2001/10/31(水) 12:57:00
たはらん
私が、その人生の大きな一歩を踏み出そうとする時。
思いもかけず、力を貸してくれたのがこの男だった。
新しい商売を始める私に、
それまでの顧客の反応は、結構冷たかった。
確かに。信用第一、実績第一のこの世界で、
新規に始めるところなどに、誰が見向きをしようか。
それを説き伏せたのが、彼だった。
初めて三年。
その明快な決断力とわかりやすい説明は
みなの信頼を受けるところになった。
私を含めてである。
付き合い自体は長い。
もう、7年目に入った。
この3年。
それまで以上に付き合うようになって、初めて知ったことがある。
小さい頃から大人の商売の中で生きてきて、
抑えてきたもの。無視してきたもの。
俺はいつも取り残されるという感情。
正直に話をして、二人でずいぶん泣いたこともある。
そして。去年の夏。
私たちは、始めて大きなけんかをした。
理由は単純だった。
みんなで遊びに出た騒ぎの中、
ずっと携帯電話で遊んでいたやつに、私がキレたのだ。
そして、彼は、その彼女らの肩を持った。
帰りの車の中は最低の雰囲気だった。
帰り着いて、私がほかへ愚痴ろうとしたとき、
彼はすでにほかの仲間に
あることないことを吹聴していた。
その瞬間に終わったのである。
私を落とし入れようとした彼。
その彼を信じた仲間。
私は、愕然とし、そして彼とは何も語らずに終わった。
大きなイベントが過ぎて冬が来た頃。
周りの人間は徐々に帰ってきた。
一人一人、語るとも語らずとも
分かり合えたような気がして、
元の日々が戻り始めた。
そして、12月11日。
最後の砦だった彼が帰ってきた。
その夜、私は今の商売を完全に独立することを決めた。
あの日彼らがそろって、いつもと変わらない日々を見せてくれなかったら、
私は、この仕事を続けていられなかっただろう。
四苦八苦しながら、泣き叫びながら、それでも私はここで商売をしている。
そして、春、4月。
些細なことから二度目のけんかをした。
他人様の、色恋沙汰に
私たちが巻き込まれた格好だ。
その過程で、彼は、自分の派閥を作ろうとし、
自らの立場を守るべく、画策し。
彼を思って、本音で話した仲間を侮辱した。
そして私を裏切り者呼ばわりし、卑怯者扱いをした。
最終的に縁を切ると、連絡をするなと言い出したのは、
彼だった。
でも、結局は私の中でも終わっていたんだろう。
怒りと、哀しみの中で。
仲間との変わらない日々の中で、
いつも彼だけがそこにいないことを、
私たちは無言のうちに感じている。
彼がどれだけ、尽力してきたかを
忘れてはいけないという想いにかられる。
明日。かれが会いに来るらしい。
喜びと不安を抱えた私に
仲間は躊躇した。
でも、仕方がないのだ。
彼は、私のもとから二度去った。
もう、三度目はない。
あってはならない。
そのたびに、彼も周りの者も、そして私も
傷ついているのだ。深く、深く。
明日、その扉を開けて入ってくる彼は、
なんというんだろう。
どんな顔をして入ってくるんだろう。
長い、長い時間の始まりである。
2001/10/17(水) 06:36:00
天野君
月末。久しぶりに会う。
思えば、こいつに出会った頃の私は、本当に意地悪だったかもしれない。
いや、思い上がっていたのか。
どっちにしろ、周りの人間にはそう映っていたはずである。
私にはどちらの意識もなかったのだが。
私はこの男が嫌いだった。
大体、私の好きな先輩を独占していた。
そういう単純な、彼にはどうしようもない理由で
嫌っていたことはわかっていた。
それにも増して、だからといって私に気を使うのもいやだった。
何かにつけ、私の神経を逆なでする男だった。
15年ぶりに会って。
普通に話せる自分が不思議だった。
