《THE WATER IS WIDE》が結ぶ二つの映画            
 
「K I D N A P P E D」&「遙か群衆を離れて」  その謎を探る
 
                                 サントラ爺さん
 
 
 
 ーそれはひとつの歌から始まったー
 
 @ことの始まり
 2014年秋、わが畏友T氏がくれた、映画主題歌を集めたCDの中にその一曲はあった。_「KIDNAPPED(誘拐されて)」という未公開映画の中で、メリー・ホプキンが歌う「For All My Days」。ホプキンのヒット曲「悲しき天使」が好きなので聴いてみたのだが、聴いてゆくうちに懐かしさで胸が一杯になってしまった。いつかどこかで聴いた懐かしさ。〈デジャ・ヴュ=既視感〉ということばがあるが、この場合は〈既聴感〉とでもいうのか。_だとすればこの曲は既成曲ということになるが、果たしていつどこで聴いたのだろうか?
 それから何日もの間僕は、この懐かしさの謎を突き止めるため、衰えたわが灰色の脳細胞を絞りまくった。そうしてやっと思い出したのは、1967年の英映画「遙か群衆を離れて」の中で流れたメロディだった。「遙か〜」のサントラLPとCDでは、「ファニーとトロイFANNY&TROY」「ファニー・ロビンFANNY ROBIN」として収められている曲だ。
 
 A遙か群衆を離れて
 原作は長編小説として1874年に刊行されている。作者は、映画化された「テス」「日蔭のふたり」でも知られるイギリスの作家トマス・ハーディ(1840〜1928)。ハーディが生まれ育ち、やがて1885年から永住したのはイングランド南(西)部_かつてあの伝説的英雄・アルフレッド大王の王国があったウェセックス、現在のドーセット州(州都はドーチェスター)である。このため彼の作品では故郷のウェセックスがよく舞台とされているが、それは、ウェセックス地方に秘められたサクソンの古い、昔ながらの息吹を掘り起こし、復活させようとしてのことなのだそうだ。
 「遙か〜」も同様に、小説が書かれた19世紀のウェセックス地方を舞台としている。農場主の若い女性バスシバ(ジュリー・クリスティ)が主人公で、彼女と三人の男との愛の物語となっている。一方、CD等の曲名となっているファニー・ロビン(プルネラ・ランサム)は、出番は多くはないがもう一人のヒロインともいえる、バスシバの農場で働く娘。トロイ軍曹(テレンス・スタンプ)の恋人だったが、結婚式が行われる教会を間違えたためトロイの怒りを買って姿を消し、彼の子を救貧院で死産して死ぬ。トロイはファニーが消えたのち、バスシバと巡り会って最初の夫となる。
 問題のメロディは、この悲運に泣くファニーとトロイの“愛のテーマ”として流れていた。映画では地方色を出すために民謡が多用されているから、既成曲を編曲したと思われる、問題の「ファニーとトロイ」&「ファニー・ロビン」には、この地方の民謡とか当時の流行歌が関わっているのではないかと思われてきた。それでは一方のホプキンの歌にはどのような背景があるのだろうか?
 
 BK I D N A P P E D(誘拐されて)」
 71年の英映画。監督は「マーティ」(55)、「階段の上の暗闇」(60)等のデルバート・マン、主演はマイケル・ケイン。未公開作品だがビデオが出ていて、「スコットランドは死なず 戦場をかけぬけた熱き男たち」という題名が付けられているらしい。しかし今やレンタル店からビデオは消えてしまっている。困った。ところがおあつらえ向きなことに、わがもう一人の畏友E氏が、この映画のDVDを持っているという。そこで早速見せてもらったのだが、字幕がないので話がさっぱりわからない。仕方なく原作の方を当たってみることにした。
 原作者はあの「宝島」のロバート・スティーヴンソン(1850〜1894)で、1886年の作品。そこでネットを調べてもらうと、日本では「さらわれたデービッド」と題し、福音館の古典童話シリーズの一冊として、72年から出版されているとのこと。全集ものなら図書館にもありそうだ。早速出かけてみると、案の定ありました、ありました。それも3冊。「KIDNAPPED」は、実は40年以上もの間、日本の子供たちに読み継がれてきた名作だったのだ。知らぬはジイさんばかりなり。情けない。
 わくわくしながら読んでみた。子供だけに読ましとくのはもったいない、読み応えのある波瀾万丈の冒険物語だった。
 _主人公は17歳のデーヴィッド。彼が後年思い出として物語る形式をとっていて、映画も(冒頭だけだが)彼の語りから始まっている。ところがデーヴィッドの恋人で映画のヒロインであるカトリオナが、なぜか本では最後まで登場しない。ガッカリして訳者のあとがきを読んでみると、スティーヴンソンは8年後の1894年(44歳で亡くなった年)に続編を書いていて、その題名が「CATRIONA」となっていた。どうやら映画では、この2冊が一つの話にまとめられているようだ。そういえば、映画のタイトルでは、〈Based on R.L.Stevenson’s KIDNAPPED AND CATRIONA〉と書かれていた。このためこの長い題名の小説が、映画の原作となっていると思っていたのだが、そうではなく、〈「KIDNAPPED」と「CATRIONA」の2冊を混ぜ合わせて脚本が書かれているんですよ〉という意味だったのだ。
 本のあとがきによると、_「この物語(「CATRIONA」)も、複雑な筋が絡み合った面白い作品ですが、文学作品としてのまとまりと迫力は、前作(「KIDNAPPED」)に劣るようで、翻訳もまだありません」(1972年早春)_とある。ザンネン。それでも未練たらしくネットを見てみると、ナント1956年に河出文庫から_出ていた!題名は「海を渡る恋」。訳者も知らなかった〈驚愕の事実〉がいとも簡単にネットから出てきた。恐るべし、インターネット!ところが「海を渡る恋」は、ロングセラーにならずそのうちに
絶版となったようで、現在は中古本が1万2600円もするという。なんでやねん!これでは手が出ないので、泣く泣く諦めることにした。グヤジイ。
 というわけで、映画の方に移る。字幕がないので色々と間違っているかもしれないが、荒筋は大体こんなところではないだろうか。
 時代は18世紀。所はスコットランド。スコットランドは既に、1707年にイングラン
ドと合同し、大ブリテン王国の一部となっていた。※スティーヴンソンもスコットランド人で、エディンバラで生まれ育っている 
 荒筋の前に時代背景を眺めてみよう。
 _イングランドでは、1603年にエリザベス1世が亡くなりテューダー朝が終わる。代わって王位継承権を持つスコットランド王が即位してジェームズ1世となる。こうしてステュアート朝の時代が始まる。その後1688年の名誉革命で、カトリックのジェームズ2世が国外追放となると、彼とその直系男子をイングランド王に復位させようとする人たちが現れた。彼らを「ジャコバイト」と呼ぶ。ジャコバイトはイングランド、アイルランドや海外にもいたが、特にスコットランドやフランスで強かった。
 スコットランドは、ステュアート家の出身地であり、イングランドとの根深い対立意識があることから、ジャコバイトの最大の支持基盤となった。特にテイ川の向こう岸に広がる丘陵地帯(ハイランド地方)がそうだった(スコットランドの氏族は、イングランドの圧迫を受けて次第に北方高地に移り、一族が領主を中心として部落に集まって生活した。映画の冒頭では、このハイランドが映し出される)。
 このためフランス等の支援もあって、たびたびジャコバイトの反乱が起こった(1714年には北ドイツの選帝侯がジョージ1世として即位し、ハノーヴァー朝が始まる)。
 1689年にジェームズ2世がアイルランドで、1715年にマー伯ジョン・アースキンらがスコットランドで挙兵するが失敗。1745年にはジェームズ2世の孫のチャールズ・エドワードが、ハイランドの氏族を糾合して内戦を起こす。しかし翌1746年のカロデン(スコットランド北部・インヴァネス付近)の戦いで致命的敗北を喫し、ジャコバイトは壊滅する(この戦いでは負傷して動けない者まで皆殺しにしたので、国王ジョージ2世の三男である指揮官のカンバーランド公は、「Butcher(屠殺者)」との異名を得た※この虐殺の模様は映画のタイトル場面で描かれており、その後でカンバーランド公が登場する)。
 勝利したイングランド軍の、ハイランド地方の住民(高地人)への弾圧は苛烈で、映画でもその模様が描かれる。またほぼ全員が武器の携行を禁止され、キルト(男性用のたてひだの短いスカート)やプレイド(格子縞の長い肩かけ)の着用も禁止。バグパイプの演奏も好戦的行為の象徴とみなされて禁止となり、高地人文化の破壊が進められたという。
 
