MSXはファミコン人気のせいで売れなくなったというのは、後年のMSXユーザーによる間違った認識だ。
というのもファミコンは発売当時あまり売れていなかったのだ。ファミコンが発売された1983年のファミコンソフトは9本、1984年にハドソンとナムコが参入して話題となってようやく総数28本のソフトを揃え、その年末のクリスマス商戦で人気商品となり、スーパーマリオが発売された1985年のクリスマス商戦で決定的なヒットとなった。つまり「ゲームしか出来ない」ファミコンは1983年から1984年にかけてはそれほどのヒット商品ではなかったのだ。当時は子供に一万円以上もするオモチャを買い与えるという風潮も無かった。ゲーム「も」出来るMSXは価格は非常に高かったが一応は「ホームパソコン」であり、マシンスペックに疎いスポンサー(=親)にとってはファミコンとMSXは「別物」として扱われたのだろう。「ゲームも出来る」MSXはファミコンが普及するより先に、質はともかく(苦笑)多くのソフトを揃える事が出来た。正確な数字は不明だがMSX発売後半年で100本以上のソフトが発売され、それはファミコンに限らず、多くの他マイコン機種のソフト総数も超えていた。
質は置いといて(汗)それだけのソフトが発売されたのには幾つもの要素が複合している。1つは、当時のマイコンソフトは素人プログラマーが作ったソフトが簡単に市販化されていた時代だった事(初期のハドソンはそういったソフトの販売で会社を大きくしていったという経緯もある)。製造コストの安いカセットテープでも、製造コストの高いROMカートリッジでもソフトを読み込めるMSXは、ソフト供給側にとっても融通の利くハードだったと言える。
2つ目は、各家電メーカーが自社MSXと同時購入してもらう為に各社でソフトを用意した事。マイコンはソフトが無ければただの箱、メーカーは自社MSXを買ってすぐに使えるようソフトを用意する必要があった。街の電気屋さんでもMSXで自社ソフトをデモンストレーションしている光景がよく見られた。
3つ目は、MSXにROMスロットが標準装備されていた事。当時のマイコンでROMスロットを装備していたのはNECのPC−6001シリーズとM5シリーズぐらいで、PC−6000シリーズのROMは割高感を感じる価格(一万円前後)、M5シリーズはソフトラインナップが伸び悩んでいた傾向(晩年には高価なROMではなく安価なテープでソフト供給もしていた)があった。MSXは比較的安価でソフト数も(質は兎も角)十分に揃える事が出来た。
4つ目は、海外ソフトの移植が容易だった事。MSXが発売された頃は既にアメリカでは8ビット機から18ビット機(IBM-PC)への転換期であり、8ビット機は主に家庭用ゲーム機として普及していた(らしい)。ハードスペックが同じであるコレコビジョンなどからの移植が容易だった事からポニカ(ポニーキャニオン)や東芝EMIなどから海外ソフトが大量に発売される事となった。
一方で、当時は「任天堂のゲーム機」に他の会社がソフトを供給するという事そのものが珍しかった時代だった。「家電メーカー各社が作っているMSXという「マイコン」に多くのソフトハウスが集まったのは必然である。しかしマイコンブームが低迷し、「任天堂のゲーム機」ファミコンにナムコとハドソンが参入し、そして1985年「スーパーマリオブラザーズ」の登場によって、ファミコン人気は市民権を得るまでとなり、1986年「ドラゴンクエスト」、1987年「ドラゴンクエストII」の登場で社会現象にまで発展して、遂にマイコンとファミコンの優劣は逆転した。1985年にはMSX2が、同時期にT&Eソフトの「レイドック」が発売され、MSXは話題的には賑わっていたが、当時はまだ高価な周辺機器だったディスクドライブの普及が伴わず、MSX2の「売り」であるグラフィック機能は「宝の持ち腐れ」状態となってしまった。ゲーム専用機であるファミコンが安定したソフト供給を続ける一方、MSXはMSX1とMSX2のソフトの分化によってソフト供給は鈍り、円熟期であったMSX1用ゲームのグラフィックが貧相である事をMSX2が強調する結果となってしまった。結局1988年頃までMSX1用ソフトが健闘し、この頃までをMSX全盛期という事が出来るだろう。
(現実にはMSXが100万台突破した頃にはファミコンは200万台前後の出荷台数に及んでいた。しかしMSXとファミコンの本体価格を比較して考えるとMSXは決してファミコンに負けてはいなかったと言えるだろう。更に付記すればMSXが出荷台数100万台と言ってもMSX参入各社のトータルなので、ビジネス的にはヒットとは言えない面もある)