ああ、大人になったんだなあと思った。
同じ時を生きた同士として。
懐かしくもあり、切なくもある。
この年になって、はじめて。
やっと本気で語ってやれることも、心配してやれることもある。
私にはよく覚えている出来事が二つある。
一つは私の誕生日である。
よくは知らないが、家庭事情の複雑だった彼は、
当時クラブを休んでいた。
その身勝手さも嫌いだった。
だけど、何を思ったか誕生日にプレゼントを持って現れたのだ。
黙っておいて、じゃ、といって帰った。
気を使うとか言うのがわずらわしいとかの問題ではなく。
ああ、要するに、やさしいんだ。と思った。
それをずいぶんうがってみて、ずいぶん責めていた自分を反省した。
そしてもう一つ。
急に転校することになった私を挟んで、
私と先輩と奴と三人で撮った写真がある。
そのとき、二人が私の方に手を掛けたのだが、
私はなんとなく、彼をそっとよけた。
その写真を私はよく覚えている。
私は、ただ、好きな人にしか近づきたくなかった。
それだけだった。
15年たって、久しぶりに話をして。
驚いたことに、その写真の話がやつから出てきた。
そして、実は、おまえのことを好きだった時代があったといわれた。
15年ぶりの反逆。
取り戻せないときの分だけ、衝撃は大きい。
あの写真の瞬間、ああやっぱりあかんのかって思った。
そう言った。
私がさりげなくよけた瞬間を隣で感じてる奴がいた。
言葉が出なかった。
彼は今、コックをしているらしい。
家の話や、家族の話をした。仕事の話、お金の話。思い出話。
ずいぶん大人になったなと思う。
人は、我々が随分仲が悪かったと思うだろう。
そしてそれは事実だった。
だが、結局、一番近くで一緒に戦ってきた仲間でもあるのだと
いまさらのように思い知らされる。
「帰ってこいよ。」
そう言ってくれる人のやさしさに、感謝しながら、
私はこの街で、一人戦いつづける。
2001/10/14(日) 13:44:00
吉山先生
私はまったく勉強をしない小学生だった。
ノートを取った覚えも殆どなく。
家に帰って宿題なんかやったこともない。
ただ、大人びた友達を真似て、
中1の計算ドリルを買い、
わけもわからずに答えを見比べながら、
方程式を解いたのを覚えている。
私がはじめて自分で計算ドリルを買ってほしいといったのに、
母がずいぶん感激したのを覚えている。
そういうわけだから、中学からほとんど横一線で始まった英語は、
私にとっては頼みの綱だった。
唯一まともに勝負できる教科だった訳である。
しかも、いやいや聞かされていたラジオの基礎英語のおかげで、
ほんの少し人より多くのことを知っていた私は、
それだけで、うれしかった。
そして、英語がしゃべれたら、どれだけ世界が広がるんだろうと思うと
楽しくて仕方がなかった。
今思うと、それだけ英語を楽しいと思えたのは、その英語の先生のせいもある。
吉山亨子という名前が、なんとなく、先生っぽかった。
亨子なんて名前は友達にいなかったという単純な理由だったが。
私は彼女をミズ吉山か、あるいは吉山亨子とフルネームで呼んでいた。
非常に丁寧な、でも、一歩間違えると幼稚園の先生風の雰囲気の彼女は、
そう言えば、うるさい中学生どもに馬鹿にされて授業が成り立たないなんて事がなかった。
なんとなく、やさしい言葉の裏に、それ以上はだめよって言う厳しさを
我々は感じてたのかもしれない。
私は今英語を教えるようになって、教師との、しかも中1での教師の出会いに
深く感謝している。
そして、中学の頃にはずいぶんとやんちゃでご迷惑をかけたことをわび、
今でもあきらめずにがんばって英語、勉強していますよとご報告したいと思っていた。
1年半前。
彼女が亡くなっていたことを知らされた。