 さて映画の荒筋(原作ではカロデンの戦いから5年後の、1751年6月から物語が始まる)。
 _両親を亡くした17歳のデーヴィッドは、叔父を頼ってエディンバラ西北方の邸を訪
ねるが、遺産狙いと思われて、密輸船?に奴隷として売られてしまう。スコットランド北西の海上で船がボートに衝突。拾い上げられた男はアラン・ブレック(マイケル・ケイン)という高地人で、1745年にイングランド軍を脱走した軍人だった。彼の領主が、その後亡命したフランスで窮乏生活を送っているので、領民たちから金を集めフランスに運ぶ途中事故にあったのだった(ビデオの箱の解説には_アランは、フランスへの亡
命を企てるスコットランド軍の兵士_とあるそうだ)。そこでデーヴィッドはアランと協力し、金を狙う船長たちを撃退するが、船が難破し浜に打ち上げられる。二人は高地に向かい、〈領主のための金を集めて預かる役目をしている〉ジェームズ・ステュアートの屋敷に辿り着く。しかし翌朝マンゴー・キャンベル率いる一隊がやってくる。キャンベル一族は1715年以来国王側に味方し、今や代官となって高地人同胞を迫害する裏切り者の一族だ。そこでアランは物陰からマンゴーを射殺し、ジェームズの娘のカトリオナとデーヴィッドの三人で逃走する。その後ジェームズが捕らえられて、マンゴー殺しの罪で砦の牢獄にいることがわかる。デーヴィッドは愛するカトリオナのため、ジェームズを助けるため奔走するがうまくゆかない。やがてアランがフランスに脱出する日が迫った。しかしカトリオナがアランに、父を助けてくれと懇願し去っていった後、アランの脳裏にカロデンの戦いの思い出が蘇る。カロデンの野に同胞たちが累々と横たわり、父や夫や兄弟を探す女たち。悲しみと怒りの戦場の光景。アランの目に涙があふれ流れ落ちる。かくてアランはジェームズを助けるべく砦に名乗り出る。鎖に繋がれた同胞たちは、鎖を打ち合わせてアランにエールを送る。アランの姿が砦に消えてゆくと、画面には美しいスコットランドの海や川、緑の野原やハイランドが次々と映し出され、エンドタイトルが始まる。
 問題のホプキンの歌は、アランが砦に消えて行ったあと、アランがボートで脱出するはずだった浜辺が映し出されると流れ始める。この歌は劇中でも演奏で、「遙か〜」と同様に、“愛のテーマ(デーヴィッドとカトリオナの)”として何度か流れていた。スコットランドのイングランドに対する、長い恨みの歴史を凝縮させたようなこの映画の締めくくりに、ウェールズで生まれ育ったホプキンは、スコットランド人の誇りと燃えたぎる魂を高らかに熱唱している_かのように思えたが、実際は、美しい自然を与えてくれた神の日々の恩寵をOh thank you Lordと感謝する歌のようである。画面には、作詞:ジャック・フィッシュマン、歌:メリー・ホプキンと出るが、作曲者名は出ない。しかしCDでは作曲者は、本編同様ロイ・バッド(1942〜1993)と記されているという。バッドは「ソルジャー・ブルー」(70)、「狙撃者」(71)、「爆走!」(73)等、70〜80年代に映画音楽ファンにもてはやされた人だが、してみるとこの歌は、原曲を編曲以上に改変した上に、新たな歌詞を付けた歌ということになる。確かに「遙か〜」のメロディと全く同じというわけではない。しかし曲の流れからいうととても似通っていて、両曲は同じ曲を原曲にしているといっていいだろう。であれば『スコットランド』が舞台の「KIDNAPPED」と『ウェセックス』が舞台の「遙か〜」の両方が、どうして同じ曲をアレンジして使っているのか?_さっぱりわからなくなってしまった。
 ※「さらわれたデービッド」のあとがきによると、「海を渡る恋CATRIONA」の結末
は_〈アランは無事フランスにのがれ、デービッドは、カトリオナという女性とめぐり会って、めでたく結婚します〉_とある。映画とは逆の、子供の本らしいハッピーエンドになっている。本と映画の一番の違いだが、この他にも映画では、カトリオナをジェームズの娘にしたり、アランがデーヴィッドよりも12インチも低い小男なのに大男のマイケル・ケインに演じさせたり、また原作ではジェームズの方が絞首刑になっているこ
となど、かなりの改変がなされていることがわかった 
 
