ソノマそのまんま日記

 

2001年3月4日(日)

教会に行ってからベルモントに帰る。どしゃぶり。シリコンバレーまで洗車状態かと思いきや、ゴールデンゲート・ブリッジから南、ジレット・スーパーの剃り後みたいにくっきりすっきり晴れる。

うちの近所は真っ暗。暗闇から人が。「メールぅ」隣の人だ。停電したばかり。良かった。

途中母に頼まれた漢方薬を買いにニュー・チャイナタウンへ。全然停まれないんですけど。日本の母にこちらから頼みごとをすると「もう郵便局混んで混んで」とか恩に着せられますが、これは恩に着せたい。サンフランシスコの三大シャ悪は駐車、浮浪者、市バス運転者です。

 

2001年3月3日(土)

一人寂しく近所のカフェでブランチを。

隣のすっごく太った女性二人がぺろっときれいに食べていまして、ウェイトレスがお皿を下げるときに「まぁ、よっぽど、まずかったのねぇ」て。「ひどいもんよ、あんまりひどいからうちの犬にもって帰ろうかなと思ったけど気の毒なんであたしが食べたわよ」って。こういう会話は普段子付き、主人付きであまり耳に入りません。私も娘作り対策の一環として体重を増やさないといけないんですが、ぺろっとは行きませんでした。

 

2001年3月2日(金)

郵便局に行こうとガレージから出るとひぇぇ隣の人が家のゴミを出してくれている。といのは平日はシリコンバレーの方にいますからお隣にゴミ出しを頼んでいるわけで、金曜日がゴミの日だったのすっかり忘れてました。

隣は郵便も預かってくれてます。ご主人がイギリス人で奥さんがテキサス人。だからメールをマイルと言います。郵便を取りに行くと五歳の上の子が「マイルたまってるよぉ」って、キミはユナイテッド航空か、と思うわけです。今回お隣がフロリダに引っ越すので私書箱を作らないといけません。

ソノマ(と言う時、ソノマ郡を差しているんですけど)では歩行者の人権が認められている!シリコンバレーでは、道を渡ろうとするとき、車は絶対に止まってくれません。(まあ、信号でわたるのが普通だけど)それで「なんだ、止まれよ。ばかやろー」というビート心理状態を避けるためには、自分を交通標識と思うというまるでアクターズスタジオの演劇指導のような気持ちにならなくてはいけません。しかし、ソノマではしっかり止まってくれるんであわてて(そうか、人間だったんだ)と思うわけです。これは逆も言えるわけで、運転中は道を渡ろうとする人が目に入らず、過ぎてから(あ、人間だったんだ)と思います。

 

2001年3月1日(木)

ソノマ日記を書いてとのサクラさんのリクエストにのってしばらく書きます。ソノマは、イタリアからの移民がトスカーナ地方の気候に似ているということでワイナリをいくつも作った、そんな場所だからイタリアに並ぶぐらい見事なとこだ。夫が日本に出張に行ったので昨日ソノマに帰ってきた。

今日のソノマは、ややくもり。朝、夫のトヨタをメンテに出したので、トヨタのシャトルで家まで送ってもらった。シャトルの中は男の人ばかり四人。小学校の校長先生だという青年が乗っていて、継息子の学校を探している言うと、是非うちに、と名刺を渡される。青年校長もリクルートが大変だ。日本の学校はどうなのかな、こちらの公立は居住地域内の子供を優先的に取るけれど、居住区外からの子供を受け入れる枠組みがあって、好きな学校があれば行ける。

それから後の三人をのんーのんーと送って行くのでおかげでソノマの美しい光景を随分満喫することができた。バックミュージックは最初スィテングだったが、運転手さんに頼んで、コレクションからクロノス・カルテットを選ばせてもらった。スティングも好きだけど、持っているアルバムだったので。途中牛に食べさせる干草を運ぶトラクターに二度遭遇した。スカンクの屁の匂いがするのでそういう車の後ろに着くのはとっても迷惑。外では白や黒の牛が朝飯の草を食んでいた。沈思するブタがいた。馬も草を食んでいた。ハングライダーが草原をななめに降下したかと思うと、小屋の高さほどでふわりと平行になった。雨季の後の草原は濡れた緑が鮮やかだ。それにユーカリと菜の花の黄、梅の花が加わる。ブラックバードが群れをなして飛んでいた。空には薄青い雲がまだ厚くかかっている。