって
ことになるぞ』
『わかったぞ。テツコさーん。わかったぞー。私は赤だったんだー』
「美輪さんも山崎さんと同じ条件だから、やっぱり同じ結論に至るはずだ」
『やったわー。テツコさーん。わかったわよー。あたしは赤なのよー。
早くお縄をほどいてちょうだーい』
「ところが、もう5時間も経ってるのに、山崎さんも美輪さんもじっと縛られたままじゃないか...そうさ。ということは、最初の俺の仮定が間違ってたんだ。俺は白でなくて赤をかぶってたから、他の二人は上のような仮定を立てられずに考え続けてるんだ。ちぇっ、二人とも全然困った様子も見せないで、さすが役者やの〜。とにかく俺は赤をかぶってたんだってわけだよ。どうだい、テツコさん、正解だろ。早く縄をほどいてくれよ〜。早くこのへんてこな部屋から出してくれよ〜」
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「よくできたわね、正解よ。さあ、一緒にテツコの特別室にいきましょ。実は私もあなたが正解してくれて内心ホッとしてるのよ。山崎さんはちょっとおっかない顔してらっしゃるし、美輪さんときたら髪の毛がかき氷のレモンシロップみたいな色でしょ。ちょっと眩しいでしょ」
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残された山崎努と美輪明宏の2大スターは、縄でがんじがらめに縛られ床の上に転がったまま、ショートケーキのお部屋から遥か彼方に見えるマッシュルーム型の、そう、タージマハールみたいな特別室の方へと歩いてゆくテツコと三郎の後ろ姿をぼんやりと見つめていました。そして二人が歩いていく小道の脇を、何百本もの真っ赤な彼岸花が埋めつくしていました。
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「テツコの部屋」
FIN
実はこのクイズ、元ネタは多湖輝さんの「頭の体操」(カッパブックス)っていう本からいただいたものです。小学生の頃読んでおもしろかったので友人に教えてあげてるうちに、クイズそのものよりも設定とか登場人物とかを変えるのに夢中になってしまい上のようになりました。本当はもっと悪のリしてこの二倍くらいだらだらと書いてたんですが、今回は見知らぬ読者の方に読んでいただくには不適切かなと思われる部分を削除してリメイクしたものです。はっきりいって単純にクイズを楽しむには不適当だし、読み物としても中途半端でしたよね。おそまつでした。
2000年9月4日 [第13回]
「夜光虫」
私が小学校5年生のときの夏休み、叔母夫婦が住んでいた海辺の町に遊びに行きました。高校教師だった叔父(叔母の旦那様)がその年の春からその町に赴任することになったので夫婦で引っ越して来ていたのです。 当時その辺りの海には珊瑚も住んでいたし、堤防で釣りをすれば透き通ったキスがいくらでも釣れました。その町で過ごした夏が、私の覚えている中でいちばん夏らしい夏です。
朝陽が上る頃、裏山で蝉が鳴きはじめ、近くの公園からラジオ体操の音楽が聞こえてきます。海辺に出て裸足になって波打ち際を歩くと朝の海は思ったよりも冷たかった気がします。私よりも早く起きて海辺に来ていた叔父が岩場にしゃがみこんで何か探していました。
「叔父ちゃん、何してるの?」
「ゴカイだよ。昨日釣りしたときに使ったミミズみたいなやつよ。
今日も夕方になったら釣りに行こうな」
「うん」
ちょっと気持ち悪かったけど、私も一緒にしゃがみこんでゴカイ取りをしました。時折目の前の海を日に焼けたおじさんたちが乗った漁船が横切ります。すると岩場に打ち寄せる波が大きくはじけて私の足を濡らしました。