 かくてこの謎解きは暗礁に乗り上げてしまい、どんどんと日々が過ぎ、年が変わってしまった。ところが1月下旬、畏友E氏から衝撃的情報がもたらされる。_NHKTVの「歌謡コンサート」で、この歌が「広い河の岸辺」という題名で、クミコという歌手によって日本語の歌詞で歌われたというのだ。実は2014年の朝の連続テレビ小説「花子とアン」の中で流れた歌が「広い河の岸辺」の元歌で、以来巷やネットでは大きな話題となっているという。_そこでネットができない僕は、畏友T氏におねだりしてネットから情報を集めてもらうことにした。
 
 C国立音楽大学附属図書館の回答
 質問:「花子とアン」で、スコット先生と「はな」が歌った歌。その曲名、楽譜、C
    D等について知りたい。
 回答:◎曲名は“The Water Is Wide ”
    ◎当館所蔵の楽譜とCDの探し方(略)→これによって米フォーク歌手のピー
     ト・シーガーや、英カウンター・テノールのアルフレッド・デラー等多くの
     歌手がこの歌を歌っていることがわかった→デラーの名前があったので手持
     ちのLPを探してみた_81年に日本で出たLP「デラー:フォーク・ソング
     傑作集」。なんとこの歌があった。メロディはかなり違っていたが、デラー
     が歌っていたのは確かに問題の歌だった。題名は“ Water is wide流れは広
     く”、〈作者は不明〉とあった。いやいや、知ってビックリ、意外な事実
 
 ★こうしてやっと謎の歌の題名が“The Water Is Wide”であることがわかった。またT氏の尽力によってネットから、「歌謡コンサート」や沢山の映像付きの歌を見聴きすることができた。映画の曲とは別ものかと思ったほどメロディが違っていたが、曲の流れはよく似ているので、二つのテーマの元になった曲とみなして間違いないだろう。それではその他については?
 
 DDuo QuenArpa 公式ブログ:広い河の岸辺 The Water Is Wideのルーツ
 まず《The Water Is Wide》の歌詞はどうなっているのだろうか。(クミコ版「広い河の岸辺」の訳詞者である〈八木倫明氏のブログ〉より)
 
 1. 河は広く 渡れない      飛んで行く 翼もない
    もしも小舟が あるならば   漕ぎ出そう ふたりで
 
 2. 愛の始まりは 美しく     優しく 花のよう
    時の流れに 色褪せて     朝露と 消えていく
 
 3. ふたりの舟は 沈みかける   愛の重さに 耐えきれず
    沈み方も 泳ぎ方も      知らない このわたし
 4=1
 
 歌の内容については→クミコ氏によれば_〈人生って広い河みたいで、いつ溺れるかわからないけど、向こう岸に向かって希望という舟で渡って行こう_そんな歌なんじゃないかと〉。司会者によれば_〈勇気、希望、そして心励ます思いがこの曲には込められています〉とのこと。愛は悲しいけれど希望を忘れずに_という〈祈りの歌〉といったところか。 
 
 次に〈八木倫明氏のブログ〉より概要をまとめてみた→ 
 1.《The Water Is Wide》はスコットランド民謡。原題は《O Waly Waly》。
 2.Waly:スコッツ語。「悲しい」という意味で、「おお悲しい、悲しい」というの
   が元の意味。今は使わなくなった単語。
 3.《O Waly Waly》は、17世紀スコットランドのバーバラ・アースキン夫人の物語に
   基づいている。夫人はマール第九伯爵の娘で、1670年にジェームズ・ダグラス第
   二侯爵と結婚するが、愛し合っての結婚ではなかった。元の恋人と密通している
   という噂を流され、冤罪を被った。この不幸な結婚を悲しむ歌だという。
 4.《The Water Is Wide》は、《O Waly Waly》がアメリカに渡ってから付けられた題名
   で、旋律と歌詞も《O Waly Waly》とは一部異なっている。《The Water Is Wide》
   の題名で最初に広まったのはアメリカだったので、アメリカ人の中にはこの歌を
   アメリカ民謡だと思っている人もいる。
 5.《The Water Is Wide》はアメリカで採譜され、発表された。それを行ったのは、セ
   シル・ジェームズ・シャープ(19〜20世紀に活躍した英国の民謡収集家)で
、   第一次大戦中渡米していた時にこの歌を採譜した。
    ※シャープはイギリス各地で3000曲以上の民謡を収集したほか、米・南アパラ
     チア山地で移民たちの間に伝わるイギリス起源の民謡1600曲余りを採譜し、
     イギリスの民謡研究を軌道にのせた功労者である(LP「デラー〜」解説よ
     り)
 6.そののち英本国でも《The Water Is Wide》という題名が一般化していった。
 ★以上まとめれば→
  《The Water Is Wide》はスコットランド民謡で、原題は《O Waly Waly》→この《O
  Waly Waly》がアメリカに渡って、一部旋律と歌詞を変えて、《The Water Is Wide
  という歌になった→その後英本国でも《The Water Is Wide》という題名が一般化
  していった_ということになる
 
 「KIDNAPPED」と「遙か〜」のメロディの元になったのは、現在《The Water Is Wide》として知られている歌で、元々は《O Waly Waly》という名のスコットランド民謡だっ
たということがわかった。そうか、なるほど「KIDNAPPED」の舞台はスコットランドだった。しかしそうであれば、なぜイングランド南(西)部のウェセックス地方を舞台にした「遙か〜」で、スコットランド民謡が使われたのだろうか?謎はまだ解けたわけではないのだ。
 ところがさらに他の資料を読み進めてゆくと、ついに決定的な超弩級資料にぶち当たった。_日本バラッド協会の、櫻井雅人氏による『研究ノート』である。
イギリス本土地図

