紀元前
14世紀頃
ッチワークキルトは布が大切であった時代の必要性から生まれたアイディアで いつごろから始まったかという正確な記録はありません。
古くは紀元前3400年のエジプト人の小布が 中国では紀元前1世紀に作られた敷物が発見され 中国でもインドでも紀元前からキルトされた衣服が発見されています。
中世には聖職者はパッチワークしたガウンを着ていました。十字軍が11世紀末から13世紀後半までに行った中近東遠征から持ち帰ったと言われています。また十字軍の旗はパッチワークで作られていました。そして13世紀から16世紀ごろより キルトは少しづつ一般にも使用されるようになりました。

14世紀の数年に渡る南西ヨーロッパの大冷害は生活を変えキルトのベッド掛けがたくさん作られるようになったということです。
現在残っている世界で最も古いキルトのベッド掛けは ロンドンのビクトリア&アルバート博物館にあり 14世紀に作られたトリスタンキルト(シリアン・キルト)です。 

  世紀           アメリカ            イギリス
 17世紀


620年清教徒を乗せたメイフラワー号(画像参照は航海のすえアメリカ大陸の東海岸に着いて以来 キルトは新世界と密接な関係で織りなされていきました。
衣食住の必要性に迫られて大切な布を大きくするために小布をつなぎ合わせたのです。


1680年代の南部の移住者たちはお金もちが多く フランスの影響もあって 輸入の布地をはじめ キャリコ チンツ ベルベットなどでエレガントなキルトが作られました。

1631年ごろからインドのキャリカットより木綿を輸入していました。キャリコはこのキャリカットからつけられた名前です。

1676年ごろから インドよりプリントキャリコが多量に輸入されると イギリスの国産ウール 麻産業に打撃を与え キャリコの輸入は禁止されましたが それは逆にキャリコの人気をますます高める結果になりました。


1680〜1700年にはシルク ベルベットを使った「貴婦人の宮廷キルト」が作られ 珍しく貴重なカバーです。
 18世紀
700年代の初めにはキルトのベッド掛けが物々交換されたりキルトのコート ペチコートなどが売りに出されました。その頃の記録が残っていないので不明ですが必要最小限の単純なもので 凝ったデザインをする余裕はなかったと思われます。

植民地時代の女性の教育は 読み書き 算術より針仕事を含めた家事の訓練の方がより重要視されました。
質素と倹約精神に裏打ちされたキルト作りは こうしてアメリカの地にしっかり根を下ろしていったのです。

イギルスの木綿や日用品すべてに重税をかけた独占販売が アメリカの紡績産業を独立させる結果となり アメリカ独立戦争(写真参照)へと発展していく要因のひとつとなったのです。
1777年 独立した時のアメリカの旗もパッチワークで作られました。

1790年ミシンを最初に発明されましたが 試作品だったため84年間も眠ったままでした。
1793年に発明されたコットンジン(綿の種を分離する機械)は木綿産業の基礎を作ったばかりではなく
南北戦争(写真参照)とも重要なかかわりをもち 歴史を大きく動かしているのです



8世紀の初めにはキルトはファッションのトップにもなりました。男性用は絹 サテン ベルベットなどでジャケットに女性用にはペチコートやガウンなどに 花柄 葉 唐草模様などの手の込んだ装飾でなされました。

インドから輸入されたエキゾチックなチンツやコットンなどを使い ピーシングやアップリケがなされました。
南部の豊かな地域ではペーパライナー法による正確な
モザイクのデザインのキルトが作られました。
綺麗なコットンや絹を用いた作品は実用品というより装飾品として用いられていました。

18世紀の中ごろには専門にキルトを作る職人も出て 低料金で雇われてサテン 絹などに 金銀糸で刺繍した豪華なベッド掛けも作られるようになりました。
イギリスは綿がほしかったので 植民地アメリカのバージニアに投資し 奴隷労働による農園を作り 綿栽培の開発をはじめました。そしてイギルスで織られた木綿は高額の税金をかけてアメリカに売られました。