当然だがファミコンは発売当時から一番人気のあるテレビゲームであった(先に「ファミコンは発売当時あまり売れていなかった」と書いたのは、この頃はコンシューマーゲーム機市場というものが無いも同然だったから。TVゲームはあくまで「高価な玩具」扱いだった)。「カセットビジョン」や「ぴゅう太」より優れたファミコンのグラフィック能力は当時としては革新的なもので、MSXと性能の似た「SC−1000」はファミコンの次に人気のあるマシンといった程度であった。カセットビジョンはこのTVゲーム戦争を乗り越える為グラフィック性能を大幅に強化した「スーパーカセットビジョン」を発売しているが、結局ファミコンの一人勝ちとなっている。ファミコンはその後もSC−1000で破れたセガのリベンジと言える「メガドライブ」やNECとハドソンの共同開発マシン「PCエンジン」と互角以上に闘い続ける。その一方でMSXは新たな話題を打ち出す事も出来ず、緩やかに衰退していった。
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1889 「任天堂骨牌」創設。
1969 アラン・ケイ「ダイナブック」構想。後のGUI
1974 ボードゲーム「ダンジョン&ドラゴンズ」
1977 任天堂「TVゲーム15」発売
1978 アーケード「スペースインベーダー」
1980-04-28 任天堂「ゲーム&ウォッチ」(BALL)
1980-07 アーケード「パックマン」
1983-01 アーゲード「ゼビウス」
1983-06 MSX規格発表
1983-07-14 セガ「SG―1000」発売
1083-07-15 任天堂「ファミリーコンピューター」発売
1983-09-06 雑誌・MSXマガジン創刊準備号
1983-10-06 雑誌・MSXマガジン創刊号(1983_11月号)
1983-10-25 MSX発売
1983 光栄「信長の野望」(PC−8001等)
1984 シリコングラフィック社設立
1984 小説「ニューロマンサー」
1984 任天堂「ファミリーベーシック」発売
1984-09-07 ナムコ、ファミコン市場に参入
1985-07 MSX2発売
1985 コナミ、メガROMを開発
1985-09-13 ファミコン「スーパーマリオブラザーズ」
1985-10-20 セガ「セガマークIII」発売
1986-02-21 任天堂「ファミコンディスクシステム」発売
1986-03-20 MSX専門ネット「THE LINKS」開始
1986-12-12 雑誌「Nan?Da」(コナミ)
1987 NEC「PCエンジン」発売
1987-03-08 雑誌・MSX-FAN創刊
1988-10-21 MSX2+発売
1988-10-29 セガ「メガドライブ」発売
1989-04-21 任天堂「ゲームボーイ」発売
1989-02-09 PCエンジン「ネクタリス」
1989 ルーカス・フィルム「ハビタット」
1990-07-01 SNK「ネオジオ」発売
1990-秋 MSXturboR[FS−A1ST]発売
1990-10-06 セガ「ゲームギア」
1990-11-21 任天堂「スーパーファミコン」発売
1991-01-17 多国籍軍「砂漠の嵐」作戦(湾岸戦争)
1991 SNK「NEOGEO」発売
1991 メガドライブ「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」
1992-03-26 ソフト・PCエンジン「天外魔境II卍MARU」
1992-08-30 雑誌・MSXマガジン休刊
1992-年末 MSXturboR[FS−A1GT]発売
1993-01 パイオニア「レーザーアクティブ規格」発表
1993 トレカ「マジック:ザ・ギャザリング」
1993-07-17 映画「ジュラシック・パーク」
1993-12-01 任天堂「ニューファミコン」発売
1994 SNK「NEOGEO−CD」発売
1994-03-20 松下「REAL」(3DO)発売
1994-12-03 ソニー「プレイステーション」発売
1994-11-22 セガ「セガサターン」発売
0995-04-23 任天堂「サテラビュー」データ放送開始。
1995-夏 Windows95
1995-007-21 任天堂「バーチャルボーイ」発売
1996 「プリント倶楽部」(プリクラ)が流行
1996-06-23 任天堂「NINTENDO64」発売
2000-03-04 ソニー「プレイステーション2」発売
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