--昔あった悲しい実話--




作者 柳宿   著作権 柳宿
日本の古い言い伝えに、猛暑の冬は大雪がある、その翌年には…大災害が起こる。
という物がある。
1994年夏…その年は日本の観測至上、初めてと言われるほどの猛暑だった。
連日40度近い気温になり、熱中症・日射病で倒れる者も少なくなかった。死亡者も出た。
雨は降らず、ダムは干上がり山に積もった雪も役に立たない。全国で取水制限が行われ、
人々は節水を余儀なくさせられていた。残暑も厳しくいつまでも暑さが残り、いつ涼しく
なるのだろう…誰しもが冬の到来を待っていた。早く…涼しくなれ…と…
 1994年のクリスマス…冬は普通に人々に夏の暑さを忘れさせ、安心感を与えていた…私
も二人目を生んだ後で、心も落ち着いてたし夫婦だけで神戸にクリスマスの夜を楽しんで
いた。街のイルミネーションは、キラキラと輝き、ジングルベルの音楽がひっきりなしに
聴こえて、ケーキの匂いがあちこちからしてきて、神戸の街はクリスマス一色だった。
空も、静かに風をそよがせていた。
何事もなく年が明けて、1995年が生まれた。雪も別段多くなく、誰もが普通に
1995年が過ぎると思っていた。
成人式が近づいて、私は当時主人の仕事の都合で岐阜県に住んでいたため、成人式を迎え
るいとこに会おうと1月14日…大阪に向けて車を飛ばしていた。ふと、外を見ると…
雪がちらついていた。降雪量は徐々に増え始め…高速が三重県になる頃…高速が止まった
…一般道に降りて、私たちが見たものは普段降ることの無い場所に信じられないほどの雪
…一面真っ白で、車も人も何がなんだかわからないくらいだった。
大阪に通じるすべての高速道路・一般道は止まってしまい、部分通行できる高速に入り、
サービスエリアで一夜を明かした。もう、15日の午前4時だった。15日の午前、
何時かは覚えてないが、高速が通行可能になったため、再び大阪に向かって車を走らせた
…いや、正確には、動かしていた。みんなタイヤが冬用じゃなく、夏用のタイヤのため、
危険極まりない。ノロノロと、車を動かして、大阪の実家に着いたのは、もう15日の
午前 10時を回っていた。無事にいとこの成人式を終えて、その日の内に岐阜県の自宅に
戻り、普通に日常生活に戻った。


第一部終了







ちなみにこれは私が書いたものではないので無断転載はしないで下さい。


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