まだ、40過ぎの頃。ガンで亡くなったそうだ。
まただ。また、間に合わなかった。
まだ、ありがとうの一言も言っていないのに。
そして、私は。
届くはずのない思いを抱えて、ただひたすら勉強に励む日々である。
2001/10/09(火) 15:28:00
久美子
漫画みたいな子だなと思ってた。
事実、彼女が自分で書く自画像のイラストはそっくりだった。
んー。かわいいというか。変わっているというか。
出会いは、小5の園芸委員会だった。
みんな、花形の放送委員会を希望して、負けたら、人気のない委員会に別れていく。
ご多分に漏れず、私もその一人だった。
まあ、土いじりは嫌いじゃないし。いいか、くらいの気持ちだった。
ほかの人は、殆どいやいや回ってきた人ばかりで、たいした活動もしていなかった。
覚えてるのは、教頭先生に習って、サトイモを植えたときのことくらいである。
秋になったら食べようねー。と言ったが、食べたかどうかさえ覚えがない。
そこで、私は友人の友人として、久美子に出会った。
さして人の調子など気にしなかった私は、一気にまくし立てて、
引きずりまわしたと思う。
人に嫌な顔されても、気にしてる場合じゃないくらいと考えていたのである。
嫌な顔というか、困惑の表情で、なんとなく付き合ってくれたのが彼女である。
まさかと思ったのだが。
私は結局小学校から高校まで彼女と一緒だった。
その間、同じクラスになったのは一度だけである。
それもそんなに仲がよかったかというと、そうではない。
べったりするわけでもなく、いざというときに助けるというわけでもなく。
ただ、なんとなく気がむいたら話をする。そんな関係だった。
んー。もしかしたら彼女ではなく私がそういう人だったのかもしれない。
その彼女となぜか、高校入学の段階で、急速に仲良くなった。
私は彼女を強引にオーケストラに入れた。
縁とは面白いものだ。
私はその学校を結局一年で転校してしまった。
でも、その一年でずいぶんいろんな人に会ったし、いろんな経験をした。
その中で、私が疲れ果てて諦めかけた時に、ずいぶん真剣に怒ってくれた。
いつもポヤーンとしてみせて。だけど熱くないわけじゃない。
人を誹謗中傷することもなく。
そんな彼女の素直さやひたむきさが私の心をひきつけたのかもしれない。
素直に好きだよといえる人の一人だろう。
思えば、私は彼女のことをそんなによくは知らない。
たとえば、看護婦になったのだって、なぜそんなことを思ったのかすら知らない。
でも、彼女のことは、事実を事実として受け入れられる。
知らないから不安になるということもない。
不思議な関係である。
2001/10/07(日) 13:40:00
BAKU
これは、私がはじめてまともに付き合った男だ。
高校生の頃までは、馬鹿な男の餌食になんかなりたくないといって、
好きな男の誘いにも乗らなかった。
声が聞きたければ電話すればいいし、遊びに行きたければ誘えばいい。
付き合っている。だからこうしなきゃ。そんなしがらみがいやだった。
出会いは単純だった。
私のバイト先に、夜中のメンテナンスで来ていたのだ。
ほかより落ち着いた大人にひかれた。
いろんな事情で一緒にご飯を食べた日に私が誘った。
でも、正直言って、落ちたその瞬間に、私の興味は消えていた。
それを指摘もされた。
付き合わないほうがいいかもしれない。一瞬そんな気もした。
でも。話すうちに見えてくるこの人の傷を
私が癒してあげなければいけない。そんな使命感に駆られていた。
毎週日曜日は、テニスだった。
ご飯を食べて帰って、テレビ見て、ご飯作って。
彼の家で、念願の熱帯魚も買ったし、
将来こんな車買って、犬を飼って、子供とみんなで遊びに行くことなんかをよく夢見てた。
私が片付けが嫌いなのをよく怒られた。