1769年には水車を利用して動かす紡績機械が発明され 手仕事から機械化された紡績産業が確立しました。
世界の紡績マーケットをコントロールすることになり その技術を海外に流出しないようにかたく守られ また優秀な紡績工がアメリカに移民することさえも許可しませんでした。


 19世紀

820年ごろには水力機械の量産に成功し大規模な木綿繊維産業に成長しました。
1830年から40年にかけて アメリカの紡績工場は2倍以上に増加し 生産高の最も多かったのはキャリコプリントで1840年にはスチームエンジン工程による機械化された紡績機の開発により 大量生産されるようになり 経済的 政治的に重要な産業としての地位を確立していきました。

木綿への情熱は そのままキルトへ向けられました。安くて 柔らかく 手軽に洗え 美しくプリントされたキャリコは 当時のファッショナブルな布地として センセーションをおこし 人気が集中しました。


美しく生活をすることを惜しまず 有能で合理的な女性になる誇りをもってキルト作りにも その情熱を傾けました。
1850年から1875年ごろまで 最も盛んに行われた
”キルティングビー"(写真参照)は19世紀のアメリカの社交場となり社会機構の特色となります。
1871年にはミシンが完成。このころからキルトにもミシンが使われ始めました。


独立100年を迎えた1876年にはフィラデルフィアで世界博覧会が開かれ 産業の反映を迎えたアメリカを祝って再び愛国心に燃えたモチーフがキルトに現れました。
しかし 世紀が変わる頃になるとキルト作りは急激に衰え始めました。安い毛布も出回り始め産業革命は人々のライフスタイルを一変してしまいました。

女性の社会的地位が向上していくにつれて 手仕事のキルトは衰退を見せ始めます。

キルト作りは 19世紀のアートの中でも最もドラマティックな形式のものだといえます。あらゆる階級の女性がキルトを縫いました。
そのベッドカバーは200年以上もの間 各家庭で飾られてきたのです。
当時 女性は2級市民と考えられていて 今のように充分な権利もなく そのような者が作るものであり 常に節約と貧困に結びついていたため芸術史から全く無視されていました。

1815年ごろより木綿を安く売り始めアメリカ製品に大打撃を与えました。

1837年〜1901年までイギリスのヴィクトリア女王が君臨した時代に ロマンティックで装飾を重視したスタイルが世界中に大流行しました。
センチメンタルでロマンティック 装飾過剰がヴィクトリアンのライフスタイルです。アメリカーナと切り離せないのがヴィクトリア時代の手作りです。
その最も代表的なものがクレージーキルトです。

羊の国とよばれるウエールズにはウール工場が多く ウールで作ったパッチワークが見られます。”ダイヤモンド・イン・ザ・スクエア”や”ストリッピー”のデザインなどがあります。
南ウエールズの炭鉱地帯から多くの家族が仕事を求めてペンシルバニア州に移住したのです。

彼らと共にベッドカバーのデザインも伝えられ 無地の濃い色のウールを使うことやシンプルなピーシングを好むことなどが謹み深いアーミッシュ(写真参照)の人たちの感覚に訴えたのです。

 20世紀

世紀末から数十年の間は キルトは一時すたれていましたが 1930年代の経済恐慌時代に再びアメリカ人の経済的関心と倹約精神から 復活し始めました。

キルトコンテストも流行し アメリカンキルトの過去から現代につながるワンクッションとなった時代で30年代に作られたものには 過去の伝統に新たな創作を加えた アールヌーボー調やアールデコ調の素晴らしいキルトがたくさんあります。

キルトが売るために作られなかったのは 興味あることです。労働の価値や芸術的価値が計算されるような商品にはなりえませんでした。 
1965年ごろから美術界で注目をあび
 現在は第3次流行(写真参照)の時を迎えています。

キルト作りは20世紀になっても続きましたが 次第にすたれて1930年代後半には作る人がいなくなってしまいました。
キルトの復興は 人々のクラフト全般への関心の高まりと 時を同じくしています。

1930年代 美術教育を受けた人々が 陶芸や織物などで頭角を現して今日の基礎を作りました。美術畑の人がキルトを作り出したのは70年代のことです。

アメリカでのキルト・リバイバルとなったキルト展がロンドンでも展示され英国の現代アーティストに影響を与えました。