朝御飯がすむと叔父と叔母に連れられて泳ぎに行きます。ちょうどその日は台風が日本の横を通り過ぎた直後だったらしく波がすごく高くて、私は叔父と一緒に高波に向かって頭から飛び込んでその下をくぐるというのを飽きもせずに続けました。本当は叔父は2〜3回で飽きてたのかもしれないけど、私が「ね、ね、叔父ちゃん、今度の波すごく大きいよ」なんて言うと「よっしゃ」と言って豪快に飛び込んでくれました。そしてくたくたになった後、一軒しかない海の家に入って持ってきたお弁当を食べます。叔父は私に冷たいかき氷を注文してくれました。
「あんたはいいわね、そんなに早くかき氷食べられて」
「なんで? 姉ちゃんは早く食べられないの?」
(私と叔母とはちょうどひとまわり違いで、私は叔母が
結婚した後も姉ちゃんと呼んでいました)
「早く食べると頭が痛くなるのよ、キリキリッてするの」
「ふ〜ん。でも姉ちゃんも早く食べて一緒に飛び込み
やろうよ。もったいないもん」
「なにがもったいないの?」
「海が」
横で煙草を吸っていた叔父がくすくすと笑ったのに気づき、私はなんだか恥ずかしくなりました。
3日間ほどそんなふうに過ごした後、叔父が顧問をしていた女子卓球部の部員を連れて沖にある島でキャンプをするというので、私も一緒について行くことになりました。沖と言っても小さな漁船で5分くらいで着く島です。ちょうど叔母の町の入り江にふたをしたみたいに浮かんでる島で、そのキャンプ場は入り江の方を向いているので目の前の海は波がほとんどなくて湖みたいでした。岸から5mも離れると水底には珊瑚が広がっていました。
卓球部のお姉さんたちは随分大人に見えて最初はうまくしゃべれなかったけど、半日も経つとみんなの後にくっついて一緒に泳いだり夕御飯の仕度を手伝ったりしました。夕御飯はカレーライス! 陽が暮れる頃にカレーを食べはじめ、暗くなったら次はキャンプファイヤー! 一人がギターを取り出して弾き始めたので、私はそのお姉さんの横に座って「かっこいいなあ」と思いながらギターを弾く横顔を見つめていました。
みんなが歌ってる横でニコニコとビールを飲んでいた叔父が、波打ち際の方へ歩いて行き、またしゃがみこんで何か探しています。そしてしばらくすると顔を上げて私を呼びました。そばに行くと波のひいた後の砂の上を指差して、
「青く光ったの、わかる?」
「うん。何?」
「夜光虫だよ」
お姉さんたちも集まってきました。
「あっ、光った!」
「こっちにもいっぱいいるよ!」
それが私のはじめて見た夜光虫でした。たしかそのとき「神秘的ってこういうことなのかなあ」って思ったような気がします。何十万もの青白い光が夜の海に浮かんでいるのかなと想像して、「星が海に落ちてきたみたい」と夜空を見上げました。あれから何度かあちこちの海で夜光虫を探したことがあるけれど、あの夏ほど青白い光がはっきり見えたことはありません。
お姉さんたちと叔父と私は、翌朝また船に乗って入り江の町に戻りました。そして私は、その日の午後叔母と叔父に見送られ私の町へ向かうバスに乗りました。叔父の海辺の高校への赴任はその年一年だけでした。次の年の春にはもう私の町に戻って来てしまいました...。ずっといればよかったのに。
これが私の10歳の夏の思い出です。
2000年10月16日 [第14回]
「知ってるつもり」
このマガジンを書き始めた頃「素敵な思い出は脚色されてますます素敵になっていくけど、つまらないことや嫌なことは思い出さずにごみ箱に捨てちゃうんでしょ」と自分で自分に嫌味を言ってみたことがあります。
