つぶやき
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市内見学
2002年03月13日(水)

 アフリカで予定されていた講義もすべて終わり、今日はムクニャ副学長に面会した後、ダルエスサラーム市内を見物します。帰りの便の出発時刻が24時過ぎなので、夜まで充分な時間に恵まれました。

 チェックアウトのためにフロントに行き、U.S.ドルで支払ったのですが、何故かお釣りはタンザニア・シリングでした。迎えの車にスーツケースを詰め込み、ダルエスサラーム大学へと出発しました。

 ムクニャ副学長から感想を聞かれ、教員も学生もとても積極的で、とても満足した講義ができたこと、僕たちも良い刺激を受けたことなどを話しました。ナイジェリアでもそうでしたが、会う人は陽気で素晴らしい人ばかりであったことは事実で、怪しげな日本人を冷めた目で見たり、教員が日本の学生を見下したりするようなことも全くありませんでした。


 ムクニャ副学長に別れを告げ、スーツケースを大学のゲストハウスに預けてもらうことにしました。ゲストハウスは大学の敷地内にあって、世界各国からの研究者が長期滞在できるようになっています。タンザニアへの訪問がもっと前から決まっていたら、このゲストハウスに宿泊することになっていたのですが、この日は1室だけ空いていたので、そこで休息ができるようにと用意して下さいました。今日の夕食はここで頂けるそうです。

 今日はムシゲニさんが市内を案内して下さいます。運転手はホテルと大学の送り迎えをして下さった方と同じで、まずは市の中心部へと向かいました。ゲストハウスでムシゲニさんからナイジェリア訪問の様子を聞かれたとき、ナイジェリアの日本大使館を訪れたことを気に留められたのか、車はタンザニアの日本大使館に向かいました。突然の訪問でアポイントは何もなかったはずですが、ムシゲニさんは気にする様子もなく大使館の門を叩きました。

 僕たちは大使館の中に通されたのですが、日本大使は残念ながら不在で、代わりにタンザニアに20年も滞在しているという館員の木村映子さんと面会しました。木村さんは日本とタンザニアの架け橋として奔走している方で、日本との学生交流を拡大しようと活動されています。ムシゲニさんとは以前からの知り合いとのことで、僕たちがタンザニアに来ていることを「どうして早く知らせてくれなかったのか」と怒ってみえました。

 木村さんからダルエスサラーム大学の回報と、ケニアとタンザニア、ウガンダの大使館公報を頂き、移動中の車の中で見ていると、鈴木宗男衆議院議員に関する記事が掲載されていました。その内容をこの場に書いて良いのかどうかは悩むところですが、そこには「英雄」と称された鈴木議員の写真と、去年、タンザニアの中等学校を拡大させるために、7万ドルという巨額な個人的寄付をしたと書かれていました。

 道路沿いでは、大勢の家具職人が家具を作っていて、衣類品の市場と思われる店並びは、人々の活気で満ちあふれていました。

 

 車は、民芸品を作る職人が集まるマコンデビレッジに到着しました。ビレッジには多くの店が並んでいて、象やキリンなどの動物の置物や、タンザニアの小民族が力を合わせて国を開拓するのをイメージした置物などが売られています。木陰や店の奥では職人が置物を掘り続けていて、僕たちがその横を通り過ぎると、興味津々に付いてきたり、完成したばかりの置物を差し出しながら声を掛けてきます。

 

 民芸品の一つ一つに値段は書かれているのですが、交渉によってはそれよりも安く買うことができます。地面にお互いの希望価格を書いて交渉を進めていくのですが、買い手も必死なようで、小さな置物とセットにして値段を提示してきます。結局、マンモスの置物と小物10本を15ドルで購入することを決めました。(本当は、あまりのしつこさに僕の方が屈してしまいました・・・。)20ドル札を手渡すと、買い手はお釣りを取りに行くと言い残してどこかに行ってしまいましたが、いつになっても戻ってくる気配はありません。その現場を見ていた秋山さんがすぐに追い掛け、油断していた僕に代わってお釣りを持ってきてくれました。左の画像は、店員の説明に耳を傾けながら別の置物を購入しているところです。これは7000タンザニア・シリング(約980円)で購入しました。右の画像は、ビレッジの端にある衣類品店で巻きスカートを購入した服部さんです。

 

 写真からではわかりづらいかもしれませんが、今回のアフリカ訪問にはディジタルカメラとビデオカメラを持参しています。ほとんどの撮影は僕が担当していますが、これまでに700枚近い写真と16時間にも及ぶ映像を記録してきました。一人で行うにはなかなか難しい作業ですが、左手に三脚を取り付けたビデオカメラを持って液晶パネルを見ながら撮影し、右手にディジタルカメラを持ってシャッターを切ります。もちろん、バッグの中にはパスポートや現金などの貴重品の他、ビデオテープやスマートメディア、充電池などがたくさん入っています。

 さて、ビレッジを後にして次に国立博物館に向かいました。タンザニアの歴史が順に辿れるように資料が展示されていて、古代から奴隷時代、独立前後、そして現代までの歴史がよくわかります。博物館ではムシゲニさんの知り合いで、アラビア大使館の館員に偶然お会いしました。特別コーナーには、昨年9月に起きたアメリカ同時多発テロ事件の特集が組まれていて、各国の新聞記事がそのまま展示されていました。朝日新聞の記事を見つけたときは、久しぶりに日本語を見たなというのが最初の印象でした。博物館の中の展示ケースには、日本のODA(Official Development Assistance:政府開発援助)のマークが書かれていました。


 海沿いを走っていると漁港が見えました。この漁港の荷揚げした魚を売買する施設もまた、日本のODAによって作られているのだそうですが、全く使われておらず、昔からある隣接した取引所を使っているようです。海岸沿いはとても美しく、最も眺めの良い場所には各国の大使の自宅があります。今日の画像は、車窓から写した海岸線の風景です。

 昼食は旧ヒルトンホテルのすぐ近くにあるレストランで食べました。確かに、市内では美味しいと評判通りの味でした。大学のゲストハウスに戻った後は荷物の整理に没頭し、いつの間にかベッドで眠ってしまったようです。タンザニアでの最後の夕食を食べていた頃、心配していたお腹の調子が急激に悪くなりました。テーブルを囲んでの会話を途中で抜け出し、ゲストハウスに戻ってトイレに駆け込む始末です。一体、いつになったら治るのでしょうか?

 21時に空港へと向かい、航空会社のカウンターが開くまでの間に、空港前の薬局でマラリアの予防薬を購入しました。これで帰国してからも安心できますし、来年アフリカを訪問する人たちへのお土産にもなります。運転手から服部さんにカセットテープのプレゼントがありました。実は、車の中でポールという歌手の曲が流れていて、その話題について服部さんと盛り上がっていたときがあったのです。彼はその事を覚えていてプレゼントしたのです。ムシゲニさんには、僕たちのわがままにも何とかして下さったりして、本当にお世話になりました。下の写真は、そのムシゲニさんと運転手の方です。


 相変わらず、荷物の検査は細部まで及びました。同時多発テロ事件の影響もあるかと思いますが、1998年にアメリカ大使館が爆破されるという事件の影響もあるのでしょう。職員によるボディーチェックでは、金属探知器でズボンのファスナーの辺りを入念にチェックされてしまいました。アムステルダムへと向かうオランダ航空機は、24時30分に出発します。それまではロビーで座っていたり売店を見て回っていたのですが、日本では手に入らないスワヒリ語の辞書を購入しました。

 夢のような日々も間もなく終えようとしています。今、飛行機がゆっくりと動き出しました。


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