僕は「人工知能」をこう考える

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第二章 人工知能はただの夢物語ではない

数年前、僕は朝日新聞を読んでいてとんでもない記事を発見した。驚くべきことに、どこぞの大学教授が「人工知能は実現不可能である」という主張を発表していたのだ。多くの人が未来の象徴として考えている人工知能の可能性を権威ある学者が否定することは、当然大変な波紋を呼ぶことになるだろう。ある者は落胆し、ある者はさも知っていたかのごとく嘲笑し、またある者は必死になってこの主張に反論しようと試みるかもしれない。いずれにしろ、人類最大の夢の一つが儚くも崩れ落ちる様をみて、動揺しない人はいないだろう。

ところが、実際この記事は何ら一切の波紋を呼び起こさなかった。それどころか、記事そのものは新聞の内側のページにひっそりと配置され、一体何人の読者がそれに気付いたかすら疑問である。新聞編集者にとって、人工知能の不可能性はどうでもいいことであったのか?それとも、そういうことは口には出さずとも誰もが心のどこかで勘付いていたことだから、敢えて大っぴらにせずともよいと判断したのか?

おそらく答えはそのどちらでもない。というのも、その記事は人工知能という言葉を“記号処理タイプの”人工知能に限定し、それを批判する内容以上のものではなかったからだ。そして、このように過去の業績を批判的に捉えるやり方は、研究者の間では十分に慣れ親しまれたものなのである。従って、この記事は人工知能の可能性を全否定していたわけでもなければ、記号処理タイプの人工知能を全く新しい方法で批判しているわけでもなかったのだ。

では、実際のところ人工知能の可能性はどうなのだろう?今後新たに登場する新技術により、SFの世界を跋扈するようなAIたちは創造可能なのか?それとも、やはり安直な未来像は単なる空想の産物でしかなく、何百年待ってみようとも我々はそれらを手にすることができないのだろうか?

この疑問に答えるのは簡単である。それは、次のように考えてみれば明らかである。―――「我々が人知に等しいと認められる人工知能が存在するか否か」という疑問は、その実物を実際に創ってみた瞬間に証明されるが、どんな理論を駆使しても、不可能であることは証明できない―――

しかし、上の定理は具体的に何年後に人工知能が完成するかの予測については一切言及していない。だがしかし、この予測は非常に難しい。多くのSF世界が“近未来”として定義しているのは、10年から100年程度先である。このうちいくらかは既に外れてしまっているが、近い将来実現する可能性は決して否定できない。

現実に数多くの研究者が、かなり楽観的な予測をたて果敢に人工知能開発の研究に取り組んでいった。新たな技術が発表されるたび彼らは多大な期待をこめてそれに挑戦していった。そして限界が見える度に、より大きな落胆が彼らを襲った。また新たな方法を求めて走り出す者もあれば、当初の予測を修正し、研究から身を引くことが理に適っていると判断する者もいた。そんな状況がしばらく続いて久しいが、ことさら日本では戦線離脱した悲観論者がますます増加しつつあり、いつまでも楽観論を振りかざして走り続けることを無意味だと捉える風潮すら出てきた。

もし我々が人工知能完成の時期に関する正確な予測を得られたならば、なんと素晴らしいことだろうか!現在の技術では開発を進めることが無意味だとはっきりしたなら、研究を一旦中断するという選択を誰もが受け入れるだろう。逆に近い将来大きな技術的発展があると事前に知っていれば、我々は時間を惜しむことなく研究に没頭する覚悟がある。ところが、人工知能に限らず、科学技術発展の正確な予測はほとんど常に困難である。従って、我々は常に賭け事を続けなければならないのだ。

堅実なギャンブラーは、確実に低収入を得ようとする。人工知能の副産物として得られた技術を工学的に多方面の分野で応用し、着実に社会的貢献を果たしている。それも駄目となれば、さっさと台を変更する。しかし、僕のプレイスタイルは一発大物狙いである。僕はスリーセブンが今から何年後にやってくるかすらわからない。もしかしたら、自分の目の黒いうちには一度もスリーセブンは当たらないかもしれない。大当たりを引きさえすれば一気に挽回できるだろうが、当たらなければ当然大赤字になる。それでも、一つの台でひたすら7を揃えることのみに集中するのだ。

幸い、僕はどうすれば上手に7を揃えられるようになるか知っている。言い換えれば、人工知能について我々はどういうアプローチをとればよいかが現時点ではっきりしている。人の知をつかさどるのは脳システムである。脳システムの情報処理メカニズムを解明することは、人工知能の実現に大きく貢献する。一方、構成的アプローチは、脳システムをモデル化し、コンピュータ上でシミュレーションしてみることで人工知能に近づく。そして、両者の知見はそれぞれ互いの発展に役立ち、一方が進歩すれば他方に良い影響を与え、他方が進歩すればその効用はこちらに還元される。これらアナリシスとシンセシスの循環の果てに、人工知能の実現があることは間違いないといっていいだろう。

そして、我々は今この循環のちょうど中盤に位置している。コンピュータシミュレーションの分野では、これまでに多くの方法論が試され、棄却されていった。先人たちのおかげで、それらが何故失敗だったのかを現在の私たちは容易に知ることが可能である。そして、失敗から学んだことをベースに新たな方法論を提案することができるのである。脳内メカニズム解明の方も同様、現在急速に研究が進んでいる。どちらも、飽和した失敗の蓄積がいつ新たな進歩の爆発を引き起こすか分からない。

人工知能はただの夢物語ではない。その可能性は決して否定できない。どの程度の速度で技術が進歩していくかの予測は難しいが、今日明日にも何か大きな進展がある可能性だってある。場合によっては、早ければ10年後にはSFの所有物がスクリーンから抜け出てくることになるかもしれないのだ。これに関しては、悲観論者も多々いるが、一発逆転狙いのギャンブラーである僕は、どっしり腰を落ち着けてやっていきたいと考えている。


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