だけど、うすれてゆく大切な記憶をなんとか取り戻そうと思ってはじめたこのマガジンが、若かった昔の私が故意に忘れようとしていた、ずるくて意地悪で弱い自分自身の姿さえも、同時に思い出させてくれたような気がしています。以前なら、他人はもちろん自分にさえも隠したかったことがたくさんあったけど、時が経つと自分には隠す必要がなくなったということなのかもしれません。
だけど、今の自分を冷静に見つめてみると、今もやっぱりずるくて意地悪で弱いところは全然変わっていないことに気がつきます。変わったところといえば、自分でお金を稼ぐようになったこと、生活のための知識が増えたこと、そして、見えない将来に怯えつつも漠然と期待を抱いていたはずの私が、いつの間にか開き直ったような気分で日々を送るようになったということくらいかな。
だけど、一年前このマガジンを書きはじめていなかったら、上に書いたようなことだって考えもしないで漫然と過ごしていたことでしょう。それに素敵な思い出や空想を書き綴るという作業には、誰よりも私自身が癒されるという大きな効果があります。そして、本日現在79名の読者の方が私の書いた拙文を読んでくださってるという、ドキドキする事実! はなはだ自己満足ではありますが「マガジンを発行して本当によかったな」と思うののです。
以上、満一年を迎えてのののの感想でした。上の文章、3回続けて「だけど」ではじまってますが、採点などしないで読んでくださいますよう。
さて、今晩「知ってるつもり」で、私が一年前に紹介した李香蘭/山口淑子さんの半生が紹介されていました。あらためて素敵な方だと思いました。時代に翻弄され、裏切り者扱いまでされた結果、一度は「李香蘭は死んだ」と言って自分の過去を消そうとした彼女は、結局自分の歩んできた人生に正面から向かい合う道を選びます。そして、自分の人生を変えた戦争という不幸を繰り返さぬため、自ら報道、政治の世界へと飛び込み力を尽くし続けます。意思の強さと行動力、それに美貌も語学力も備えた「羨ましい」人ではあるけれど、それにもまして、ゲストの浅井慎平さんが言ってたとおり、抱きしめてあげたくなるような「正直で」「ひたむきで」「素敵な」方です。繰り返しになりますけど、彼女の本是非読んでみてください。
私の家のベランダに田舎の母からもらったニラを植えてるんですが、ちょうど今、小さな白い花がたくさん咲いています。ニラっておいしくて栄養があっって見た目も可愛い、「素敵な」花(?)ですよね。
2001年4月23日 [第15回]
「旅は道連れ世は情け」
先日、ある高原のホテルに出かけてきました。高原といってもかなりの高度のところで、まわりの道にはまだ雪が残っていました。
帰る日、来た道を降りずに裏山を抜けて行こうとしたら、車が雪に乗り上げて動けなくなってしまいました。1kmくらい離れたペンションの方に助けを求めると快く駆けつけて牽引してくれて無事に脱出できました。脱出の後、ホッとしたのとクタクタになったのとでその場に残ってぼんやりしていると、助けてくれた方がまた戻ってきました。私がなかなか降りて来ないから心配になって様子を見に来てくれたのです。
帰り道、車でラジオを聞いてたら国語辞典の編纂などなさってる日本語の大家みたいな方がゲスト出演してて、司会者から「いちばん好きなことわざは何ですか」と聞かれて「旅は道連れ世は情けというのがいいですね」と言ってました。私も賛成です。
2001年8月30日 [第16回]
「段々畑にて」
最近「棚田(たなだ)」がひそかなブームになっているのをご存知ですか?
