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SF作家の描く人工知能において、決定的な間違いが一つある。それは、人工知能がスイッチを入れた途端に言葉を話し出し、二足歩行を始めていることである。鉄腕アトムの誕生の瞬間はまさにこの典型例となっており、研究のために全てを捧げた天才科学者が人型ロボットに息を吹き込む最後の決断をすると、愛らしい人形は眠りから覚めるごとく目を開け、人間としての生活をスタートさせるのである。
アトムに限らずともこの手の誕生シーンはSF界の十八番となっており、具体例は枚挙に暇がない。しかし、僕がここで強く主張したいことは、それらはことごとく間違いであるということである。なぜなら、人の知とはどんな天才科学者の力をもってしても、プログラムとして記述することが不可能だからだ。
それは、次のような思考実験をしてみれば簡単にわかることである。我々人間は、生まれてから知性を獲得するまでにどの程度の期間を要するだろうか考えていただきたい。明らかに生まれたばかりの赤ちゃんは、言葉を話すことも二足歩行することもできない。彼らは気の遠くなるような年月をかけて言葉を覚え、歩き方を学ぶ。ものごとを論理的に考える力が育まれるには、さらに途方もない期間を経なければならない。私たちが普段人間として認識しているのは、実はこういった成長過程を踏んできた人たちなのだ。
つまり、発話や行動、思考といった普段私たちが当たり前のように行っていること一つ一つが、実は長い年月の訓練と学習により獲得されたものなのである。そして、それらは私たちが意識的に覚えようとして覚えたもののみならず、日々の生活を通して無意識的に獲得されていったものも含む。従って、これらをプログラムとして全て明確に記述し、人工知能を開発しようとすることは極めて難しい。絶え間ない環境との相互作用の中から獲得されていった一つ一つの脳内活動は、決して人間の力で表現しきることはできないだろう。
だから、本当の人工知能を創ろうと思う人は誰でも、それに成長、発達、学習などの基本メカニズムを組み込み、適切な環境内において育成しなければならない。これは気の遠くなるような厳しい作業だが、最初から大人の人工知能をプログラムしにかかるよりも遥かに迅速で現実的アプローチなのだ。何故なら、成長過程によって形成される人の神経システムに含まれる情報量はあまりに膨大であり、とても人間の力で解析、理解、表現しつくすことはできないからである。
だがしかし、賢明な読者はこういうかもしれない。確かに人の知全体は非常に複雑で、我々がそれを理解しコンピュータにプログラムしてしまうことは不可能かもしれない。けれども、人の行う知的な振る舞いの“ある一部”だけに注目した場合、それを計算コードに落とすことは可能ではないか?もっといえば、そうやって一部分、一部分ずつ調べていった後に全体を統合すれば、人間と同等の振る舞いを起こす人工知能ができるのではないだろうか?
これは、20世紀以前の自然科学の根源をなす要素還元主義的な発想である。世の中のありとあらゆる複雑な現象は、理解できる最小単位に分割して徹底的に調べそれを支配する法則性を発見できれば、あらゆる条件にその式を当てはめて解くことができる、という考え方である。ところが、このアプローチでは人間の知能には歯がたたない。何故なら、脳とは理解できる最小単位が全体そのものに等しいシステムだからである。
脳は分割して理解することができない。これは僕が最も強く主張したいテーマの一つである。誤解がないように補足するならば、脳科学でいう機能局在の原理を否定しているわけではない。確かに、脳の各部分はそれぞれ特化した機能を有している。しかし、その機能が発現する際には、必ず他の部分との複雑な相互作用を必要とするため、その部分だけに絞って研究することはほとんど意味がない。そして、この複雑な相互作用の様子を頭蓋骨の外の科学者が理解することは果てしなく不可能に近い。
一方、機能ではなく細胞レベルでの最小単位はニューロンである。しかし、ニューロンもまた同様に、それ単独では何もいえない。無数のニューロンが形成するネットワーク全体の振舞い方に知能がコーディングされているわけであり、ニューロン一つをいくら入念に調べたところで人の思考方法が分かることはない。一方で、全体の振る舞いをいくら眺めたところで、そのからくりを見破ることはやはり不可能である。
このように、脳は要素還元主義的アプローチでは全く歯が立たない代物である。一部の能力に限定してシステムを構築したところで、それはほとんど意味のある仕事をしない。それらをがむしゃらにつなげたところで同じことである。従って、脳と同等の能力をもつ情報処理システムを構築したいならば、やはり適切な環境内での成長、発達過程を経るということが最も現実的なのである。システムの内部で今何が起こっているのか我々は決して理解できない。我々はそれを記述することができない。ただ単に外部から暖かく見守っていくしかないのである。
最後に一点だけ補足させていただきたい。システムの複雑性を全て発達過程に委ねるべきだという考えは一見すると非常に楽観的な発想かもしれない。しかし、最低限の基本的な学習メカニズムを実装させない限り、このアプローチは無意味である。ところが、この最低限すら現段階では深い闇に包まれている。僕はみなさんに過度の安堵を与えてしまったのではないかと危惧しているが、実際このお話が現実になるには、さらに長い年月がかかるだろうということを付け加えておく。
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