私が大学に行っていることを嫌ってた。
私がテニスをしようとしないのもいやがってた。
たしかにいやだろう。
二年間その殆どの週、私はテニスを見ていたのだから。
彼が好きなことをしている間は、私だって好きにすごせたらよかったのだけど。
女友達と飲みに行くことも、泊まりに行くことも嫌った。
夜中、彼が家に帰る頃を見計らって、電話しなきゃならなかった。
泣きながら帰ることが多くなった。
それでも、親が引っ越して、下宿するときは彼の家の近くにした。
もう、好きだったのかそうじゃなかったのかすらわからなかった。
彼のお母さんの13回忌にも行った。
近所の人とも付き合った。
彼の回りの壁が崩れていくのがわかる気がした。
二年目が過ぎようとした春。
私は塾の講師をはじめた。
そこで、私は見失っていた自分のプライドや夢を思い出した。
走り出した私に、彼は戸惑った。いつものように引き止めた。
でも私は、初めて振りきった。
一月の猶予期間を置いて。
私はやり直そうと思った。もう、捨てられなかった。
一方的に私だけが我慢してきた二年間。
だから今度はあなたが我慢してというのではなく、
お互いがいたわることのできる、対等な恋愛がしたかった。
やり直そうといった日。
彼はとてもやさしかった。
全部、何もなかったところからはじめよう。
戻ってよかったと思った。
そして、彼はこうも言った。
最初からやり直すなら、今のバイトも止めたほうがよくない?
私が大学に行っている間だけでも情熱を傾けてやりたいといった
その塾を止めろというのだ。
一瞬にして、心が凍った。
彼のやさしい笑顔が悪魔に見えた。
包丁を持って脅す彼を背に、
夜明け近いその道を一時間歩いて帰った。
疲れたかだらと傷ついた心を引きずりながら。
次の日から一月。
毎日手紙が来た。
一月後、彼の家に送り返した。
道端で、彼の車に遭遇して、そのクラクションを無視した。
がっくりする彼の姿をミラー越しに見た。
半年後のクリスマス。
家の戸に、プレゼントと大きな白い花束がおいてあった。
翌朝。私はその荷物を持って満員の地下鉄に乗った。
周りの通勤客の小ばかにした表情が不愉快だった。
全部送り返した。
女を変えるたびに、車を変えるといっていた。
BMWからランクルに変えていた。
友達がそう告げた。
そのランクルももう古い。
今でも、BMWは嫌いだ。
こうやって書くのももう一生に一度きりだろう。
二度と出会いたくない。
ただ。かなしいことに。
これは私の人生に本当に起こったことで。
消しようがないということ。
その日々を通りすぎてきたのが自分であるということ。
それが事実だということ。
好きだったのかはわからない。
ただいまは。思い出すだけで気分が悪いということ。
それだけ馬鹿だった自分。
もう思い出したくもない。
2001/10/06(土) 16:27:00
上村先輩
この人をどういう人だったかまとめろといわれても、殆ど言えない。
好きだったのは確かだ。
出会った日から。この人のことしか考えられない一年間だった。
わかっていたような気もする。わからなかった気もする。
その気持ちの狭間で、ずいぶん苦しめたような気がする。
彼の周りにはいつも誰かしら女の影が付きまとい、
その女達が、眼前で好きよといってもわからないほど、
自分の気持ちにしか眼の行かない人だった。
彼女らが、そんな彼をわがままと思わないで欲しい。
そう思って、ずいぶん余計なこともした。
けんかもしたし、言い訳にも言った。頭も下げた。
彼の元彼女だっていう女の先輩のお友達には
ずいぶんと嫌味っぽくにらまれもした。
山の上に立つ白亜の校舎の非常階段からは、山と街並みと海が見えた。
ある晴れた冬の日。私は転校することになったのを彼に告げた。
