文頭からぶしつけな事を書くようで申し訳無いが、MSXは「過去の資産を大量に持つパソコン」でも「8ビット機最高のマシン」でも無く、そういった事を臆面も無く言う人間のMSX評は信頼できないと思っている事を記しておく。これは別にMSXを否定する意味合いではなく、そういったパッとしないマシンだったMSXだからこそ愛着が湧くという事で、要するに私見である。
MSXは1983/10/25にSANYOの「MPC−10」が、同11月にYAMAHAのYIS−503・YIS−303・CX−5/AX−501が、同時期に松下電器産業のCF−2000が発売された。しかしMSXに対する世間の関心は高いとは言えなかった。当時唯一のマイコンホビー誌「マイコンBASICマガジン」では特集を組まれる事も無く、トピックの一つとして扱われた程度であった。この前月にMSXマガジン創刊準備号が、同月には創刊号が発売されているが、決して注目度が高かったとは言えない。
当時のパソコン雑誌は「月刊アスキー」「I/O」「月刊マイコン」など高年齢層/マニア向け雑誌が主流で、パソコン雑誌の種類自体が少なかった。MSXが1994〜95年に全盛期を迎えた一因に、ファミマガやログインといったホビー系マイコン雑誌が無かった時代に(現在で言うマルチメディア色が強い)MSXマガジンが発売された事がエポックとして影響していると思われる。
当時、MSXの専門誌「MSXマガジン」というホビー色の強いマイコン雑誌は非常に珍しいものだった。既存のマイコンマニアの関心を引く要素は殆ど無かったMSXだが、「マイコンに興味はあるけど難しそう」といった一般層にとってホビー色を強く打ち出したMSXは魅力のあるマイコンに見えた。初期のMSXマガジンはMSXをゲームや家計簿などの定番実用ソフトだけではなく、拡張すればスーパーインポーズやMIDIもできるホームパソコンとして扱った。他の家電製品(もちろん、当時普及し始めたビデオ機器も含まれる)とリンクして使うというマイコンの利用方法は当時としては画期的であるが、これは「MSX」というスペックにも規格にも魅力の乏しいマイコンに各参入メーカーが自社の他の家電製品も買ってもらおうという苦肉の策だったのかもしれない。実際、MSXを拡張する周辺機器はどれも「MSX本体より高価」なものばかりで、MSXユーザーの注目度の高さとは裏腹に、実際に拡張したという話はほとんど聞かれる事は無かった(現在でも似た例はWindowsでも散見される思う。WindwosはMSXより拡張が面倒だからだ)。なによりMSXマガジンはゲーム画面を大量に載せた唯一のパソコン雑誌だったのだ。(同時期に「マイコンBASICマガジン」に「SUPERSOFTマガジン」が付録として付いており注目度もこちらのほうが高かった印象があるが、市販ゲームを主コンテンツとして扱った雑誌としてMSXマガジンを「唯一」としている)
このMSX発売数ヶ月前には、MSX規格に参加しなかった各社が独自の8ビットマイコンを続々と発売している。バンダイのRX−78、SEGAのSC−3000、シンクレアのZX81、NECの―PC6001mk2などの他、SORD/タカラの名機M−5も廉価版と高級機版を発売している。その殆どの機種がそれまでのマイコンでは一般的ではなかった「ROMカートリッジスロット」「家庭用テレビ接続」「スプライト機能」などといった(MSXの特色と言われてきた)性能を持ったマシンであり、M5などはMSXに先んじて共通規格を為しているとも言える。邪推すれば「MSXに対する関心は低かった」メーカーと「MSX規格という『独占』に対抗しようとしていた」メーカーがあった感さえある。また松下はMSXと同時期に堅実な性能で定評のあったJRシリーズの新機種JR−300を発売しており、NECはMSXの生みの親である西和彦氏設計と言われる(当時のマイコンマニアの夢を具現化したような、MSXとは対極のスペックの)PC−100を発売している。マシンスペック面でのMSXへのメーカーの関心もとても低かった様子だが、事実MSXは発表当時から既に時代遅れの感のあるスペックで、価格面も割安感を感じる価格設定ではなかったのだ。
しかし1983年から1984年にかけて各メーカーからMSXが発売された事の副産物は大きかった。先述の自社の他家電製品とのリンクに加え、MSXと抱き合わせで販売するソフトを各社が用意した事と、そのソフトと共に地方の街の(MSXを販売した各メーカーの)電気店の店先にマイコンが置かれた事である。
この当時には既にマイコン専門店は幾つかあったのだが、それらはマイコンマニア専門の色が強かった。またソフトの流通も整っておらず、主流はマイコンマニアが作ったプログラムを買い取って通信販売する手法で、その老舗がハドソン、同じ手法で独自色の強いソフトの供給で人気を得たのがエニックスである。マイコンを買ってもソフトが買えない為に雑誌に掲載されているリスト(マイコンBASICマガジンのような投稿作品だけでなく、I/Oや月刊アスキーなどに稀に市販ソフトのリストが掲載される事もあった(著作権やオープンソース云々などの心配の必要の無いほど、当時はマイコン市場が小さかった))を入力するか、テープログインやテープアスキー(雑誌掲載プログラムをカセットテープにセーブしてあるもの)を買ってくるしかなかったマイコンユーザーも多かった。そのようなソフト流通の黎明期に、MSXのソフトが家電製品と同じ流通ルートでMSX本体と共に街の電気店に卸された事はひとつのエポックと言える。
またMSX規格参入メーカー各社がソフトを用意した事で、MSX専用ソフトの本数が爆発的に増えた。スペクトラビデオやアタリなどMSXと似たハードからの移植も多く、質はともあれ、MSXは当時のマイコンの人気機種のソフト本数を簡単に追い抜く事となった。MSXは、MSX規格や性能ではなく、これまで一般人の手の届かないところにしか無かった「マイコン」を、より身近な場所で、大量のソフトと共に取り扱かった事によって世間の認知度を上げたのである。
つまりMSXは「80年代の空気」という追い風によって独特のスタンスを築いたものと私は考えている。
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