子供の頃の私には「棚田」という語彙はなく、田んぼも畑も山の斜面にあるものは全て「段々畑」と呼んでいましたが、どうやら棚田と段々畑とは使い分けるのが正しいようです。棚田の方は英語では「ライステラス」と呼ばれています。余談ですがライステラスという名のタイレストランが東京にあります。4、5年前に一度行ったきりですがすごくおいしかったです。
初夏の山裾に水をいっぱいにたたえて広がる棚田の眺めはそれは美しいものです。何年か前のコマーシャルで、トルコのパムッカレという石灰岩の白くて丸い池が青い温水をためて段々に連なっているのがありましたが、ちょっとそれに似た感じです。斜面を埋めつくす棚田の水面に夕焼けが映ったりしていたらウットリします。それはそうとこのトルコの青い段々池と似てるのが中国の四川省の黄龍というところにもあるそうです。私はパムッカレにも黄龍にもまだ行ったことがないので、いつか行ってみたいなと思っています。
棚田の話に戻ります。今雑誌などで流行っているのは日本国内およびバリやタイなどの東南アジアのリゾートにある棚田などです。先日知ったのですが、ある世界的に有名なリゾートホテルチェーンでは、以前棚田の あった土地を買い占めて部屋から棚田が見えるようにホテルを建て、さらに農民と契約を交わして伝統的な農夫の格好をして「ゆったり」と「のどか」に耕すフリをしてもらっているそうです。なにもそこまでしなくてもという気もしますが、豪華なアジアン・リゾートホテルに泊まり、ライステラスの中を時計の長針のような速度で移動してゆく農夫の姿を眺めるというのは贅沢なことなんですね。
日本の棚田は長野、和歌山、佐賀、長崎、大分などにある本格的なものに加え、小さなものなら全国に散らばっているので、その気になれば手軽に見に行けます。皆さんはどこかで偶然迷い込んだ山道の脇に広がる棚田を見つけて思わず車をとめたことはありませんでしたか? 見つけたことはあってもそのまま走りすぎてしまいましたか? 今はせっかくの棚田ブームなので、今度見つけたときは是非車をとめて棚田を愛でつつ深呼吸でもしてみてください。それがトレンディーです!
しかし、どうして今棚田なのでしょう? 人工のものでありながら自然と一体化した造形美、古いものだと出来てから数百年も経つというその歴史、そしてやはり、現代に生きている私たちがちょっと疲れていて山とか緑とか田んぼとかに安らぎを覚えるからなのかな、という気がします。でもただ単純でお気楽な棚田ファンになってしまうのもちょっと気がひけます。実際に棚田が出来た背景には、洪水や土砂を防ぐとともに、狭い土地で少しでも多くの農作物を育て生計を維持して行かなければならなかった地元の方たちの事情があったでしょうし、現在では厳しい耕作環境ゆえに人手不足、高齢化が進んで維持が難しくなっている棚田も多いそうです。ということで単に眺めて楽しむだけでは済まない気持ちになったりもするのです...。でもですね、決して周りを汚したり中に立ち入ったりせず、地元の方の邪魔にならないようにそっと眺めて、そして素直に感動していれば、きっと農家の方たちも誇らしく思ってくださるのではないでしょうか...と思いたいののでありました。
以上、にわか棚田ファンのののから棚田のご紹介でした。ちなみに私の知っている棚田ポイントをいくつかお教えします。長崎の福島という島(棚田の水がシャンパンツリーのように海へと流れていくようです)、大分の由布川渓谷沿いにある棚田(棚田の回り360度全部みどりだらけ、マイナスイオンがたくさん)、和歌山の高野山近くの清水町に流れる川の中のあらぎ島というまん丸の三角州にできたまん丸の棚田(ほんとに大きなまん丸でした。江戸時代からあるそうです)。バリ島のウブドから東の方にあるティガラランにあるライステラス(バリ観光では有名なところです。ライステラスの本場だからそれだけでうれしくなります)などです。それから私にとっては棚田とセットでブームになっているのが「湧き水」めぐりです。「○○のおいしい水」とかの源泉にでかけてそこの水を汲んで飲むだけです。是非一度お試しください。
なんだか今回はあやしいガイドブックみたいになってしまった...