 
 E研究ノート “The Water Is Wide”はスコットランド民謡か(1)(2)
 研究ノートには学術論文として細々とした研究資料が載せられているが、なるべく簡単にわかりやすいように、独断ではあるがまとめてみた。_
 1.“The Water Is Wide”は、英米ではたいていの場合スコットランド民謡とみなされ
   ていないようである→例えばウィキペディアでも、スコットランドの歌謡との関
   連は指摘されているものの「English(イングランド)起源の民謡a folk song of
   English origin)」と書かれている 
 2.現在歌われている“The Water Is Wide”は、セシル・シャープがいくつかのサマ
   セット州(イングランド南西部。州都はトーントン。東隣はハーディの故郷ドー
   セット州で、ともにイギリス海峡に面している)の民謡の、曲と詞を寄せ集めて
   作り上げた歌である。(シャープが素材としたのは、当時のブロードサイド版が
   民謡化したものだった)
    ※ブロードサイドbroadside : (古)(チラシ・ポスターなど)片面刷りの大
     判の印刷物(broadsheet)/(英)=broadside ballad
     ブロードサイド・バラッドbroadside ballad : 16,17世紀にイングランドで
     流行った俗謡(バラッド・流行歌)を、片面刷りの印刷物broadsheetにして、
     俗謡歌いが街頭などで歌って売った。こうして売られた印刷物や、俗謡の歌
     詞、俗謡のこと→これらの俗謡が年を経て民謡になった→シャープはこれら
     の民謡を素材にして寄せ集め、又自分が書いた歌詞と取り替えたりして、こ
     の歌を作り上げたのである 
 3.曲は、1905年にサマセットで採録した歌から採用した。(つまり、曲もスコット
   ランドのものではなく、イングランド版である)
 4.この歌を、シャープとチャールズ・マーソンとの共著「サマセット民謡集・第3
   」(1906)に、“O Waly,Waly”の題名を付けて載せた→この歌の「歌詞」中に
   “O Waly,Waly”の文言はなく、「曲」も〈スコットランドの“O Waly,Waly”〉とは
   全く異なっていたのになぜこうしたのかというと→〈シャープが作り上げた歌〉
   と〈スコットランドの“O Waly,Waly”〉 の、「歌詞」の一部が類似していた(〈シ
   ャープが作り上げた歌〉の4番と、6番の一部が、〈スコットランドの“O Waly,
   Waly”〉中の歌詞とよく似ていた)ため、両方を「同じ」歌とみなして、題名には
   〈コットランドの“O Waly,Waly”を用いたのである→そしてこれがその後、誤
   解を生むことになった
 5.〈シャープが第一次大戦中にアメリカの南アパラチアで、そこで歌われていた歌
   を“The Water Is Wide”として採譜して発表した〉_という話は誤りである→“O
   Waly,Waly”は、第一次大戦よりも前の1906年にシャープとマーソンが出版した
   「サマセット民謡集・第3集」の中で既に発表されているからだ
   →この話は、“The Water Is Wide”をアメリカで流行らせたピート・シーガーの誤
   解から生じたようだ→シーガーが1958年に出したLP「American Favorite
   Ballads,Vol.2」では、《アメリカの民謡》として紹介している→シャープの「
   ングランド民謡100曲集
(“O Waly,Waly”を含む)」がアメリカで出版されたの
   は1916年だから、シーガーは_〈第一次大戦中に、シャープは南アパラチアでこ
   の歌を、“The Water Is Wide”として採譜して発表した、だからこの歌は《アメリ
   カの民謡》だ〉_と思いこんだのだろう ※シーガーが1960年に出したsongbook
   
では、〈“The Water Is Wide”は、シャープが収集し“Waillie Waillie”と名付け
   たイングランドの歌〉と正しく書いている
    ※“O Waly,Waly”の歌詞の始まりは、“The water is wide〜”。よってアメリ
     カでは、これを題名にしたのだと思われる
 6.こうしてシャープによって、それまでどこにも存在していなかった「新しい」歌
   が誕生した。今歌われている“The Water Is Wide”の「歌詞」と「旋律」を持った
   歌は、19世紀のイングランドにもスコットランドにも存在していなかったのだ。
    ※“the water is wide”のフレーズが初めて歌詞の中に入ったのは1904年だと
     いう
 7.その後「歌詞」や「旋律」をいくらか変えた様々な編曲バージョンが生まれた
   が、基本的にはこのシャープ版が元歌である。
 
 F櫻井氏の結論
 ◎現在歌われている“The Water Is Wide”は、「歌詞」「旋律」ともにイングランドの
  歌をシャープが再構成したものである
 ◎スコットランドの“O Waly,Waly”から由来しておらず、「歌詞」の一部が共通して
  いるにすぎない
 ◎「旋律」も、“The water is wide〜”という「歌詞」も、20世紀に入ってからイン
  グランドで採録されたもので、本来のスコットランド民謡“O Waly,Waly”とは全
  く異なっている
 ◎“The Water Is Wide”は「スコットランド民謡」ではない→広義の民謡としてなら
  ば「イングランド民謡」ないしは「サマセット民謡」と認められるかもしれない
 ◎以上まとめれば
   題名         歌詞       旋律       地域
A O Waly,Waly    The Water Is Wide  The Water Is Wide  イングランド起源
B The Water Is Wide  The Water Is Wide  The Water Is Wide  米で題名が変わった
        ※現在Bのほうがより広く、世界で知られている
 ★一方、スコットランド民謡の方のO Waly,Walyは_
   「歌詞」も「旋律」もO Waly,Walyで、The Water Is Wideとは全く別の歌である
 かくて「遙か〜」の曲は、イングランド南西部のサマセット州の民謡を元にしていることがわかった。一方「KIDNAPPED」の方は、この曲がスコットランド民謡であるという誤解から使用されたようだ。いずれにせよやっと謎は解けた。櫻井氏に心より感謝!
 
 GWikipediaやIMDb等によるその他の資料
 ★“The Water Is Wide”を歌った歌手は多数いて→
  ◆ピート・シーガー(シーガーが1958年に出したLP「American Favorite
    Ballads,Vol.2」の中でこの歌を歌い、米で流行らせた→この後多分シーガーを
    尊敬するフォーク・シンガーたちを中心に、広く歌われていったと思われる)
  ◆ザ・キングストン・トリオ(61) ◆ザ・ハイウェイメン 
  ◆ボブ・ディラン ◆ジョーン・バエズ ◆ザ・シーカーズ 
  ◆カーラ・ボノフ(79)「悲しみの水辺」,(91) ◆クリフ・リチャード(82)
  ◆シェイラ・ジョーダン(89)◆ジェームズ・テーラー ◆ニール・ヤング(90)
  ◆U2 ◆CHARLOTTE CHURCH& ENYA ◆ヘイリー  
  ◆Runrig(スコットランド) ◆ダニー・クイン  ◆フジタ・エミ
  ◆サラ・ブライトマン(英)は“O Waly,Waly”の題名で歌っている 
  ◆この他リー・リトナー&デーヴ・グルーシンが「シェナンドー」と組み合わせて
   いる(00) 等々
  ◆またPPMの場合は“There is a ship”という題名で歌ってい
   る。“The Water Is Wide”の中のフレーズを題名にしたようだ→白鳥英美子(CD
   1993)のビデオクリップでもこの題名が出ていた
   →この他“Cockleshells”という題名でも歌われているらしい
 ※「広い河の岸辺」の訳詞者である八木倫明氏のブログ(先述)には、この歌の4連が英文でも載っているが、3番目に“There is a ship〜”が出てくる。そして
and she sails the sea〜”と続く。であればこの歌は海の歌ではないのか?「花子とアン ドラマスタッフブログNHK 14.4.11」では、歌詞はこう書かれていた。_“この海は広すぎて 私には渡れません〜”。「広い河の岸辺」には『海』は出てこず『河』で統一されている。『海』を渡るのと、『河』を渡るのとでは意味がかなり違ってくる。NHKの影響力で日本では、この歌は『スコットランド民謡』&『河の歌』として定着することだろう。しかしそれでよいのだろうか?
 