ただ、「うそだろ。行くなよ。」といったその一言で十分だった。
彼には訳もわからず背を向ける後輩は、うっとうしいはずだった。
それを、建前でもいい。とっさに行くなといえる
そういう彼を好きでよかったと思った。
最後の日。
白い日記帳と一緒に青い手紙をくれた。
おまえの気持ちは知っていた。その気持ちに答えてやれなくてすまなかった。
でも、俺は、一人の人間としておまえが好きやった。
そう書いてあった。
あの街を離れて3年の間は
私はどこか狂っていたかもしれない。
いつも彼とともにあると信じ、あの街へ帰る事だけを夢見ていた。
3年たって、久しぶりに里帰りした私はひとつ決めていた。
会って話すことを彼は極端にいやがった。
私が人生の転機を迎え、二人で話せば、必ずその話が出る。
なぜその話題がいやだったのかはわからない。
でも、私は告げた。
好きでしたと。ずっと。
それはすでに過去のものになりつつあった。
風のうわさに、彼が結婚したと聞いた。
不思議なもので、心が少し痛んだ。
偶然にも掲示板で彼の名前を見つけて、メールを打った。
あの頃と変わらないだけど少し大人びた彼の返事に苦笑した。
時の流れていくのを感じた。
今年の終わりには俺も子供が生まれます。
私は、変わったようでかわらない。
あの時も、今でも、
好きだったはずの人の向こうに
時間が流れていくのを感じている。
この歳になって、初めてわかること。
彼がどんなに大事に思っていてくれたかを、
私は自分の感傷のために、ずいぶん無視してきたんだなということ。
今でも私の中では。
彼は大きな子供である。
格好付けで、ロマンチックで。
調子に乗りやすくって、人のいい。
憎めない人である。
きっと、素敵なパパになるんだろう。
2001/10/05(金) 16:44:00
KENNETH
昔。ケネスっていう名前をケンと省略してるのを、漫画で読んだ。
私のはその反対。ケンという人を、ケンと呼べないから、ケネスと刻んだ。
彼は、私の親友の彼だった。
出会いは最悪だった。
とても虫の好かない生徒会長の腰巾着のような
したり顔の、いい子ちゃんの、東京からの転校生だった。
隣のクラスにいた私は、気に入らなかった。
翌年、私はその腰巾着と同じクラスになった。
こともあろうか班まで一緒になってしまった。
嫌いでも、いやでも、差別しないのが私の鉄則だ。
話してみた。
彼は、町田から来た転校生だった。
町田では、前年に中学生による学校内での殺傷事件が続いた。
そう言うところから来た人と見られるのを非常に恐れたそうである。
いや、大丈夫。君は誰が見ても怖そうな人に見えないから。
そう言って大笑いした。わだかまりはなかった。
たしかに。
まじめな奴だった。融通も利かなかったかもしれない。
でも、私の知的好奇心を刺激するには十分だった。
こいつと同じ学校に行くためなら、
まじめに勉強してもいいかもしれないとも思った。
夏休み。
私がクラブを引退した後、何度か教室で勉強をした。
それは楽しく、そして本当の意味で有意義に真剣になれた時間だった。
そのとき、私は、自分の親友の一人を真剣に心配した。
塾にも行かず、さして勉強もしない彼女を連れていった。
あまり男の子としゃべらない彼女も、彼なら安心できると思った。
私の意を汲んで、彼も快く彼女を受け入れた。
もしかしたら、最初から彼は、彼女のことを好きだったのかもしれない。
でも、妙なとても微妙な三角関係が続いた。
それは、次第にクラスのみんなの気がつくところとなっていった。
そして、気がついたら、彼女も、彼を好きになっていた。
私は耐え切れず、付き合う気のなかった彼らをそういう風にしむけた。
わたしはKENNETHに手紙を書きつづけ、彼は受け止めつづけた。
それを知っている彼女は、黙ってみていた。