2002年2月7日 [第17回]
「今日中東から戻りました」
実は思いもかけず中近東の方に行く機会があって、今日まで約半月ほど出かけていました。といっても危ない国ではなくて、日本からのツアーも増え初めているアラブ首長国連邦のドバイというところです。もともと砂漠だけだったところに石油が見つかって大金持ちになった国で、全人口のうちわずか3%しかいないらしい地元の方は医療費も教育費も税金も全部ただで大体ベンツに乗ってました。残りの97%は出稼ぎの人で、インドとかシリア、ヨルダン、イラン、その他数え切れないほど多くの国から豊かなオイルマネーを目指して様々な人達が集まっています。
いろいろ感じたこととかあるのですが、とりあえず地元の方が言ってたことをそのまま紹介させていただきますと、「この国には歴史らしい歴史がなくていきなりお金持ちになったので、ビーチホテルだって街中のビルだって未来的なものばかりだ。お手本になる伝統がないんだ。なにもかも人工的なんだよ」という訳です。本当にそのとおりなんですけど、これから何十年かしたら歴史らしいものが出来ていくんだろうなと思います。22世紀くらいになったら、こういう国が世界の発展のモデルみたいになるんじゃないかな、などと思った次第のののでした。ちなみにドバイのビーチに数年前にできたブルジ・アル・アラブという7つ星のホテルでお茶だけ飲んできたんだけど、本当にあきれるほど人工的で贅沢なところでした。ドバイの頭文字のDの形をしたホテルです。海の中に建ってます。高さは321mもあるそうです。ホテルに興味のある方は本屋さんで確かめてみてください。
2002年9月1日 [第18回]
「光年の彼方」
「光年の彼方」っていうスイス映画を観たことがあります。周囲から変人あつかいされている老人が、手作りの羽根を肩に背負い光年の彼方を目指して大空に飛び立ってゆく、という風変わりな映画でした。100人くらいしか入らない小さな映画館に一人で観に行きました。最近は映画館から足が遠のいてますが、以前はこういう変わったのも含めてたくさん映画を観たものです。
今日は、先日あるメールマガジンで偶然見かけたお話を紹介します。マネックス社長の松本大さんの文章です。
「0.1ミリ・メートルの紙を100回折り畳むとどれ位の厚さになるか?
0.1ミリ掛ける2の100乗です。答えは1.27掛ける10の29乗
ミリメートル、即ち1.27掛ける10の23乗キロ・メートルです。
光速は秒速30万キロ・メートルですから、1光年は9.47掛ける10の
12乗キロ。ということは、紙の厚さは何と約134億光年になります。
答えがこれほど感覚からかけ離れた謎々は他に思い当たりません」
自分でも計算してみたけど確かに134億光年でした。手近にあった紙を折ってみたら7回くらいでめげてしまいましたが、もしこれを100回折りたためば宇宙の彼方まで行けるのかしらと思うとすごく興奮してしまいました。小さい頃「光年」という単位を覚えたときと同じように眠れなくなってしまったののです。
恋愛とかジェットコースターとかくじ引きとか、どきどきするものはいくつかあるけど、普段の生活とまるで接点のない宇宙のことを考えて興奮するのもいいものですよ。
2003年3月27日 [第19回]
「よおし、がんばっどぉ」
NHKの「まんてん」もついに大詰めを迎えています。今朝は世界中の子供たちがテレビの前で見守る中、主人公のまんてんが念願だった「宇宙からこんにちは」の放送を実現しました。宇宙ステーションに拵えた宇宙の火の見やぐらから「青くて丸かぁ地球」を眺めながら、「地球にはたくさんの色がある」といって感動を誘いました。つくりもののドラマの中のことだと判ってはいるのですが、宇宙の映像といいまんてんの台詞といい、見ていた私にあらためて地球に生きていることの歓びを教えてくれました。気がつくとドラマの中の子供たちのように画面に釘付けになって、ウキウキドキドキと感動していました。これは良質のSFドラマです。本当によかった!