 ※ピート・シーガーについての余談:米モダン・フォークの始祖「アルマナック・シンガーズ」のメンバーはウッディ・ガスリー、ピート・シーガー、リー・ヘイズ。ガスリーがハンチントン病で歌えなくなったため、シーガーが四人で新しいフォーク・グループ「ウィーヴァーズ」(米での草分けのグループ。レパートリーは「花はどこへ行っ
た」「天使のハンマー」「漕げよマイケル」等)を結成したが、赤狩りで50年代後半、活動を禁じられた。活動ができなかった時に、彼らの真似をして出てきたのが「PPM」「ザ・キングストン・トリオ」等だった(米谷ふみ子「けったいなアメリカ人」2000.5より概略)
 
 ★クラシックの作曲家にも使われている→ベンジャミン・ブリテン(英)が1948年に、
  歌とピアノのための編曲も行っている(題名“O Waly,Waly”、曲“The Water Is
   Wide”)。等々
 ★櫻井氏によると賛美歌版もあるとのこと“When Love Is Found ”;『賛美歌21』104
  番「愛する二人に」 ※Wikipediaによると、いろいろな歌詞で教会の聖歌隊によ
  って歌われてもいるらしい
 ★この歌を使ったTVCM
  トヨタ ベルタ(06)/三井のリハウス(お父さんの口ぐせ篇)(06)
   /尼崎競艇CM/SONYデジタル一眼カメラα/積水ハウス 等
 
 こうしてみるとこの歌は、意外と巷ではよく流れているようだ。知らぬはオノレばか
 りなり_といったところか。
 
 ★《The Water Is Wide》が流れた映画は以下の通り
  ☆レナルドとクララ(78)歌:ボブ・ディラン※ジョーン・バエズとデュエットし
   ているらしい
  ☆バウンティ 愛と反乱の序曲(84)
  ☆Distant Voices, Still Lives(88)※O Waly, Waly
  ☆激 流(94)
  ☆Red Roses And Petrol(03)
  ☆ジェシー・ジェームズの暗殺(07)
  ☆Tusk(14)※O Waly, Waly
  ☆TV「Summer Snow (連続ドラマ)」(00) ※「Summer Snow」の題名でシセルが
   歌っている(歌詞は日本語)。編曲:千住明、演奏:ザンフィル
 
 H“O Waly,Waly”(抒情歌謡)と“J a i m i e  D o u g l a s”(バラッド)
 スコットランド民謡“O Waly,Waly”と、シャープが発表した“O Waly,Waly”=“The Water Is Wide”は、別の歌であることがわかった。一件落着。ここで余談になるが、スコットランド民謡“O Waly,Waly”について少しばかり。
 八木倫明氏のブログにあった〈もともと《O Waly Waly》は、17世紀スコットランドのバーバラ・アースキン夫人の物語に基づいています。夫人はマール第九伯爵の娘で、1670年にジェームズ・ダグラス第二侯爵と結婚しますが、愛し合って結婚したわけではありませんでした。元の恋人と密通しているという噂を流され、冤罪を被りました。こ
の不幸な結婚を悲しむ歌だというのです〉。_これについて櫻井氏は反論している。おおざっぱにまとめるとこうなる。
 _「アースキン夫人の物語」を歌ったバラッドは、チャイルド204番のバラッドで、題名は“Jaimie Douglas”という。
   ※米ハーヴァード大学教授フランシス・ジェームズ・チャイルド(1825〜1896)
    が書いたバラッド集「The English and Scottish Popular Ballads」全5巻の中
    にある305の歌には番号が付けられているので、それぞれのバラッドを『チャ
    イルド204番』のように呼ぶ
 一方“O Waly,Waly”は抒情歌謡である→両曲が関連することはほぼ確かであろうが、〈“O Waly,Waly”(抒情歌謡)が“Jaimie Douglas”(バラッド)に基づいています〉と言うのは賛成しかねる。“Jaimie Douglas”の一部が独立して“O Waly,Waly”になったとも考えられるが、どちらが先かもはっきりしない→歌詞には共通箇所があり、曲が共通していることは明らかである→“O Waly,Waly”(あるいは“Jaimie Douglas”)と“The Water Is Wide”がどこかで間接的につながっているとしても、同じ曲とは考えられない
 →ジューン・テイバーがAirs and Graces(1976)というアルバムに入れた“Waly,Waly ”はほぼ元の旋律によるチャイルド204番であるので、聴き比べていただきたい
 _とある。参考までに。
 ※バーバラ・アースキン夫人と聞いて思い出した。1715年9月にスコットランドで挙兵した、「ジャコバイト」でトーリー党の、マー伯ジョン・アースキン(1675〜1732)。彼は、ジョージ1世に忠誠を誓約したにもかかわらず国務大臣から解任されたことや、イングランドとの連合を大きな誤りだったと考えたこともあり、反乱の口火を切った。結局彼は敗れて、翌年2月、ジェームズ3世とフランスへ脱出し、二度と戻らなかったという。アースキン夫人はマー(ル)第九伯爵の娘で、1670年にJaimie Douglasと結婚しているが、ジョン・アースキンが生まれたのは1675年。20歳以上は年上になるから、もしかするとジョンは、彼女の弟か甥ということになるかも知れない。何れにしてもアースキン家は、スコットランド史とも深く関わった名家だったようである 
 