それが、信頼だと思っていた。
よく三人で遊んだ。
それが友情だと思っていた。
彼が知らない彼女の悩みに付き合って、授業をサボったこともあった。
卒業式の後。
教室を出た廊下で、幸せそうな彼らを見つけて、
私はおどけながら、彼らの二人だけの写真を撮った。
レンズの向こうの彼らに春の陽射しがかぶってまぶしかった。
彼女は今や、二児の母親である。
彼とは高校に入って結局別れた。
久しぶりに電話をして、でもKENNETHの消息は聞けなかった。
私がその街を離れて4年目。
水泳の試合で、私の住む街へ来た彼は、
わざわざ会いに来てくれた。
ネットを通して、今でのその彼の記録をたどることができる。
東京へ帰りたかった彼は、今は向こうにいるらしいことだけがわかる。
きっと。あの頃と変わらないさわやかな顔で、いい大人になっているんだろう。
何のために生きるのか、その目標を持って毎日を過ごしてください。
それがたった一度私へ宛てた葉書の台詞だった。
2001/10/04(木) 16:43:00
ぱみ。
私は実際この人を、「ぱみ」という名前で呼んだことがない。
高校のオーケストラでチェロを弾いていたこの人を、
私は誰よりも尊敬し、信頼し、あこがれていた。
今の私があるのは、この人抜きには語れない。
毎授業時間手紙を書いては、渡しに行き、
先輩が渡り廊下を通る時間をチェックしては、手を振った。
今思えば、ずいぶんとしんどい付き合い方であったはずなのだが、
この人は嫌な顔など、一つもしなかった。
気づかなかっただけ?いや違う。
私は、人一倍神経質で、人が私を見る眼にはかなり過敏だった。
ずいぶん仲良く、かわいがってもらった私にしたら、
ぱみ先輩といってもおかしくなかったはずなのだが、
なぜかしら、私は○先輩と苗字で呼びつづけた。
よくお宅にもお邪魔した。
同期の、幼馴染より、仲がよかったかもしれない。
先輩の気遣いがわからずに、
自分の自信のなさがゆえの不安を先輩にぶつけたりした。
好きだった先輩が、彼女に惹かれていくのを
指を加えて眺めていた日もあった。
この人が書いた手紙の山を私は今でも持っている。
その手紙には、説教地味たことは一言も書かれていない。
ただ、いつだって、私がそばにいるのよとだけ、
一年間、ひたすら書きつづけてあった。
私は、一年生の終わりに転校した。
ああいう、かっこうのいい女の人になりたかった。
人を本当に信頼してあげられる、強さが欲しかった。
だめな人間なんだって思いつづけてきた私に
自信をくれたのが、この人。
2001/11/04(日) 22:46:00
とも
K.T.とY.A.と三本の柱だといってきたのが彼である。
彼は、その実、しばらくうちを離れてきた。
二年ほど前、たまたま会って、彼のサッカーチームの話しをしているうちに、
盛り上がってきたのである。
面白いもので、彼は、私ともほかの二人とも違う。
だから、私たちは、つい彼を頼りにし、多少暴走しても止めてくれると思っている。
意欲的なのか、そうじゃないのか。本当に不思議なやつである。
いつも、器用な兄の後ろを追いかけながら、逃げながら走ってきた彼は
今年やっと自分の夢をつかみ始めた。
ずっと、口だけだといわれてきたサッカーで、みんなが目を見張るような活躍をおさめた。
本来自分が研究したいといっていた分野へも、すんなり進むことができた。
実は、運と奇跡だけできたといっていた兄貴が自分より努力家で不器用なことを
彼ははじめて実感して、すこし大人になったかもしれない。
あきらめないこと。それが彼の信条だ。違うことは絶対に違う。
だからこそ、私たちは彼を頼りにするんだろう。
ただ。かれは、眠り姫である。
いつ何時も、寝ている。
ましてや、夜遊びなんかもってのほかのかわいいやつである。