「ちゅらさん」とか「さくら」とか「ほんまもん」とか、最近のNHKの朝ドラはどれもテーマとかキャスティングとかは結構イケてたのですが、肝心の脚本に深みがなかったり、息切れして最後にコケたりってことが続きましたけど、今回の「まんてん」は文句なしでした。ののはなから100点満点をさしあげます。
私たちの暮らしている日本では、高校を出るまで英単語もほとんど知らず、大学にも行かず、いったんバスガイドになったもののすぐに辞めてしまったまんてんのような人は、その後いくら頑張ろうとしても、真剣に応援してくれる人はいません(いるとしたら親くらいでしょう)。家賃や食費やその他の出費のために働かなければいけませんし、いまさら宇宙飛行士を目指すなんてことは100%無理な話なのです。ドラマの中の藤井クンは「理論的にはゼロじゃないから99.99%にしといたるわ」と言ってましたが、現実には100%無理と言ってしまってもいいような毎日を、私たちは生きているのです。まんてんは、そのあり得ないはずの夢を笑顔と努力で実現してしまったわけだけど、そのひたむきさと明るさに私はずいぶん勇気づけられました。つらいときも、まんてんのように「よおし、がんばっどぉ」なんてつぶやいたりしてるのです、最近。そして、やっぱり明るさっていうのは生きてくうえでとても大事なことよね、などとつくづく思ったりしているののであります。
さて、今朝まんてんの見ていた地球には、海や砂漠や雲や雪がきれいに映っていたけれど、都市とか工場地帯とか戦場はどんなふうに映るのでしょう。アメリカと日本のテレビ局が見せてくれる映像ばかりじゃなく、宇宙からも戦争を映してみては? それは見る人によってはきれいに見えるかもしれないけれど、自然の中には決して現れない特殊な色をしていることでしょう。
では、皆様の健康と世界の平和をお祈りしつつ、ただいま失業中のののはなでした。
2003年8月28日 [第20回]
「君の好きなメロディー」
携帯電話の着メロ、みなさんは何をつかってるのでしょうか? ひとそれぞれにお気に入りの曲を使ってるのでしょうが、なんか気になります。実はわたしの場合、無料でダウンロードした曲のほかに、好きな曲をいくつか音符を打ち込んで登録しています。そして、家族からの着信はこれ、ともだちのときはこれと、いろいろ使い分けて自己満足してます。見ず知らずの皆様だからこそ、打ち込んだ曲をいくつかご披露させていただきますと...
One from the heartのテーマ(クリスタル・ゲイル&トム・ウェイツ)
2002年ワールドカップのテーマ曲(元気がでます)
綱渡りの前奏部分(山崎ハコ、しんみりしてるけど好きなのです)
赤い花白い花(赤い鳥、和音がきれいに聴こえます)
或る日突然(トワエモア、ほんわりとした気分になります)
風を忘れて(谷山浩子、子供の頃聞いてたラジオのテーマソングでした)
鉄道唱歌(汽笛一声新橋を〜、JRが国鉄だった頃はおなじみでした)
プロコフィエフのピアノ曲OP.12 No.7(私はプロコファン!)
森の熊さん(「やまとなでしこ」を見て真似しました)
ユーモレスク(ドボルザーク、なつかしい気持ちになれるメロディー)
プチシルマの曲(研ナオコと林家ペーのCM、愉快ですよね)
精霊の踊り(グルックのオルフェオとエウリディーチェの間奏曲)
あなたのとりこ(シルヴィ・バルタン、駆け出したくなる感じ)
青春のリグレット(松任谷由実、私の青春時代がよみがえる)
ハッピーバースデー(誕生日のアラーム用に欠かせません)
冒険者たちのレティシアのテーマ(フランソワ・ド・ルーベ、知ってる?)
小鳥の歌(小鳥はとっても歌がすき〜、私の伴侶からの着メロです)
自分で打ち込むと、ダウンロードしたものよりも愛着がわくのです。そして散歩してるときとかに鳴らして悦に入ったりしているののであります。お好きなメロディーの打ち込み、みなさんも是非お試しあれ。
3月に失業して以来、ずいぶん長いお休みで頭も身体もすっかり緩んでましたが、このたび晴れて再就職が決まり、慌ててダイエットに励むののはなでした。就職活動中の読者さん、あなたもがんばって!
なのはなばたけ