 Iスコットランドではどう思われているか
 スコットランドでも“O Waly,Waly”(“The Water Is Wide”)を、自分たちの民謡と受け取る人はいる。スコットランド版の“O Waly,Waly”は、長く名誉あるhonorable歴史を持ち、今日でもなお歌われているというから、1906年にシャープが“O Waly,Waly”の題名で発表したことで、スコットランド人の中には、この題名を聞いて自分たちの歌だと思った人も多かったことだろう。
 
 八木倫明氏のブログには_《O Waly,Waly》で検索すると、(エディンバラのミリタリー・タトゥーに於いて)スコットランドのバグパイプ軍楽隊が行進しながら演奏し、やがて吹奏楽や大合唱が加わる壮大な屋外演奏の映像をインターネット上で楽しむことができます_とあるので見てみると→櫻井氏によると:このとき映像の背後で聞こえる朗
読は、Hで記した「17世紀スコットランドのバーバラ・アースキン夫人の物語」とされる、『チャイルド204番』のJaimie Douglas”の冒頭の歌詞(O,waly waly upon the bank〜?)であるとのこと→このように、映像の背後ではスコットランドのバラッドの一部を朗読しているが、曲はシャープ版の“O Waly,Waly”(“The Water Is Wide”)だ。要するに彼らは、これは“O Waly,Waly”という題名の、スコットランドの歌だ_と言いたいらしい
 この映像はなかなか面白い。一方に、赤い上衣に黒いズボンという、英国軍というかイングランド?スタイルの、ブラスバンドの軍楽隊。それに対面する形の、黒い上衣に赤いスカート(キルト)というこれぞスコットランドスタイルの、バグパイプの軍楽隊。両隊は演奏しながら、相手の列の中を前進し、列を抜けるとまた2隊に別れてゆく。昔、映画の宣伝文句で〈赤と黒のエクスタシー〉というのがあったが、これなどは正にそうで、観客も大拍手だった。イングランド?スタイルの、赤い上衣と黒いズボンの指揮者によって両隊が息の合った演奏を披露することで、スコットランドとイングランドの固い絆をアピールしている?ようにも思われた。しかしこれを見ると、“The Water Is Wide”もスコットランドでは、〈悲しい愛の歌〉なんかではなくなって、バグパイプの演奏によって勇壮で国威高揚的な曲に化けてしまうことがよくわかった。そのことが更によくわかったのが、スコットランドのアイラ・セントクレアが歌う
When the Pipers Play”の映像だった。
 
 セントクレアが、“The Water Is Wide”の歌詞を入れ替え、旋律を少し変えて、“When the Pipers Play”という題名で歌っている_というので、ネットで見てみた。《セントクレア》の名前から、「ブラザー・サン シスター・ムーン」の聖クレア=ジュディ・バウカーのような清純な乙女かと期待したのだが、しかしてその実体は_元気のいい、日焼けしたオバサンだった。アイラさん、あんまり期待させんといてくれや!?
 さて問題の歌は、映画かなにかのエンドタイトルで流れていた。文字を見てゆくと、ナレーターは「戦場のメリークリスマス」(83)のトム・コンティだが、『Guest Voices声のゲスト』の一人にチャールトン・ヘストンの名前があった。ヘストンの大ファンなのでイソイソと調べてみると、ヘストンは1998年のTV番組「BagpipeInstrument of War(バグパイプ:戦争の楽器)」のPart 1 とPart 2に出演していた。どうやらバグパイプをめぐる、スコットランドの戦争の歴史をたどる記録番組のようだ(ヨルダンの軍隊も出ていたようだが)。「When the Pipers Play(管楽器〈=バグパイプ〉を演奏する時)」も2000年のTV番組だったから、多分Part 1 とPart 2を合わせた総集編か、続編ではないかと思われる。ネットに流れていたのは、番組の終わり部分と、それに続くエンドタイトル部分だった。(アイラはこの番組の中で数曲歌っているが、同時に共同製作者もつとめている)
 『戦争の楽器』とは物騒な題名だ。しかし考えてみるとこれまで欧米の戦争映画で、キルトをはいてバグパイプを吹くスコットランド兵の姿をよく目にしてきたものだ。アメリカの独立戦争を扱った「大海賊」(58)では、戦場のもやの中から聞こえてくるバグ
パイプの音色に、吹き替え放送では確かアメリカ兵の一人が「豚が絞め殺される声か?」と不審がっていた。また「まぼろしの市街戦」(66)で、第一次大戦下のフランスの町に入ってきたのもバグパイプを鳴らすスコットランドの部隊で、アラン・ベイツはその一人だったし、第二次大戦ものでは、アレックス・ノースが作曲した「コマンド戦略」(67)の、バグパイプを使った行進曲も思い出される。牧歌的で平和な音色なのでうっかりしていたが、バグパイプとは、実は『戦争の楽器』『戦いの楽器』だったのだ。
 さてアイラの歌。番組名となっているこの歌を、緑の木々を背景に歌うアイラとともに映し出される映像は_バグパイプを吹く軍服の男〜モノクロからカラーへと移り変わる時代の中で戦うスコットランドの?兵士たち〜現代の戦車〜遺骨箱を首に下げた少年〜緑の草原を隊列を組んで進んで来る、キルトと黒い上衣のバグパイプ軍楽隊〜両手を広げたアイラが、肩まで上げた手のひらを握りしめて歌が終わる〜軍楽隊が黄色い麦畑の向こうに消えてゆき、黄色い麦畑が画面一杯に広がって番組も終わる。
 アイラは太鼓のリズムにのって、軽快に、力強く歌っている。ひょっとしたら、平和を喜び、願う歌かも知れないが、これまた黒衣のバグパイプ軍楽隊の演奏が加わることによって〈勇壮で国威高揚的な〉雰囲気の歌になっている。“The Water Is Wide”の悲しいイメージはどこにもない。
 このようにスコットランド側が、知ってか知らずか「他所(よそ)様の歌」を「わが民族の歌」とイメージ宣伝し、民族意識の高揚を図っている?のは、趣味の悪い話といえる。イングランドに対する〈長年の遺恨〉によるものなのかもしれないが、「アメイジング・グレイス」のような〈癒し系の歌〉として愛されているこの歌が、このように編曲され、民族意識高揚のために利用されている?のを見ていると、なんだかこの歌が可愛そうで、悲しくなってくる。まさに“O Waly,Waly 悲しい、悲しい”である。
 
 ※「さらわれたデービッド」の中に、『黒衛隊』という言葉が出ていた。1725年に編制されたスコットランド高地連隊のことで、黒い制服を着たのだそうだ。この映像に登場するバグパイプ軍楽隊も黒い制服をまとっている。エンドタイトルには〈感謝を捧げる出演者〉として、「42nd HIGHLANDERS」「ARGYLL & SUTHERLAND HIGHLANDERS」等の名前があった。HIGHLANDERハイランダーは「スコットランド高地人」や「高地連隊兵」の意味だそうだ。ARGYLLは、「KIDNAPPED」の悪役であるキャンベル一族の本拠地・アーガイル州のことだろう。
 ハイランドの『黒衛隊』は、その後スコットランド軍の高地連隊となったのか、それともスコットランド軍自体の制服が黒服とキルトになったのだろうか。いずれにしても黒い制服の集団は何となく不気味に感じられる。彼らによって演奏される“When the Pipers Play”(≒“The Water Is Wide”)も元気にさせてくれるが、また不気味さも感じさせる。昔イングランド側がこのバグパイプの演奏を、〈好戦的行為の象徴〉とみなして禁止したのは、至極もっともなことだったと納得したものだった。
 
 JCD「遥か群衆を離れて」の解説を読む
 櫻井氏の研究ノートによって謎は解明されたが、念のため「遙か〜」のCDの解説を読んでみた。なにせ英文なのでまたまた灰色の脳細胞を絞りに絞ることになったが、おかげで新たな事実が判明することとなった。
 _作曲に当たって監督のジョン・シュレジンジャー(「真夜中のカーボーイ」(69)、「日曜日は別れの時」(71)、「ヤンクス」(79)等)と作曲者のリチャード・ロドニー・ベネット(「ニコライとアレクサンドラ」(71)、「オリエント急行殺人事件」(74)、「ヤンクス」(79)等)は、映画の音楽アドヴァイザーとしてアイラ・キャメロンIsla Cameron(1930〜1980)を選んだ。キャメロンは二人の共通の友人であり、イングランドの戦後民謡復興revivalの主要人物だった。スコットランドで生まれたが、成長したのはドーセットとサマセットで、そこの音楽を知っていた。ベネットは、「当時僕はドーセットの民謡もハーディもほんのちょっとしか知らなかったが、アイラは僕よりよく知っていた。」と語っている。
 キャメロンは映画のための歌と音楽家たちを選んだ。またジュリー・クリスティが劇中で歌う「THROUGH BUSHES AND THROUGH BRIARS 茂みとイバラをぬけて」の指導をし、自らもこの歌をLP&CDの中で歌っている。映画の中でも、テレンス・スタンプ扮するトロイが、ファニーを死なせた罪の意識に責めさいなまれて、雨の中、ファニーの墓土を手で固め〜海に向かう場面の歌「The Bold Grenadier勇敢な近衛兵」を歌っている。 ※キャメロンは女優としても「年上の女」(59)、「回転」(61)、「恐怖の牝獣」(64)、「ミス・ブロディの青春(スコットランドのエディンバラが舞台)」(69)等の映画やTVで活躍した
 シュレジンジャーはGustav Holstの映画?「サマセット・ラプソディ」をベネットに見せて作曲の参考にさせた(Holstはハーディの友人で、1927年にドーセット地方とそこの民謡などを用いて「Egdon Health」を書いている)。 ※LPの解説によると_シュレジンジャーは音楽に対して造詣が深く、音楽家とも対等に対話ができるほど、音楽をよく理解している監督_とあった 
 以上のことから、問題の《「ファニー&トロイ」「ファニー・ロビン」という『愛のテーマ』には“O Waly,Waly”=“The Water Is Wide”を編曲して使う》_というアイディアは、ベネットがキャメロンからこの歌を教えてもらったことで生まれたのではないかと想像される。辞書を見ると、『ウェセックス』は_〈ハーディの作品の舞台となった地名で、現在のドーセット州〉_とあった。ドーセット州とサマセット州はブリテン島の南〜南西部にあり、ともに海に面して東西に隣接しているから、サマセット民謡である“O Waly,Waly”を、隣のドーセット州が舞台となった「遙か〜」の愛のテーマ音楽として使うことを考えたのだろう。つまりベネットも、スコットランド生まれのキャメロンも、明らかにこの曲を「サマセット民謡」として認識していたのであり、二人の頭には“O Waly,Waly”=“The Water Is Wide”が「スコットランド民謡」であるということはこれっぽっちもなかったことがわかる。おそらく67年当時の英国では、この曲がサマセット民謡であることは常識となっていたのだろう。だいたいもしもこの歌が「スコットランド民謡」と思っていたのなら、ベネットも、スコットランド生まれのキャメロ
ンも、音楽に詳しいシュレジンジャーも、わざわざこの映画の愛のテーマ曲に使うはずがないではないか。
 しかし一方「KIDNAPPED」でロイ・バッドが、「スコットランド民謡」としてこの曲を使ったということは、71年当時既に、この曲がスコットランド民謡である_という説が定着していたということでもあるのだろう。この歌が英国で広く知られるようになったのは、シャープが「サマセット民謡集」を出した1906年以降のはずだが、こうなるといったいいつごろからスコットランドで、自分たちの民謡として歌うようになったのかを知りたいところだ。今後の研究に期待したいが、この歌をスコットランド民謡として喧伝し、日本に定着させたNHKには、マスメディアの責任としてしっかりと検証し、訂正してもらいたいものである。
 
 J・Kloss,“The Water Is Wide :The History of a Folk Song”(2012)は、こんな意味のことを書いている。乱暴にまとめてみると_
 〈「民謡」というものは通常、複雑なプロセスを経て生まれる。時々民謡研究家Folkloristは、その民謡に不満な時は、自分で「民謡」を作り上げることもある。そしてプロフェッショナルなバラッドの作詞家とプロフェッショナルな民謡研究家たちが、詩句を加えることによって出来上がったものは、しばしば元の民謡よりももっと良いものになっていることがある〉。        
 「KIDNAPPED」と「遙か〜」の二つとも、“The Water Is Wide”とはかなり違ったメロディとなっている。“The Water Is Wide”よりも、むしろこの二つの曲の方がよく似通っているといえるから、ベネットとバッドの間には何らかの情報交換があったとも思えてくる。何れにしてもベネットもバッドも、民謡を編曲したのではなく、それぞれ自分が作曲したオリジナル曲として発表している。意識的にそうしたようにも思える。それは、自分の感性でこの民謡を生まれ変わらせたのだ_という彼らの自負の表れなのかも知れない。
 しかし「民謡」というものが、多くの人々の手が加えられ、長い時間をかけて出来上がるものならば、ベネットとバッドの思いとは別に〈もう40年以上も経っているのだから〉_この両曲も、シャープによる“O Waly,Waly”の二つの「異版」と呼ばせてもらいたいものだ。メリー・ホプキンの歌にしても、やがて起源がぼやけてゆき、来世紀には、立派な「民謡」になっているのかもしれない_などと勝手な空想にふけるのも、また楽しいことではある。
 
 ことの始まりは、40数年も前のホプキンの歌を、昨年初めて聴いたことだった。それがそのわずか半年くらい前にNHKのドラマで、“The Water Is Wide”が流され〜ネットや巷で話題となり〜それに呼応して櫻井氏がネットで論考し. . . . .と、まるでタイミングを合わせるかのようにNHKドラマがこの歌を放送し、引き起こした連鎖反応によってひとつの謎が解けたのだった。ただの偶然が生んだ話にすぎないのだろうが、それにしては、あまりにも劇的で、運命的な出会いだった_という思いの方が強い。求めよ、
さらば与えられん。念ずれば花開く。いやいやいやあ、人生にはこういうこともあるものなんですねえ。
 
 かくてホプキンの歌に導かれて始まった謎解きの旅も、友人たちや、ネット情報に助けられてめでたく終わり、間違いもあるだろうが一応まとめることができた。特に「日本バラッド協会」の櫻井氏と、わが畏友T氏とE氏に、深甚なる感謝を捧げたい。さらにこの長々しい駄文を最後まで読んで下さった皆さんにも、心からの感謝を! 
 
 Kおまけ
 終わりに、シャープがサマセットで集めた130の歌の中の数曲に触れておきたい。(「Folk Songs from Somerset gathered and edited with pianoforte accompaniment 〈ピアノーフォルテ伴奏〉」より。初版は1904年) 
 
 1.The Seeds Of Love→「遙か〜」の“I Sowed The Seeds Of Love”と同じ歌? 
15.The Trees they do Grow High →「イギリスのバラッドの中で最も奇異で、最も美
 しく、最も広く知られている曲だ」と、ヴォーン・ウィリアムズとA.L.ロイド(英
 フォーク・ソング研究家・歌手・英トラディショナル・フォーク界の長老)が述べ
 ている→ジョーン・バエズも歌っている:「木々は高く」※LP「ジョーン・バエ
 ズ第2集」の解説では、〈この歌は珍しくも米国で見つけられた〉とあるが?
 
29.I’m Sevevteen come Sunday→ヴォーン・ウィリアムズ作曲「イギリス民謡組曲
  (1924)の第1曲・行進曲の“Sevevteen come Sunday”のことか?
102.The Bonny Lighter-Boy→「イギリス民謡組曲」の第2曲・間奏曲の“My Bonny
  Boy
”のことか?
 8.Blow away the Morning Dew→「遙か〜」の、クリスティとアラン・ベイツの結
  婚式でmarching bandによって演奏された ※「遙か〜」のCD解説:レーフ(ラ
  ルフ・ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」の第3曲「サマセット
  の民謡」の中で使われ不朽の名曲となった     
  「イギリスENGLISH民謡組曲」は何ともいえぬ懐かしさに溢れた大好きな曲だが、
  こうしてみるとこの組曲は、1〜3の全曲ともサマセット民謡を使っている可能性
  がある。もしかすると実体は『サマセット民謡組曲』なのかもしれない
   ◎ヴォーン・ウィリアムズ(1872〜1958):英作曲界の長老として尊敬を一身に
    集めた。「グリーンスリーヴズによる幻想曲」は特に有名。イングランド民
    謡の収集研究家でもある
 
17.The Foggy Dew→デラーのLPでは:“The foggy,foggy dew霧の露”(作者不明)
   ※アルフレッド・デラー(カウンター・テノール)のLP&CD:「デラー:フ
    ォーク・ソング傑作集」。71年録音(LPは81年日本発売)
 
22.Barbara Ellen→デラー:“Barbara Allenバーバラ・アレン” ※自分に思いを寄
  せる若者を冷たく拒絶して殺してしまった乙女の物語。1663年に歌われていたとい
  う記録有り。イングランド北部カンバーランド地方の民謡とも、スコットランド起
  源のものともいわれる。ジョーン・バエズも歌っている有名なバラッド
 
23.Lord Rendal. 1st Version→デラー:“Lord Rendalレンダルの若殿” ※イングラ
  ンド、スコットランド、アイルランドの他、アイスランド、ドイツ、オランダ、ス
  ウェーデン、デンマーク、ハンガリーなどで広く歌われていたバラッド。本当の起
  源がどこの国かは明らかでない。スコットランドの勇士を歌ったという説あり
24.  〃    2nd Version
 
56.The Bold Lieutenant勇敢な中尉→「遙か〜」でアイラ・キャメロンが歌った
  “The Bold Grenadier勇敢な近衛兵”(Traditional)とは違う歌なのだろうか。(テ
  レンス・スタンプ扮するトロイが、ファニーの墓前〜海に向かうまでに流れる歌)
 
66.O Waly,Waly→デラー:“Water is wide流れは広く”(作者不明) ※シャープの
  1906年版の歌詞だが、なぜか3番と5番(“A ship there is and she sails the sea
  
”)の歌詞はカットされているから、「河の歌」のようにも受けとめられることだ
  ろう
 
 ●LP「デラー:フォーク・ソング傑作集」に収められたその他の歌について→
  ○3羽のからす→PPMが歌っている
  ○わが恋人の黒髪→ジョーン・バエズの愛唱曲「ブラック・イズ・ザ・カラー」。
   TV「北の国から」の、横山めぐみが出た、多分「’87初恋」でも使用していた。
   (脚本の倉本聰の指示による?)
  ○かしわととねりこの木→“A North Country Lass 北国の娘”というタイトルで
   も知られ、マリアンヌ・フェイスフルも歌っている
  ○茂みといばらBushes and briars(作者不明)→「遙か〜」では“Through  
   Bushes
 And Through Briars ”。ジュリー・クリスティが歌う歌。CD解説
   では、ヴォーン・ウィリアムズの作曲となっているが
 
                               2015.3
 
  〔注〕Somersetの発音は辞書では、〔サマーセット〕または〔サマシット〕とな
     っていたが、『サマセット民謡集』という本の題名に合わせて〔サマセッ
     ト〕で統一した





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